●タニコメ旅日記●
晩秋のみちのく4人旅行2006(10月23日〜26日)


      ――蔵王遊び尽くしの旅――
 工藤さんご夫妻に遊んでもらう東北地方の旅に、私が加えてもらってからでも今年で三回目を数える。  今回は、やんごとない事情のため昨年までと違って岡部夫妻が抜けたため、工藤さんご夫妻と、お世話になる私達夫婦の四人だけになってしまって一寸淋しいが、今回は蔵王温泉に三泊という、ドッカと腰を据えてのノンビリした『蔵王遊び尽くし』の山巡りの旅だ。  幸運に恵まれれば紅葉も見られるだろうし、それが無ければ無いで、山歩きをし、温泉に浸かりの楽しい旅になりそうな予感がある。
 何よりも、気の合う人達との四日間を目一杯楽しみたいと願って出掛けた旅であった。  今回の山旅を総括すれば、結果的には、登りたい山も登り、「お釜」も見られ、紅葉も見事であったし、旨いお酒も戴き、東北ならではの大露天風呂もゆっくりと味わったのだから大成功だったのだ。  然しながら、全てが思い通りに進んだ訳ではない。
 その前10日間も好天続きであったという天気が一転して連日の雨になったり、強烈な風雨と濃いガスで私達の山行を邪魔してくれたり、この頑固なガスが“お釜”を隠してしまったりで、結局三日間もトライし続けてようやく目的が達しられたのであった。  更にオマケがついて、停滞していた前線を、北から下りて来た寒気団が刺激して、こんな早い季節ながら頂上付近に今年初の積雪をもたらしたのは“想定外”の出来事であった。  しかしこの積雪も、明子さんにしてみれば初めての冬山登山の気分なんかをチョッピリ味わえたのだから結果オーライというものだろう。 何よりも愉快なメンバーとの楽しい時間を四日間も過ごす事ができたのだから文句のつけようが無いのであります。

 § 10月23日(月) 一日目  ――いきなり「お釜」を見に ――

 大阪地方は雨予報であった。  確かに、昨夜遅くにトイレに行った時にはパラパラ降り出していたが、幸い朝には雨は止んでいた。  6:19分の電車に乗る予定であったが、最近は大抵一本ぐらいは早い便に間に合うようになったのもトシのせいだろうか。  こんな早い時間の電車にも結構多くのサラリーマン風の人々が乗っていて、今や大分遠くなったが、一瞬昔を思い出したりした。  お勤めご苦労さんです。
思ったより時間が掛かったが、7:10ごろに伊丹空港に着いた。  予想外だったのは、モノレールの便数がAM6時台では一時間に5本しか無いことだった、10分近く待って7:02に乗った。  明子さんがネットでとっていたANA―731便、8:05発仙台空港行きは、やはりフロア―のお嬢さんにガイドしてもらったが、自動出札機で至って簡単にチェックイン完了。
 僅か一時間のフライトで、9:10仙台空港着陸、気分的にも最近は仙台も近くなったように思う。  早々に工藤さんご夫妻にお出迎え戴いて恐縮した。  工藤車は直ちに出発、小雨けぶる中一路蔵王を目指してR−25に路をとった(私はそう思っていたが、後で地図で見たらR−457のような気もする)。  昨日まであれだけ好天続きであったのに、誰や!雨を連れて来たのは!。  工藤さんのクヤシがること!!。
 「村田」とか「白石」とかの標識が出てくるが地理不案内な私には今何処をドッチ向いて走っているのやら判らない。  ここは未だ蔵王の山ではありません、という工藤さんの解説を聞きながら一寸した山を越え、再び平地に降りて暫く走ったところで、“ちょっと意外な処へご案内しましょう”と工藤さん。

  * ― 万風窯(まんぷーがま) ―
 土砂降りになってきた中で立ち寄ったところは『万風窯』という窯場であった。  好き者の工藤さんは常連さんの様子であったが、ここでも相当いろいろと手に入れているのであろう。  明子さんは、思い掛けないご配慮に大喜び。  早速何かしらを買った様子であった。  12mだか18mだかの『穴窯』と書いてあったが、私にはどんな窯なのかは判らなかった、多分トンネル窯だろう。  作品の販売だけではなくて、陶芸教室やら出張教室など結構手広くやっているようだったが、この作家は「鶴首」が好きなようでミューっと伸ばした作品が数多く展示されていた。
* ― たまご舎(たまごや)で昼食―
 万風窯からほんの一寸戻ったところ、「たまご舎」で昼食。  入ってみて感じたのは「工藤さんのセンスとはちょっと違うな!」という事だったが、若者向きというのか、或いは女性向きというような雰囲気の店であった。  一瞬、へーヱ、変わった店を知っているんやなあー。  なーんて思ったりもしたのだけれど、トイレに掛かっていたイラストを見てようやく見当がついた。  『全国たまごかけご飯サミットで最優秀に選ばれた、たまご掛けご飯の店』と書いてあった。  私達は『親子どんぶり』を美味しく戴いた。  冨美子さんは『オムライス』、表面のフワフワ、トロトロの卵焼きが格別に美味しそうだった。

** ―― いよいよ蔵王の懐に ――  
腹ごしらえも出来て出発したら間もなく大鳥居をくぐり、路はいよいよ蔵王の懐に入ったようで登りの山道になってきた。  ようやく色づきはじめた黄葉や紅葉を道の両側に見ながらの登りなのだが、次第に「ガス」が出てきて、車のまわりホンの少しだけしか視界が利かない。  26日の帰りに、よく見通せる中でここまで降ってきた時には、移動する方向が逆だとは云え、“あれ?!、こんなところを通って登ったのか!”といった感じで、まるで初めての道を通ったような思いをしたものだ。

