国宝十一面観音

湖北高月町  渡岸寺


今まで、あまり仏像を見たことがなかった私でしたが、
この美しい観音様には、一目惚れをしてしまってます。

伊吹町から、車を15分ほど北に走らせますと、高月町
に入ります。観音様は、その町の向源寺というお寺の
収蔵庫の中に、静かに安置されています。
手を触れようと思えば、触れられるくらいの距離に、
ガラスや、ロ−プなどのさえぎりもない状態で、その美
しい観音様は立ってらっしゃいます。

「見せる」ための演出も一切なされてないので、「素」の
ままの観音様と出会うことになります
長い間、いつの時代も、こうして人々の中で生きてこら
れたのでしょうね。

この観音様をずっと守ってこられた地元の人々にとっては、
「国宝」という肩書きなどは関係ないのかもしれません。

一度見たら忘れられない美しさの観音様だと思います。




歴史  736(天平8)年、都に疱瘡が流行し死者が相次ぎ、聖武天皇は除災の祈祷を「泰澄」に命じた。そこで泰最は十一面観音をきざみ、一寺を県立し、その憂いを絶った、という。801年桓武天皇の勅令により泰澄が七堂伽藍を建立して栄えたが、1570年、織田信長の浅井攻めの時の兵火により焼失した。しかし、観音像は村人の手により土中深くに埋伏させて難をのがれたといい、翌年当地の豪族井口弾正が一字の坊を建て安置したと伝えられる。明治以後伊香郡民や全国篤志者の協力で維持されてきた。

観音像は、頂上面を除いてヒノキの一木造の立像で、像高195cm(頂上面まで)。平安時代初期(9世紀前半)の作と考えられ、寺伝にあるように最澄が己高山(木之本町、渡岸寺の北東薬km)の寺を再興したころつくられた天台系の仏像と推定できるものともいわれている。この十一面観音は、頂上とその下に菩薩面3、むかって右に瞋怒面3、左に狗牙上出面3、背後に大笑面1の計10面と本面(菩薩本来の顔)とあわせて11面となっている。普通は頂上に如来の面を置いており、本像の頭上面は特別な配置である。左手に水瓶をもち、右手を長く下げ、腰を左に微妙にひねり、右膝をゆるめゆったりと立つ。胸や腹のくびれや厚い肉付けの太腿と艶やかな肌は妖しい光を放つ。肩にかけた広い布や巻きスカ−トの襞には平安初期貞観彫刻の翻波式衣文が刻まれている。右足が少し前に出て浮き気味なのを遊足という。その美しい姿は平安美女の化身ともみえ、官能的ですらあるが、崇高さを失わない。

この十一面観音、今までに多くの文化人の心とらえ、土門拳の写真、水上勉の「湖の琴」や井上靖の「星と祭り」などの小説、白州正子の「かくれ里」の随筆でも紹介されている