初めてのスキーで
一度雪の上で、スキーを着けてストックを両手に斜め上を向いた(かっこよく)写真を撮って欲しいなと思ったのが20歳ごろでしたか。
22歳のとき、勤めていた会社が岐阜の同種の会社と合併して、しばらく岐阜勤務が続きました。
翌年、東京で新規採用された進藤さんと仕事が同じになり、早速スキーに誘われました。
時は昭和の36年、1月16日と記憶していますが、岐阜のスポーツ店でスキー一式を借りて、夜行の高山線で出かけました。
寒かろうとぼこぼこに重ね着して、スキー靴をはいたままの出発です。当時中央線には蒸気機関車が走り、高山線には煙突付きのジーゼル車でした。ホームに停車してもドアは開かず手で開ける。寒い地方を走る列車の常識でした。
高山駅で降りると静かな駅前です。それもそのはずで午前4時の到着、駅の灯りと所々の街灯だけで、立ち止まっていてもしようがなく、スキー場の原山に向かって歩きます。
1時間近く歩いた辺りから分かれ、桑畑の道をどんどん登っていくと、真っ白な広い雪の原っぱに出ました。
その原っぱがスキー場で、ここが私の滑るゲレンデです。斜面の中ほどに「国鉄山の家」と書かれた小屋が1軒あるだけでした。
まだ5時を少し過ぎたころで誰もいません。小屋も締まっています。夜明けまで雪の上で待つのもいやだし、小屋の裏に回ったら少し灯りが漏れていました。
どんどんどん「開けてー」
こんな客もたびたびあるのか、いやな顔もせず表を開けて、薪ストーブに古い枕木の割木を放り込んで火を点けてくれました。かちかちに冷やされていた小屋も、少しずつ暖かくなってきました。
1時間ほどストーブにあたって、東の空が少し白んできたころと、連れてきてくれた進藤さんは「いちばん高いところまで登って滑るんだ」といって小屋を出ました。
まだ薄暗い中、ぎしぎしと鳴る雪の上を、スキーを担いで登ること30分。氷点下の明け方でも厚着で歩いたので暑い。雪の上に腰を下ろすと気持ちがいい。
葉を落とした雑木の山に、雪が積もった向かいの山を眺めていると、急にその山が黄金色に輝き出しました。
初めてみるこの神秘的な光景は何だろう。しばらくは声も出ず眺めていたことを、今でもはっきり覚えています。
自然ってこんな美しいものを作って楽しんでるんだ。それから自然が作り出すきれいなものは、出来る限り見てやろうと、よく山にはいるようになりました。
ご先祖さまが残してくれた家の山には入ろうともせず、自然が作る雑木の山にばっか興味を持つようになり、困ったものですね。
(2007.12.27)
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