トップページに戻る   メール  
鈴木まさひこ的図書館 増殖中
 今の借家には精々百冊くらいしか本を置いていませんが、生家には多分2000から3000冊の本があると思います。このページでは、これまでに私が読んだこれらの本の中から、特に印象に残った面白い(個人的な感覚ですが)本を紹介します。ただし、近年は図書館で借りて読んだ本も相当にありますので、そうした本を紹介する場合には、少し曖昧な記憶によるものになります。時に間違いが生じる場合もありますので、ご了承下さい。
骨壺の底にゆられて 万物の尺度を求めて 始祖鳥記 デュマレスト・サーガ
ロゼッタストーン解読 フーコーの振り子 津 藩 歌舞伎の源流
博士の愛した数式 キントトハウス 齟齬の誘惑 大江戸神仙伝
アメリカってどんな国 邪宗門 動物のいのち 辺境最深部に向かって・・・
倚りかからず 歌藝の天地 爆 流 ぼくには数字が風景に見える
フェルマーの最終定理 エレガントな宇宙 ネアンデルタール 暗号解読
全国アホ・バカ分布考 精霊流し 地球最後の世代 陰陽寮
ダーク・ハーフ アメリカひじき 日本食物史 探偵物語
真剣師・小池重明 星を継ぐもの 黄金の羅針盤 放浪の天才数学者
役小角仙道剣 沈黙のファイル
骨 壺 の 底 に ゆ ら れ て 江宮隆之
 歌人「山崎方代」の生涯を描いた本で、書名はその短歌から取られました。山梨県の寒村「右左口(うばぐち)」に生まれ、戦争で視力を失いながら歌人としての評価を高めていった人物、と表現すると立志伝中の人のように思われます。しかし現実には、相当にぐうたらで、少し危ない面もあり、あまりおつきあいしたくないと思えるような人物かも知れません。

 ・母の名は山崎けさのと申します 日の暮方の今日の思いよ
 ・こんなにも湯呑茶碗はあたたかく しどろもどろに吾はおるなり
 ・ふるさとの右左口郷(むら)は骨壺の 底にゆられてわがかえる村

 「方代」は「ほうだい」と読みます。幼くして兄弟が5人亡くなり、8番目の跡取りとして生まれた子どもは男でなくて女ですよと、神様を騙すために女性の名前を付けたとされていますが、父親は「生きほうだい、死にほうだい」と説明したようです。評価の別れる歌人ですが、一度、触れてみる価値はあると思います。
万 物 の 尺 度 を 求 め て ケン・オールダー
 子午線の1/4の、さらに1000万分の1が1bと定められたことは、記憶に残っていると思います。1879年にフランスで「メートル原器」が作製され、これを元に各国に、たとえば「日本国メートル原器」が配布され、中央度量衡器検定所(現・産業技術総合研究所)に保管されています。ただし現在では「1秒の299,792,458分の1の時間に光が真空中を伝わる距離」を1メートルと定めています。

 このメートル原器を作製するためには、地球の大きさを知らなければなりません。今ならレーザー光線の反射を利用して比較的簡単に測定することができますが、当時の測量方法は「三角測量」しかありません。星の位置を頼りに現在地点を確定し、三角形を幾つも幾つも繋ぐようにして三角測量を繰り返すのです。

 古代から地球が球体であることは知られていましたから(尤もその後キリスト教が否定)、地球の大きさを測ろうとする試みは昔から行われていました。しかし科学的と言える測量は、1792年から数年がかりで行われたミッションが初めてで、その物語がこの本に描かれています。フランス革命直後の動乱期です。三角測量の道具を担いでいるだけで囚われる不穏な時代です。フランスの最北部からスペインのバルセロナ周辺までの測量は、それこそ命がけだったようです。
始 祖 鳥 記 飯嶋和一
 岡山の銀払いの表具師―――腕がいいことの証明であり、教養が豊かで帯刀も許される―――が、大きな羽をこしらえて橋の欄干から川原に向かって滑空したとされる事件に基づく小説です。仕事の終わった夜に実験を繰り返していたため、まさか人が飛ぶとは想像だにしない人々によって、「いつまで、いつまで」と啼く怪鳥「鵺(ぬえ)」とされ、悪政が「いつまで」続くのかと指弾しているとの噂が広がり、やがて表具師は囚われの身になります。

 様々な経緯を経て、千石船の船乗りになり、ついで陸に上がって商売を始めますが、ひょんなことから凧作りを頼まれ、ついに再び空を舞う、要約すればこんな小説です。サブプロットも満載で、読み応えのある作品になっています。主人公の幸吉はなぜ飛ばなければならなかったのか、幼い日に聞いた「伊曾保(イソップ)物語」の光景が彼の生涯を決めてしまったのでしょうか。

 飯嶋和一さんの作品は他に「雷電本紀」―――史上最強と云われる相撲取り「雷電」の物語です―――しか読んだことはないと記憶しているのですが、ストーリーの運びがスムーズで、縦糸と横糸のバランスがよく、現在の小説家の中では最も面白い作家の一人ではないでしょうか。
デ ュ マ レ ス ト ・ サ ー ガ E・C・タブ
 「サーガ」とは中世北欧の伝説のことですが、転じて「武勇談」「冒険談」とも云われます。「デュマレスト・サーガ」は「アール・デュマレスト」というタフでクールな主人公の「サーガ」です。

 アール・デュマレストは地球生まれですが、過酷な生活から10歳の時に宇宙船に密航し、放浪の生活に入りました。気がついた時には「地球」という名前を誰も知らず、土とか大地という意味にしか理解されない状況になっています。なんとか地球に帰りたい、その旅の物語が「デュマレスト・サーガ」です。

 1話1惑星という形で物語が進行し、少しずつ少しずつ地球の情報を集めるのですが、なぜかそれを阻もうとする狂信的組織サイクラン、そしてつねにデュマレストに友好的な、清貧と非暴力を貫く宗教団体「宇宙友愛協会」がそれぞれの星のストーリーに絡み、その中でデュマレストがいかに窮地を脱していくかという物語です。

