●タニコメ旅日記● |
“八幡平に登ろう”のお誘いに乗っかって 仙台郊外在住の工藤さんと、岡部さんの間で出来ていた話に乗せられたような感じで私達夫婦も同行させてもらったものだ。 そもそもは岡部さんがライフワークにしている日本百名山完登の目標の中の一つに“八幡平”があり、その一環が今回の東北旅行になったものだ。 それにしても今回の旅は、スケジューリングから宿の手配、おまけに全行程車でご案内いただくという、全くオンブにだっこの有難い旅行で工藤さんご夫妻には本当にお世話になりました、ご夫妻のホスピタリテイーにはほとほと感心し、御礼を申し上げます。 § 6月18日(金)1日目 ― 仙台へ― 旅行の計画は既に昨年11月から進んでいたとの事だが,私にはそれが本当に実行されるものやら冗談なのか余り考えてもいなかったが、4月になり安い航空券を取ろうと言う事でANAの超割を申し込む段になって明子が塩田さんご夫妻にパソコンによる申し込み方法の手ほどき(と言うより殆どやってもらったように感じたが)を受けている辺りからようやく私自身は実感として捉えるようになった、というのが本当のところだ。 そんな事で私はほんの“つけたし”みたいな感じで同行したので自主性の無い事甚だしい。 格安一万と300円のANAは8:00に伊丹空港を離陸、ほんの一時間余り、まさにひとっ飛びでうす曇りの仙台空港に降り立った。 タイトルからして今回の旅は“山行”と思い込んでいたので、私は殆ど山スタイル、勿論リュック姿だ、明子は何時ものようにパンツにスニーカー姿荷物は同じようにリュックだ。 岡部さんご夫妻はまずまずのまともな格好、見掛け上はバラバラの四人組だったが、朝早いにも拘わらず工藤さんご夫妻のお出迎えを受けた。“八幡平”に登るのは明日だから、今日はあちこちの名所旧跡を訪ねて、なーんて格好つける事もない、要は観光と温泉を巡る旅なのだ。車は早速東北高速に乗り平泉へ。 ※ 毛越寺は壮大な池の景色だった! 小石を敷き詰めた壮大な池には、竜頭の舟を浮かべ、流れ込むせせらぎでは曲水の宴をしたという。私は今まで 「キョク水のエン 」と云うのだと思っていたが、そうでは無くて 「ゴク水のエン 」と言うのだそうな。寺院の建造物は大きさと言い数と言いそれ程大きな寺には見えないが、焼失したとされる遺構を観る限り壮大な池と川を配したその山側には幾つもの広壮な建造物を擁した非常に大きな寺院であった事を窺がわせる。 ![]() ※ 贅をつくした金堂! 平泉といえば中尊寺、何故かといえば金堂。私のように歴史も地理も知らない人間でも知っているほど有名な寺だ。先ずは腹ごしらえ、長い参道の登り道の途中にある 「そば処 」は、なかなかの人気な店との事であったが、ここで“ワンコそば”を戴いた。 「天ぷら 」やその他の 「具 」が付いた“天ざる”ならぬ“天わんこそば”とでも言えば良いのか昼食としてはなかなかの豪華版であったが、私は14枚(皿)食べた、工藤さんの話では100枚位食う人がいるそうだに、ビックリ!!。 藤原三代が祀られているという金堂は流石にきらびやかであった、地方豪族の栄華を誇るように全てが金箔で覆われ、かざり柱にはきらびやかな 「螺鈿 」が施されていた。だけど私が驚いたのはこれでは無かった、“覆い堂”なのだ。金堂は5.5mの方形だとの説明があったが、これをすっぽり屋内に収容する建物、いわばドームの考え方が西暦1200年ごろの当時にあった事だ。 “覆い堂”は建替えられて今はコンクリート(多分)の建物になっているが当初の木造建築物は近くに移築されていた、内部の木肌は800年余の歴史を経たとも思えない程に保たれていた。 