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60年代テレビのページ |
みなさんも友人と幼かった頃のテレビ番組の話をすることがあると思いますが、私の年代ですと、テレビが充分普及していなかったことや、チャンネル権が父親にしかなかったこともあり、知っている番組、知らない番組にバラツキがあります。中でも「恐怖のミイラ」と「海底人8823」は知る人がなく、淋しい思いをしていましたが、ネット上には動画があるんですね。 「リンク」はそのドラマに関する記事のあるサイトのページにつながります。かなりマイナーな番組も紹介していますが、私の記憶に残る作品ばかりです。逆に有名なものでも、私がほとんど見なかった番組は取り上げていません。アメリカのドラマも紹介してあります。古いテレビCMも特別サービスしました。 なお、YouTubeの動画は「利用規約違反」などで削除されることがあり、私の気付かない内に「リンク切れ」する場合があります。もしそうしたケースがあればメールでご一報いただければ幸いです。最近のチェックは09年9月2日。 |
風小僧・白馬童子 | 若い季節 | 番頭はんと丁稚どん | 0戦はやと |
6羽のかもめ | |||
他の番組 | アメリカドラマ | 懐かしのCM |
恐怖のミイラ | ||||||
みなさんは「恐怖のミイラ」というテレビ番組をご存知ですか。1961年に3ヶ月間だけ放映されたもので、日本最初で最後のホラードラマという評価があるぐらいの作品です。 私はこの番組を見ていた記憶があります。幼稚園の頃だったはずなので具体的な中身は覚えていません。ですが、とっても怖くて、まともに見ることができず、ふすまの陰から顔だけ出して見ていたのです。とにかくひたすら恐ろしい番組で、ミイラシーンの音楽が極めつけと言えるでしょう。 見たことのある方はYouTubeで恐ろしさを懐かしんで下さい。見たことのない方は、伝説のドラマの雰囲気を味わって下さい。
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ウルトラQ | ||||||
言わずと知れた「ウルトラシリーズ」の第1作です。放映は1966年の1月から7月までの半年でした。ロゴが聞き慣れない音とともにギューッと回転するタイトルバックは斬新でした。 私が気に入っているのは第2話「五郎とゴロー」、第12話「鳥を見た」、第13話「ガラダマ」、第14話「東京氷河期」、第16話「ガラモンの逆襲」、第19話「2020年の挑戦」、第20話「海底原人ラゴン」、第22話「変身」、第25話「悪魔ッ子」、再放送でしか放送されなかった最終第28話「あけてくれ」と言った所です。 力と力のぶつかり合い、あるいは正義と悪の戦いというような単純なストーリーじゃないのが、ウルトラQの良さだと言うことが、小学生にも分かるのが、これまたウルトラQの良さでした。タイトルもいいですよね、特に「鳥を見た」「東京氷河期」「2020年の挑戦」なんて傑出したネーミングです。 また、哀しみの漂う作品が多いことも特徴的です。五郎のゴローへの愛情、蜘蛛男爵の孤独、ペギラに突っ込むおじさんの想い、変身した巨人の行く末、他にもいろいろありますが、登場人物の感情に同化できるのです。やはりドラマにはドラマツルギーが無くてはいけません。 「ゴメスを倒せ」には哀しみは漂いませんが、全編を見られますのでお楽しみ下さい。DVD宣伝用の映像には懐かしい怪獣が幾つか出ますのでアップしました。「番外」は自主映画を制作していらっしゃる方々が「物好きにも」勝手に作ってしまったという第29話です。コマーシャルも挟み込んで、凝りに凝っています。
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怪奇大作戦 | ||||||
「ウルトラセブン」の後番組がこの「怪奇大作戦」(放映は1968年から69年にかけての半年)です。ウルトラシリーズの中では、一般的に余り話題に上らない作品ですし、再放送もほとんどありません(最近ではギフチャンネルで2008年に再放送されたようです)。 私もそんなに強烈な印象はないのですが、第24話「狂鬼人間」がウルトラセブンの「第12話」とともに、再放送もDVD販売も行われない欠番になっているが、その理由が不明であることなど、マニアの間の取りざたされていることを知っているぐらいには興味を持っています。 この手の作品はこれ以前もこれ以後も無かったのではないかな、と思うのですが、他に例を見ないタイプの作品です。「怪奇」を「科学」で解明する全26話(内欠番1話)、「大人の鑑賞に耐えうる科学的人間ドラマ」という位置づけらしいですが、どうも円谷プロはこの作品に消極的な態度を取っているようです。
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隠密剣士 | ||||||
「江戸の隠密 渡り鳥 雲と流れて 西東・・・」主題歌(江戸の隠密渡り鳥)も哀調を帯びたいい曲でしたねえ。歌っていたのはポニージャックスです。私の学年で中学・高校と常に三重県で1番の成績だった友人が高校の修学旅行でこれを歌ったのが印象的でした。 主役を演じるのは、この頃の子ども向け番組には欠かせない月光仮面の大瀬康一さんです。そして付き従うのはこれまた子どもなら誰でも知っていた牧冬吉さん、忍者霧の遁兵衛です、のちの白影さんですね。変な忍術に頼らないリアルさがありました。 記録に寄れば1962年から65年まで放映してたんですね。こんなに長かったとは知りませんでした。確か、日曜日の夜7時半から放送していたように思います。7時からがポパイだったかなぁ。間違ってたらご指摘下さい。※しっかりご指摘を頂きました。「隠密剣士」と「ポパイ」の放送時間は記憶の逆だったようです。 動画の「オープニング」は「江戸の隠密」ではなく「隠密剣士の歌」の方です。なお以前リンクしていた動画は削除されており、日本語版が存在しません。外国語版を探すのは大変です。何しろタイトルが分かりませんから。この苦労をお察し下さい。
