土の香りをいっぱい含んだ正藍(あい)染めの糸をベースに、豊富なシマのバリエーションを誇る松阪もめんは、かつては粋(いき)好みの江戸庶民のファッションでした。
その歴史を辿りますと、5世紀後半に大陸から渡来した「呉織(くれはとり)」の子孫たちが松阪市の東部で、今も伊勢神宮の布を織っている「機殿(はたどの)」を中心に紡績の技術を伝えました。
室町時代から綿の栽培が普及して、ここ松阪でも木綿織りが盛んになります。
それを、いち早く江戸に進出した松阪商人の手で売り広められ、年々五十数万反も送り出した記録を持っています。
ことに特色であるシマ模様は、松阪から安南(今のベトナム)に渡り、御朱印貿易で活躍した角屋七郎兵衛が、かの地からもたらした「柳条布(りゅうじょうふ)」を国産化したものといわれ、松阪周辺の女たちの、高い美意識と技術で洗練されていきました。
現在では「松阪木綿の紡織習俗」は、国の無形民俗文化財に選定されており、洗うほどに内から色のわいてくる藍の青さと、そのシマ模様に深い物語性を秘めており、私たちを楽しませてくれます。
(松阪木綿振興会よりテキスト参照) |