とまー、この時は豊かな発想に驚いたのだが、この文を書くに当たって改めて思い出してみると、世間では一寸違う評価もあったかも知れないな!?という気がして来た。“藤原さんは、財力にまかせてあんな立派な金ピカのお堂をつくったが、出来上がってみると余りの立派さに、雪に埋もれ雨風に曝されて傷むのが惜しくなって、あんな 「屋上屋を重ねる 」ような物を作ってしまったのだ、どうせなら屋根も金張りにして白日の下において天下にそのご威光を示せば良かったのに、金持ちというのは妙な所で割の合わないケチり方をするものだ!”なーんて。 ※ ハプニング 中尊寺参道の坂道を登り切って間もなく中尊寺と大書した山門の辺りで突然“ドサッ!!”と言う音と一緒に“とぐろを巻いた蛇”が道端に降って来た。よく観ると二匹だ!しかも大きいヤツだ、杉の木?の枯れ枝に巻きついて交尾でもしていたようだ、枝が折れたと思しき辺りを見上げると10m以上もありそうな感じだ。これが人の頭の上にでも落ちていたら、ドンナだろう!?、その後車の中でも宴会の時でも折にふれて話題になった、今後ともこのグループの語り草になるだろう事は間違いない滑稽な?否恐怖の“事件”だった。 ※ 八幡平の麓、今宵の宿 「八幡平ハイツ 」を目指して北上 車は再び東北高速道に乗り一路北上、岩手県に入ると間もなく岩手富士と言われる岩手山が見えてきた。この山は観る角度によって可也様子が違う、一寸方角は判らないが一面からは富士と言われるように均整のとれた優美な姿が、また別の角度からは富士山の宝永山よろしく噴火で出来た荒々しい尾根を従えて立っている。太平洋側と日本海側の丁度中間あたりに位置し、高速岩手山PAから眺めると進行方向左側に優美な左肩と荒々しい右肩のすがたがくっきり見える。 眼を正面に向けると明日のメインになる八幡平だ、霞がかかって良くは見えないが随分近くまで来ていることは確かだ。 間もなく高速を降り、何時か工藤さんがフォトレターを送ってくれた、お手製溝型温泉付きのキャンプ場をチラッと覗いて、いよいよ今宵の宿 「八幡平ハイツ 」に入った。白樺林に囲まれた、ゆったりした敷地に赤い屋根の如何にも北のリゾートに似合う建物だった。 露天風呂は目下工事中で入る事が出来なかったが、大浴場は広くて気持ち良かった。私が一番感心したのは、公共の宿というのは、例えば部屋のドア−が鉄製で閉める度にガチャ−ンとか、中で接待してくれる人達の服装が事務服のようであったりとか、とかく何処かに役所や役人のシッポのようなものが見え隠れする経験があるが、ここではそれが見えず接待にこれ努めている姿だった。 根曲がりタケを始め立派な料理につられてビール、焼酎に冷酒とよく飲んだ、明日からはも少し控えよう。 § 6月19日(土)2日目 ―― 八幡平へ ―― 朝食後出発まで少し時間があったので二人で外周を散歩、この頃はまだ雨は降っていなかったが、出発(8:30)頃になって生憎パラパラし始めた。どっちみち今日は余程の大雨にでもならん限り活動できる準備はしているのだからまーイイか!、気分の問題だけだから。 少し高度を上げるとヒドイ霧で何も見えない、車は濃い霧を掻き分けるようにして九十九折れの道を登って行くが、勝手が判っている工藤さんだから走れるので私ならヤメトクワ!という感じだ。ガスで見えないから良いようなものの道の谷側は多分切り立った崖なんだろう、出会う車も殆ど無い。 時々道端に止まっている車を見かけるが、これ等は“根曲がりタケノコ”採りの人達だそうな、そういえば道の周りは笹原だ、この小雨混じりの中をご苦労な事だが東北地方の人達の山菜に対する思い入れの深さを感じさせる光景だった。 ![]() ※ まだ残雪の湿原はお花畑だ! やがて安心運転の工藤車は駐車場へ、ここはもう1500m位だとの事だ。オット!車は早や岩手県と秋田県を跨ぐ所まで来ていたのだ!八幡平は県境の山だったのダ!。かなりの降りになって来たので全身カッパ姿になったが、お陰でガスはやや晴れて大分見通しが良くなって来た。 歩き始めて最初に見つけたのは 「マイズルソウ 」だったように記憶しているが私は花には余り詳しくはない。 間もなく 「鏡沼 」次いで 「眼鏡沼 」に出たが、まだ残雪に埋もれて水面は見えない、この辺りで 「シラネアオイ 」の紫の豪華な花に出会い、まだ花芽は付けていないが 「コバイケイソウ 」の、おシタシにしたら美味しかろうなという感じの若芽を観ながら僅かな勾配を登ってキョロキョロ眺めている内に、程なく1613mの八幡平山頂に着いた。 ![]() 頂上には木製の展望台があり立派な標識がある以外は何てーことはないが、岡部さんはこれで十の眼に見守られて百名山の内の37頂目を登り切ったことになる、ゴクロウさん。ガマ沼を過ぎた辺りからが本格的なお花畑だった、 「ヒメザクラ 」が 「イワカガミ 」が、所どころに残雪を置いて未だ早春の風情を残す湿原に可憐に咲いている。 木道を少し下がった辺りには 「チングルマ 」や 「ワタスゲ 」が短い春を生き急ぐように咲き競い、傍らの、より水辺に近い所ではまだ季節が早いためであろう、黄緑の衣に真っ白な花芯を包んだ小さな 「ミズバシヨウ 」が楚々として咲いていた。 「二ッコウキスゲ 」や例の 「コバイケイソウ 」は若芽の群落はいたるところに見られるが花が咲く迄には暫くかかりそうだった。 ※ 季節は正直だ! 工藤車は標高1500mから一気に駆け下って、すっかりガスも晴れたころビジターセンターの湿原に着いた。 ここは標高何mか知らないが、八幡平の上は早春ここは晩春という感じで、咲いている花の種類がまるで違う。 「コバイケイソウ 」がむさくるしい程に咲き乱れ、あの楚々として咲いていた 「ミズバシヨウ 」が、ここでは如何にも“憎憎しげ”というか“毒々しく”というか天狗の羽うちわのような大きな葉を広げて花が終わっている姿は女性軍の不興を買っていた。 「レンゲツツジ 」や 「イソツツジ 」が今を盛りと咲き誇っている中に何故か一株だけ 「ニッコウキスゲ 」が鮮やかな黄色の花を着けていたのが印象的だった。 ※ 田沢湖は霧の中、辰子姫伝説は八郎潟との悲恋物語 かなり雨脚も激しくなって来た中を田沢湖畔に着いた。けっこう大きな湖の様だが霧にかすんで眺望が効かない、辰子姫伝説もよくは判らなかったが、道成寺の按珍と清姫の悲恋物語と同じようで、よくある言い伝えらしい。 とにもかくにも腹ごしらえ、湖畔のうどん屋で“稲庭うどん”をいただいた、稲庭うどんは今や全国版になった感があるが、明日通る稲庭が本家本元だとは知らなかった。 この 「うどん 」は腰が強いからソーメンみたいに乾麺ではないか!?と思うが、本当はどうなんだろう。 ※ 東北地方は温泉の上に浮かんでいるの? いったん田沢湖を後にして温泉めぐりの旅に。谷間から濛々と湯気を上げているのは玉川温泉、長逗留し、 「むしろ 」を持って川原に寝転んで心身の病を癒すのだそうな、今や全国から予約が殺到しており、人気振りに新玉川温泉も出来たという。 だけどこんな感じの所に居るのは、オラ イヤダ!病気になりそうな気がする。 ※ 乳頭温泉郷は“鶴の湯”に 15時を2〜3分過ぎていたかな?入浴締め切り後だった、“もう駄目!?”