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快傑ハリマオ | ||||||
1960年から61年にかけて1年余り放映されました。「ハリマオとは?マレー語で虎のことである」というタイトルバックで始まるハリマオには勝木敏之さんという役者が扮していますが、この方のことはよく知りません。例の牧冬吉さんはここでもキャプテンK・Kとして出演しています。 白いターバンと黒いサングラス、そして腰に巻いた幅の広いサッシュベルトと言うんでしょうか、このスタイルがかっこよかったですね。そしてさらに腰に斜めに巻いているガンベルト、馬に乗っての抜き撃ち、ヒーローでしたね。 子どもにとっては異国情緒たっぷりで、想像を膨らませる舞台設定でした。何しろ舞台がまだ見ぬ東南アジアだったのですから(のちに蒙古に移ります)。「真っ赤な太陽・・・」で始まるテーマ曲は三橋三智也さんが歌っていますが、あの雄大な歌い方が、狭い日本を飛び出した感じにぴったりだったんでしょうね。 劇中歌として「南十字星の歌」が出てきます。「・・・み〜なみじゅう〜じせい〜・・・」の部分しか歌詞を覚えていなかったのですが、とても強く印象に残り、もう一度聞いてみたいと思いながら、一度も聞いたことがありませんでした。でもYouTubeのおかげで40数年ぶりに聞くことができました。 後年、井上陽水が出てきた時、あっ、ハリマオだ、と思ったのは決して私独りではなかったと思うのですが、いかがでしょうか。
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忍者部隊 月光 | ||||||
「忍者部隊月光」―――なんてカッコイイ名前でしょう。忍者部隊、しかも月光、私にとってはまずこれでした。放映されたのが、1964年から66年ですから、忍者に憧れる年頃でしたし、それが現代の話ですから、努力次第で忍者になれる、そう思ったんでしょうねぇ。 隊員の呼び名も「月光」とか「三日月」とか「名月」とか、他にないものでした。でも話の内容は具体的に覚えていないんですよね。 まぁ、そんなものかも知れませんが、YouTubeを見て思い出しました。オープニングで三日月が銃を使うと、月光が言います。「バカ、撃つ奴があるか、銃は最後の武器だ、俺たちは忍者部隊だ」。ああ、これこれ、そして手の合図、これが忍者部隊月光でしたよ。 「空を飛び 風を切り 進みゆく忍者 正義の味方 姿は見せずに 現れ消える 弾丸の中も なんのその おお 命をかけ ゆくぞ 月光 月光 忍者部隊」、主題歌はデューク・エイセスでした。
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海底人8823(ハヤブサ) | ||||||
この番組を知っている友人がいないんですよねぇ。1960年前半の半年間だけの放送ですから、「恐怖のミイラ」より前の放映です。だから余計に知っている人がないのかも知れませんが、団塊の世代の方ならご存知ではないでしょうか。 私にしても知っているとは言っても主題歌の内、「・・・ハチハチニサン海底人・・・」という部分を覚えているだけで、このページを作るに当たって映像を探して確認してみましたが、「・・・ハチハチニサン海底人・・・」以外の部分は歌詞もメロディも全然記憶にありませんでした。まあ、4歳の頃ですから、仕方ないでしょうね。 でも映像を見て、ハヤブサを呼ぶ「3万サイクルの笛」だけは記憶がよみがえりました。海底人というと半魚人みたいなイメージですが、宇宙服みたいな格好だったんですね。
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七色仮面 | ||||||
「解けない謎をさらりと解いて・・・・・・七つの顔のおじさんの ほんとの顔はどれでしょう」。主題歌ですが、当時のヒーローは「おじさん」だったんですね。 最後の「七色仮面」をクリックしていただきますと、「駒友テレビ館」というサイトの「アニメ・特撮館」のページのさらにサブページ「七色仮面」にリンクしています。そのページではビデオ映像が10種類用意されていますし、中には本編の総集編やダイジェストがあり、オープニング以外もたっぷり楽しめます。 その映像で確認した所、私の記憶にあるのは炎を背景にしたシルエットで始まるオープニングですが、第7部まである七色仮面の内、第1部のオープニングであることが分かりました。 放映されていたのは1959年6月から60年6月までです。3歳から4歳の時に私はこれを見ていたのでしょうか、何か不思議な気がしますし、そんな頃に家にテレビがあったのでしょうか。でも覚えている第1部のオープニングから言えば3歳の時に見ていたことになるのです。高田本山のお七夜の時に、七色仮面の面を買ってもらったような気もします。
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月光仮面 | ||||||
大瀬康一さん主演、ヒーロー中のヒーローです。1958年2月から59年7月、全130回。白ずくめの衣装にマントを翻し、オートバイに乗って2丁拳銃。かっこよかったですねぇ。 両親に確認したのですが、どうやらわが家が初めてテレビを買ったのは1959年の前半だったようです。皇太子の結婚式を見るために買ったことが判明しましたから、恐らく初めの方は無理ですね。でもお隣がテレビを買ったのが早かったですから、野球やプロレスなどと同様、お隣で見ていたかも知れません。 風呂敷をマントにして原っぱを走り回った記憶が私の世代や団塊の世代の方はおありでしょう。七色仮面は顔が複雑ですから、お面無しにはできませんが、月光仮面は風呂敷で覆えばすみますから、当時はそこら中に風呂敷姿の子どもたちがいたものです。 月光仮面は日本最初の本格的連続ドラマとのことですが、低予算の中でずいぶん苦労したようです。プロデューサーの自宅応接間が主人公祝十郎の探偵事務所、車庫がどくろ団のアジト、出演者は大部屋からの寄せ集めで、いつでも代役が可能なように、覆面や仮面を多用したそうです。大瀬康一さんもそのおかげで日の目を見たようです。名前の由来は庶民を救う月光菩薩から来ているそうです。
