● エッセイ ●
たかされ(5)

5年後の2015年に、第70回国民体育大会が和歌山県で開催されるらしい。丸善に入社した 翌々年の昭和46年(1971)に、第26回和歌山国体が“黒潮国体”と銘打って開催された。 この大会に会社から実に9種目60名の選手と36名の役員が参加した。野球(準硬式)、ソフト ボール、バスケットボールが単独チームで、その他の6種目には和歌山県チームのメンバーとして 出場した。当時従業員が800名ほどであったが、選手のほとんどが交代制勤務であったので、その 穴埋めの“補勤”が大変であったと後に職場の上司から聞いた。
 野球部はこの国体を照準に、2年ほど前からチームの強化を図っていた。優秀な高卒新人選手の 採用、度重なる合宿練習や交流試合、社会人野球への登録と甲子園で行われた都市対抗野球予選大会 への出場などにより、着実に力を着けつつあった。
 ところがである。10月の秋季大会に先立って8月に行われた県予選で不覚を取ったのである。 丸善、興紀相互銀行、冨士興産の3チームによるリーグ戦で行われたが、丸善は冨士興産には勝ったが 興紀相互銀行に敗れてしまい、あとは冨士興産が興紀相互銀行を破って、3チームとも1勝1敗で再試合 となるように祈るばかりとなってしまったのだ。
 「これまで何をやってきたのだ。すべて、この日のためではなかったか」というのがチーム全員の思い であった。会社や職場の熱い期待もあった。みんな打ちひしがれながらも運命の試合の行方を見守った。 そして何と、その思いが通じたのか冨士興産が興紀相銀を負かして期待通りの結果となったのだ。一度 死んだら強い。再試合では苦しめられた興紀相銀の同じ投手を打ち砕いて13対0の5回コールドで快勝、 冨士興産は3投手に長短12安打を浴びせて7対1で勝ち、ようやく県代表を勝ち取ったのであった。
 10月24日、天皇皇后両陛下を迎えて第26回国民体育大会の開会式が紀三井寺競技場で行われた。 全国からの役員と選手17,000人の壮大な開会式であった。和歌山県選手団男子のユニフォームはみかんを イメージしたグリーンのジャケットとオレンジのネクタイ、クリームのズボンだった。このユニフォームは その後の国体でも何度か使用された。
 準硬式野球の試合は田辺市が会場となり、当時会社の保養所であった白浜荘を拠点として試合に臨んだ。 ベンチに入れるのは15名で、私は2名の補欠の一人として強化合宿や開会式も同行していたが、試合では スタンドからの応援であった。
 それぞれの選手の職場からの応援者たちが多数見守る中、1回戦は青森県(八戸魚市場)と対戦、6対3で勝ち、 2回戦は岐阜県(関ヶ原石材)と対戦し3対0と完封した。決勝戦の相手は同業の大分県(九州石油)。 接戦を制し3対1で勝ちチーム初の日本一を勝ち取ったのである。この大会、和歌山県は天皇杯(男子) が第1位、皇后杯(女子)は第2位で、念願の総合優勝を果たした。私はスタンドで、これまでの苦労が 報われた喜びと、胴上げの輪に参加できない悔しさとを綯い交ぜた複雑な涙を流していた。
   あれから39年の時が流れた。5年後の和歌山国体で私はどこで何をしているのだろうか。 鹿児島国体
鹿児島国体の指宿で(昭和47年ベスト8)

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