卑劣な飲酒運転追突事故の          被害者と遺族の怒り

  最初の公開日付   2003年11月25日    

 この私のHPは、長文になっていますので、C 特記事の写真を先に見てからにしてから、トップに戻り読んで頂ければ幸いです。私は、息子が遭遇した事件を、素早く捜査して事故原因を捜査して下さった愛知県警や事故の瞬間を目撃して、裁判等で真実を証言してくれた女性に感謝しています。

 この事故のトラブルの最大の原因は、100パーセント追突した加害者を弁護した弁護士や 真の加害者を支援した卑劣な仲間です、一番の悪は、加害者よりも平石の弁護士4人です。その弁護士らは社会正義を主張する有名な弁護士で反警察の弁護士だったのです。彼らは事故車両を確認しないのに、私の息子が追突した主張し警察が証拠を捏造した裁判であったが、私の息子の完全勝利であつた。

 このホームページの内容は、被害者の過失が100パーセント無いのに、被害者の息子が加害者だと主張して,5年以上の年月と46回の長期裁判となったのです。その長期裁判となった原因は、全国市民オンブズマンの事務局長の新海弁護士等の悪意に満ちた卑劣な思想からきたのが原因です。


 その特記事項の写真は、警察から渡された白黒写真を2枚だけで、その他は全部、私が集めた写真です。

 私の息子が信号交差点で停車中に、卑劣な飲酒運転車に追突され焼死してから、2020年3月17日で30年の年月を経過したが、息子に対する悲しみの思いは、現在でも全然減少していない。順縁で亡くなった両親や兄弟の事は、日頃思い出すことはあまりに無いのに、息子が生きていた思いは30年間一日たりとも忘れた事は無い。これは卑劣な加害者の不法な行為で遺族になった人々の共通の悲しみで有ります。

 事件の日の夕方。結婚を約束した彼女を実家に連れて来て夕食後、彼女の家に送ってから名古屋の寮に帰って行った。それは、午前2時に機動隊員として成田空港の警備に出張するために、たまたま、事故現場の信号交差点の赤信号で停車した時に追突されたのである。                   

 私は、その出発の情景を.30年も経過しているのに、息子の最後の言葉を未だに忘れていない。その出発の時間が、1秒2秒早いか遅いがで、息子は事件に遭遇することはなかった。また、息子が真の被害者なのに、警察は警官が追突したのに、証拠を偽造し仲間を被害者として被告を逮捕したとし、全国でも交通事故でも殆ど無い長期裁判をしてくれた、オンブズマン事務局長等の新海等卑劣な弁護士と戦うこともなかったと、今でも思っている。


 私は、事故の原因はともかく、息子が追突したのだとして一審で42回被告側控訴4回棄却で5年で、全国的な長期裁判となった。民事も28回の長期裁判で完全勝利となった。これは全て被告側の弁護士である全国市民オンブズマン事務局長等4人の反警察思想の卑劣な弁護士によって長期裁判となったのである。


 2020年9月21日オンラインで開催された、全国市民オンブズマン連絡会議の全国会議で、「オンブズマン的視点から情報の透明性や支出の妥当性を検討する必要がある」との報告をまとめたのであるが、被告弁護人である局長は、息子が受けた事案に対し反警察の思想に基づき、私の息子が真の加害者あるとして、警察は警察官である息子の為に一ヶ月もかけて証拠を捏造し、被告が加害者であるとして逮捕したのであると全国的に報道させ、裁判で被告は無罪であると最後まで主張し控訴までして彼らは大敗したのである。。

 その結果、交通事案で5年以上の46回の長期裁判となったのである。その長期裁判の弁護人は4人で、その中の一人は当時から全国市民オンブズマンの事務局長であった、彼は現在でも社会正義を理念としている有名な弁護士である。その一人の卑劣なオンブズマン弁護人の思想が原点であったと思っている。私は、30年を経過した現在でも、被告に対しての恨みよりも、オンブズマン事務局長に対する怒りが大きい。30年たっても一ミリも減少てていない。それなのに2020年9月22日の新聞に、彼は市民オンブズマンの手口全部教えます
と題し、これまで調査してきたテーマや、情報の入出方法を紹介したと記事があったので、この部分を追記した。私は、オンブズマン組織を非難していないし、非難しているのは、被告弁護人である。こんな卑劣な弁護士を30年も幹部にしている組織も改革か必要かと思っている。