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まぼろし探偵 | ||||||||||||
まぼろし探偵は1959年4月1日から1年間放送されていました。皇太子の結婚式が4月10日ですから、それを見るためにテレビを買ったというわが家では、多分まぼろし探偵は最初から見ていたのではないでしょうか。 まぼろし探偵の特徴は、何と言ってもあのアイマスクです。めがね風のアイマスクには大きな目が描いてあり、今思えば奇妙な顔なのですが、なぜかかっこよかったですね。当然わたしたちもボール紙を切って目を描いて、両端に輪ゴムを通してまぼろし探偵になりきっていました。 まぼろし探偵の映像はほとんどネット上にないようです。YouTubeですらスタッフや配役の字幕と主題歌だけですから、「まぼろし号」に乗っている映像をバックに配役や主題歌の出てくるこの「オープニング」は貴重ですよ。お見逃し無く。
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ナショナルキッド | ||||||||||||
1960年8月から61年4月までの放映です。仮面ものはどれも同じような時期に放送していた様な気がしますが、微妙にずれて放映されていたのですね。月光仮面、七色仮面、ナショナルキッドの順であることを再認識しました。 ナショナルキッドはカタカナヒーローのはしりでしょうか、今では考えられませんが、番組提供の企業名がそのままヒーローの名前になっています。またオープニングでは露骨に、ナショナルのネオンサインのタワーの前を飛んでいます。そのために私の頭には、「明る〜いナショナ〜ル」というコマーシャルソングが今でも刻み込まれています。 ナショナルキッドの日本の動画は次々に削除されており、ポルトガル語版しか見あたらないようですが、ついに発見しました。日本版の「インカ族の来襲@AB」です。削除される前にご覧下さい。
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豹(ジャガー)の眼 | ||||||||||||
月光仮面の後番組として1959年7月から60年3月まで放送されていました。「リンク」した文章では「東洋的なテーマ音楽が流れ、砂漠を横切るラクダ隊がロングショットで画面に映し出される。『豹の眼』のオープニングだ」と書いてあるのですが、全然覚えていません。探し出した映像を見ると、時代劇に出てきそうな風景の道を、鞍馬天狗のような出で立ちで馬に乗っているのですが、これが主人公だったのでしょうか。思い出せません。 ここまで書いた所で、念のためにと、ネット上を探し回り、こんなページを見つけました。これによれば「東洋的なテーマ・・・」のオープニングは第1部の「海外編」だったのですね。覆面姿のヒーローが出てこないために人気が低迷し、第2部「日本編」で白覆面の「笹りんどう」になったようです。従って下の動画は第2部のものです。 「こんなページ」というのは「島原どんべん島」なるサイトの一部ですが、ここに「愛馬シルバーにまたがった・・・」という写真説明が出てきます。そういえば、思い出しました、思い出しました。当時の子どもたちは馬に乗るマネをすると、必ず「はいよー、シルバー」と言っていたものですが、笹りんどうの愛馬だったのですねぇ。 主人公はこれまた大瀬康一さん。また、この作品の「殺し屋ジョー」役は牧冬吉さんのテレビデビュー作と言うことです。「豹の眼」というのは敵役の組織名なのですが、敵役の名前が番組名になるなんて、ちょっと考えられませんよね。でもボスの豹のかぶり物はしっかり覚えています。
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少年ジェット | ||||||||||||||||
当時多くの子どもたちが真似をした「ウー、ヤー、タッー」に触れないわけにはいきません。恐らく皆さんも真似をしたのではないでしょうか。リンク先の記事に寄れば、「大地は揺れ、大木も中央から引き裂かれ」と書いてありますが、そんなに威力のあるミラクルボイスであったかどうか、その辺の記憶は曖昧です。 放送は1959年3月から60年9月の1年半です。思っていたより長く放送されていました。しかしながら、この時期は「海底人8823」「七色仮面」「月光仮面」「まぼろし探偵」「豹の眼」などが放送されていましたから、今思えば、当時の子どもたちはテレビを見るのに忙しかったんですね。
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鉄腕アトム実写版 | ||||||||||||||||
鉄腕アトムに実写版があったことを忘れていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。1959年3月から60年5月まで放映されていました。アニメは63年から66年です。 この番組も見ていますが記憶は断片的です。空を飛んでいる姿、なぜか電話ボックスで電話を掛けると沈み込んでどこかへ移動する姿、そして子供心にもこんなのありかと思った燃料の充填シーン。なんと、胸をパカッと開いて薬缶のようなものから液体を注ぎ込んでいました。原子力に液体のイメージはありませんでしたから、あまりにもずさんな感じがしたものでした。 さらにフランケンシュタインが出てきたような気もするのです。なぜアトムにフランケンシュタインが出てくるのか、記憶違いかな、とも思いましたが、映像を確認してみると、配役にもありますし、動画にも出てきます。これは一体どういうドラマだったんでしょうか。 この実写版と鉄人28号の実写版の記憶の背景には、いつも当時行っていた床屋さんの店内が浮かんできます。子どもが床屋さんに行くような時間帯に放映していたのかも知れません。