 この「サーガ」を31巻まで持っています。すべての巻を買ったはずなのですが、完結していません。その後どうなったのか、気にはしていたのですが、いつの間にやら店頭から姿を消し、今では絶版となっているようです。この項を興すに当たって調べてみました。すると32巻が完結編で、何年か後に原作は出ているのですが、日本語訳はついに発刊されずじまいになっているようです。しかし2006年に1巻から5巻までが復刻されたようなので、32巻が翻訳されるのを祈りたい気持ちです。
ロ ゼ ッ タ ス ト ー ン 解 読 レスリー&ロイ・アドキンズ
 ロゼッタストーンは中学か高校でちらっと聞いた記憶があると思います。エジプトの文字「ヒエログリフ」の解明の元になった碑文です。ジャン・フランソワ・シャンポリオンという人が解明したわけですが、授業ではそれだけしか習いません。「ロゼッタストーン解読」にまつわる「ドラマ」について何一つ私たちは知りません。

 ロゼッタストーンはギリシャ語とヒエログリフとデモティックの3種類の言葉が刻み込まれており、ギリシャ語部分が理解できることから、同じ内容が刻まれているであろう他の2言語も解読は早いと思われていました。しかし当時はエジプトの絵文字は意味を表していると思われており、中には中国語と関係があるとする学者までいる始末で、まさかアルファベットのご先祖様であるとは誰一人考えていなかったため、解読は誤った方向に進んでいました。

 ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アラビア語、シリア語、カルデア語、コプト語まで習得していたシャンポリオンでさえ、正しい方向に踏み出すには年月が掛かっています。おまけに時はフランス革命後の、共和派とナポレオンとの権力争いによる動乱期で、シャンポリオンは職を得たり、失ったりの繰り返しの中、貧困に喘ぎながらの研究です。

 私たちはこうしたドラマを知らないままに、「ロゼッタストーン解読」と覚えたわけで、年号と事件の名前を暗記するだけの歴史の「勉強」が、いかに空々しいものであるか、痛感しないわけにはいきません。
フ ー コ ー の 振 り 子 アミール・D・アクゼル
 ジャン・ベルナール・レオン・フーコーなる人物がどんな人物だったかは、忘却の彼方にあると思いますが、何となく振り子と関係のある人だったなぁ、ぐらいには思い出すでしょうか。

 振り子の長さが同じなら、行って帰ってくる距離に関係なく、帰ってくるまでの時間は同じ、これは「振り子の原理」です。このことは17世紀にガリレオなどによって確かめられていました。では、19世紀の「フーコーの振り子」は何で有名になったのか。それは、「フーコーの振り子」が振動面を徐々にずれていくことで、地球の自転を証明したからです。コリオリの力などの解説が必要なため、私には厳密な説明はできませんが、地球の自転はこれによって決定的になったのです。

 フーコーはこの他にも様々な業績を上げていますが、正式な科学教育を受けていなかったため、フランスアカデミーの会員になれませんでした。この本はアカデミーの会員になる、つまり科学者として認めて欲しいという、フーコーの執念の物語、アイデンティティの確立の物語、と言ってもいいかも知れません。
日本歴史叢書 津  藩 深谷克己
 私たちの江戸時代についての知識はあまりにも貧弱です。見事なリサイクル社会だったことは知られるようになってきましたが、私たちが知っていると思っているのは、テレビの時代劇から得たものだけといってもいいでしょう。時代考証はされているものの、時代劇がそのまま江戸時代の様子を表しているわけではありません。むしろ架空の時代を作り上げたものと考えた方がいいかも知れません。

 この「津藩」には藤堂高虎は無論のこと、以後の藩主達の為政が様々な資料によって示されています。たとえば、藩政を批判するのは御法度のように思われていますが、「捨て目安・落とし文、或いは名もなき札」などで不満を公表する行為が多くあったようです。いわば藩政批判のチラシをまくとか、高札にして辻々に立てる、というようなことが行われていたようです。これに対して藩は直接訴え出るよう奨励したらしく、訴人に銀100枚を与えるか、望みがあるなら叶えさせる、報復されないよう住所を保証するというお触れが出されたそうです。

 この本には年貢の制度をどのように改良していったか、というような歴代領主の考え方だけでなく、農村の状況もリアルに描かれています。また、よく知っている地名が随所に出てきますから、140年以上も前の歴史というより、最近の事件の様子を読んでいるような感じがして、津藩と津市の連綿としたつながりを感じさせてくれます。
歌 舞 伎 の 源 流 諏訪春雄
 諏訪春雄氏は昔の芸能などに興味のない方にとっては初耳の名前だと思います。歌舞伎の研究から出発して関心の対象を広げた近世文学や芸能史についての学者で、現在は学習院大学名誉教授です。そして、この種の本は「歌舞伎の源流」についての諏訪春雄氏の研究成果、確立されたものではなく、ひとつの学説として読むべきでしょう。

 しかしながら、お国歌舞伎の構成と各地の神社の祭りの構成を比較した章、神社の神楽と中国の少数民族の祭りとの比較の章、芝居小屋の櫓・花道・看板の意味を考察した章など、なかなか興味深いものがあります。とりわけ櫓や看板についての考察など、それまで聞いたことがありませんでしたから、なるほどなるほどと頷けるものがありました。
博 士 の 愛 し た 数 式 小川洋子
 主人公が「あけぼの家政婦紹介組合」から派遣された家は、数論を研究している数学者でした。「君の靴のサイズは?」「24です」「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」という会話から一日目が始まります。そしてそれは訪問の度に繰り返されます。ときに「出生時の体重」だったり「電話番号」だったりするのですが。

 博士は有能な数論学者であるとともに、「江夏豊」のファンです。江夏に関するデータはすべて頭の中に納められています。ところが博士の家にはテレビもなく、ラジオも壊れており、野球中継を見たことも聞いたこともありません。新聞に掲載される記事とデータだけで熱心なファンになったのです。主人公とその子ども「ルート」―――賢そうな頭の形だと博士が付けたあだ名―――が野球観戦に連れ出すところがひとつのクライマックスです。

