● エッセイ ●
たかされ(8)

 札幌へは平成2年(1990)8月に転勤し、月寒にあった社宅に入居した。その秋のある日曜日、子 供たちを連れて遠出の散歩をした。白樺林の前にグランドがあり、ママさんソフトボールのチームが 練習をしていた。男の人も何人かいた。グランド沿いの階段に座って、しばらく見ていると、監督らしい 人が私に手招きしてきた。試合をするから入ってほしいということらしい。まさか北海道でソフトを するなどと思っていなかったが、久しぶりに大きいのをかっ飛ばした。
 やがて試合も終わり、白樺林でジンギスカンの用意がなされ、まあどうぞとビールや焼酎やウイスキーが ふるまわれた。私は遠慮なくジンギスカンを食らいお酒もしこたま頂いた。やがて料理もなくなる頃、 ママさんたちが監督に私のことを「この人誰?監督のお知り合い?」と聞いたのだ。監督は「チームの 誰かの旦那さんだと思っていたのだが」と応え「ありゃー?」となってしまった。
 実はこの日、このチームの納会で、もうすぐ雪も来るので外での練習は今日までとし、旦那さん達も 入れてゲームをして、その後にジンギスカンで一杯やろう、というのが真実であった。そこに、監督の 勘違いから怪しい酒飲みが紛れ込んでしまったのだ。
 勘違いの監督は「奥さんはソフトボールしませんか」と私に聞いた。私は、これはしない訳にはいか ないなと思い「帰って聞いてみます」と応えたが、帰り道、絶対にしてもらわねば困ると思いつつ、 口説き文句を考えた。家について、今日の一部始終を正直に話したら、入ってもいいという回答で、 かくして妻はひょんなことから羊が丘メッツの一員となったのであった。
   このチームには北海道代表チームに選ばれる選手が二人いて、なかなか強いチームだった。雪の期間は 体育館で練習をし、私もノックのお手伝いなどをした。妻は初めてのソフトで最初はなかなかバットに 当たらなかったが3年間で徐々に上達し、セカンドの守備も無難にこなすようになっていった。この チームメイトの何人かとは今も年賀状の交換をしている。懐かしくておかしい北の物語である。
 月寒社宅はその後壊されてマンションが建ち、札幌からの地下鉄が伸びて福住の駅ができ、 至便の場所となったが、八紘学園のサイロが見える景色は変わっていない。日ハムの札幌ドームは 歩いて10分のところにできている。 メッツ
羊が丘メッツのメンバー

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