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鉄人28号実写版 | ||||||||||||||||
鉄人28号の実写版については見ていたはずですが、全く記憶がありません。上述したように、床屋さんとそこにあったテレビが思い浮かぶだけで、鉄腕アトム実写版のような断片的な記憶もありません。しかし見ているはずですし、見た方も多いと思いますので、映像の紹介だけしておきます。 なお、放送されていたのは、1960年の2月から4月までのワンクール13回だけです。短かったのは不人気説と、番組編成上の対立説があるようです。
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少年発明王 | ||||||||
この番組を知っていたら偉いと言ってもいいほど、マイナーな番組だったようですが、どなたかご存知ありませんか。放送は1961年の2月から8月のようです。しかし、あるサイトによれば、名古屋地区では東海テレビが1964年に放映したことになっています。 なんでも発明しちゃう少年がいろんな事件を発明で解決していくものなんですが、彼の乗り物がロケット(ジェット機?)富士(フジ)号だったことぐらいしか覚えていません。別のサイトでは、フジ号で富士山を1周してくるのがタイトルバックだった、と書いてあります。「なつかし物」「特撮物」「テレビドラマ」などに関する様々なサイトに飛び込んでみましたが、いくつかの年表サイトではタイトル名とちょっとしたデータが出てくるものの、詳細は分からず、映像も見つかりませんでした。 |
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悪魔くん | ||||||||
「悪魔くん」は1966年10月から67年3月まで放映されていましたが、60年代テレビと言っても、60年代後半ですから、団塊の世代の方はもう見ていないかも知れませんね。私もそんなに熱心に見ていたわけではありません。 ただ、「エロイムエッサイム われは求め訴えたり」と唱えると、魔法陣の中からメフィストが現れる設定は、やはりよく真似をしたものです。そしてメフィストがチョコレートに目がないこと、メフィストがお願いを聞かないとオカリナを吹いて懲らしめたことなどが印象に残っています。 それと、メフィストは「吉田義夫」さんという役者が演じていたのですが、第11話から「潮健児」さんに替わっていたことは知りませんでした。最後まで吉田さんのイメージでしたが、悪魔くんと潮さんのその後についてのページがありました。なんとなく分かる気持ち、切ない気持ちになりましたので、そちらもリンクしておきます。
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少年ケニヤ | ||||||||
1961年5月から62年2月までの放映です。「・・・あ〜あ〜あ〜あ〜、あ〜ああああ〜・・・」「・・・ワタルは強いぞ、ウッー・・・」「・・・進めよワタル、少年ケニヤ〜」こんな主題歌が浮かんできます。 確か行方不明になったお父さんを、ワタル少年がアフリカのジャングルの中で探す物語でした。まあ、言うなれば和風少年ターザンですね。東南アジアや蒙古などは他のドラマで舞台になっていましたが、アフリカというのは初めてでした。何しろ、当時は「暗黒大陸」と呼んでいましたからね。 すみません、映像で確認したら、主題歌は「あ〜あ〜あ〜あ〜」ではなく、「う〜う〜う〜う〜」でした。やはり記憶違いがあるんですねぇ。
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素浪人 花山大吉 | ||||||||||||
放送はギリギリ60年代、1969年1月から70年12月の2年間です。従って中学生の時に見ていたんですね。最初の13作はモノクロで、14作からカラーで制作されています。 花山大吉に近衛十四郎さん(松方弘樹さんのお父さん)、焼津の半次に品川隆二さん、というキャストで、時代劇と言ってもコミカルで、とりわけ二人のやりとりが飄々と言うか、品川さんのキャラクターと、それを受ける近衛さんの間合い、そして、2人の独特の笑い方、いやぁ、いいですねぇ。 2009年1月19日、時代劇専門チャンネルの「素浪人 花山大吉 第1話」を見て初めて理解したのですが、同じコンビの「前作」、「素浪人 月影兵庫」(1965年10月〜66年4月、67年1月〜68年12月の2期に分けて放映)があったんですね。思い出しました。 なかなか人気のあった番組で、最高視聴率35.8%を記録しています。これが打ち切られたのは、内容がコミカル路線になり、原作からずれていると原作者からクレームが付いたからのようです。そこで「月影兵庫」は伯父の松平伊豆守の家督を継ぐために江戸に向かうという最終回になります。 これが12月28日の放送です。そして一週間後の1月4日には「花山大吉」が始まります。だから冒頭で半次が花山大吉を月影兵庫と間違えて絡みつくシーンが設定されているんですね。納得しましたが、すごい作り方をしていますね。
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三匹の侍 | ||||||||||||
