中山道柏原宿を歩く   

柏原宿の鳥瞰写真
愛宕山から眺めた現在の柏原宿
[ 平成15(2003)年7月6日撮影]
  
 画面の右下からななめに延びてゆくのが江戸期の街道・中山道で、長さは13町(約1.4km)、画面に見えるのは全体の6割の部分です。左中央から上部中央に向かって延びるのはJR東海道本線、上部中央の山裾に鎌の刃のように折れ曲がって見えるのが名神高速道路、画面では見えにくいのですが、そのすぐ近くを国道21号線も通っています。左右から山が迫り最も狭くなっているあたりの幅は約150mほどです。さらに、ここから約2km先では新幹線がこれらの幹線と交差しています。このように日本の東西を結ぶ主要な輸送路が、伊吹山地と鈴鹿山脈のわずかな隙間を目指して集まってくる要衝に置かれたのが柏原宿だったのです。

 
柏原宿の戸数と人口

改め年代
慶長7年
1602
延宝5年
1677
享保9年
1724
天保14年
1842
慶応2年
1866
平成18年
2006
戸数 286 379 475 344 364 660
人口 1,446 1,654 1,468 1,633 2,050
天保14(1843)年改め
本陣・・・・・・・・・・1 豆腐屋・・・・・・・・9
脇本陣・・・・・・・・1 もぐさ屋・・・・・・・9
問屋・・・・・・・・・・5 大工・・・・・・・・10
旅籠・・・・・・・・・22 鍛冶屋・・・・・・・1
造り酒屋・・・・・・・3 医師・・・・・・・・・2
請負酒屋・・・・・・10 商人・・・・・・・・28
煮売り屋・・・・・・・12 諸職人・・・・・・13
享保9(1724)年改め
医師・・・・・・・・2
大工・・・・・・・11
酒屋・・・・・・・・4
木挽き・・・・・・4
紺屋・・・・・・・・3
葺き師・・・・・・2
商人・・・・・・・15
 今から約140年前である天保14年の史料から当時の柏原宿の様子を想像して見ることにします。本陣と脇本陣はそれぞれ1軒、旅籠も中小の規模のものが22軒、問屋が5軒、医師が2人ですから、中山道全体から見ると決して大きな宿場だったとは思えません。ところが、もぐさ屋が9軒あったというところに柏原宿の特色を明確に読み取ることができます。ここは旅の疲れを癒す宿場だったのです。旅人はこの宿場でお灸をすえたり、常備薬としての艾(もぐさ)をを調達したりしたのです。
 人口が1500人弱の宿場に、その規模はわからないが造り酒屋が3軒、お酒の小売店のようなものだと思われる請負酒屋が10軒、小魚や野菜の煮物を扱った煮売り屋が12軒、豆腐屋が9軒あったことなどから、そのころの通りの賑わいぶりを想像できそうです。さらに、次に示すような看板が店の入口に掲げられていたことも、往時を想像するよすがとなりそうです。
江戸期の看板
江戸期の「味噌汁」の看板
 どちらも堂々たる看板です。書き手の心が弾み、今にも踊り出しそうな字が書かれていて、微塵の寂しさも感じられません。宿場の雰囲気を鮮明に映し出しているように感じます。

@左側面

A正面

B右側面
 左は三方の字を3種類の文字で使いわけた道標です。享保2(1717)年に制作されたものです。
 面白いのは、親切心なのか遊び心なのか、左右両面の上下半分ずつを変体仮名と平仮名とで、対称に書き分けているところです。
高札(貫目)
@宿場の業務に関する高札(正徳元年5月日の日付)
高札(親子兄弟)
A住民の道徳面に関する高札(正徳元年5月日の日付)
高札(毒薬)
B住民の禁止事項に関する高札(正徳元年5月日の日付)
正徳元年5月の日付のある高札。同年に制定された5種類の高札の内の3種類が柏原宿に現存しています。
柏原宿の西部