、“もう終了しました”,“そんなキツイこと言うなよ大阪から訪ねて来たのに”と押し問答の末、工藤富美子さんの押し切り勝ちで、主らしい人が出てきて“3時半ごろまでにして下さい”、ハイハイそうします、有り難う。 山里深く分け入った立地と云い湯屋のつくりと云い、まさに秘湯というか究極の露天というか、得がたい体験であった。 座っていると、お尻の方からプクプクと沸いてくる濁り湯は、ポツポツと雨に打たれながらのほんの短い時間であったが結構温まった。 それにしてもこの地方は温泉が多い。 ![]() ※ 今夜の宿はハートピア田沢湖 田沢湖が一望出来るロケーシヨンに建っているのだが、ガスがかかって湖は見えなかった、それでも雨に濡れて緑濃い森は遠くを霧に遮られている分一層山深く感じられて清清しかった。 いねむり誘う露天風呂、雨のハネが顔に当たってうるさかったが、それを避けるポジシヨンをさがすと、この露天風呂は何時まででも入って居られそうな感じで、ぬる目の濁り湯に浸かっているとついウトウトしそうになる心安らぐ湯だ。 牛タンと岩魚のあぶり焼きの料理も勿論美味しく戴いたが、今夜のハイライトは何といっても“岩魚のこつ酒”だ、すっかり良い気分になるまでいただいた。 § 6月20日(日) 3日目 ――角館を経て栗駒山荘へ―― 昨日と今日で田沢湖を一周して雨の角館へ。 私は街には余り興味が無いから知らなかったが、この一画は武家屋敷がそのまま保存されていて、長く続く塀の中から巨木がそそり立った落ち着いた佇まいを見せていた。 その中の一軒 「青柳家 」に入ったが、千坪以上もあろうかと思われる広い屋敷内には母屋あり武器庫ありで遠い昔を偲ばせる。 広い庭は今や大木となった植え込みあり、手入れの行き届いた野草苑ありで眼を楽しませてくれる。 展示物の中に伊能忠敬の製作よりも何十年か前に作られたとされる日本地図があった、誰がつくったというのは見落としたがその精巧さには驚かされた。 工藤さんの買いたがり。 いつの間にか一合ビン位のお酒が2本入った帆布製の袋をぶら下げている、“この袋がいいんだよなー!”と、その嬉しそうなこと。 私も仕方なしにここの近代館だったかな?で 「おろしがね付きの陶器製のお椀 」を買ってお付きあいした。 「もろこしや 」さん横の稲庭うどん屋で昼食、ここの一口こんにゃくが美味かった、何処かでこれを買って帰ろうと思っていたが忘れてしまった。 ※ R−398を通って子安峡へ 本降りになった角館を後に、工藤車は秋田自動車道から乗り継いでひと時お金の要らない高速道のような道(後から地図で見たら湯沢横手道路だった)を終点まで、左に折れると後はR-398で一路子安峡へ。 ※ それにしても車の中はやかましい おやじギャグあり駄じゃれあり、思わず工藤さんが運転を誤りそうになる程実に色んな言葉が飛び交う。 あーあ!オレもこんな話が通じる年になったのか!?とガックリしながら聞いていた(うそ嘘)が・・・。 特に女性軍が喧しい、昨日八幡平での事、楚々と咲き初めしミズバショウを愛でながら、この位が一番可愛いわね!と云い、天狗の羽うちわみたいに大きく育ってしまったのを見て、こんなになったらアカンワ!と、さも憎憎しげに云っていた人達の、どの口からこんな言葉が出てくるのかいな!?と思うと可笑しかった、お気をつけアソバセ!。 ※ 雨の子安峡 長いながーい階段を下りると子安峡谷、湯気を上げながら降っている滝があるかと思うと、岩の裂け目からブンブン噴出する水蒸気は正に地球の息吹を感じさせ、俺達は火山列島に乗っかっているんだなーと思う。 奥の方を見ると結構大きな滝が二本ばかり流れ落ちている。 