冬の里山  
冬の里山

 ずいぶん昔のことになるが、伊吹山や鈴鹿の山をよく歩いていたころに、そのころは名古屋に住んでいたので、休みなど家に帰るときはアパートで大きなおにぎりを作って、近鉄西青山駅から青山高原三角点に登り、高原を北に縦走して航空自衛隊のレーダー基地から榊原に向かったこともあり、とにかく歩きたかった。

 アパートを朝7時に出て家に着くのが午後の2時をまわっていた。まともに帰れば電車、バスで2時間ぐらいのものだから、よほど歩きたかったのだろう。

 子どものころは山や川が遊び場で、もちの木の皮を削って石で叩き、ペースト状になったべとべとを小枝に巻き付け、小鳥が留まるとその小枝が取れなくなる。これでよくメジロを捕りに行った山。夕方にいつもの小川に仕掛けておいた流し針を、寝坊して朝あげに行くと白く腹を見せて紐に絡まっているウナギ。
 少し家から離れていると、こんなことが懐かしく思い出されるものだ。

 山歩きとうい感覚で子どものころは歩いたこともなく、山は遊ぶ場所として走り回っていたので、日常の行動範囲に山があるというものだ。大人たちはそこで仕事をしていた。それが今でいう里山なのだろう。

 そんなころ、子どものころよく登った貝石山や金比羅山に登りたくなって、両方の山を縦走しようと貝石山に向かった。といっても黙々と歩けば一時間とかからない。でもこんな山歩きは、うんと贅沢をしたい。ましてや昔遊んだ山だけに、私を覚えてくれている小鳥や枯れ枝が話しかけてくることは間違いない。それならばたっぷりと時間をとろう。

 貝石山は昭和11年の榊原温泉復興の環境整備で八合目の観音堂まで石段が付けられ、そこが展望台になっていたので、段を登るごとに視界が広がる。学校が見えてくる。うちの屋根までが見えてくる。

 観音堂まで登ると伊勢湾から志摩半島まで見える。そして思い出した。

 小学校の時みんなでここに来たとき、先生が「ここへ来てみろ」。その場所へ寄ると「あの田圃の中の黒い線がわかるか」と先生の指の先を見ると。線というより細い長い長い棒が見えた。「え?何」あの田圃もいつも遊んでいる所だ。「何?なに?」と不思議がっていると、「ちょっとこちらから見てみろ」と、そのとおりに動いてみると、すぐにわかった。「な〜んや。電柱や」一直線になる位置から見ると、一本の長い線が引かれているように見えるものだ。おかげで角度を変えてみるということを教わった。これは教室では教われないことだ。

 そこから下の神社が昔ここにあったという御社跡をさらに登ると貝石山の頂上だ。枝振りのよい松が何本も元気でいてくれた。少し北には剥げた部分があって、よく滑った。誰も見てないから、枝を尻に敷いて滑った。一人だとこの遊びはじきに飽きる。

 金比羅山に向かうには稜線から少し北の斜面に延びている細い山道だけだ。南側は植林されているため、杉や檜が年中葉を付けているが、稜線に並んでいる松から北の斜面には雑木が生え繁っている。すっかりと葉を落とした雑木の中を歩くのは実に楽しい。

 それぞれ違う葉っぱが重なり合って、細い道は所々に土が見える程度で滑らないように注意しなければならない。子どものころは気にもせず走り歩いた道も、ちょっとした坂道になると一歩一歩踏みしめて歩いてしまう。

 かさかさと足音をさせながら、所々の日だまりを通り過ぎていく一人歩きはうれしくなる。ぱっと足を止めると、一瞬なにもかもが止まってしまう。

 チッチッと囀る小鳥の声は少し離れた木の枝をせわしなく小さな羽をはばたせている。まったく私を意識せずに。でも、私を意識しているのがいる。確かにいる。気配で分かる。この光景を誰かが見ていれば私の目も輝いていただろう。

 しばらく足を止めてじっとしていると、かすかにカサカサという。落ち葉の下に潜んでいる。私が感じるくらいだから1匹や2匹ではないだろう。どんな顔をした奴だろう。じっと我慢をして彼らの動きを見てやろうと思っても、いつも彼らの根には負ける。ん?彼らのおかげでいいものを思い出した。ときどき山には越冬の山栗の実が落ちている、というより残っていることがある。これを見つけて彼らの前でおいしそうに食べてやろう。

 急にいたずら心が湧いてきて、あたりを探してみるが栗のいがは殻ばかり。はぜていないいがは虫が食べて黒い穴が開いている。でも探すものだ。あった。半分丸っこいのがいがに付いたまま残っていた。歯で傷を付けて親指の爪をかけて剥いていくと、煎った甘栗の実のような色をして痩せこけた小さな実が出てきた。前歯の大きな小動物や虫にも食べられず、よく残っていたものだ。

 この様子を、息を凝らして見ている彼らに見せびらかすようにして口に放り込んだ。かなり固い。しっかりと歯ごたえのある固く縮んでいる実をかみ砕くと、甘い。しっかりと濃縮された山栗の味だ。10月頃に山栗を採りに行くがこんな味に出会ったのは初めてだ。山栗はおいしいが越冬山栗は比べものにならないほどおいしい。

 唾を飲み込んで見ていただろう彼らを後に、また山栗を探しながら歩いた。でもなかった。途中、西谷を右手に見ながらc、あそこだった。谷間の景色は覚えているが、それがどこだったか。何年も気になっていた、その谷はここだった。なにかすっきりしたような気持ちで金比羅山に到着した。

 昔はもっと展望が利いたと思ったが、木と木の間からは伊勢湾が見える。猫寝山や古井谷、学校、中ノ山から青山高原への展望は昔と変わりがない。山を一気に下り、 家に帰ると3時間が経過していた。山歩きというものでもなかったが、高低差100メートル足らずの山でも充分に山を楽しむことが出来た。

 越冬山栗を食べたあたりの枯れ葉の影で、私の行動を見守っていた彼らは今頃どうしてるかな?私のことなど、すっかり忘れて自分の餌を探しに走り回っているのだろう。

(2004.4.26)