* ―― 三階滝も不動滝も五里霧中 ――
 こんなガスの中だが、車は一寸脇道にそれて止まった。  手始めに辿り付いたスポットらしいところは滝だ ― という事だった―。  確かに「三階滝」と右の方には「不動滝」という標識があるのだから、滝を見るスポットに立っているのは間違いないのだが、全てがミルク色の霧の中だ。  『アノ辺りを三階滝が落ちているんだ』と工藤さん。  『ほーホー!』と私達。  なーんにも見えません!。  
 再び本道に戻り、登り道を辿りはじめたが、まるで“掻き分けて走るような濃い霧の中”を登って行ったのでした。  高度を上げるに従って、周りの紅葉は次第に色を濃くしてきたようだが、それでも時期的には未だしの様子だ。  何せガスが濃くて、見えるのはほんの車の周りだけだから全体像は全く判らなかった。

* ―― 吹きまくられながら“お釜”を見に ――
 高木の樹林帯が途切れ、疎らな潅木や草原地帯まで登ると間もなく山頂刈田岳の駐車場だ。  小雨混じりの濃い霧だったから、一旦は諦めかけた“お釜”見物だったが、試しにと見に行ったのだけれど、案の定何も見えなかった。  横殴りの雨と、吹き飛ばされそうな強風の中を、“お釜”を覗きこむ台地の辺りまで行ってみたのだが、予想どうりガスが濃く何も見えなかった。  風雨の激しさに追い返されるようにしてレストハウスに戻った、これではどうにもならないワ!、降りて温泉にでも入ろう!と工藤さん。  
 とにかくちょっと一休みと、売店に立ち寄った工藤さんの“タマゴ、タマゴ・・!”と云うようなコトバを聞き、横目にみながら私はトイレへ。  何か変わった『タマゴ』でもあるのかな「!?」と思いながらトイレから帰るや否や冨美子さんから手渡されたものは何と「!」、クシ団子状のコンニャクではないか「!」。  私は聞き違えていたのだった。  工藤さんが言っていたのは“タマゴ、タマゴ・・!”ではなくて、“タマコンニャク”だったのデス。  これにはビックリしたが、醤油味に煮た玉コンニャクに和カラシを着けたのは実に旨かった!。

* ―― 宮城蔵王と山形蔵王とは別の山 ――
 玉コンニャクで冷えた身体が温まったところで、“お釜”は明日にでも天気が回復してから見に来ようと、多少の未練は残しながらもこの時は、まだ先は永いのだから明日でも明後日でも何時でも見られると気楽に考えていた。  この頃はまだ、“お釜”を見るのに後日こんなに苦労するとは思いもしなかった。  一口に「蔵王の天候」と言っても、宮城県側と山形県側とでは、これが同じ蔵王の山かと思われるほど大きく違うことが多いので、首記のように天候については「別の山」と言われるのだそうだ。  
 県境の刈田岳(かった)の駐車場から蔵王ラインを山形県側に下りはじめると、登ってきた宮城県側の雨とガスが、『それは、もう終わり』とでも言うように雨は殆ど止み時々青空さえ覗きはじめた。  乾きはじめた舗装に敷き詰められたような、金色の「から松」の落ち葉を踏みしめるようにして工藤車は、心も軽く標高900mの蔵王温泉まで一気に降ってきたのでありました。

** ―― 蔵王温泉 ――  
積雪期には、奇怪な姿の樹氷で有名な大スキーリゾートだ。  標高900mのこの温泉郷を基地にしてロープウエイやリフトも何本もあるようだし、日中刈田岳駐車場から降りてくる途中にも何本かのリフト乗り場が見られた。  ここから上1700m近くまで、幾つか知らないが沢山のゲレンデがあるようだからスケールの大きなスキー場だ。  スキーで疲れた身体を休めるのには打ってつけの大温泉郷は、シーズンには若者達でさぞや賑わうのだろうという雰囲気のリゾートホテルなどが立ち並んでいた、冬場の湯煙たちのぼる、雪化粧した華やかな温泉郷の姿が容易に想像できる。  しかしシーズンオフの今はこの温泉郷も、紅葉を求めて山を訪れた人々の姿がチラホラ認められるばかりで、ひっそりしていた。  日中に見た、“お釜”を見にやってくる観光バスの多くの客は何処へ行ったのだろう、どうもこの界隈には泊まらないようだ。

* ―― 谷川全部が温泉の蔵王温泉の大露天風呂 ――
 京都で云えば貴船の川床のように、谷川に張り出した湯屋で裸になると、下は正に谷川全部が温泉なのだ!。  まさか、滝のような急流で温泉気分を味わう訳にも行かないから、谷間の千枚田よろしく石造りの二段の湯船が設えられていた。  上の段はやや熱く、下の段は入り頃。
 目を上げれば、チラホラと色づき始めた紅葉に包まれた谷間の露天で長いこと汗を流した。  それにしても、この湯量の多さはどうだ!。  谷川を急流となって流れ下ったら、流れ流れて「唯の水」になるのだろうが、なんとなく勿体無いような感じだ。  関西に住む私達の身の周りには無い情景だ。
 噴出口に元栓でもつけて流量を調節すれば良さそうな気もするが、そんなアホな事をせんでも、ずっとずーっと昔から変わりなく噴出していたのだし、これからも変わらず沸いてくるんやろあー!。  とにかく、東北地方の温泉の湯量の多さには驚かされる。  これは、【昔むかしの大昔『地の神さん』が日本列島を造った時、南北に長く造り過ぎたため、冬が永く寒さが厳しいこの地方にも西の地方と公平に温もりを与えようとして、地から熱い湯を出すようにしたからなのだ。
 この、神代の時代には太陽の配分や風のぬくもりなど気象については『天の神さん』の支配下にあって誰にも手出し口出しが出来なかったのです】。  だとサ!。  こういうのを「真っ赤なウソと言うのです」。