放送は1963年10月から69年3月までですが、途中で主役3人の内、2人が交替しています。替わらなかったのは、槍の長門勇です。 知りませんでしたが、三匹の侍はテレビ時代劇史上、画期的な作品と言われているようです。と言うのも、刀が風を切る音や人を斬る時の音などが初めてテレビに出たドラマなのだそうです。ということは、隠密剣士では最初の内、そんな音がなかったと言うことですよね。手裏剣が木に刺さる音があったような気がするのは、途中からだったのですね。 他の時代劇にはなかった迫力のある殺陣と、長門勇の槍をくるくる回す仕草が印象的で、やけにリアルな殺陣だったように思います。また、ドラマにリアリティを持たせていたのは、長門勇の岡山弁だったかも知れません。「おえりゃあせんのう」、このせりふは絶大な人気がありました。 探しましたが、テレビ版の映像は見つかりませんでした。関連記事へのリンクでご勘弁。 |
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俺は用心棒 | ||||||||||||
「俺は用心棒」が67年4月から9月に放送された後、「待っていた用心棒」「帰ってきた用心棒」、そして69年4月から9月にかけて「用心棒シリーズ 俺は用心棒」が放送されました。 実は私はリアルタイムでは見ていません。2008年になって初めて時代劇専門チャンネルで「用心棒シリーズ 俺は用心棒」を見ただけなのです。ですが、気に入ってしまったのと、当時見ていた方も多かろうと思い、ここに採用しました。 太平洋戦争の特攻隊の生き残り、そういう経歴を持つ結束信二さんの原作がよいのでしょうね。3人の浪人という設定と、内一人が飄々とした役柄を演じている所は、三匹の侍と共通しています。もの悲しいテーマ曲「男独り」、作詞はやはり結束信二、歌うはフォーコインズ、このフォーコインズもよく知りませんが、調べてみると「サインはV」「アテンションプリーズ」「エースをねらえ」など、たくさん歌っているようです。
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スーパージェッター | ||||||
「僕はジェッター、1000年の未来から、時の流れを越えてやって来た」。30世紀からやって来た「知恵と力と勇気の子」です。子どもたちが憧れたのは、マッハ15で飛ぶ「流星号」と流星号を呼び出す通信機で、時間を止めることのできる腕時計型の「タイムストッパー」です。 これと言って記憶に残る話はありませんが、当時、小学生は腕時計を持っていませんから、おもちゃの腕時計、もしくは腕に直接時計の絵を描いて、「流星号、流星号、応答せよ」とやって遊んだものです。放送していたのは、1965年1月から66年1月ですが、YouTubeの映像にはモノクロ版とカラー版があります。カラー放送もしていたのでしょうか。
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風のフジ丸 | ||||||
放送されていたのは、1964年6月から65年8月です。原作は言わずと知れた白土三平さん、ほかに影丸やカムイ、サスケで有名です。 もちろんこのアニメだけの影響ではありませんが、忍者ごっこは盛んでしたね。「木の葉隠れ」て言ったって、消えるわけはないんですが、「消えたつもり」、中腰横だめにして十字手裏剣をパッパッパッと「投げたつもり」で充分楽しめました。
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エイトマン | ||||||
警視庁捜査1課に49人の刑事がいて7人ずつの班を作っていて、エイトマンはどこにも属さない8番目の刑事という設定だったように思います。「ロボットになった今でも」というナレーションが入っているのですが、元は人間だったのでしょうか。その辺は記憶していませんが、そう言われればそうだったような気もします。 放送は1963年11月から64年12月です。今、映像を探して「誕生の秘密」が分かりました。なるほどねぇ、そういうことだったんですね。まあ、下の「誕生の秘密」を見て確認してください。 当時、子どもたちが大好きだった丸美屋のふりかけにはエイトマンシールが入っていて集めたものです。
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仮面の忍者・赤影 | ||||||
放送は67年4月から68年3月です。かっこいい赤影、牧冬吉さんの白影、子どもの青影、3人のドラマでした。一番よく覚えているのは、大凧に乗って空を舞うシーンです。ただ子供心に、少し荒唐無稽な感じのするドラマでしたので、そんなに熱心に見ていたわけではなく、弟に付き合って見ていたように思います。下に〜編とあるのは、いずれもオープニングです。
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キャプテンウルトラ | ||||||
この番組は「ウルトラ」シリーズのひとつで、「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の間に放送(1967年4月から9月)されましたが、円谷プロの作品ではありません。東映の作品です。 印象に残っているのは、頭の鉢が上に開いたようなバンデル星人の姿です。手も足も同様に開いていました。これも熱心に見ていた番組ではありませんが、映像をたくさん見つけましたので、紹介しておきます。
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遊星王子 | ||||||
1958年11月から59年9月に放送されたドラマですから、月光仮面並みに古いんですね。ということは私は後半しか見ていないと言うことです。道理で余り記憶が鮮明でないわけです。 59年には映画版も作られたようですが、コスチュームはテレビとは別人です。なお映画の遊星王子は梅宮辰夫さんが演じています。あれこれ探して思い出しましたが、遊星王子は普段、銀座の路上で靴磨きをしているんですね。靴磨きのシーンはよみがえりました。