 後年、ルートは学校の先生になります。それも数学の先生です。先生となったルートと博士のぎこちないキャッチボール、涙を誘うラストシーンです。

 これから読む方のために、肝心なことは書きませんでした。涙が止まらなくて当たり前の内容ですが、清々しさを感じさせてくれます。あたかも本書にも出てくるオイラーの公式・・・eiπ = −1(自然対数の底を虚数単位と円周率をかけたもので累乗するとマイナス1になる魔可不思議な公式)・・・のように。数字は出てきますが、数学の本ではありません。人間に対する限りない愛の物語です。
キ ン ト ト ハ ウ ス 山科けいすけ
 キントトハウスは金魚荘という「風呂無し、共同トイレ」のアパートの住人達を描いた漫画です。「凄い」人たちばかりが住むアパートです。探偵、殺し屋、発明家、農業大学生、神秘家など様々な人、いえ、人ばかりではありません、探偵の助手を務める犬(名前は小林少年、自分で部屋を借りています)までいます。

 私が好きなキャラクターは「総統閣下」です。地球征服のために派遣された悪の司令官ですが、お婆ちゃんをオンブして横断歩道を渡らせてあげる心優しき悪です。日夜、工事現場や皿洗いのアルバイトで地球征服資金を貯めようとしている努力家の悪です。そしてその大切な資金を小豆相場ですってしまう悲しい悪です。親衛隊長によってタコ部屋に売られ、落盤事故で埋まってしまう哀しい悪です。

 山科けいすけ作品は、ほかに「C級さらりーまん講座」を持っています。これも面白い作品です。
齟 齬 の 誘 惑 蓮見重彦
 蓮見重彦とは何者か、という所から説き起こすべきかも知れません。フランス文学者、映画評論家、元東京大学学長(正確には総長)、現在は休筆宣言中で著作活動はしていないようですが、80年代には相当に名の知られたアカデミックな批評家です。97年から01年まで東大の学長を務めました。その時期に出版されたのが、「齟齬の誘惑」です。

 タイトルからして何やら難しそうな印象を与えますし、そもそも「齟齬の誘惑」の意味すら把握しかねます。従ってまず買おうなどという気にさせない書物ではありますが、蓮見重彦の名前に惹かれて買いました。この本は講演集と一般に言われますが、「挨拶集」と言うべき内容です。学長就任以来、行事、スポーツ大会、アジアのトップ大学の学長の集まりなど、様々な機会におこなった挨拶を集めた本、これが本書です。

 総じて蓮見重彦の文章は文が長く、難解で読みにくいことを覚悟せねばなりません。しかし反面、実に魅力的な表現に出会うことも多いのです。手元に本書がないので正確ではありませんが、私が目を瞠ったのは運動会のようなスポーツ大会での挨拶の中の一文です。

 「皆さんがどれだけスポーツを愛していようと、必ずしもスポーツがあなた方を愛してくれるわけではありません」―――私はこのような表現のできる「知性」に対し、ないものねだりの限りない憧れを持ってしまいます。
大 江 戸 神 仙 伝 石川英輔
 SF時代小説と言うべきジャンルの本です。主人公は作家だったと記憶していたのですが、ネットで調べると製薬会社のサラリーマンということになっています。何の因果か、文政時代の江戸にタイムスリップします。当時、江戸では白米を食べることを粋としていたため、ビタミンB不足による「脚気」が流行していました。米糠から応急の飲み薬、と言ってもビタミンBを補うための健康飲料のようなものを製造して患者を救います。

 当初は本人の意思とは無関係にタイムスリップしていたのですが、次第に能力を制御できるようになることで、終戦直後の東京に移動したり、深川の辰巳芸者「いな吉」を現代に連れてきて新幹線に乗せたり、同様の能力を持つ人物に出会ったり等、物語が広がり、結局「大江戸」シリーズは7冊出版されました。私は県立図書館で見つけた3冊しか読んでいませんが、リアルな江戸時代が描かれていて、そんな点でも楽しめる作品でした。

 1985年にテレビ映画化されました。日本人の身長が最も低かった時代であるため、175pの主人公は大男です。その主人公には滝田栄を据え、それ以外のキャストは滝田栄より背の低い俳優ばかりを集めたということです。しかし確か145pの「いな吉」はさすがに難しかったようで、叶和貴子が演じています。
アメリカってどんな国? 円道まさみ
 アメリカ人は「どこから来ましたか」と聞かれると、「U.S.から」と答える、という話からこの本は始まります。どんなときに「アメリカ」と言うのか。それは自由や正義、国歌、愛国心、誇りなどを示す時に頻繁に使うそうです。そう言えば、大統領選挙の時にはオバマ氏もさかんに使っていました。9.11テロの時の新聞の見出しは、「America Attacked(アメリカ攻撃される)」だったそうです。

 著者は1984年からカリフォルニアに住んでおり、その経験が豊富に取り上げられています。例えば、「多くの家庭の食卓はファーストフードや冷凍食品、配達してくれるピザなどが並べられる」そうです。広い機能的なキッチンがありながら、冷蔵庫と電子レンジしか使わない、栄養バランスが悪いと指摘されても、料理しようと思うのではなく、「だったら不足している栄養素を補えばいい」とビタミン剤を多量に飲む、ということです。「落ち着きのない、少しやんちゃな子どもに手を焼いている親の相談があれば、医者は平気で、じゃあ、少し落ち着かせる薬を出しておきます、と6歳にもならない子どもに精神安定剤を処方する」―――これがアメリカという国です。

 「頼むから、『ハワイに行くのにパスポートが必要か?』と私に聞いてこないでもらいたい」。世界中どこへでも行ける旅行チケットが当たるラジオ番組があり、当たった人は世界のどこへ行きたいかと聞かれて、「ラスベガス」「ニューヨーク」と答える例が多いそうです。概して外国のことを知らない、ということらしいのです。勿論、もっと大局的なことも書かれていますので、リアルなアメリカを知るにはもってこいの本です。
邪 宗 門 高橋和巳
 「何かおっしゃってください。悩みがあるなら悩みを、怒りがたまっているなら瞋恚の言葉を。いや、腕を振りあげて私の頬を打ってもいい。そのように、人でありながら、人と人との交わりのすべてを拒絶しては、どんな真理も、どんな宗教も、ありえません!」―――本書の最後で牧師の声が響きますが、「ひのもと救霊教」3代目教祖たちの胸には届かず、自ら餓死していきます。そして、全国各地で殉死とおぼしき事件が発生します。

