至福の音
定年を機にわが家の改築して、これまでのんびりと音楽を聴くことが出来なかった欲求を満たしてやろうと、以前からねらっていたスピーカーを買って、毎日音楽三昧をしています。 若いころはジャズなど盛んに聴いていましたが、歳と共に刺激的な音を避けるようになり、クラシックに傾いています。イギリスのガイ・R・ファウンティンが戦後まもなく「タンノイ」というスピーカーを商品化して、世界の音楽好きを虜にしてきました。いまでは電気的、音響的にすぐれたスピーカーがたくさん出ていますが、私は20年余り前に電気店で聴いたタンノイの音が忘れられず、当時の音を残しているタンノイを買ってしまいました。 古いタイプのタンノイはクラシック、弦楽や声楽は特によく、若いころレコードをよく買ったように、耳障りの良さそうなCDを買うようになりました。40数年前によく買っていたレコードは、1枚1,800円ぐらいはしたのにその倍も収録されているCDは、1,000円ぐらいからあるし、輸入盤で安いのを探すと500円からあって、ありがたいことです。ちなみに、昔レコードをよく買ったころは月給が1万円ももらっておらず、独り身だから買えたのだろうと、懐かしく思い出されます。 スピーカーから出る音を聴いたのは戦時中のラジオが最初ですが、中学校に入って自分でラジオを作るようになってからは、やはりその音が気になるものです。最初に作ったのは終戦を伝えた玉音放送でおなじみの並四というラジオで、2台目は5球スーパーで音も格段によくなりました。 そのころ学校に電蓄(レコードプレヤー付きのラジオ)が入り、学校でレコード鑑賞がありました。大きいだけに低音もよく出て、いい音だなと思いました。当時の至福の音だったのでしょう。でも活動的だった若いころだから、そんなことは思ったこともなく自分の作ったラジオに少し手を加えて、低音が出るように試行錯誤していたことを思い出させます。 学校を出てしばらくは音響の仕事をして、より忠実な音を作ることに専念し、満足できる音がいかにすれば収録出きるのかを実践していました。そのために音楽を聴くとその仕事に直結してしまい、音楽をのんびりと楽しめることが出来なくなってしまいました。でもずいぶんと時は流れ、タンノイで音楽を聴くのが楽しみな毎日です。 部屋の灯りを落として真空管の赤い光を眺めながら、タンノイから流れる音楽を聴いていると、まさに至福であり、至福の音なのだと思っております。
![]() (2004.8.9)
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