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アラーの使者 | ||
千葉真一さんが主演していたアラーの使者は、コスチュームが月光仮面にそっくりでした。そのせいか、よく覚えていません。でも母親に言わせるとよく見ていたそうです。物語はカバヤン王国の財宝を巡る争いのドラマです。カバヤンはもちろんスポンサーのカバヤから取られたもので、カバヤのお菓子をよく食べた記憶があります。1960年の7月から12月まで放映されていました。
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俺ぁ〜三太だ(三太物語) | ||
この番組も余り記憶はないのですが、私よりむしろ母親が見ていたような気がします。でも主演が渡辺篤さんであることは覚えていました。ただ花子役がジュディ・オングさんだとは知りませんでした。 いろいろ調べましたが、正式番組名は「三太物語」のようで、主題歌が「俺あ三太だ」のようです。放送は1961年4月から1年3ヶ月のようです。しかし、この番組はそれ以前にラジオドラマでも映画でも取り上げられたようですし、むしろ小説としての方が有名なようです。主題歌の動画があったのですが、削除されてしまいました。
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くらやみ5段 | ||
くらやみ5段も内容は全然覚えていないのですが、60年代テレビには欠かせない番組のようなので掲載します。ただ、オープニングを見て、「おとこなら〜 おとこなら〜 やってやれないことはない」の主題歌を覚えていることに気がつきました。やはり見ているんですね。 主人公の盲目の柔道家を演じるのはアラーの使者の千葉真一さんです。歌手の小林幸子さんも子役出ています。放送は65年9月から66年3月です。
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ふしぎな少年 | ||
1961年4月から62年3月までNHKで放送された作品です。しかし生放送であったため、フィルムが存在していません。パイロット版のみフィルムで撮影されたと言われていますが、そのフィルムも所在不明です。子どもの時に持っていたカルタに「ふ」として「ふしぎな少年」のカードがあったと記憶しています。そして今でも「時間よ〜止まれ」のせりふをしっかり覚えています。 物語は偶然4次元を通過してしまった少年が時間を止める能力を獲得し、その能力で事件を解決する内容だったと思います。ただ、あの番組が生放送だったとは気付きませんでした。一体、生放送でどのように止まった時間を表現していたのでしょう。特撮も使えないし、今から考えるとNHKは無謀な挑戦をしたものです。 |
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怪獣王子 | ||
プロントザウルスのような恐竜の頭に乗って、ブーメランを武器とする少年の物語です。「お〜ら〜」と叫ぶのが印象的に残っていますが、話の内容はすっかり忘れました。出てくるのは怪獣ではなく、恐竜ですね。1967年10月から翌3月まで放映されていました。
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スチャラカ社員 | ||
1961年4月から67年4月まで放送されていた人気番組です。出演者は「てなもんや三度笠」とほとんど重なっていたと思います。都蝶々が社長で、ダイマル・ラケットが中心になり、人見清や藤田まこと、白木みのる、長門勇などのメンバーがいました。 いろいろと探し回りましたが、とうとう映像を見つけることはできませんでした。
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てなもんや三度笠 | ||||
説明するまでもない、超有名番組ですね。藤田まことさんの「あんかけの時次郎」、白木みのるさんの「珍念」の名コンビが織りなす旅道中記です。映像を見てみると、白木みのるさんは美声ですね。後年、財津一郎さんの浪人役が加わりました。 藤田まことさんの「耳の穴から手ぇ突っ込んで、奥歯がたがた言わせたるぞ」の名せりふがありましたね。それとコマーシャルです。「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」。 1962年5月に放映が始まり、68年3月までという息の長い番組でした。最高視聴率は64.8%という信じられないような数字を叩き出しています。
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河童の三平 妖怪大作戦 | ||||
この番組は名前は知っているけれども、熱心に見た記憶はありません。映像があったのでアップしましたが、映像を見てもピンと来ないですねぇ。配役を見ると、これにも牧冬吉さんが出ていたんですね。そして「悪魔くん」の2代目メフィストの潮健児さんも。主人公は金子吉延さんですが、つまり「仮面の忍者赤影」の青影さんで、白影さんと共演しているわけです。 放映は1968年10月から翌年の3月まででした。
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夢で会いましょう | ||||
「夢で会いましょう」は当時の新しい形式の番組でした。永六輔や中村八大などを中心に、いろんなタレントを発掘し、放送作家を育てる、今思えばすごい番組だったのですが、子どもにはあまり興味が湧きませんでした。
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泣いてたまるか | ||||