 こんな卑劣な弁護士でも名古屋家庭裁判所調停委員とは驚きである。ならば息子の事案での卑劣な被告弁護姿勢を息子に謝罪して全国に知らしめて欲しい。それでこそオンブズマン主張する正義だとの思う。


 事件の捜査では事故現場の捜査が困難であったが、その翌朝からの捜査で、事故原因が完全は判明しており、警察と検察の捜査で息子が追突したのではないと結論を出して下さったのに感謝している。

 私は、飲酒して追突した加害者の不法行為よりも、加害者が追突されたと主張し、息子が警察官の仲間を助けるために、警察は証拠を捏造し逮捕したと裁判の最後まで主張したのである。むしろ私の怒り。は加害者よりも、加害者を弁護した人権派として有名な新海弁護士を許されるならば、一発拳骨で殴って見たいと現在も思っている。

 息子が追突された事故は、夜間で7台も破損し火災も発生した大事故であった。その時に確実な原因がわからなかったが翌朝に息子の破損し車を見て、真実の原因はすぐに即断出来た。被告の4人の弁護士は、警官の息子を助けるために、被告が追突していないのに息子が追突した証拠を隠し、被告に不利な証拠を捏造して逮捕したと主張して、交通事故では全国的な長期裁判となった。

現在でも過失の被告よりも、絶対に被告を弁護した反警察の弁護士は絶対に許せにない。被告の4人の弁護人は、裁判の最後まで自分らの間違いを認めなかった。

 その最大の原因は、全国市民オンブズマンの大幹部である事務局長の新海聡弁護士である。新海聡弁護士は、警察を敵している弁護士で、私の息子が被害者になった大事故を利用して、新米弁護士が警察に大勝利して有名になろうと画策したと推測している。私は、その当時から彼が、人権派[?}としてマスコミ報道に何度も出てきていたのを知っている。

愛知県警は、事故の原因トラブルを翌朝には完全に解明しているのに、卑劣な新海聡弁護士等は、私の息子を犯人にするために5年の年月と、一審と被告側控訴で46回の裁判で、被告の無罪を主張したが、新海等は警察の完全な捜査に完敗したのである。彼らは行政の手違いや無駄使いを追求して大評判の弁護士であり、その被告の弁護士は、裁判で膨大な税金を無駄使いした張本人である。彼らは正義の仕事をせずに、オンブズマンの名を借りて彼ら自身が正義を破壊した弁護士である。こんな彼らにオンブズマンを名乗る資格はない。彼には行政の手違いを攻める資格がない。事件の加害者の被告も新海の欲の犠牲者であると言える。

 事故の完全な証拠写真は、このページの最後の C 特記事項 を一番先に見れば、新海聡弁護士等の卑劣な弁護姿勢を知ること出来る。このC 特記事項の写真の中で、警察から頂いた白黒2枚だけで、後の写真は全て全部、ど素人の私が一人で集めた写真です



 自分の両親等を順縁で送った事や思い出は、脳裏に殆ど浮かんで来ないが、飲酒運転者の不法行で亡くした息子の事は、現在でも毎日脳裏に浮かんでくる。その最大の原因は卑劣な新海聡弁護士にある。


 2017年6月、東名での卑劣な交通事件等を予防するには、ドライブレコーダーの装着が、絶対に必要だと思っている。それは私の、息子が卑劣な事故で被害者なったと30年前から考えている事である。  

 息子の事件も、録画走行が一般的であれば、卑劣な弁護士4人も、刑事裁判が46回も必要なかつた。警察が警察官の息子を助ける為に証拠を捏造したと絶対に言え無かった卑劣な事件であった。