 寡黙な青年が3代目教祖となり、弾圧を受け、太平洋戦争後の占領軍と戦火を交え、そして静かに死んでゆく、これではあまりに簡単に過ぎますが、高橋和巳の代表的な長編小説です。恐らく、これまでに読んだ数々の書籍の中で、最も心を揺さぶられた本のひとつでしょう。そして高橋作品の中でも、最も壮大な物語でしょう。

 高橋和巳が京大助教授に招かれた時、夫人の高橋たか子は「京都は女性蔑視的な土地」として同行しませんでした。高橋たか子はキリスト者として有名で、作家でもあります。「私の通った路(講談社 1999年)」しか読んでいませんが。
動 物 の い の ち J・M・クッツェー
 高知の市立中学校で「鳩殺し」事件がありました。バスケットボール部の臨時コーチが鳩がうるさいとして、子どもたちに鳩殺しを命じ、2人が鳩の首を切って殺した事件です。09年3月14日の中日新聞には、化粧品メーカーによる動物実験への抗議のニュースが取り上げられていました。その記事には、拘束器に固定されて実験を待つたくさんのウサギの写真が添えられていました。そして愛知県では鳥インフルエンザ問題で、膨大な数の「うずら」が殺されました。

  感染したウイルスが弱毒性と判明していたのに、数万羽単位でウズラの生命を奪う必要があったのでしょうか。うるさいというだけで、生徒に鳩を殺させるその感覚はなんでしょうか。抵抗できないようにウサギを拘束し、その目に毒を塗っていく行為は何によって正当化されるのでしょうか。いとも簡単に生命を奪い、傷つける行為が信じられません。私は拘束されたウサギの写真を正視することができませんでした。

 動物たちの争いは互いに生死をかけた生き残りのための行為です。そこには生命の尊厳と呼べるものがあります。しかし、中学生に鳩を殺させることの、どこに尊厳が感じられるでしょうか。あらゆる生命が他者の生命を奪うことによって生存が可能になるわけですが、私が納得行かないのは、抵抗できない動物を圧倒的な力で蹂躙する人間の行為なのです。どうしても納得できません。

 ノーベル賞作家、J・M・クッツェーが書いた「The Lives of Animals」(邦訳:動物のいのち、2003年11月発刊)という小説は、ちょっと変わった形式の小説です。動物の命を考える上で、非常に参考になる本です。機会があれば是非お読み下さい。
辺境最深部に向かって退却せよ 太田竜
 太田竜(近年は「太田龍」)氏の訃報を夕刊(09.5.20)で見ました。肩書きは「社会活動家」となっていました。こう書き出しても、このサイトを見て下さる殆どの方がご存知ないのではないでしょうか。私も詳しく知っているわけではありませんが、70年代前半、つまり高校時代にこの本を読んだことがあるだけです。太田氏は「世界革命浪人」と自称していました。

 「辺境最深部」とは、具体的にはインドの日給19円(だったと思います)の最下層の労働者階級のことです。単純に言ってしまえば、豊かな日本の生活を楽しみながら革命を叫ぶとは怪しからん、というようなことだったと思います。70年安保以後、方向性の見いだせない左翼は四分五裂と言う状況だっただけに、太田竜氏の主張は一定の影響力を持っていました。

 元共産党員にして、革命的共産主義者同盟の創立者の一人であり、その後、いくつもの組織を立ち上げては分裂・独立を繰り返し、いつしかその名を聞くこともなくなっていました。訃報に接して調べたところ、信じがたい主張の変遷があったようで、キーワードだけ挙げても、「アイヌ」「自然食」「日本みどりの党」「グリーン・ピース」「雑民党」「地球維新党」「宇宙戦略研究所」「ユダヤ陰謀論」「家畜制度廃止」などが出てきます。しかも近年は靖国神社に参拝するようになっていたそうです。
倚 り か か ら ず 茨木のり子
 2006年2月に亡くなった詩人・童話作家・脚本家です。最も有名な詩は「私が一番きれいだったとき」だと思います。なにしろ国語の教科書に採用され、多くの子どもたちが読んでいますから。「戦後現代詩の長女」と言われ、彼女の同人誌からは著名な詩人たちを輩出しています。ずいぶん評価の高い詩人です。確かに「私が一番きれいだったとき」は、素直に、そしてさらりと、戦中戦後という時代を切り取っており、衒いのない優れた詩と言えるかも知れません。

 ただし、私の感性とは少し合わないようです。1999年に発行された詩集「倚りかからず」は朝日新聞が天声人語で取り上げたため、詩集としては異例の15万部も売れました。「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/・・・」で始まるのが「倚りかからず」という詩です。長く生きて知ったのはそれぐらい、という内容なのですが、1999年という時代に、わざわざ詩の形式で表現すべき「内容」だろうか、という印象が強いのです。

 この詩集に限らず、私には「お説教臭い」感じがしてならず、世間の評価は高いにもかかわらず、好きにはなれませんでした。
歌 藝 の 天 地――歌謡曲の源流を辿る―― 三波春夫
 「お客様は神様です」の三波春夫さんです。昔はこの人に対する興味は全く持っていませんでしたが、ある時、ラジオで小沢昭一さんと三波さんが話をしていて、シベリアに抑留された経験があることを知り、その戦争観を知るに及んで、その意外感から興味を持って買ったのがこの本でした。この本にもあの戦争を自らの体験から、さらっと「侵略戦争」と書いています。

 浪曲師からスタートした三波さんの半生と、浪曲の歴史、演歌の歴史、放浪芸や瞽女についてなど、幅広く芸能の成り立ちについて書かれています。こんなに勉強熱心な歌手だったとは知りませんでした。とりわけ、どんな芸があって、それぞれがどのように連関しながら、どのように生成発展し、浪花節が生まれ、なぜ浪曲とも呼ばれているのかなど、それまでの私の知識を整理してくれるような所は興味深く読みました。