* ―― 蔵王温泉「こまくさ荘」にて ――
 大露天風呂でたっぷり汗を流した後は、ちょっと早いが今日から三日間お世話になる「こまくさ荘」にチェックインした。  この頃には、一時は青空さえ見えた天気も早や小雨に変わっていた。  天気の基調は“雨”なのだ。
   こうなりゃゆっくり休むしかないか、という事で部屋へ入ったらガンガン暖房が入っていた、ちょっとびっくりしたが900mの山の中だから早や結構寒いのだろう。  私にとって「温泉」とは、“結構な風呂+飲み食いだ”とは前から云っていることだが、やがて夕食の時間になった。  四人だけではちょっと淋しすぎるか、というような大きな部屋に通されて、サテ飲み物は、先ずビールからでしょうという事で「生ビール」で乾杯。  お酒は、私今夜は『熱燗』の気分であったので、工藤さんも付き合っていただいた。  昨年の青森と違ってここ山形には辛口の酒もあった。 『辛口度 +7』の“杉勇(すぎいさみ)”だったか?、正確な銘柄名は忘れたが美味しく戴きながらの食事は、好き勝手な事を言う放談会となって楽しく時を過ごした。
今夜の献立は、思い出すままにメモしておくと次のようであったが、最近どこの旅館でもある、食べきれない程の量ではなく、丁度良い按配に献立されていたのは有り難かった。 まぐろ/サーモンのさしみ。 ホタテのかざり蒸し/いちじくの甘煮。 いか/おくら/納豆の和え物。 カレイの煮付け。 米沢牛?/タマネギ/ピーマン/厚揚げの陶板焼き。 いも煮。
すっかりイイ気分になって部屋へ引き揚げたが・・・。 外は雨。 明日の予報も雨。 せっかく山へ来たのだから、そんなツレナイ事言うなよ!何とか天気にしてくれー!。 曇っても良い、降らないだけで良い、お願い!。 こんな事を祈りながら夜は更けていった。 只今21:00。 外は相変わらず雨だけれど、山形の山の稜線はくっきり見えている。

§ 10月24日(火) 第二日目  ―― 暴風雨 ――
   昨夜の小雨から、夜中にはかなりの大降りになった雨音を夢うつつに聞いていた。  夜が明けてみれば、こりゃ又ドエライ大雨。  おまけに強い風で、窓から見える樹木の、葉の裏返す様は“暴風雨”という感じだ。  昨日から出ている予報では、やむお得ない。  ここまでは良い、というより仕方がない。
覚悟はできているが、明日25日も東北地方は「強い雨」と、7:00Amのニュースは伝えている。  オイオイ エエ加減にしてくれよ!。  つい最近までの好天気続きとは余りにも違い過ぎるではないか!?。  何でこんな事になるの?。  誰が、こんなイヤミな仕打ちをしようと決めたのだ!?。  トンデモナイ ヤツだ!!。  オネガイ!!。  低気圧と、北から下りて来る寒気団を早目に通過させてくれ!。  せめて明日25日からは天気を回復させてくれーっ!。

* ―― こんな大勢の泊り客がいたとは知らなかった ――
 「こまくさ荘」の朝。  朝食は、ここもご多分に漏れず大食堂でのバイキング形式であった。  素朴な味ながら、地方色を織り交ぜた沢山の献立を、美味しく充分に戴いた。  
 昨夜は早くチェックインしたし、別室での食事であったから判らなかったが、食堂に集まった大人数の泊り客には驚いた。  流石紅葉のシーズンというべきか。  それとも何かの『会』でもあったのだろうか。
そんな事を考えながらチラチラ見てみると、どの顔も等しく私達より幾分年配と思しき人達ばかりであり、ここにも今日の日本の縮図みたいなものがあるような気がした、尤も逆に向こう側から見れば、私達もそのように見えるのだろうが・・・。 こんなように見えたのは私だけのヒガ目か!?。
雨は一層激しさを増す。 何せこの地方には今日は“暴風雨警報”が出ているのだから。 この様子では、今日は下手に出歩かないのが良策でしょう。
* ―― コーヒーの『あて』――  工藤さんはコーヒーの『あて』というのか『ツマミ』というのか、どちらが正しいのか判らないが、その『それ』に味付け海苔が合うのだという。  “これが又ウマインダヨナー”  名古屋育ちでもあるまいに、コーヒーに『あて』が要るなんてな話は他所ではあまり聞かないが・・・。  奨められるままに私も「バリッっ」、「ゴクン」。  どうですか!?、イイでしょう?。  「ウ、ウ、ウン」と、何とも名状し難い反応を返したのでアリマシタ。
* ―― 工藤語録 ――
 “これがイインダヨナー”。  “これが又ウマインダヨナー”。  工藤さんにおいては、この「・・・イインダヨナー」という表現と、「感に堪えないような顔」には一再ならず接している。  一昨年だった、角館は「青柳家」にて。  一合瓶が二本入っている帆布製の袋を買った時、無茶苦茶ウレシそうな顔をして“この袋がイインダヨナー”。  アレッっ?、その後にも同じような場面が、山陰地方の何処かの店でもあったなアー。  他にもあった、あった!。  昨日の事だ、蔵王の“お釜”下の休憩所にて『この玉コンニャクが又ウマインダヨナー』と感に堪えないようなカオ。
   そして今朝は、『コーヒーのアテに味付け焼き海苔』でした。  『このパリッとした感覚と甘味がコーヒーに合うんダヨナー』。  こういう具合に納得顔で「バリッっ」、コーヒーをお代わりという按配でありまして、この時のカオが又「実にイイ顔なのであります」。  
 そんな他愛も無い話をしながら、流石にこの酷い天気では動くに動けず、とにかく一寸様子を見ることにして、十時頃までゆっくりしようという事で夫々の部屋に引き取ったのだけれど・・・・。