 私は、あれ以来、ドライブ録画を実践しており、車の後部には、「前後方録画中」のステッカーを貼り付けて運転しています。

 遺族の私は、赤信号交差点で停止中の車に追突し、警察官の息子を焼き殺した加害者を29年も経過しているのに、その怒りは未だに30年前と同じである。又、その怒りは飲酒運転者だけでなく、その追突者以上に、新海聡弁護士を憎んでいる。その怒りは昔の様に敵討ちをしたいぐらいである。彼らは、私の息子が完全に被害者なのに、私の息子が追突したのだ主張して、全国的な長期裁判をした彼ら4人に対する恨みは絶対に忘れない。その為に私は、その飲酒運転事故の真犯人を弁護した新海聡弁護士等の悪行を全国に知らせるために、その事の顛末を公表するするのこのホームページを公開している。

 この事故の当初の捜査に於いてトラブルがあったが、それについては愛知県警は、翌日に即座に正しい事故原因と容疑者を解明しているのに、彼ら反警察の弁護士は、このトラブルを悪用した卑劣な弁護士4人であった。

 新海弁護士は、私の、怒りのホームページを読んでおり、それは「新海聡弁護士」と検索すると、私のこのホームページが出てくるからである。


全国的に有名な市民オンブズマン事務局長等による弁護姿勢を絶対に許すことは出来ない。その弁護士は反警察で有名な弁護士であった。その弁護士は、警察は同僚の仲間の事故を隠蔽し、1ヶ月も掛けて被告に不利な証拠を捏造し、被告を逮捕したと主張して一審42回、被告側控訴4回で弁護側は大敗訴したのである。その年月は6年の全国的な長期裁判であった。又、民事裁判も28回で勝利となったも、この裁判トラブルは、被告の弁護を利用して反警察を自分らの宣伝に利用出来ると策略したのてあると思っている。


このページの最後の C 特記事項 
に完全な証拠写真があり加害者の弁護士の出鱈目さを理解出来ます。これが市民オンブズマン大幹部の真の姿である。マスコミの人は、こんな卑劣な弁護士をテレビや新聞を報道している事に、私達遺族は29年間も怒りを継続している。この怒りは絶対に減少することはない。マスコミはこんな卑劣な市民派とか人権派と評価して、新海のコメント等を採用して報道しているが、絶対に辞めて欲しい。

 新海聡弁護士は、情報公開請求運動の専門家であるが、私は、その筋の専門家ではないのに、ど素人でもこんなに多くの情報を集められた、新海等は情報公開請求の専門家なのに、ど素人の情報収集能力よりも低いとは驚きである。だから新海等4人は、息子の事件の裁判でぼろ負けしたのである。

 最初に、特記事項に息子の車に追突した加害者の車や、追突されて焼損した車の写真を見て、誰が追突した事故か小学生でも判る簡単な事故でした。事故車の写真見れば、誰でも追突した車はどれか一目で判断出来る簡単な事故を、警察は事故の瞬間を目撃していない。出鱈目証言者の証言に騙されて息子が追突したと発表し、翌朝の新聞テレビで全国に報道されたのです。

 警察は、事故の瞬間を直接見ていなかった人の真に迫った目撃証言に騙されて、間違った原因発表をしたのを、反警察の人権派と大評判のオンブズマン弁護士等が、この事故は、私の息子が追突した事故で、警察官の同僚が追突した不祥事を隠蔽するために、被告を犯人にした冤罪であるとマスコミに発表し、一審と二審で46回の刑事裁判でした。交通事故程度で、6年近くの46回の長期裁判は全国でもトップクラスの回数だったのです。 

 息子が、平成2年3月17日に卑劣な飲酒運転の車に追突され、私達家族や結婚寸前の彼女、大勢の友人、知人、職場の同僚らと永遠の別れを告げて、一人寂しく泣くながら天空に出発して行ってから、30年の年月を経過した。私達家族は、あの日と、その後の経過は、現在でも少しも忘れていない。人は時が経過すればと言うが、私達遺族は絶対に忘れないし、今後も、私は息子の恨みとを全国に発信して、息子の恨みを発して行きます。
                       
