| ● エッセイ ● |
三角ベースで、鍬の柄の抜けたのをバットにしてゴムまりを打って遊んでいた小学生の頃、
田舎でも子供が多かった。夏休みには朝6時のラジオ体操に始まり、一度朝食を採りに帰って再び小学校の運動場に集まり、 毎日のようにソフトボールの試合をした。校舎に入る階段をバックネットがわりに、下手投げの ピッチャーのボールをすくい上げて、レフト後方(と言ってもその距離40メートルほどしかないが)の ネットを越せばホームラン。「この夏23号!」などと大声で叫びながら得意げにベースを回った。 ホームランボールが落ちるところには農家の納屋があって、常に瓦が割れたり欠けたりして雨漏りが ひどかった。
昼になって解散となり、午後は川での水泳が日課で、寺の下の淵では川原に赤い旗が立ち、男も女も
無邪気に川遊びに興じた。唇が紫色に変わる頃、少し上流の橋の上に、運搬自転車に白い箱を積んだ
アイスキャンデー屋が止まり「ぴりぴりぴりー」と笛を吹くと、水から上がって白いゴム風船に入った
甘いアイスキャンデーを買い求めた。風船の縛り口を噛み切って、中のアイスをなめるのだが、風船が
キョロンと剥けて、中身を地面に落とすことがよくあった。すぐに土まみれのアイスを水で洗って、
素手でつかんでなめるのであった。そして夕方にはお寺に集まって、地蔵盆であげる地蔵和讃の練習をするのが日課であった。「これは ーこの世のことならずー」という詞と節回しは今もはっきりと覚えている。地蔵盆の行事は、子供が 少なくなったが今も脈々と続いている。この頃、それぞれの家業は農業や林業がほとんどで、農繁期に は「田植え休み」や「稲刈り休み」で学校が休みになり、小学生も立派な労働力として家業を手伝った。 |
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