新宮駅近くの徐福像
不老長寿の天台烏薬の木
徐福公園で
早くも台風のもうねりが出ている串本の海
右が「一枚岩」高さ100メートル
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7月の月例ツーリングは「古座川の天然うなぎを食べに行こう」と朝の8時から15台で本宮経由で
新宮に向かった。なぜ新宮かと言うと、先週の一人ツーリングの時に龍神温泉で買った天台烏薬(てんだいうやく)を調べ
ているうちに徐福の名が出てきたのだ。その徐福を称える公園が新宮にあることが分かったので、何も
知らない14名を引き連れて徐福公園を訪れたのだ。
【徐福のパンフより抜粋】
今から2,200年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方
海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて3,000人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来した
と伝えられています。徐福一行はこの地に自生する「天台烏薬」という薬木を発見しましたが、気候
温暖、風光明媚、更には土地の人々の暖かい友情に触れ、ついにこの地を永住の地と定め、土地を拓き
、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。【以上】
ある徐福研究者のHPを覗くと、秦(しん)の国から来た人々なので、日本では秦は「はた」と読めるので
そのまま秦(はた)や畑、羽田、波田姓のルーツになったと言われている。また一説には霊薬発見ツアーは
徐福当人の企画を始皇帝に進言して裁可されたものであり、本人も含めて皇帝の圧政に嫌気が差した
人々を集めて未知の世界を求めて逃げ出したのではないか、という考えもある。また、
日本では神代の時代の話であり、あるいは神武天皇東征神話の張本人ではないかという推論もある。実に
面白く興味の沸く徐福伝説である。
さて、本命のうなぎの店は本州最南端の串本に程近い古座にあった。事前情報では二軒あるがいつも
混んでいるということだった。ところが現地に着くと一軒が定休日で、もう一軒は中には5人ほどが
入れるばかりで12、3人が表で待っていた。1時間以上待つことになる上に、食材が無くなることも
あるというお店の話で、あきらめて大島まで走ることになった。途中、給油と二名の行方不明者の
捜索などで手間取って、うなぎではなく海の魚の食事にありつけたのは2時半だった。
それでも、もう1つの目的地「古座の一枚岩」までたどり着き、そこから山道を西に抜けて周参見に
でて42号線を北上した。田辺からは高速道に入って渋滞の中御坊南ICで下りて6時前に家に着いた。
本日の走行距離343キロ。
2011.7.17(日)
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