この番組のことは忘れていたのですが、小林信彦さんの「おかしな男」(若い頃の渥美清とのつきあいが書かれている。この本で渥美清が「元テキヤ」であり、「もしかしたらもっと危ない世界にいたのかも知れない」ことを知った)を読み返していて、思い出しました。主題歌の歌詞もメロディもしっかり覚えていました。 66年4月から68年3月まで2年間放映されていました。毎回、監督も脚本家も出演者も変わる1話完結ドラマで、唯一、渥美清の主演だけが変わりません。しかし職業は変わります。ただし一人ではしんどいので、のちに青島幸男と隔週で演じるようになり、青島降板後は中村嘉津雄との隔週交替主演となりました。 68年10月から69年3月に放送された「男はつらいよ」もアップしたかったのですが、そもそもフジテレビに第1話と最終話の2本しかビデオが残っておらず(テープが高価で使い回していたことと、当時はのちにビデオで商売ができるとは思わなかったので保存の意識がなかったのです)、ネット上に無料の動画は見つけられませんでした。 また、渥美清主演作としては、「おもろい夫婦」(66.10〜67.3は落語家、67.10〜68.3は童話作家を演じている)、さらにホームドラマ初主役「大番」(62.10〜63.4)も落とせない所ですが、やはり動画が見あたりませんでした。主演ではないが人気を決定的にしたNHK「若い季節」(61.4〜64.12)は生放送だったため映像が存在しません。
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がっちり 買いましょう | ||||
1963年12月から75年11月まで12年も続いた長寿番組です。最初の正式番組名は「オリエンタル がっちり買いましょう」、69年5月に「オリエンタル がっちり買いまショウ」になり、スポンサーが変わって72年からは「グリコ がっちり買いまショウ」になったようです。変わらなかったのは夢路いとし・喜味こいしの司会です。 私の記憶は「7万円、5万円、3万円、運命の分かれ道」なのですが、番組初期は「3万円、1万円、5千円」だったそうです。そして後期は「10万円、7万円、5万円」になりました。設定金額ぴったりの買い物ができると「がっちり賞」が出ることになっているのですが、私は一度も「がっちり賞」を見たことがありません。 この番組もビデオテープを使い回していたために、動画は一切残っていないそうです。 |
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マグマ大使 | ||||
「マグマ大使」は「フォーリーブス」の「江木俊夫」さんが出演していたことで有名です。私もよく見ていた記憶がありますが、子どもながらに、なんだか子供だましのドラマだなぁ、と思いながら見ていた気がします。放送は1966年7月から67年9月までで、小学校と言っても高学年でしたから、そのような印象を持ったのでしょう。なお、「オープニング」が二つあるのは、YouTubeのリンク切れ対策です。
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狼少年ケン | ||||||
動画を見ると、ああ、こんなのだった、こんな歌だったと懐かしく蘇ってきますが、蘇ってくるのは「画風」とか「歌」ばかりで、どんな内容だったかはさっぱり思い出せません。あれだけはっきりと歌を覚えているのに、こんなものなのでしょうか。 ちなみに放送は1963年11月25日から65年8月16日まで、全86回です。なお動画「狼少年ケン」は「アニメ・特撮館」にリンクしており、そこの「GO」ボタンをクリックすれば何種類かの映像が見られます。「第一部二本足の狼」については、いずれリンク切れする可能性があります。
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カムイ外伝 サスケ | ||||||
白土三平の一連の忍者漫画で一番のお気に入りは「忍者武芸帳」、影丸が活躍する漫画です。このところ(09年4月)、ゴーギャンの作品展のコマーシャルで、彼が残したとされる「われわれはどこから来て、どこへ行くのか」という言葉が宣伝に使われていますが、「忍者武芸帳」の最終回では、「われわれは遠くから来た、そして遠くへ行く」という言葉が使われていました。ゴーギャンの言葉を意識したのでしょうか。 「サスケ」はフランス語版ならたくさんあるのですが、主題歌のメロディも違うので、ここには取り上げませんでした。なお、OPはオープニング、EDはエンディングの略です。
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風小僧 & 白馬童子 | ||||||
「風小僧」と聞いてもピンと来ませんでした。そんな番組があったなんて全く記憶から抜け落ちていましたが、主題歌を聴いて、「あっ、この歌知ってる」。ということは見ているんですね。調べたら1959年の放映なんですね。わが家がテレビを買った年ではありませんか。それなら絶対見てますね。ドラマの内容については「記事にリンク」をご覧下さい。 「風小僧」で人気が出て、次の「白馬童子」で全国区の人気者になったのが、山城新吾さんです。その後、東映の任侠路線でも人気を得ました。
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若い季節 | ||
