フェルメ−ルとその時代展

大阪市立美術館


まさか「青いタ−バンの少女」を日本で見ることができるなんて思いもしませんでした。この「青いタ−バンの少女」は、フェルメ−ルの数少ない作品の中でも傑作中の傑作、門外不出なので、オランダへ行かない限り見ることはできないとされていました。

この展覧会は日蘭交流400年を記念して、オランダと深い関わりをもつ大阪市が開催したものです。フェルメ−ルの作品5点をはじめ、当時のデルフト派の作品が約40点も集められました。

日本でいえば、江戸時代初期の時代になるのですね。
この展覧会では、フェルメ−ルは勿論ですが、そういった時代背景もよくわかるような内容になっていました。
さて、でも例えば私が「フェルメ−ル」という名前をまったく知らない時代にこうした展覧会に出会ってたとして、果たしてこのたくさんの画家の作品の中から、「このフェルメ−ルの絵が好きだ」という事が言えるかどうかですが、たぶん答えはNOですね。やはり有名な絵だから見てみたかったし、そういう目で見たから、見た後に「やっぱりフェルメ−ルが大好き」と生意気に言ってるんだろうと思います。

ただ、少し正直になって「どうしてフェルメ−ルの絵だけがとびきり有名になったんだろう」と観察してみると、なんとなくですが自分なりの答えをみつけることができたような気もしています。
今回フェルメ−ル作品は5点、美術館の玄関を入って、いろんな作品を見た後にようやくフェルメ−ル作品だけが展示されてある部屋にたどりつきます。すると、その部屋は何か空気が違うんですね。今回展示の5枚は、全てが日常生活の中の何気ない一瞬、人間の動作が止まった一瞬をとらえていました。その一瞬の緊張感は400年経った今も絵の中には生き続けていて、見るものを深い静けさの中に誘います。フェルメ−ルを見てからです。…「普遍」という言葉を目指す道がある事を知ったのは。
一緒に展示されていた多くの絵の中には、技術的にすごいもの、精神的にすごいもの、風刺的なもの、偉い人の肖像画…などたくさんありましたが、その中でフェルメ−ルの絵は「絵」の中の「絵」、純粋な絵、自己主張としての絵でもない、何かを訴えるための絵でもない、流行を追いかけていない、お金のために描かれていない、など自分なりに感じた他の絵との違いはこんな感じでいろいろありました。絵の中心をとらえていて、そのバランスたるや吸い込まれるほどの集中力を持っているような気がしました。

展覧会などに行くと、いつも勝手に自分達なりの解釈をして帰ってくるのですが、これが物を言わない「絵」の魅力なのかもしれませんね。
見た人全てに、別々それぞれの「答え」がある、ということを認めてもらえる世界といいましょうか。だから例えば、この絵について、子供とも話しができる世界。今までの数少ない経験の中では、有名な絵ほどこの力は大きいような気がしています。私たちなんか、絵の知識もないし、展覧会などに出かけるようになったのもつい最近ですが、こんな私たちに対しても、「絵」は優しいですね。何かを語ってきてくれるような気がしています。今ごろは「知識」が邪魔するとストレ−トに感じれないということも感じるので、できるだけ前知識を持たないで見に行く事にしています。でも、行った後では美術館のパネルをゆっくり読むのもとても楽しくて、ついついメモしたりしてきてしまいます。そしてもうひとつ、見た人にそれぞれの感じたことを聞くことが大好きですね。感じ方の世界は他人に支配されるものではありませんから、素直な意見を交わす事でその喜びを分かち合えるような気がします。

                             つづく…