 ところでこの本に、「情緒が濃やか」という言葉が出てきます。「濃やか」は「こまやか」と読みますが、今時はNHKのアナウンサーも「きめ(木目・肌理)こまやか」という言葉遣いをしますが、「きめ」は「細かいか粗いか」であり、「こまやか」と表現すべきものではありません。ましてや「細やか」などと日本語として存在していない使い方をしているのが気になって仕方がありませんでした。「こまやか」を広辞苑などで調べると、「濃やか」と出てきます。「愛情が濃やか」などと使うのですが、この本では正当な使い方がされており、それだけでも私の評価は高いのです。
爆  流 山田和(かず)
 「富山湾に注ぐ庄川は、木材運送の大動脈として、日本の林業を支えていた。その大動脈を分断するダム計画が昭和の初めに持ち上がる。(中略)太平洋戦争につきすすむ日本の電力事情を背景に、電力側は金にあかせて周辺住民から土地を買い上げ、ダム工事を強行する。木材側は行政訴訟、民事訴訟などありとあらゆる手段を使い、電力側と闘う。その激しい闘争の最中に征一郎と由紀江は出会った。半世紀に及ぶ二人の愛の行方は?庄川を頼りとして生きた杣夫たちの運命は?」

 上の文章は本の帯に書かれているものです。内容が簡潔にまとめてあり、しかも壮大な闘いを予想させる文章になっています。これ以上説明する必要もありませんが、想像以上に闘いは壮絶・壮大ですし、征一郎と由紀江の愛には切ないものがあります。

 この物語はフィクションではありますが、実際に起こった「庄川ダム争議(庄川流木事件)」に取材しており、ドラマの流れは史実に沿っています。80年も前の事件でありながら、決して昔の事件とは思わせない筆致は私をドラマの中に否応なく引きずり込みました。読み終わって思い起こすと、タイトルの「爆流」が何を意味するのか、何を象徴しているのか、考えざるを得ませんでした。これもお薦めの本です。
ぼくには風景が数字に見える ダニエル・タメット
 アスペルガー症候群で、かつサバン症候群の著者ダニエル・タメットの自伝というには年若いですが、これまでの人生を語った本です。アスペルガー症候群についてはある程度知られるようになってきましたが、サバン症候群は馴染みのない言葉だと思います。テレビドラマ「相棒」シーズン7の最終回に登場したヒロインの弟がサバン症候群と設定されていました。また、映画「レインマン」の主人公(ダスティン・ホフマン)がそうでした。いつも決まった時間に決まった行動をせずにはいられない、というのがサバン症候群の特徴的な状態です。

 同時に、あり得ないほど驚異的な記憶力を有するケースもあります。本書のダニエルは数学と言語の才能が天才的で、たとえばヨーロッパでも難解な言語であるアイスランド語を1週間でマスターしたり、何桁の数字でも即座に素数かどうか判断できる才能が備わっています。しかし日常生活を営むことは彼にとって大変な試練です。

 そんな彼の幼少時や学生時代、海外でのボランティア生活などを通じ、私たち自身の世界観が広がっていきます。ぜひともお薦めしたい一冊です。
フェルマーの最終定理 サイモン・シン
 「フェルマーの最終定理」と聞いて「何のこっちゃ」と思われる方もあると思いますが、小学生でも意味が理解できるものの、300年以上も解けなかった数学界の超難問です。ピタゴラスの定理は誰もが知っているはずですが、Xの2乗+Yの2乗=Zの2乗、これのことです。これを2乗ではなく、3乗、又はそれ以上の正の整数乗にした場合、整数解はないというのが、フェルマーの最終定理です。

 本来、証明されていないのですから、フェルマーの最終予想と呼ばれてしかるべきなのですが、ディオファントスの「原論」の余白に、真に驚くべき証明を見つけたが、余白が狭すぎてここには書けない、とフェルマーが書き残したがために、いらだたしい「最終定理」と呼ばれているのです。以来、数学者、いや、問題の意味が理解できる小学生を含めて、世界中の数学愛好家を巻き込んでの300年を越える大騒動が続いていたのです。

 そして、L関数、モジュラー、楕円曲線、谷山・志村予想など、私たち素人が聞いたこともない理論を駆使して証明を完成したのが、アンドリュー・ワイルズという数学家です。そのおかげでそれまでの定説を覆し、数学者はカッコイイとばかりにアンドリュー・ワイルズはジーンズのCMに引っ張り出されるようになります。この本は、ワイルズの物語であり、フェルマーの最終定理300年の物語でもあります。
エ レ ガ ン ト な 宇 宙 ブライアン・グリーン
 著者はコロンビア大学の物理学・数学教授です。そして「ひも理論」の第一人者と言えるでしょう。「ひも理論」については本サイトの「宇宙の話」でも触れてありますが、現代物理学の対立する2大理論、極大の世界を解明する「相対性理論」と、極小の世界を解明する「量子論」を統一できる可能性を秘めていると期待されている理論です。

 そう言う大統一理論を「万物理論」と言いますが、万物理論を目指して日夜、研究が進められており、「ひも理論」は今や「超ひも理論」へと進化しています。そして更に「M理論」に進化しようとしています。そうした歴史と現状、そして「ひも理論」とは何かを解き明かしているのが、本書です。

 こういう本を読むと、何か分かったような気がするのですが、基礎的な学問がないために、すぐに内容を忘れてしまうのが素人の悲しさです。この本を3回読みましたが、その都度、初めて読むような新鮮さで読めてしまうのが、私の馬鹿なところです。結局、身になっていないのですね。残念。
ネ ア ン デ ル タ ー ル ジョン・ダーントン
 上質のスペース・オペラを読むような、ワクワク感のある小説です。 砂漠で発掘作業中の考古学者の元に一人の使者がやってくる所から始まりますが、実質的には先史調査研究所に送られてきたネアンデルタールの頭蓋骨が、測定の結果25年前のものだと考古学者に告げられる所から始まっていると言っていいでしょう。

 23万年前に地球の歴史という舞台に登場し、3万年前に理由も告げずに舞台を降りてしまったネアンデルタール、CIAとロシアも絡むネアンデルタール争奪戦、線刻画「ホジェントの謎」、――様々な仕掛けが読者を引き込み、それだけにネアンデルタールの哀しみが余計に募ってきます。
暗 号 解 読 サイモン・シン
 この本で「ビール暗号」を知りました。1822年、ビールという人物がホテル経営者のモリスに鉄の箱を託し、姿を消したのが発端です。のちに手紙が届き、10年経過して、ビールも仲間も戻らなかったら、鍵を壊して開けて欲しい、中にはあなた宛の手紙と、財産に関する文書が入っている、文書は私の友人から10年後に送られてくる「手がかり」無しには読めない、と書かれてあったのです。