「若い季節」は、ハナ肇とクレージーキャッツ、ダニー飯田とパラダイスキング、スパーク3人娘、岡田真澄、渥美清、坂本九、黒柳徹子、森光子、ザ・ピーナツといった面々が出演していたバラエティのようなドラマです。生放送でしたので動画は存在しませんが、リハーサル風景の映像がありましたので、アップします。 下の「テーマ・ソング」は音のみですが、気仙沼在住のKさんのホームページです。このサイトにアクセスして下さったようで、わざわざメールで「音源があるよ」と教えて下さったのです。ご自分で当時テレビから録音されたそうです。記憶は鮮明ではありませんでしたが、「テーマ・ソング」の歌詞、「わ〜お」とか「あなたも」の繰り返しとか、はっきり思い出しました。Kさん、ありがとうございます。KさんのHPは61〜62年頃のテレビ番組の音源を公開していくそうです。 この他にも、「私の秘密」や「それは私です」、「拳銃無宿」、「おとなの漫画」など、探しているテレビ番組はいろいろあるのですが、残念ながらなかなか見つけられません。
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番頭はんと丁稚どん | ||
「番頭はん」は「ばんとはん」と読みます。右側頭部に10円はげのある「崑松」という丁稚を大村崑が演じ、出世作となりました。公開放送だったようで、1959年3月から60年4月の放送当時は、録画などしなかったのでしょうね。舞台の薬問屋には、さりげなくスポンサーの薬のポスターが貼ってあったそうです。よく覚えているのは崑松が100円貰って喜ぶシーンで、「百円もろた、百円もろた」と踊っていました。「ひゃくえん」でなく、「しゃっくえん」と発音していたと思います。 大村崑や芦屋小雁が歌う「丁稚マンボ」なる歌を発見しました。当時こんな歌が流れていた記憶はないのですが、あっても不思議はないように思います。それと台本も見つけましたのでアップしておきます。
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0戦はやと | ||
戦争には断固反対ですので、こういうアニメは取り上げるのに躊躇するのですが、動画から流れてくる主題歌「見よ、あ〜の空に、遠く光るもの〜」が歌えるんですね。「零戦」は「戦艦大和」とともに日本軍隊の象徴的な兵器ですから、なんだか「戦意高揚」番組みたいで、後ろめたさを感じながらも、60年代に子どもたちに人気のあったアニメだけに、外すわけにはいきません。随分歯切れの悪い文章になってしましました。「・・・平和〜守って〜今日も行く〜」、う〜ん、やっぱり引っかかるなぁ〜。
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6羽のかもめ (70年代ですが) | ||
「6羽のかもめ」は74年10月から75年3月まで放映された26話のドラマです。その内15作品が倉本聡のシナリオです。倉本聡の著作として「6羽のかもめ」の本も持っています。 メンバーの脱退で存亡の危機に陥った老舗劇団の6人(俳優に淡島千景、高橋英樹、夏純子、栗田ひろみ、座付き作家に長門裕之、元俳優にしてマネージャーの加藤大介)の物語です。何と言うことのない話の中に、悲哀が漂うドラマでした。 最終話は「さらばテレビジョン」です。政府は国民の頭脳の低下を防ぐために、テレビを禁止します。しかし闇の世界ではテレビとビデオがあり、俳優に復帰した加藤大介が「兄さん兄さん、いいテレビがありますぜ」と、売人よろしく袖を引くシーンが秀逸でした。こういうドラマを撮影している裏側では、「テレビでテレビ禁止のドラマなんてOKが出るはずないじゃないか」と圧力が掛かっての撮影中止をどうするかのやり取りがあります。 「6羽のかもめ」撮影中に加藤大介は余命の短いことが分かっていました。最後の仕事を貫徹させてあげたいと、家族やマネージャーが病院に懇願して出演していたそうです。ですからこの最終話は加藤大介へのオマージュとしての意味もあったのだろうと思います。 加藤大介は戦時中兵隊に取られ、南方戦線で「南の島に雪が降る」という芝居をしたことがあります。復員後、日劇かどこかでその芝居を上演しています。こうした事実を知るのは後のことで、加藤演じるマネージャーの「弁三」が、戦地で「南の島に雪が降る」芝居をしたと紹介されるシーンがあり、そうしたことも加藤大介へのオマージュだったのでしょう。 劇団員の住むマンションの1階には喫茶店があり、マスターを演じていたのがディックミネでした。「プロの女じゃないんだ、女のプロだ、分かるか」などという若い男性従業員とのやり取りも楽しかったことを覚えています。当時私が通っていた喫茶店の姉妹店がテレビ局の近くにあり、そこがモデルになっているんだと聞いた覚えがあります。 視聴率の低かった番組でしたが、私の中のドラマベストテンに確実に入る作品です。番組はDVD化されており、著作権上、無料動画としては存在しません。その代わり、「6羽のかもめ」を扱った記事にリンクしておきます。
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そのほかのテレビ番組 | ||||||||||||||||||||||||
白文字の番組は動画です。黄色い文字の番組は残念ながら、画像と歌しかありません。
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アメリカのテレビドラマ | ||||||||||||||||||||||||
テレビ初期には一週間を埋めるだけの制作能力がなかったのか、アメリカのドラマを買い付けて放送することがずいぶんありました。私もたくさん見ていましたが、タイトルを忘れてしまったものも多く、データを探すのにも苦労しました。少しずつ紹介します。 「ちびっこギャング」と「ちびっこ大将」(原題:The Little Rascals,Our Gang Comedy,The Mischief Makers)の区別が分からなかったのですが、「海外ドラマ番組ガイド」(ちびっこギャングのページ)というサイトを見つけまして、そこの記事でようやく頭の中を整理することができました。参考にご覧下さい。「海外ドラマ番組ガイド」トップページ |
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