● エッセイ ●
たかされ(3)

中学生になって、野球部に入った。買ってもらった真っ白なユニフォームと皮のベルト、黒い スパイクシューズを初めて身につけた時の面映ゆさと、少しばかりの少年の勇ましさは、今でも 皮製品の匂いをかぐと懐かしく思い出す。炭焼きで生計を立てていた親にとっては、決して安い 買い物ではなかった筈だ。
 中学校の小さな校庭はライト側が浅く、後方が川になっていて、頻繁にボールが飛び込んだ。 それを拾うために常に2、3人が川原にいたように思う。中には、練習中にもかかわらず、校庭の 木に登って遊んでいる奴もいて、のんびりとした時代だった。
   上級生が卒業して、レギュラーになるとショートで1番バッターだった。練習試合を含めても、 あまり試合をしたという記憶がない。覚えているのは有田郡の大会だったか御陵(ごりょう) 中学校との試合だ。
 津木中学校から、御陵中までは25キロほどあるが、選手はそれぞれ自転車で行った。御陵中が 強いのやら弱いのやら、事前情報など何もない。ただ目の前にいる初めての相手と戦うだけだった。
 そして1回の当方の攻撃で、私が打席に入った。相手のピッチャーは上手投げの右の本格派で、 投球モーションで左足を振り上げると、顔が見えなくなるくらい高く上げて、速い球を投げ下ろして きた。夢中でバットを振ったら、ライナーでライト前のヒットとなった。
 次打者のバントで二進して、リードを大きくとった。セットポジションから2塁方向を見た ピッチャーは、大きなリードを見て、しめたとばかりに牽制球を投げてきた。タイミングは アウトだったが、セカンドベースに入った二塁手がボールをこぼしていた。
 ところが、審判の位置から、それが見えずにアウトのコール。大声で抗議したが認められなかった。 二塁手は真っ黒な顔でニヤッと白い歯を見せて笑いながら守備位置へ戻って行った。
 この相手ピッチャーが東尾修。黒い顔の二塁手が、のちに高校でピッチャーになった私の球を受ける ことになるM君だ。試合は、わが軍がこのヒット1本だけで完封負けを喫した。
 津木中学校の野球部は私たちが卒業したあと廃部となり、グランドにはその後テニスコートが何面か できた。 津木中野球部
後列の3年生が大人っぽい

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