 私は、この悲劇の内容と、卑劣な飲酒運転者と、息子の方が100パーセント追突したと事故だと主張し、被告平石の方が追突された冤罪事件として、6年の長期裁判をした全国市民オンブズマン事務局長新30海聡弁護士等を絶対に許すことは出来ない。

 息子が、私達と永久に再会出来ない天空に一人で出発して行ってから29年も経つと、息子と同年の友友達等も56歳になり、それなりの地位となり活躍しているのに、と思う私の悔しい気持ちと怒りは、絶対に消すことが出来ない。順縁で亡くなった両親等の事は、日頃殆ど思い出すことはないのに、卑劣な加害者や、息子の裕之に罪を転嫁して、6年近くの刑事裁判と出鱈目の弁護した人権派弁護士等を、私は絶対に許さない。

 2016年8月24日の中日新聞に、2006年8月25日に福岡で卑劣な飲酒事故が発生した遺族の心境の書面の中で、「忌まわしい事故を早く忘れたいが、まだまだ時間がかかる」との記事があったが、私の息子が加害者と言い切った新海聡弁護士等を絶対に許さない。

 私は息子が受けた事件が30年以上も経過するのに、そのような気持ちになれない。裁判の中での息子が事故の第一原因者だと主張ならまだしも、、新海等は、その主張を新聞やテレビで何度に宣伝し発表した。これは彼らの組織の反警察意識の中での宣伝であると思っている。市民派とか人権派と評価されている全国市民オンブズマン事務局長のする事では無い。と言うことで、私は新海聡弁護士と3名の弁護士等は絶対に許しません。

 息子が天空へ出発してから29年も経過するのに、今まだに最後の別れの情景を思い出す毎日である。現在でも朝3時に目を覚ますと、思い出ばかりが出てくる。

 日常的に天命で亡くなった両親等を思い出す事はあまりないが、他人の卑劣な不法行為の飲酒運転で焼死させられた息子の事は、あれから29年も経つのに毎日脳裏に浮かんでくる。

 被告の新海弁護士が、警官の不祥事を隠すために証拠を捏造し、警官の息子が追突したと主張して、何回も新聞等で被告は無実冤罪だと主張して6年と一審二審で、46回の刑事裁判で弁護した卑劣弁護士への怒りは未だに減少していない。その弁護士が名古屋で社会正義派とか人権派市民派としてマスコミに評価されているのを、テレビや新聞で見ると、もの凄い怒りを感じる。 
 
 後段の特記事項の車の破損状況を見れば、誰でも原因を特定出来る事故であった。卑劣な弁護人は、証拠を自分で確認せずに、警察は警察官の仲間を助けるために証拠を捏造して被告を逮捕したというのであった。これが仮に被告勝訴になっていたら、被告弁護団は証拠を捏造して大冤罪事件になっていたと私は確信している。警察は事故当時、夜間の高速道路での大事故並の事故現場は大混乱になり、その時に事故を直接目視していない出鱈目の証言者の証言に騙されて、息子の車は停止していたのに、息子が追突したと間違って発表したのである。事故が昼間なら100パーセント初動捜査で間違うことは無いと確信している。彼ら弁護士の事故原因の調査レベルは、子ども以下の最低のレベルで有る。









 息子の卑劣な事件後に何年も経過して、罰則が強化されたに未だに飲酒運転事故がそれほど減少しているとは思われない。私の希望は、飲酒して運転したり事故をした場合は、一生立ち直れない完全な法律に改正するのが、飲酒事故をゼロにする最善の方法であると思っている。

 
 私は息子の事件の加害者の父親に裁判所内で、「馬鹿たれ糞、警察官やと思ってと」怒鳴られ、もう少しで、私と、喧嘩になるところでしたが、私の民事弁護士に止められた事がありました。これも人権派の卑劣な弁護人の教唆指導によるものだと今でも思っています。