** ―― 山寺(立石寺)へ向けて急遽出発 ――  
 天気回復だから出発だって「!」。  どれだけ時間が経っただろう?、幾らも過ぎてはいない時間だったと思うが、早くも『集合指令』だ。  空の何処かに、雲の切れ間が見えたのだそうだ。  かくて、「こまくさ荘」を出発したのは9時を少しすぎた頃だったろうか。    雨は依然として降り続きガスも相変わらずだが、風が幾分収まった分だけ、回復基調と言われれば、そうかな!と思う程度の天気の変化ではあった。
 立石寺、通称の『山寺』の方が通りが良いらしいが、俳聖松尾芭蕉が「閑けさや岩にしみいる蝉のこえ」と読んだ寺ということで有名なんだそうだ。  又、1015段の石段を登る寺としても有名なんだそうだが、こんな辺りが私の予備知識であった。  そういう事で、今度の旅行のスケジュールには必ず入るだろうとは聞いていたし、昨夜来の会話の中でも「ちょっとした雨だけなら行ける」という話を聞いていた。  「今日は一日雨」という予報だったから、私達はレインウエア上下に山靴で完全武装しての出発となった。
   蔵王の山を下ってこちら側にもある大鳥居を抜け、山形市域に入るとガスは去り見通しは良くなった。  車は山形市を抜け天童方面に向かって、降り続く雨の中を走り続けた。 天童という標識を見て、随分以前に山形空港へ向かう車で天童を通った事や、大きなビニルハウスでサクランボを作っている風景などを薄らいだ記憶の中で思い出していた。 親切な工藤さんは、一番近くまで行ってくれたが『山寺』の駐車場に着いた頃もかなり激しい雨であった。

   * ―― 幽玄の世界があった ――
 当初登らない腹積りであった工藤さんも、結局私達に同行してくれる事になりレインウエアのフル装備に。  天気は、風が無くなったから傘がさせるという状況だった。  
 雨に濡れた山寺の景観もなかなか見応えがあったが、石段を登って高度が上がるに連れて変わる、周辺の今日の景色は、何度もここを訪れている工藤さん達にとっても初めて遭遇するものであったようだ。  極めつけは、ほぼ頂上に近い「五大閣」から見る向こうの山の幻想的な景観であった。  霧に隠れて何も見えない中に、突如ピークだけが姿を現す右手の山並み。  うす墨を流したように、たなびく霧に見え隠れする正面や左手の山々の雰囲気は正に幽玄の世界であった。  この景観は工藤さんをすっかり魅了したようで『オレは初めはサボル積りだったけど、登って来て良かったよ、こんな素晴らしい景観には初めて出合った!』と、感慨も一入であった。
深いガスの中で幻想的になった山をバックに 山寺(立石寺) 五大閣にて 工藤夫妻と


初めて訪れた私にしても、想像していた『お寺』の雰囲気は極めて希薄で、むしろ『山』の雰囲気が濃かったのが印象的で、すっかり気分が良くなり、へーッ、こんなお寺もあるんや!と、考えを新たにしたのでアリマシタ。
 そんな気分の中で、何度も何度も聞いたのが、「〇×Δ・・・」と云う中国語らしい言葉であった。  恐らく台湾あたりからの観光客だろうと思うが、何処に行っても耳にするイントネーションだ。  昨年五月だった、雪の立山で、金沢兼六園で、へえー!こんな所にまで観光にくるんだ!と思った言葉が、今又この山形の「山寺」でも聞かれたのだ。  日本からの海外旅行でも、ハワイだパリだという嘗ての一般的な観光や買い物ツアーから、今や中国奥地やヒマラヤ、更にはアフリカ大陸へと分け入る「マニアックな海外旅行」へと移行しつつあるように、海外から日本への観光客も嘗てのような京都や鎌倉観光といった一般的なルートから外れて、今まであまり足を踏み入れていない先へ行くのが流行の先端なのかな、とも思う。  お互い行く方、来る方、海外旅行も夫々の思いが変化、流動しているのを認識させられる場面であった。
 ゆっくりと降ってきた後は、茶店で“玉コンニャク”に舌つづみを打った。  雨は時々の強弱はあるものの、間断なく降り続いている。

