雨漏りとお隣さん
テレビ放送が始まってまもなくNHKで「バス通り裏」だったと記憶しているが、ホームドラマがあった。十朱久雄親子が出ていた。子役はもちろん十朱幸代で何の飾り気もない父親似の女の子だった。
小さな庭を真ん中に
お隣の窓、うちの窓
一緒に開く窓ならば
やあこんにちはと声かけて
こんな狭いバス通り裏にも
ボクらの心は通いあう
これが、そのテーマソングだったと思う。
歌にもあるように、お隣さんとのほほえましいお付き合いをドラマにしている。
私の家は、前はバスの通う表道ではあるが、道を挟んで農協。西は隣の倉庫小屋。東は役場の土蔵で裏は小学校の土手で何も見えない。どこにも隣の窓がない。そのドラマがうらやましかった。うちには窓から挨拶が出来る隣がない。
それからしばらく家を離れアパート生活が続くが、家では、その間に昔住んでいたという山間の家を壊して新築し、移転をしていた。
その新居には隣があった。でも槙垣根の向こうで、小さな畑を挟んでだった。窓から顔を合わせる隣ではなかった。
両親は隣とのお付き合いはあまり得意ではなく、隣の人も遠くまでお仕事に出かけて、あまり顔を合わすこともなかった。
アパートを引き払い家に帰った頃は、まだ隣のご家族はお住まいのようだったが間もなくご主人の職場近くに引っ越されて、せっかくの隣が空き家になってしまった。たまに休みなどにはご主人が戻られ、畑の手入れなどしておられたので話も出来た。
「またこちらに戻られるのでしょう?」
『定年になったら戻る、もうじきですよ』
それからかなりの時が過ぎ、お仕事も辞められたと聞くが戻ってこられる様子もない。そのうちに「売り家」の看板が立てられ、若いご夫婦が子供を連れて引っ越してこられた。久しぶりに隣に灯がともる。何か暖かいものが伝わってきた。
といっても、これまでの隣と同じで槙垣根越しの、プライバシーもしっかりと保たれている。表の道に出るにも隣は坂道を下り、うちは隣とまるきり反対方向へ出る。土地続きであるが、うんと離れており回覧板などはグルっと回って届けるような状態だった。
さらに時は経って父が亡くなり、母が亡くなる頃から雨漏りがひどくなった。10年ぐらい前にも雨漏りがあって天井を張り替え、鉄筋の家のため防水と塗装をしっかりしてもらったはずが、最近になって特に雨漏りがひどくなってきた。ホームセンターで雨漏り水漏れ防止用品を買ってきたり、屋根半分をブルーシートで覆ったこともあった。鉄筋建築の雨漏り対策には特効薬もないらしく、どれも効果はなかった。
母の法事には部屋にブルーシートを敷くなどひどい状態だった。来年には勤めを辞めよう。そのとき頭をよぎったのは退職金だった。これまで雨漏りに費やした資金もうん百万円にのぼる。これから退職すると年金生活に入り、雨漏りと付き合う余裕もない。この退職金が最後のチャンス。行動は早かった。退職の時には引っ越しの真っ最中だった。
新しい家は、これまでの家の前の畑に半分建てて引っ越し、これまでの家は壊して残りを建てるという施行で、垣根もなくなった新居の窓からは、隣が目と鼻の先だった。
朝、窓を開けると隣ではウッドデッキに洗濯物を干している。
「おはよう」
『おはようございます』
と笑顔が返ってくる。実にいい気分だ。
老夫婦だけの生活だと、ついついパジャマで過ごしてしまいがちだが、隣の若い奥さんから『おはようございます』の笑顔が返ってくると、パジャマではよくない、着替えをしてから窓を開けよう。そんなちょっとした緊張感が日常生活の中に出来、老化防止にも役立っている。
昔のNHKテレビドラマのバス通り裏を想い出しながら、雨漏りとお隣さんへの感謝は忘れてはなるまいと、毎日を送っている。
(2004.12.24)
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