 私は、卑劣な弁護人を強烈に非難して、私の怒りを書いていますが、このホームページは、卑劣な弁護士が、自分らが日頃から警察の不祥事を追求する手段に利用した事を公表し,私に謝罪して、新聞等に真実の事を記事にしない限り、彼らの卑劣姿勢をホームページ公表し続けます。

 息子が誤捜査で加害者と発表され、その翌日に、私の息子が飲酒運転の車に追突された被害者だと判明したのですが、有名な全国オンブズマンの大幹部の人権派と大評判の弁護士4人が、私の息子が本当の加害者と主張して、卑劣な彼らは、警察官の息子が追突したのに、警官の仲間を助ける為に証拠を捏造し、被告を加害者にしたと主張して、一審42回の判決に不服として、被告側が控訴して4回で棄却となり、全部で46回の長期裁判になって、彼らは大敗したのです。
 
 


 


  平成2年3月17日の午後10時50分 息子が天空に出張して28年、私達忘れはしない。


 事故の翌朝早く、息子の事故車両をみた警官等は、すぐに息子が追突したのでは無く、裕之が追突されたと判断し県警上層部に報告されたと推測される。しかし、私が葬儀の翌日に中川警察に息子が追突したと私は聞かされているので、謝罪に行ったら、加害者なのにすぐに応接室に通されて、署長から実は息子さんが加害者で無く、被害者であったと謝罪されたのです。しかし、一度警察官が追突したと発表したから、それを息子さんが被害者だったと訂正すると、必ず反警察のグループが出てくるから、完全に証拠を固めてからので1ヶ月後に逮捕すると言うことでした。

 私は、その間は加害者として待たなければならないから、帰宅してすぐに、私の関係者等しやべりまくりました。平石が逮捕されるまで、マスコミ側は息子が加害者として報道していたのです。故に、私の知人や関係者以外は、私の息子が猛速で追突した警察官であったと思われていたのです。しかし、そのニュースすら知らない人は、何年経っても息子が追突したのだと認識しているようです。妻が何年か経ってからの同窓会で、被害者とは知らなかったと言っている人がいた。


 息子は、悲しい無念な気持ちで天空に旅立ったと思います。真実を知らない私は、息子に対する怒りからお棺を足蹴にしたのです。その時に真実を知っておればと思うと後悔しています。

 事故の翌朝の中川警察署は大混乱になっていたと思います。なぜ私どもにすぐに知らせていてくれていたならば、私が、お棺を蹴り付ける事も無かったと思います。

警察本部も報告を受けて真実を知って大変な事になったと思います。事故の翌朝のテレビでは全国的に警察官が猛速で追突したと報道されて、本部長も非難をしたことが放送したからです。

 息子の事故は非難されるのに、葬儀の時に県警本部長や所属署、機動隊に所属していたので成田空港の警備関係者からも生花が届けられました。しかし、中川警察署からは一本も無かったです。まだ正式に発表していない時に生花を届けることが出来無かったのは理解できます。

 愛知県警本部長始め警察関係や昭和区の交通安全協会等からも沢山届けられると言うことは、警察上層部には真実が事故の翌朝に報告されて既に判っていたと言えます。

 翌朝すぐに間違った事を訂正出来なかったのは、新海弁護士等を警戒して秘密にしていたからだと思います。しかし、それが逆に弁護トラブルになったと私は思っています。


 2008年3月の特記事項の追加写真は、事故の当日の事故写真で、加害者の卑劣な弁護人は、人権派弁護士として評判の新海聡弁護士等で、情報公開請求や、行政等の諸問題で追求して大評判になっているから、私も息子の事故の写真も大公開をした。 彼ら弁護人の不当なデタラメな主張で、私たちが苦しんでいる事を世間に公表するために、証拠として写真を公開した。

          
 平成2年3月17日の午後10時50分に天空に行ってから、平成31年3月17日で29年の年月を経過するが、私の怒りは少しも減少していない。 一般的に「時が経て」ばと言う事は嘘です。
                              