** ―― こんにゃく料理にビックリ ――
  工藤さんご夫妻が苦労して探し当ててくれたコンニャク料理の店『コンニャク番所』というのは、(株)丹野コンニャクの『こんにゃく茶屋』であった。   まあー、とにかく“見事”と云うか、“ヘーヱヱ”と云うか・・・。  最近たまに聞くABCのラジオ放送に『ホヘナル大辞典』というコーナーがある。  「ほー」、「へー」、「なるほど」というような意味だ。  この「こんにゃく料理」は、このホヘナルを地で行くものであった。  随分沢山の種類の料理が出てきたが、全て素材は「蒟蒻」。  仲居さんが一つ一つ、“コンニャクを乾燥してどうの、こうの”と解説してくれる。  『まめ』を一つつまんで、“ホ−”。  『ほたて』を食って“ヘーヱ”。
 “このニシンそばは、2割はそば粉を使い、残りはコンニャクで出来ています”。  流石にニシンは本物であったが、ソバを食ってみれば“ナルホド”。  工藤さんは『コンニャクの狸御殿だナ!』と叫んでいたが、確かにそうだった。  見事に「化かして」いた。
 冨美子さんが、支払いを済ませた後、「おまけ」でもらった玉コンニャクを食べていた時であった。  一昨年、角館で「青柳家」の向かい側の店で昼食を戴いた時の事を思い出した。  この店で食った一口大のコンニャクが大変美味しかった。  帰りに買ってかえろうか、なんて思っている内に忘れてしまったが、この時は、「この店の一口大のこんにゃく」が旨いのだと思っていた。  刈田岳の売店で食った「タマコンニャク」という一口コンニャクも旨かった。  「山寺」でも、そしてここ「こんにゃく茶屋」でも。  そうなんです、あの時旨いと思ったコンニャクは、単なる「この店の一口大のコンニャク」ではなかったのです。  『玉コンニャク』と、固有名詞で呼ばれる、この地方では有名なコンニャクだったのだという事に、この時はじめて気付いたのでした。
地元に近い工藤さんたちですら知らなかった、こんな変わった料理に満足した後は、斎藤茂吉の生家や記念館の在りかなどを確かめ、山形県物産展などに立ち寄ったりした。 さあー、次は温泉だあ!。

* ―― 驚きの川原湯(かわはら) ――
 大鳥居を抜けて、再び朝来た道を辿る帰り道であったが、こんな坂を降ったのかと思うほど急勾配の山形側からの蔵王への道であった。  相変わらず降り続く雨の中を、車はやがて蔵王温泉街まで戻って来た。  同じ蔵王温泉郷とは云っても、私達が泊まっている界隈の広々とした、ゆったりした佇まいと違って、ここは枝の多い細い道の、如何にも「温泉街」という雰囲気の街であった。
 こんな温泉街の、何でもない奥まった一画に目指す“川原湯”はあった。  丸太の骨組みに、パンパン!っと、板壁を貼り付けただけという感じの粗末な建物にこれ又板戸。  冨美子さんに200円払ってもらって飛び込んだ所は下駄箱と脱衣場だけだった。  さっさと入って行った工藤さんについて入った木の湯船の底も材木の「すのこ」であった。
 『この底から湯が湧いているんです!』。  そう言われてみれば、水面より上から入っているのは薄め用の水だけだ。  屋内の風呂というのは大抵導管かなんかがあって上から流れ込んでいるものだが、ここは違う、底から沸いてくるのだ。  湯船から常時溢れる湯は惜しげも無く何処かへ流れ去ってしまう。  私達以外には一人の客がいたが、これだけの湯が殆ど使われもせず片流れで流れ去ってしまう“贅沢”を目の当たりにすると、『源泉掛け流し』がどうの、こうのと騒いでいるテレビや新聞の話なんかはアホらしくなってくる。  ノンビリ、ゆったりする湯にドップリ浸かって何とも気持良いのだが、こんな殺風景な湯が何故こんなにユッタリと気持良いのだろう。  
 この風呂と云い、昨日入った谷川の露天風呂と云い、更に思い出せば昨年行った酸ヶ湯の大浴場と云い、何れも「洗い場」が無いのだ。  “大分汗も流れた、そろそろ洗うか”なんて次の事を考えなくても良いのだ。  ひたすら気持ちよくホケーっと湯に浸かっているだけで良いのだ。  そうなんだ!。
 次に何か「仕事をしなくてはイケナイ」という強迫感というのか義務感というのかが無いという事が、こんなに気持をのんびり、豊かにさせるんだ。 素晴らしい気分よい温泉であった。

* ―― 『もっきり』で気持ちよく酔った一夜 ――  負け惜しみではないが、雨の効用というものもある。  天気なら、まだ時間があるから、あそこへ行ってとか、あれも見ようとか気持がバタバタするものだが、この雨では時間があってもそんな気は起こらない、落ち着いたものだ。  一休みしていたら夕食の時間だ、温泉で汗を流したお陰か、別段大したことはしていなくても頃合がくればお酒も恋しくなるし、食い気も起こってくるのは有難いことだ。
   “先ずビール”というビールの中ジョッキから始まった夕食だった。  今夜は常温で戴く酒『もっきり』、辛口度+8を戴いた。  これって、お酒の銘柄だったかな?、この飲み方だったかな?。  グラスからたっぷり溢れさせたのを『升』で受けて、気持ちよく酔った一夜であった。  このお酒に気を取られて料理の献立はすっかり忘れてしまったのは迂闊だったが・・・。
 外は依然として雨。  エエ加減にしてくれ−、明日は天気にしてくれ−!。