 10年が経過しましたが、ビールは戻りませんし、手がかりの手紙も届きません。モリスが箱を開けたのは預かってから23年後の1845年でした。中にはバッファローを追っていたビールたちが金鉱を発見し、それを隠したこと、万一の場合には相続者にそれを届けて欲しい旨が書かれてありましたが、一緒に入っていた3枚の文書(第一は隠し場所、第2は宝の内容、第3には相続者リスト)は、数字の羅列による暗号でした。

 手がかりの手紙が届かない以上、解読は不可能です。1862年、このままではビールの遺言は果たせないと、モリスは友人に後を託しました。友人は、独立宣言の単語に順番に番号を付け、暗号数字の単語の頭文字を辿ることで、第2文書の解読に成功しました。そこには埋めた金・銀・宝石の量が記されており、現在の価格で2000万ドルにのぼるものでした。しかし他の文書は解読できず、その友人は匿名でビール暗号を出版しました。以来、ビール暗号は未解読で、第2文書に記された「ビュフォードの店から4マイルほどのベドフォード郡の採掘坑で地面より6フィートの深さに埋めた」という僅かな手がかりを元に、今でも宝探しが続けられているそうです。
全国アホ・バカ分布考 松本修
 関東はバカ、関西はアホを使う――この「常識」を打ち破り、柳田国男の方言周圏論を裏付けた画期的な研究です。と言うと大げさですが、「探偵ナイトスクープ」なる番組に寄せられた一通の手紙、夫婦喧嘩でアホ・バカが飛び交ったというのがきっかけです。東京から西下し、「たわけ」に遭遇し、関ヶ原に境界を定め、最後に九州出身者が「バカ」を使うと衝撃の言葉を残して番組は終了。しかし「たわけ」との境界、もっと西へ行ったらどうなるか、という疑問が残り、「ほっこ」「だら」「だぼ」などを紹介する手紙が寄せられるに至り、調査が続けられることになりました。

 結果的には京で生まれた言葉が東にも西にも伝わっていき、京を中心に同心円を描いて様々なアホ・バカ表現が広まっていった様子が判明します。そして、方言学会での研究発表、「アホ」と「バカ」の語源の解明まで突き進む過程が描かれたのがこの本です。この辺でも使う「アンゴウ」も出てきますが、志摩半島に残るとされており、その点では正確さに欠けると思いつつ読み進めました。かなり面白い本です。
精 霊 流 し さだまさし
 「昭和20年8月15日。ちょうど終戦の日たい。世間じゃその日は終戦記念日ていう。ばってん、長崎は精霊流しの日やろう。昭和20年8月15日ていうたら、あの原爆の落ちて一週間もたたん。あのね。その日に実は精霊船の出たとばい。いや、こりゃ、嘘じゃなか。俺(おい)が見たと」

 上のセリフはエピローグ直前、長崎くんちのように精霊流しが派手な祭りになりつつあり、精霊船を見物客の前で、くんちの山車の如くに派手に回そうとするのを、必死になってやめさせた大友実二郎のものです。原爆の当時、大友は5年生。亡くなったと思われる父親のために、独りで精霊船、いえ、船を作るゆとりはなく、その核心である精霊菰だけを作り、流しに行ったのです。原爆の6日後の夜です。

 「俺(おい)の父ちゃんはやっぱり死んでしもうたとやろなあ、て、悲しゅうて、悲しゅうてねえ。子供ながらに父ちゃんの精霊様ば送らんば、って、思うたとたい」。「俺(おい)が見ただけで7艘の精霊船の来たとばい」。「船、ていうても二、三人でひと抱えの、小さか小さか船やった。哀しか風景やった」。「俺(おい)も父ちゃんの精霊様ば、そっと流したと。そいば見とったとやろうなあ、精霊船ば担いできたおばさんが、急に俺(おい)ば抱きしめてねえ。おいおい泣きだしなった」。

 歌手の「さだまさし」さんの自伝的小説です。何とも哀しい話の多い小説ですが、そのリアルさや肉親が実名で登場することから見て、すべて事実でしょう。精霊流しは亡くなった人を送る行事ですが、徳恵ちゃん、春人、節子さん、涼子さん、登美子さん、忠さん、、、余りにも多くの人が亡くなります。ちょっと辛すぎるくらいに悲しい小説です。
地 球 最 後 の 世 代 フレッド・ピアス
 今日は09年8月1日ですが、まだ梅雨は明けません。今日も朝方、雷とともに激しく雨が降り、今も降り続いています。津市の子ども会球技大会の日ですが、開会式は挙行するとFAXがあったものの、試合はできるでしょうか。津高校の全体同窓会も出席者が減ってしまうのではないかと心配しています。これも地球温暖化の余波でしょうか。

 地球温暖化は単純に地球が暖かくなると言う現象ではありません。名称に反して気温が下がる場所もあり得ます。と言うのも、地球のそれぞれの地域の気候を決める要素が多岐に渡り複雑に絡み合っているからです。従って、暑くなる、寒くなる、台風が多くなる、干ばつが起こる、などなど地域によって様々な現れ方をします。しかし、長期的にはCO2やメタンガスによって太陽エネルギーを溜め込む力が強くなり、全体として平均気温が上昇します。

 この本はペーパーバックスのような体裁の軽い読み物風ですが、温暖化への懐疑、懐疑派への懐疑、データの批判的分析など、客観的な態度を忘れず、温暖化を検証した本です。未来への想像力に欠ける政治家達のように、温暖化はゆっくり進むし、地球自体に均衡を保つシステムがあるから心配の必要はないと考えていると、タイトルのように、私たちが地球最後の世代になりかねません。
陰  陽  寮 富樫倫太郎
 陰陽(おんみょう)寮と言うのは、古代の役所のひとつで、天文を司る役所ですが、今日のように科学的ではありませんので、陰陽道を司る、即ち、呪術を司ると言った方がいいかも知れません。伝説的な安倍清明を主人公にした物語ですが、実際にはいろいろな人(対立する登場人物も含め)に感情移入できるように構成されており、それぞれに物語を持たせており、安倍清明の登場しない時間の方が長いくらいですので、群像小説と呼んだ方がいいかも知れません。

