● エッセイ ● |
![]() 夏休みには朝6時のラジオ体操に始まり、一度朝食を採りに帰って再び小学校の運動場に集まり、 毎日のようにソフトボールの試合をした。校舎に入る階段をバックネットがわりに、下手投げの ピッチャーのボールをすくい上げて、レフト後方(と言ってもその距離40メートルほどしかないが)の ネットを越せばホームラン。「この夏23号!」などと大声で叫びながら得意げにベースを回った。 ホームランボールが落ちるところには農家の納屋があって、常に瓦が割れたり欠けたりして雨漏りが ひどかった。 ![]() そして夕方にはお寺に集まって、地蔵盆であげる地蔵和讃の練習をするのが日課であった。「これは ーこの世のことならずー」という詞と節回しは今もはっきりと覚えている。地蔵盆の行事は、子供が 少なくなったが今も脈々と続いている。この頃、それぞれの家業は農業や林業がほとんどで、農繁期に は「田植え休み」や「稲刈り休み」で学校が休みになり、小学生も立派な労働力として家業を手伝った。 |
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