● エッセイ ●
たかされ(1)

「たかされ」は江川卓と本宮ひろ志の漫画のほうが有名かもしれないが、遣いはじめたのは私の ほうがずっと古い。
 たかが野球、されど野球である。私のこれまでの人生は野球抜きには語れない。もうすぐ定年退職を 迎えることになるが、42年間勤めたこの会社に入ったのもそもそも野球がらみである。
 高校3年の春、監督に「お前、丸善受けるか」と言われ、希望の就職先どころか、和歌山にどんな 職場があるのかもわからない状態で「はい」と応えたのが始まりである。進学ではなく就職を選んでは いたが、要は何も考えていなかったのである。
 応募者は多かったが運よく翌年、昭和44年の新入社員、男36名、女17名、合計53名の内の 一人となることができた。当時の丸善石油下津製油所は、従業員が800人程いて、文化体育活動が 特に盛んで、男子は必ずいずれかの部に所属しなければならなかった。野球、ソフトボール、バレー、 サッカー、ラグビー、バスケット、ハンドボール、バドミントン、硬式テニス、軟式テニス、卓球、 柔道、剣道、陸上競技の14の体育部と7つの文化部があった。
安芸球場
高知の安芸球場で(昭和44年)
 野球部へは、私を含めて4人が入部した。翌々年の昭和46年に和歌山国体を控えており、高校の 時に勝るとも劣らない厳しい練習が始まるのであった。しかも、仕事の合間の余暇活動としてである。
 血気盛んな若者を、体育活動に没頭させて良からぬ方へ向かわせず、上下関係の礼節を重んじることを 教え、心技体を鍛え、共同生活を通じて組織の一員であることを自覚させるという会社の教育施策の 一環であった。

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