牛あれこれ  
牛あれこれ

牛というと焼き肉、牛丼、しゃぶしゃぶ、すき焼き、ステーキなど、肉といえば牛を思い浮かべる今日この頃ではあるが、昔は違った。

私らの若いころは、肉といえばかしわ(鶏肉)だった。牛の肉ならせいぜいコマギレ肉。牛肉はほとんど食べなかった。

それよりも牛といえば家族の一員。大戸を入ると大きな目をした牛が、よだれを垂らして迎えてくれる。人もよく働いたが、牛も実によく働いた。

草刈りは牛を養うため、毎日の日課になっていた。
田圃の忙しいときは、朝は朝星、夜は夜星。昼は梅干し食って…。
でも年中そんなことでもない。

それは今でも年寄りの語りぐさになっている。

「昔は朝早うから草刈りに行って、草刈らんと一日寝てしもたこともあった。のんびりしてたなあ」

そんなのんびり者も、この歳になって今でも、現職として働いて老人会の行事にも出れないというから、世の中どうなっているのだろう。

牛は農家の宝だった。

こって(雄牛)はあかんけど、めんた(雌牛)はええ。かけぼ(種付け)に連れてって、ええベコを産んでくれたら儲けもん。
学校のすぐトナリでその儀式をやってくれるので、子供はみんな見に行く。
見事な性教育だった。

出産もまた、それぞれの家で見ることが出来、今ではテレビでも見ることが出来ないものを間近に見ることが出来た。

生まれたベコが大きくなると、農業協同組合の広場でベコ市があり、競りに掛けられる。
ベコ市の日は朝早くから、榊原だけではなく村外からもたくさん集まった。
山羊ではないがメェーと鳴く。それの大合唱だ。

ベコ繋ぎの柵はあったが、収まりきれず桜の木にもベコは繋がれていた。
一本だけ弱々しい桜の木があったが、その木にも容赦なく繋がれ、傷だらけになっていた。
牛は頭がかゆいとその辺で頭をすりつけてこする。
おそらく繋がれている桜の幹は、頭をかくのに気持ちがよかったのだろう。

今でも榊原の農協の前に、あまり大きくもなれずに、ごつごつの幹を持つ桜の古木が残っている。
その木の側を通るたびに

「ご苦労さんだったね、よく頑張ってきたね」

と声を掛けてしまう。

(2004.7.1)