鈴木雅彦
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憲法9条と平和のページ
津市の非核・平和都市宣言
世界の恒久平和と人類の安全は、全世界共通の願いであります。
人類史上、核兵器による初めての惨禍を体験した我が国は、国を挙げてその悲惨な経験に基づく教訓を世界各国に訴え続けてきています。
しかしながら、世界では今なお戦争や紛争等が絶えず、核兵器の廃絶もいまだ実現されていません。
よって、私たち津市民は、非核三原則を遵守し、核兵器の廃絶と軍備の縮小を全世界に強く訴えるとともに、世界の恒久平和と人類の安全を願い、ここに「非核・平和都市」を宣言します。
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2008年津平和のための戦争展
08年7月26日〜28日 だいたて商店街
 津市では被害の確認されているものだけで8回(旧津市7回、美杉1回)の空襲があり、2500人以上の方が犠牲になりました。その最後の空襲が7月28日の焼夷弾での空襲で、24日の爆弾で破壊された市街地を半径1200メートルにわたって焼き尽くしました。大門では観音さん前の頑丈な警察署に逃げ込んだ大勢の市民が蒸し焼きになるなど酸鼻を極める被害が出ました。

 こうした戦災犠牲者供養が28日夜に観音さんで行われることから、商店街の要請を受けて初めて大門での開催(7月26日〜28日)となりました。

 多くの方々が当時の様子を語りながら展示に見入っていましたが、中には思い出すのが怖いと、写真を見ることができない方もあり、戦争の恐ろしさを改めて感じさせられました。また、展示してある津市の焼け跡のパノラマ写真にわずかに残っている建物が写っていて、これまでこの建物はどこか、この煙突は何処のものか、など分からないことが多かったのですが、大門・立町の方々に教えていただき、多くのことが新しく判明しました。

上は戦争当時から残る大門パチンコのビル
戦争展で展示している写真はこの屋上から撮影
下の塀は焼け残った当時の塀
上右のように、当時のままの部分もあります

左は焼夷弾
右は81年前にアメリカから贈られた青い目の人形
三重県には194体ありましたが
敵性人形として処分され、9体しかありません
津市には3体残っています
左から川合小、明小、津新町小の人形です

 下左は大門光涼祭の行灯
下は26日の夜店に登場した機関車トーマス
下右は28日に会場で歌っていただいた
津児童合唱団の皆さん
津平和のための戦争展 08年8月1日〜3日 リージョンプラザ
 新たに入手した昭和13年の津市の航空写真(グーグルアースより大きく明瞭に写っています)を展示したことが引き金になったようで、伊予町の写真はありませんか、寺町はありませんか、と声を掛けていただいたり、私の家はここでしたと、話が始まり、当時の様子をずいぶんたくさん教えていただきました。

 師範学校(今の市役所)の西側にあった菅野医院の方、附属小学校(師範学校敷地内の一番南)のすぐ南側に住んでいた方、第三銀行津支店のところにあった酒問屋「紙藤(かみとう)」さんの姉妹、オーデンビルの石段で火の海に囲まれて一夜を明かし、5人家族の内、両親とお姉さんを亡くされた方、津海岸駅のそばに住んでいて、敗戦とともに愛知県に戻られ(お父さんが香良洲の予科練の教官だったそうです)、その後、津市がどのように復興したのか、以来会っていない同級生はどうしているのかと、わざわざ愛知県碧南市から訪ねてこられた方、などなど多くの方からお話をお聞きしました。
焼け跡の立体地図
13年の間違いでした
大門ビルから見た焼け跡
当時の本
B29搭載航空写真用カメラ
石臼や米つき体験
美杉でも爆死者が
焼死した母子の像
戦死した伊勢出身の詩人
市が併設した原爆パネル展
2007年12月津駅西で焼夷弾処理
憲法を考える県民の集い
 2008年5月3日、三重県総合文化センターのフレンテみえで「憲法を考える県民の集い」が開催され、会場一杯の84名(団体代表、個人)の参加があり、私も参加しました。

 集いの中心は「改憲論のトリックを斬る」と題した長峰信彦愛知大学准教授の講演で、「押しつけ憲法論」を始めとする、様々な改憲論者の論理のまやかしをわかりやすく解説していただきました。

 後半は三重大学の学生さん二人から、若い世代にとっての憲法をテーマにスピーチがあり、それを受けて会場からやはり三重大学生一人から発言がありました。3人の大学生に共通していたのは、自衛隊の海外派兵などの事態を許してしまったことには、若干ながらも国民の側の責任があり、とりわけ若い世代はこのことを考えて選挙に行くべきだ、とスピーチした学生さんに象徴される「自己責任論」です。

 一見前向きに思える発言ですが、聴衆の多くはそのことを感じていた様子で、時間がオーバーする中で最後に発言した方が、国民の責任があることは確かだが、その前に、権力を持ち、政策を執行する政府の責任をこそ問わなければならない、政府やマスコミの自己責任論に毒されているのではないか、との指摘がありました。

 奇しくも、多くの観客が押し寄せた映画「相棒」の題材はそこにあり、自己責任論の名の下に、青年の命を無視することについて厳しい批判が展開されていました。
津市戦没者戦災犠牲者追悼式
平和のちかい
津市戦没者戦災犠牲者追悼式
平和のちかい
 私たち津市民は、

 我が国のこの平和と繁栄が、先人の多大な犠牲とたゆみない努力の上に築かれていることを、決して忘れるものではありません。

 その歴史と体験から得た生命の尊さに対する強い信念に基づき、今後、再び戦争の惨禍が起こることのないよう行動し、限りない平和な未来を築いていくことが、今を生きる私たちの最大の責務であると確信します。

 戦後62年を迎え、ここに、平和を希求する人々とともに、恒久平和の確立により、豊かな社会の構築を目指して邁進することを誓います。
 私たち津市民は、

 我が国のこの平和と繁栄が、先人の多大な犠牲とたゆみない努力の上に築かれていることを、決して忘れるものではありません。

 その歴史と体験から得た生命の尊さに対する強い信念に基づき、今後、再び戦争の惨禍が起こることのないよう行動し、限りない平和な未来を築いていくことが、今を生きる私たちの最大の責務であると確信します。

 戦後63年を迎え、ここに、平和を希求する人々とともに、恒久平和の確立により、豊かな社会の構築を目指して邁進することを誓います。
平成19年11月14日  
津   市      
平成20年11月12日  
津   市      
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