§ 10月25日(水) 第三日目 ―― 刈田岳と熊野岳登頂後ロープウエーで下山の計画だったが・・ ――  
6時前起きた時には、雨は殆ど止んでいた。  朝風呂へ行ったついでに、一寸玄関から出てみたが、雨はほぼ完全に止んでいたのに・・・。  朝食の頃になると、又また降りだしたのには多少ガッカリした。  オイオイ、頼むぜ!。
   相変わらず霧雨は降っているが、天気の回復基調は間違いない。  勝手に決め込んだキライもあるが、9:30分、勇んで「こまくさ荘」を出発、バスターミナルへ急いだ。  工藤さんは今日は、バスで刈田岳駐車場まで行き、刈田岳(1758m)と熊野岳(1841m)に登った後稜線を歩いて地蔵岳を巻いてロープウエイで下山の計画を立ててくれた。
 バス停までの途中、コンビニで「にぎりめし」を夫々二個買い準備完了。  片道1250円也のバスは10:10、勇躍刈田山頂駅に向かってターミナルを出発した。  ゆっくりと登って行くバスの中では、依然霧雨は降り続いているものの、連日の冷え込みのせいか一段と色づきを増したように感じる紅葉や、カラマツの黄葉を楽しんだ。
 行程の中ほどでは、ガスの中の乳白色の世界にも時々陽が差し込んできたような、何となく明るくなる瞬間があって天気の回復に期待を抱かせたりもしたが、結局バスの大きな間歇ワイパーは、終着駅まで一度も止まることはなかった。  樹林帯を抜け頂上駅が近づく頃、道の両側にはチラチラと積雪が見られるようになって来て、景色は一昨日来た時とは明らかに違っていた。  それでも未だバスの中は暖かく、厳しい「山の気象」なんかを想像する者は誰もいなかった。  確かに、バスの中から見える景色では、頂上に近づくに従って次第にまわりの積雪量は増えているようには見えたが、風雨はさほど強いようには見えなかった。

* ―― 山の上は“冬”であった ――
 状況が一変したのはバスを降りたときであった。    横なぐりの雨風は予想外に強く、傘なんかはとても役に立ちそうも無い事を実感した時であった。  酷いガスで視界は効かないし、風雨は強いし、気温がグンと下がっている点を除けば一昨日と同じであった。  昨日、山は雪が降ったというニュースは入っていたし、山の下でも気温が下がっているのは昨日から実感していたから上はかなり冷え込んでいるだろうとは思っていたが・・・。  
 それでも今日は、刈田岳や熊野岳に登ると決めていたから、セーターも着込んだ冬支度にレインウエアの完全装備をしてきたから、全ては『想定の範囲内』ではあった。  一昨日のように、傘だけで“お釜”を覗きに行ってホウホウの態で逃げ帰ってきたのとは訳が違うのだ。
   当然、“お釜”が見えるような状況ではないが・・・。  工藤さんの話では、地元の警察も今日は熊野岳ヘ登るのは止めたほうが良い、との見解だという。

* ―― 雪の刈田岳 ――
 せめて刈田岳ぐらいは登ろう。  “お釜”の近くまで行って眺めてみれば、刈田岳は神社の屋根がガスの中にボーっと見えているではないか。  一昨日は吹降りの中で下ばかり見ていたから気がつかなかったが、頂上はこんな近くだったんだ!。  この頃には、横なぐりの風雨は『アラレ』混じりに変わっていた。  そんな『アラレ』とも『ミゾレ』ともつかない滴々を身体中に受けながらであったが、容易に『刈田岳1758m』の頂上に立った。  流石に山頂は積雪も多く、冬山の風情であった。  明子さんも、チョッピリではあるが初めての冬山の気分を味わったのでアリマシタ。  結局今日の「山」はこれまで。  この荒れようでは熊野岳は無理と判断してバスターミナルに引き返した。
はじめて冬山を体感した めい子サン。早くも積雪期になった蔵王「刈田岳」頂上にて


* ―― 天気は回復 ――
 再びバスで山を下り、14時前「こまくさ荘」に帰りついた時にはまだ、霧雨は降っていた。  所在なく部屋で一眠りした16時ごろ、向こうの山に光が射し、青空も見えてきた。  私達があれほど期待した山頂の天気も、この頃には回復したであろう。
 回復が約半日遅れたのは何とも悔しい限りだけれど、山の天気なんてえのは「神」が支配する世界だから、素直に従うのが賢明だろう。     こうして、何となく欲求不満な気分ながら「こまくさ荘」でゆっくりと温泉に浸かって時間を過ごした一日でありました。  差し当たり今夜も美味しい酒を戴こう。  なーんてな思いで着いた夕食の席であった。

* ―― 以心伝心 ――
 「以心伝心」というのか、「思えば叶う」というのか知らないが・・・。  明日のスケジュールについて、工藤さんご夫妻には、ドエラク苦心惨憺していただいたようだった。  『松島』には行ったことが無いというし、今日の様子を見ていると、登れなかった『熊野岳』が相当心残りであったような「かお」もしていたし・・・、と色々気をまわして戴いて、“さーて、それならどういうルートにするか!”と大分考えた挙句の事だったようだ。 さて、夕食の席に着いて、色々なメニューを提示していただいた次第だが・・・・。  
 私の答えは極めて単純“もう一度熊野岳にトライしたい”、それだけでした。  それは、始めからの私の気持であり、部屋で明子とも話していた事なんだけれど、なかなか切り出しにくかったのです。  松島は、確かに行った事はないんですが、それはそれでいいんです。
   所が、工藤さんたちが調べてくれた明日の天気は、他所は全てOKだが蔵王だけが“くもり”なんだそうだ。
* ―― やって見よう ――
 明日もトライしてダメなら仕方が無い。  天気には素直に従いましょう、何せ天気は「神のみが支配する領域」ですから。  
 そんな事で、今夜は昨夜にも増して「お酒」が美味しくて、多少量も増えて・・・・。  満ち足りた気分で眠りに落ちたのでアリマシタ。  明子さんは、明日の行動に合わせて着るものなんかを吟味しながらバタバタ過ごした夜でした。