 それは「オンブズマン事務局長」の新海弁護士(全国市民オンブズマン事務局長兼務)等の弁護人4人と、支援者に徹底的に、息子が追突した事故だと主張されて、責任を転嫁された事と、その彼等の偽証のデタラメな主張によつて、裁判を46回を数えた事が原因である。(その弁護人は、警察が、私の息子を助けるために無実の被告を逮捕した。この被告は無実で冤罪だと主張)

 マスコミは冤罪を作ろうとした新海弁護士の卑劣さを知らぬとは言え、マスコミ等に彼らが人権派として評価しているのは我慢できない。飲酒運転をして息子を殺した平石を当然の事として、息子の敵を取りたいと思っているが、私は、加害者以上に卑劣な新海弁護士等を憎んでいます。

 その卑劣な弁護士の新海は、私の息子を加害者にする為に、一審42回の裁判を重ねた憎き嘘つき弁護士で、中京大学法科大学院の教員になっているのには驚いた。

 多分、オンブズマンとして大活躍??をして、名古屋で良心的弁護士???と評価??されている??彼を立派な誠実な弁護士??だと思ったのであろう。
                 

                           椋樹立芳

 

    この番号は、H18年3月に更新した後の番号で、最初からの番号は累積していません。






   私は、卑劣な飲酒運転事故の遺族で、   
 息子が受難した飲酒事故の報告です。 



    このホームページは、事実を書いたもので誇張してありません。

         

        息子の車は画像の一番右の車で、進行方向とは逆向きに180度回転している。
        加害者の車は、その左の白い車で後部が焼損している。


   息子の裕之が追突された事故は、初動捜査で事故原因
     を間違っただけで、事故の完全な証拠品と、H 被告が追突
     した瞬間を、自分の目の前で直接目撃した目撃者がいた。
   そして警察と検察の完璧な証拠もあった。それなにの

   告と弁護人は、
それを全て否定した。

    
「H被告は無実で冤罪だ」と主張した。彼等は交通事故の
     裁判で、全国で有数の長期裁判年数(約6年)と回数(刑事
    46回、民事28回)をさせて、遺族を二重三重 に苦しめた。


     マスコミは彼等を良心的弁護士と評価して、彼等の市民活
    動を取材して彼の
「ごもっともなコメント」を報道している。
     彼等こそ、裕之が受けた卑劣な事件の裁判費用を国民に
     返還すべきであると思う。   

      
被告と弁護人が取ってくれた行動の為に、私どもの怒りは、
       息子と天空で裕之に会えるときが来るまで続くと思います。


 このページは、息子が飲酒運転の車に追突された事件の怒りを、息子との手紙を箇条書きに書いたもので、私が書いた本の7分冊2000ページの1%も書けてません。又、書くことの素人ですので、不具合な文面や誤字、話が前後したり重複している部分があり、お許しください。

 私たちは、彼等の為に、30年間も不安定な精神状態の中で、苦しみと悲しみを味わってきました。これからも、この苦しみと悲しみは治まることはないでしょう。

 

                           内 容 

A  天空の裕之より (天国からのメール )

  1 前書き
  2 飲酒運転についての意見
  3 僕が殺された飲酒運転事故について
  4 父さんが発行した本の件
  5 被告等に対する恨みについて
  6 後記

B  父より天空の裕之へ

  1 前書き
  2 事故当日の事について
  3 警察が加害者と被害者を取り違えた原因
  4 真実の解明について
  5 良心的弁護人???の過剰弁護
  6 裁判について
  7 弁護人の新聞での発言と父さんの反論
  8 裁判での被告と弁護人の主張と父さんの反論
  9 後書き

C  特記事項
 
  1 多くの人が裕之の事件を書いてくださった本等
  2 父さんが事件のことを書いた自製本の分冊名
  3 H被告の支援者について
  4 裕之が遭遇した事故写真
  5 裕之の思い出の写真
         




 


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