こんな奇観を見たのは良いが降りたものは上がらねばならない、二百何十段かの階段には参った。 ※ そして1100mの栗駒山荘へ 道は良く整備されているが、「この辺から先は冬には閉鎖される」、という辺りから車はぐんぐん高度を上げて行く。 晴れていれば鳥海山が見えるのだが、というような話を聞きながらほぼ登り切った道の終点が目指す栗駒山荘であった。 ロビーは日帰り入浴客で混雑していたが、この理由は後で判った。 この山荘の造りは素晴らしい、どっしりした木組の建物、木のフロア−や翼を張り出した数少ないという宿泊棟は心休まる雰囲気をもっている。 私達の部屋は当初“ウラジロヨウラク”の306号であったが、何故か岡部さんに換えてもらって“がんこうらん”の307号に入った。 ![]() ※ 驚きの露天風呂 いつかある日「もう一度訪れてみたい温泉の一番目は!?」と訪ねられたら、即座に『栗駒山荘の露天風呂』と答えるに違いない。 視野に沿って15mばかりあるかと思われる木製の浴槽も、程良い湯加減の濁り湯も勿論素晴らしいけれど本命はロケーションの良さだ。 全く眼をさえぎるものが無い、標高1100mからの180度の眺望は、思わず『うわッ!!』と感嘆詞が口をついて出る素晴らしさだ。 眼下に湿原を見、所々に残雪をとどめた山々を眺めながら、ぽつぽつ落ちてくる雨の滴も厭わずに、未だ充分に明るさの残る早い夕方の露天風呂を楽しんだ。 晴れていれば正面に鳥海山が眺められる、この露天風呂は眺めるのに打ってつけの場所だとの事だったが、この時は生憎の雨と霧で遠くは何も見えなかった。 ※ 何たる幸運か、月が! 「会席 」というのか 「会席風 」というのかよく知らないけれどなかなか粋な料理と、男性軍は今夜は熱燗女性軍はワインで賑やかに夕食をいただいた。夕食というよりは“宴会”だ。温泉というものの定義、 「風呂 」も結構だけれどやはり私には 「風呂 」は必要条件であって絶対条件ではない、 「風呂 」プラス 「飲みくい 」イコール 「温泉 」ナノダ。 工藤部屋に集まってふと外を見れば、夕方までの雨もすっかり上がり中天には上弦の月がかかっているではないか、ラッキー。 二次会が又スサマジかった、岡部夫人の“名演技の身の上話”いや“ホンね”かも!?に笑い転げていたが、あまりの騒々しさに隣の部屋から苦情が来るという一幕もあった。 ※ 星空の露天風呂に幻惑されて 降って良し、晴れて又よしという気分で露天風呂に行ってみて驚いた、部屋からでは月明かりだと思っていた空は満天の星空ではないか!。 星空を眺め心地よい風を頬に感じながら湯舟に浸かっている内に、この気分を表現したくなって書き留めた。 星空 幸一 四時間前には/考えもつかなかった 天空に/ベタッ ベタッと/貼り付けたように 素晴らしい星空だ。 宴会が終わったばかりの頃 中天に/唯一の光源として/輝いていた上弦の月も わずか二時間ほどの間に/はるか鳥海山の向こうに 追いやられて/今はもう/見えない。 今は/おれ達の天下だ! 天空の星達は/大きくキラキラ輝くヤツも/ 脇役こそ/持って生まれた運命なのですと/ 遠慮がちな光を/出しているヤツも/ 等しく一定の主張をしている。 そんな中に/割って入るヤツも居る 二足歩行をはじめて以来/願い続けて来た/ 人類の/最大にして最高の発明品/だと僕は思うのだが 新鋭のジェット飛行機だ チカッ チカッ/と光を放ちながら 一面に散らばる/星達を/掻き分けて 西の方へ/去って行く。 だけど/おれ達は主役だ 何事もなかったかのように/輝きを主張する かつて宮沢賢治も/あの星をながめて 地球との架け橋を/かけたいと/思ったのだろうか。 