 全10巻に及ぶ長編です。まあ、荒唐無稽と言えば荒唐無稽なのですが、ストーリーテリングが巧みで、非常に面白い本です。富樫さんの作品では他に、「願烈鬼ー清明百物語」や「太子暗黒伝」なども読みました。いわゆる伝奇作家としてはなかなかの人だと思います。
ダーク・ハーフ スティーヴン・キング
 生家に寄ったついでに2冊の本を持ってきた内の一冊で、読み直すつもりで読み出したのですが、内容に全く心当たりがありません。そう言えば本の状態から見ても「未使用」のようです。奥付を見ると1992年9月、第1刷となっています。と言うことは、ほぼ出版直後に買ったものだと思われます。それから17年、この本は読まれることを待ち続けていたわけです。

 ホラー小説を読む人であれば、恐らく誰もが著者を知っているでしょうが、知らない人にはどう説明すればいいでしょうか。映画「シャイニング」「炎の少女チャーリー」、テレビ「IT(イット)」の原作者と言うべきでしょうか。それよりも、ホラーとは全くジャンルの違いそうな映画「スタンド・バイ・ミー」の原作者と言った方が認知されやすいかも知れません。

 「ダーク・ハーフ」はスティーヴン・キングの典型的なホラー小説です。ホラーは着想が勝負という面がありますから、内容の紹介はしない方がいいでしょう。
ア メ リ カ ひ じ き 野坂昭如
 「アメリカひじき」は「アメリカひじき・火垂るの墓」のタイトルで何編かの小説が収められた短編集だったと思います。世間的に言えば「火垂るの墓」の方が圧倒的に知名度が高いでしょう。日本の死の季節である8月になると、たくさんの戦争映画が放送される中でも、抜群の印象を残すのが「火垂るの墓」だからです。ですが、元になった小説の知名度は低い、と言うよりも、すでに若い世代の方々には野坂昭如なる奇妙な才能は忘れられていますし、「火垂るの墓」なる小説が存在することすら知らないでしょう。

 「火垂るの墓」は読んだ後に強烈な印象を残す作品ではありません。映画「火垂るの墓」とは違う存在と考えた方がいいかも知れません。少なくとも私はそうでしたし、映画を見た後、こんな作品だったかしらと思ったことを覚えています。それにしても映画「火垂るの墓」は形容のしようがないくらい哀しくて、以来、2度と見ていません。この夏もテレビで放映されましたが、意識して見ないようにしました。あんなに哀しい映画は作らないで欲しいとも思いました。

 「アメリカひじき」ですが、終戦後(若年層への解説:太平洋戦争の敗戦後という意味です)、不法に手に入れたアメリカの物資の中に、見知らぬ食べ物があり、「アメリカのひじき」ということにし、煮てみたが食べられる代物ではなかった、というお話しです(乱暴な要約です)。実は「アメリカひじき」は紅茶でした。この他、短編集には「神聖不可侵」の天皇を狂信する男が、天皇のウンコなるものを戴く話があったように思います。
日 本 食 物 史 江原絢子他
 江原さんの他、石川尚子さん、東四柳祥子さんの3人の共著で、09年7月に出たばかりの本です。たまたま妻が図書館で借りてきたのですが、面白そうなので私が読んでいます。

 古代からの食生活から始まって平安時代の食、武士の食、そして日本料理の成立、近代の食生活と概括的に日本の食物と食生活の歴史がつづられた研究書に近い本です。当然、酒や菓子、調味料、茶の伝搬と発達の過程も描かれ、また、それぞれの時代の生活も垣間見えます。興味の持ち方にも寄りますが、かなり面白く読めました。
探 偵 物 語 別役実
 「探偵物語」を別役実氏の代表作のように持って来るのは邪道かも知れません。なにしろ別役氏は日本演劇に不条理劇のジャンルを確立した劇作家ですから。しかし別役氏には数多くの脚本の他に、数多くの不思議な童話があり、ウィキペディアにはエッセイと分類されているこれまた数多くの作品群があり、随筆群もあります。

 氏の作品は40冊以上読んだと思います。30冊以上は持っていたはずですが、今は散逸して20冊ちょっとしかありません。脚本の他で気に入っていたのが童話群と「探偵物語」と「けものづくし」でした。

 「探偵物語」は五つの物語りで構成されていますが、探偵X(エックス)氏が事件らしい事件に遭遇するのは「大女殺人事件」のみです。X氏さえ事件に遭遇しなかったら簡単に解決したはずの殺人事件が迷宮入りする話で、X氏のあまりに積極的な「捜査」には感動すら覚えます。

 お節介ながら童話群もお奨めです。「黒い郵便船」「そよそよ族伝説」「風の研究」など、凡そこれまでなかったタイプの童話で、不思議な感覚が得られるでしょう。
真 剣 師  小 池 重 明 団 鬼六
 小池重明は昭和22年のクリスマス・イブに名古屋の駅裏で生まれます。義理の父親(実父は物心ついた頃にはいなかった)が偽の傷痍軍人、母親が娼婦として生計を立てる、今では想像の及ばない生活でした。賭け将棋にのめり込み、「最後の真剣師」と呼ばれることもありましたが、実際には賭け将棋だけでは生計は立てられませんでした。

 人妻と駆け落ちすること3回、職場の金に手を付ける、寸借詐欺をする、当然警察の厄介にもなっていますが、たったひとつの光明はプロよりも将棋が強かったことです。プロとアマの差が歴然としている将棋界で、そんなことがあり得るのかと思ってしまいますが、小池重明に限ってはあり得たのです。

 小池重明が勝ったのは錚々たるメンバーです。角落ちではありますが、持ち時間を29分費やしただけで大山康晴永世名人を破っています。このときは前夜飲んで暴れて留置所に入れられ、翌朝留置所から対局場に駆けつけるというおまけ付きでした。森鶏二棋聖との差し込み3番勝負では角落ち、香落ち、そして平手と3連勝しています。