§ 10月26日(木) 第四日目 ―― 三度目の正直 ――
 ** ―― 熊野岳を目指して -―
『晴れたあー!』。  『久しぶりの青空やあー、向かいの山に陽が当たって輝いているうー!』。    太陽の光を見たのは何日ぶりかな?、多分10月21日あたりではないか。  よっしゃ!!。  今日はイケルでー。  三度目の正直や!今日こそ熊野岳に登ろう。
 私にとって、熊野岳に特別の興味を持っている訳ではないのだけれど、とにかく山らしい山を歩いてみたかったのです。  昨日の刈田岳は、余りにも近すぎて運動にならなかったから・・・。
 そんな状況で、朝方は喜んで準備したものの、山の天気は変わりやすい。  9:30出発の頃には山はすっかり「ガス」に包まれていた。  救いは、昨日迄と違って雨が降っていない事だった。  
 曖昧な気持で工藤車は「こまくさ荘」を出発したが、登って行く山の途中迄は、下から眺めていたよりガスも浅く状態は良いように思われた。  しかしながら、山の天気はなかなか人間の思い通りにはなってくれないのだった。  駐車場が近づくにつれ、ガスは濃くなり風も出てきた。  そうは云うものの、昨日と比べれば雲泥の差で今日の状態は良いように見えた。  内心は必要ないかも?と思いつつ、“保険”のつもりでレインウエア上下を着け、風雨に対しては完全装備で、熊野岳に向かって“さあ出発!!”と、歩き出す迄、この完全装備が役に立つとは思っていなかった。
 ガスが深く、相変わらず視界が悪い中だった。 歩き始めて僅か数分も経たない間に、吹き付ける風は水滴混じり、たちまちメガネは見えなくなったのだった。  ウッソウ!、今日も又雨混じりやないか!、何という事だ!。  流石の工藤さんも、暫くは「防水のズボンだから」と頑張っていたが、堪らずレインウエアを取りに車に戻るという一幕もあった。
* ―― 進むか引き返すか その時 ――
 道標の杭を頼りに、何とか前進していたが、相変わらず視界は悪く、横なぐりの霧雨も降り続いていて、いよいよ進むか引き返すかの決断を迫られる場面になった頃だった。  下ってきた一人の登山者がいた。  登りはじめて間も無くの頃に引き返した一組の男女に出会って以来初めての男性であった。  工藤さんが、上の方の様子やルートなどを訪ね、冨美子さんの“頂上までどの位ありますか?”の問いに、『後20分ぐらいです、神社まで』の返事。  この一言で、即座に皆の腹は決まった。  行こう!!。
* ―― 明確な目標設定や目安が、達成の決め手――
 それならもう近いんや!、11時ごろには着くな!。  何と、ピッタリ11時に神社に達した、1841mの頂上の標柱は20〜30m向こうであった。  吹きさらしの頂上には雪はなかった。  明確な目標設定と目安が如何に大切かを身をもって学んだ一コマだった。
   頂上近くになって、「がれ場」の登りがやや急になってきた頃には霧雨は完全に止み、ほんの暫くだったがガスも浅くなって視界も大分良くなった。  こんな登りの途中、草つきすら無い全くのがれ場に、這いつくばるようにして生えていた低木があった。  冨美子さんに教えてもらった「シラタマの木」であったが、“云い得て妙”という感じの可憐な真っ白な球状の果実がこんな時期、寒風に吹かれて震えていたのが印象的であった。  
   頂上に佇んだ暫くの間、何となく陽の光も射しこんできたようにも感じたりしたが、それもほんの一瞬の事であり、すぐ又ミルク色のガスに包まれ、遠くを見通せるほどにスッキリとは晴れてはくれなかった。
   そうは云うものの、昨日は初雪を踏んで『刈田岳』に登れたし、今日は我が侭を云って『熊野岳』に登らせて貰ったしで、私はすっかり納得していたし、気分は充分満足であった。
濃いガスの中だったけれど・・・ やっと登れた! 蔵王「熊野岳」にて


 “お釜”を見なくちゃ!。  そういう工藤さんのご配慮は嬉しいが、このガンコなガスだから・・・。  よしんば“お釜”が見られなくても、何等不足のない気分であった。 * ―― 想えば叶う ――  「馬の背になったり」「だだっ広」かったり、変化に富んだ尾根を下りはじめてからは、特に工藤さんは一寸した明るさの変化にも気をつかって、一瞬でも“お釜”が見える場面があれば、決して見逃すまいという気迫で、私達をビューポイントの方へ誘導してくれていた。  欲深い明子さんも「一瞬でよいから“お釜”を見させてください」と、ついさっき熊野権現さんに、100円も賽銭をハリコンデお願いした、と言っていた。  勿論私も、100円の賽銭をあげてお願いはしたけれど、私のは借りた100円だから効き目があるとは思えなかった。   * ―― 見えたあー!! ――  それは唐突な出来事であった。  二人の男女が佇んでいたから、ビューポイントの近くではあったのだろうけれども・・・。  三日前も昨日も、そして今朝からも、あれほどガンコに湖を包んでいたガスが、この時に限って晴れるとは思えなかったのだが・・・。  思い掛けない事が目の前で起こったのだ!。    ちょっと先へ行っていた工藤さんが『見えたぞー!!』。  一瞬おいて私達も『見えたあー!!』。  ガスが切れたり、包んだりする、その合間の一瞬に「黄緑色」の湖面が現れる様は幻想的な場面であった。  
思い掛けなく 霧が晴れて エメラルドグリーンの“お釜が”!