そんな事を想いながら/夢とも/現ともわからない気持ちで 少し酔った体を半身/湯に浸しながら 汗を流している/ ここは/標高千百メートルの 栗駒山荘の/星空の露天風呂だ 風が強くなってきた お湯で/ほてった身体に/心地よい。 秋田県 栗駒山の中腹“栗駒山荘”307号室“がんこうらん”の間にて 2004,6,20 21:30頃 。 6月21日(月) 4日目 ―― 栗駒山で迎えたすばらしい朝 ―― ピッカぴかに晴れているゥ、ワーッ!鳥海山や!鳥海山が見えてるッ!!。 さすがの明子さんも今朝は早いお目覚めだ。 昨日からあれ程ワーワー言っていながら、どうにもならなかったものが今朝はクッキリと雪を纏った優美な姿を見せてくれた。 ![]() この眺望を意識して配置されていると思われる部屋の窓は、大きなはめ込みの一枚ガラスになっていて近く遠くの山並みの向こう正面に鳥海山を配した姿は、これそのものが額縁か画面になっているのだ。 明子さんは早速スケッチに余念がない、何処へ旅に行ってもスケッチするのが通例になっているが、今回は日中は動き詰めだから部屋に入ってから書いていて、水彩をほどこしたりして既に何枚か書いたようだ。 私も、ここは一番露天風呂から眺めようと思って朝風呂に行ってみたが、案にたがわず,月並みだが正に“絶景”を眺めて得心した。 ※ 湿原ハイキングはミルキーブルーの昭和湖まで ハイキングに出掛ける前、ほんの少しの時間源泉まで散歩した、谷川を流れるのは温泉なのだ。 どの湧き出し口も触ってみるとアチチ!だ、見ると「源泉」として石で囲った所には51度と書いてあったから熱いのは当然だ。 じゃんじゃん湧き出してくるのだから豊富な源泉だ。 何度も云うようだが、東北地方は本当に温泉が多い、しかも私達の身近な所のように1500m掘って温泉が出た・・とかではなくて、メッタやたらそこら辺から湧き出ているのだから凄い。 山の天気は変化が激しい、つい今しがたまでピカピカに晴れていたのに、工藤さんが山荘のすぐ上の駐車場に車を止めた頃には山の上の方からガスがかかって天気は「?」という感じになって来たが、降ることもなかろう。 この辺りは一面に「ウラジロヨウラク」が可憐に咲いている、一見更紗ドウダンと見間違えそうだが、字の如く葉裏が白くつつじ葉なのと釣鐘状の花はドウダンのようにあっぱっぱで無くて、先の方が絞られているのが特徴だ。 湿原には「チングルマ」も「ワタスゲ」も「コケモモ」も色々な花ばなが咲いていたが、今日の本命は何といっても「タテヤマリンドウ」だろう、不等辺逆三角形の花は白くも見えるし薄むらさきにもみえて可憐だ。 地獄谷を過ぎてやや急な斜面を登り切った所が、昭和になってからの噴火で出来たといはれる昭和湖だった。 辺りは濃い霧で何も見えないが湖水の色はミルキーブルーに見えた、晴れていれば景色も素晴らしいのだろうし、湖水も違った色に映るのだろうと思う。 ※※ “さくらんぼ”が気になって 帰りは、やはりR−398の標識ながら昨日とは違う道を一気に駆け下った。 あまり快調に右に左にと“いろは坂”を駆け下ったせいか岡部夫人が少し気分が悪くなるという場面もあったが、気持ちよさそうなブナ林を抜け、工藤家の木の芽摘みの根城の話なんかを聞きながら平坦な道に下りたころには岡部夫人の気分もすっかり良くなったようだった。 それにしてもこんな辺りまで工藤さんたちの生活圏なんだ、そう云えば裏街道というのか抜け道いうのかをよく知っている、私達の所とは随分と時間距離が違う感じだ。 急いでいるのにはワケがあったのです。 