 この他にも中原名人、田中寅彦、米長邦雄らプロ棋士をかなりの勝率(公式戦のみ、15勝9敗、内10勝は平手戦)で破っており、一時は特例でのプロ入りの話もありました。大山康晴氏が将棋連盟の総会に諮ったようですが、素行の悪さから却下されています。そして肝硬変を患い、平成4年、44歳で波瀾万丈の人生を閉じました。

 なお団鬼六氏は日活ロマンポルノのSMの原作で知られていますが、将棋が強く、小池重明と知り合った頃は、アマ将棋連盟が投げ出した将棋ジャーナルの編集・発行を引き継いでいました。
星 を 継 ぐ も の J.P.ホーガン
 SFです、それも最上級の。人に読ませたいと思う本は少ないのですが、「星を継ぐもの」はその一冊です。派手なアクションは一切ありません。ただひたすらに論理的なのですが、その謎解きのひとつひとつがスペースオペラのわくわく感を与えてくれます。結果的には太陽系の成り立ち、月の成り立ち、人類の成り立ちが解明される素晴らしい作品です。

 時は現代(と言っても発表されたのは1977年ですが)、月面で深紅の宇宙服を着た人間の死体が発見されます。月面に行方不明者はいません。一体、彼は誰なのか、どこから来たのか。測定の結果、チャーリーと名付けられた彼が死んだのは5万年前と判明します。

 5万年前に人類は月面に到達する文明を持っていたのか。何らかの理由で文明が滅んだとしても、文明の痕跡がないのは何故か。チャーリーの所持品から少しずつ少しずつ真実が明らかにされていきます。その過程で衝突する主人公ヴィクター・ハントと生物学者ダンチェッカー。いやあ、実に面白い作品です。
黄 金 の 羅 針 盤 フィリップ・プルマン
 「神秘の短剣」「琥珀の望遠鏡」と続く「ライラの冒険シリーズ3部作」の第1巻です。書店や図書館では「ハリー・ポッター」と同じくファンタジーの棚に並べられますが、同列には扱えない作品です。いわゆる「ジュブナイル(少年向け)」というジャンルがあり、「ハリー・ポッター」など大半のファンタジーがこれに当たりますが、「ライラの冒険シリーズ」はジュブナイルではないと言えます。

 第1巻は私たちの世界と似ているが違う世界、第2巻は私たちの世界、第3巻は両世界を行き来する物語です。そして世界が存在する根元的問題の探索の物語であるとも言えます。

 ハリー・ポッターに少々辟易している方には特にお奨めです。魔女や天使も出てきますが、決して魔法の世界を描いてはいませんし、「大学」やバチカンを思わせる「教権」、謎の存在「オーソリティ」などの政治的確執もあり、その一方で大人になりつつある子どもたちの微妙な心理も描写されており、なかなか深みのある小説です。
放浪の天才数学者 エルデシュ ポール・ホフマン
 ポール・エルデシュは珍しいタイプの数学者です。自宅を持たず、小さな鞄ひとつで世界中の数学者や大学を、生涯にわたって渡り歩き続けた人です。行く先々で共同研究し、共同で論文を書きます。生涯の論文数は1500以上、これを越えるのは18世紀最大の数学者、オイラーのみです。

 ともかく共同論文の多い人で、エルデシュ数という言葉が生まれたぐらいです。エルデシュ数とは、エルデシュ自身を0として、共同論文を書いた人を1とします。エルデシュ数1の人と共同論文を書いた数学者は、エルデシュ数2になります。2の人と論文を書けば3・・・という具合です。エルデシュ数1の人は511人いるそうです。

 神が「ザ・ブック」を持っており、数学のあらゆることがそこに書いてあると考えます。数学で小さい数を表すεに倣って、子どものことを「イプシロン」と呼びました。こうしたことから見て、小川洋子さんの「博士の愛した数式」の主人公は、放浪とは全く逆の人生ですが、この本を読んでエルデシュから発想を得たのではないかと思えます。
役 小 角 仙 道 剣 黒岩重吾
 「役小角」は「えんのおづぬ」と読みます。いわゆる「役行者」のことです。鬼神を使っていたとか、空を飛んだとか、荒唐無稽な話が流布していますが、修験道の開祖とされている実在の人物です。存命したのは634年から706年と伝えられていますから、飛鳥時代から奈良時代の人で、呪術者と言うべき人です。

 基本的に史実に基づく「続日本紀」(797年完成)にも名前が出てくることから、そのような呪術師がいたことは事実だと思います。のちに脚色されていって、伝説的な人物像が生まれたのでしょう。史実で骨格を作ることができ、骨格しか確かなことが分かりませんから、あとは自由に脚色できるという、物書きにとってありがたい存在であり、彼に関してはたくさんの本が書かれ、私もいろいろと読みました。

 この本はかなり人間的な部分を重視して書かれていますが、それだけに荒唐無稽に流れず、結構面白く読めます。もっとも、荒唐無稽に近い「陰陽寮」だって大変面白く読めるのですが。
沈 黙 の フ ァ イ ル 共同通信社社会部
 「瀬島龍三」とは何だったのか――というサブタイトルが示すように、「瀬島龍三」についての物語ですが、これだけでは「瀬島龍三」って誰?になってしまいます。「瀬島龍三」とは、太平洋戦争中、陸軍大本営の参謀で、事実上、対米戦の作戦立案者です。シベリアに11年余り抑留され、帰国後は伊藤忠商事に入社し、のちに副社長、副会長、会長と出世街道を上り詰め、同時に、歴代首相の影のブレーンを務めました。

 東南アジアや韓国への戦争賠償でいかに日本の商社が儲け、自衛隊がいかに創られ、旧軍人達が、とりわけ瀬島龍三がどんな働きをしていたのか、一読仰天のドキュメンタリーです。決して歴史の彼方の人物ではなく、2007年9月まで存命だったのですから、現代史そのものと言うべき人物です。日本という国を理解するために、大いに参考になる本でしょう。
トップページに戻る
〒514−0114 津市一身田町2790 Tel.Fax 059−211−0126
メール hpvqg2qv@zc.ztv.ne.jp