川柳について

 

きっかけは、私の詩を読んで女友達が図書館に走り、時実新子著の本を読み大泣きしたという事を聞き、私も図書館に走り本を読みました。

以来、時実新子氏に心酔しています。氏の主宰する月刊誌「川柳大学」を2001年11月から取り寄せ、初投稿、初通句。(現在 廃刊)

川柳誌「びわこ」作品掲載。

 

 「待ちくたびれキリンの首もあざだらけ」

皆、何かを待っている。恋人、生き生きとした生、又、楽な死。でも中々そうそうやっては来ませんよ。キリンのあの楕円の模様が哀しい傷に見えました。それを「傷」とせず「あざ」とする言葉の選択に、川柳の強さ、客観性があり、そこに惹かれます。醒めきるという事だと思います。

 

この稿を書くにあたり、自分が時実新子氏直筆の会員のお誘いのハガキを頂いたのが、苦節七、八年と思っていたのがたった五年程であったのに驚きました。「青天の霹靂」。半日涙が止まりませんでした。その後も時々、ぐっとその感動が襲って来る事があります。五年の間、通句はしていたものの自分にはそこそこの才しかない。このまま好きな川柳を続けて行こうと覚悟していた矢先の事でした。会員になるという事は、自分の選択した五句が必ず掲載されるという事です。流されず吟味し、毎回自分で自分の句を選句しています。

車を運転中によく出来ます。ゆっくりとスペースのある所に車を止め、携帯にメモをします。メモは必須です。