今回のスケジュールを立ててもらった時から「矢本町の果物屋?八百屋?で “さくらんぼ”を買う時間 」というのが入っていた。 工藤健二さんは、この時間と私達が今日乗る予定のANAのチェックイン時間を勘案しながら車を進めてくれていたのだが、何せ女性の買い物時間というのは予測し難い上に、間の悪いことに台風6号が今日近畿地方に上陸するかも知れない、場合によっては今日のANAは飛ばない可能性もある。 こんな二つの不確定要素を抱えてしまったから、早め早めと手を打つのが正解と考えて急いでいたのです。 ※ 買い物は元気の源泉 予め工藤夫人の指図で仕入れておいてくれた“佐藤錦”10箱はたちまち行き先が決まったようだが、これから先が容易に進まない。 女性軍は生きイキ、男性軍はただウロウロという図でありました。 ※ 工藤家を訪問 元々はその予定は無かったのだが、懸命に走ってくれたドライバーさんのお陰で少し時間の余裕が出来たので、電話でANAの様子を確かめがてら工藤家を訪問して一層お世話を掛けてしまったが、垣間見た工藤家特に離れの書斎は学術的と言おうか文化的と言おうかそんな雰囲気が漂っていた。 ※※ 旅の終わりに 私達は只ただ楽しく遊ばせてもらった四日間だったから疲れは残していないが、工藤さんご夫妻には恐らく800km余りにもなったであろう距離を運転していただきナビゲーションしていただいてお疲れだったろうに、態々空港まで送っていただいた。 今回の“みちのくの旅”の何から何までお世話していただいたお礼を云いながら、11月の“鳥取かに旅行”へのご参加を約してお別れした。 定刻どうり17:50に仙台空港を離陸したANA738便は、台風一過で何事もなかったような穏やかな大阪空港に着陸し、手には沢山のお土産と、胸には大きな満足をつめこんで四日ぶりの光風台の我が家に帰り着いた。 私は東北地方を見誤っていたようだ。 かれこれ20年ばかり前になると思うが、現役時代に仕事で二度東北を訪れている。 一度は、空港から仙台市内の「ケヤキ」の通りに面したホテルに直行して会議、夕方に山形は月山の麓に移動して瀬音が聞こえる宿で“皮つきの根曲がりたけ”を戴き(実は“腰まがりたけ”というのだとばかり思っていた)、翌日は蔵王の麓あたりでゴルフをして東京まで帰った。 もう一度はその後しばらくしてからだと記憶するが、青森市内のホテルに二泊して、市内から車で一時間半ほどの八甲田山系のダムの導水路工事現場を訪問した。 この時の記憶は、まるで韓国語でケンカしているのかな!?と思わせる津軽弁と酒の肴にはじめて食った“ほや”の味だ。 だけど青森空港は霧で飛行機は飛べない、なら三沢へ出るしかない、電車なんかでは東京まででも気が遠くなるほど時間がかかる、やはり最果ての地だなという感が強かった。 いずれにしても、東北地方のイメージは、山また山に囲まれた閉じ込められた、やや暗い感じだった。 しかしながら、今度の旅で私の東北地方に対するイメージは一新した。 米どころと言うだけあって平野部は広いし海だって近い、交通の便だって今や決して悪くは無い。 なる程山は深いようだが、あっけらかんと遊べる山も多い、何よりも至る所に温泉が沸いて生きている地球を感じさせてくれる。 今だからそう気付いたのだろうが、人も車も少ないのが尚良い。 工藤さん達は結構退屈しない楽しいところに住んでいるんだ。 この紀行はこれで終わりにしたいと思うが、工藤さんご夫妻には何から何までお世話をいただき有り難う御座いました、改めてお礼申し上げます。 2004、6、27 幸一記。 |
![]() [メニューへ] |