 どうせなら刈田岳から見たら素晴らしいよ!。  工藤さんの言に私達二人だけは、昨日と違って今日はガスも「みぞれ」も無い刈田岳に再び登った。  状態はドンドン良くなり、いつの間にか、さっき迄の『うす絹』を纏った湖面ではなくなっていた。  “お釜”はついにすっかりベールを脱ぎ、湖面の色も青空に映えて“エメラルドグリーン”から“藍色”に変化する様をも見ることが出来た。  私達は、すっかり満足し切ってレストハウスに降って行った。
 降りの岩場で、冨美子さんが大石に躓いて転倒するハプニングもあったが、大事には至らなくて幸いであった。  二つの山を登った後も、“お釜を見せなくちゃ!”という工藤さんの執念が濃霧のベールを脱がせたのだろう。  やはり“想えば叶う”は本当なんだ!!。

** ―― やはり宮城蔵王は別の山 ――
   全ての目的を達して満足し切った四人を乗せた工藤車は、四日前登ってきた道を仙台に向かって下山しはじめた。    大きく視界が拡がった宮城蔵王は、頂上から暫くは最早樹木も葉を落としすっかり冬枯れていた。  四日前はガスで見通せなかったが、予想外の風景であった。  今朝方蔵王温泉を発って登ってきた山形側の、紅葉のピークはもうちょっと後かな?という風景とは随分違っているなと感じながら降って行った。  
* ―― 花の季節に訪れたい「こまくさ平」 ――  途中立ち寄った「こまくさ平」から見る、“お釜”の壁の裏側の山の風景は、枯れ木も寒ざむとした冬の山であった。  脚下を見れば、恐ろしく切れ込んだ断崖の底に谷川の流れが見えて奇怪な風景であった。  
 振り返って見る台地の上、擬木の柵に囲われたかなりの面積のがれ場は『コマクサ』の群生地なんだそうだ。  ここの標高はどれ位なんだろう、1500m前後だろうか?。  此処に一面に『コマクサ』が咲いたら、さぞや可愛い風景だろうな!。  しかし、今は冬枯れて、あの特徴ある草すら消えてしまっている。  “ここに!”と言われて指差されたところに、目をこらして見れば「もぐさ」のように枯れて縮んだ残骸が、僅かにその姿を留めているのは何ともイタイタしかった。
 実は私は、今日この姿を見るまでは「コマクサ」が宿根草の一年草だとは知らなかった。  秋になれば、花は当然枯れるが、あのギザギザの葉はみどりを留めているものとばかり思っていたのでアリマス。  これで、今朝から登った熊野岳の1850m辺りに群生するという場所にも今は何の痕跡も残っていなかった事が理解できた。   何時の日にか、花の季節にこの場所を再び訪れてみたいものと、強く思ったのだった。
* ―― 絶景の滝へ ――
 車は冬枯れの山を降り、なおも高度を下げて行ったが、「こまくさ平」辺りを境にして下は、見事なな紅葉の地帯に入ってきた。    そして間もなく大滝へ。  いい按配に設えられた滝見台から見る大滝は、なかなか見事なものだ。  四日前にもこの台までは来たのだけれど、ミルク色のガスの中にあって何も見えなかったところだ。  正面を眺めれば、両側に見頃の紅葉を纏った“三階滝”だ。  案内板には澄川までの落差181mとあるが、ほぼ斜面全体を流れ降る滝は数字よりもはるかに長大な景観を呈していた。  それにしても、誰が名付けたか知らないが“三階滝”なんて無粋な、色気の無い名前をつけたものだ。  紅や黄色のそれこそ錦繍を纏った女性が解いた銀色の帯のようではないか!  
宮城蔵王の紅葉を纏った 長大な三階滝


 
 右の方を見れば、優美な“三階滝”とは対照的に、豪快な“不動滝”だ。  山の右側斜面の、見慣れない真っ赤な紅葉を写して力強く流れ降っていた。  私の眼には、特にこの「真っ赤な紅葉」が印象的であった。
* ―― 大鳥居 ――
 そんな紅葉の山を降りながら、次第にみどりの森に変わって来た辺りで赤い大鳥居をくぐって、どの神社か判らないが神域を出た。  二日目に蔵王温泉から、山を降って山形市に下りて行った時にも、同じように大鳥居をくぐったのを覚えている。  この鳥居が何神社のものかは判らないが、少なくとも登った二つの山だけでも刈田神社があり、熊野権現神社が祀られていたのだから、蔵王連山そのものが神域なのだろう。
* ―― 何故か『たまごや』(TAMAGO YA)は大人気 ――
 大鳥居の外すぐのところ、遠刈田温泉(TOO GATTA ONSEN)を過ぎて間もなくの所、往きにも寄った『たまごや』で遅い昼食。 冨美子さんと明子さんは『たまごかけご飯』、工藤さんと私は『きのこの卵丼』を美味しくいただいた。  あの時もそうだったが、今日もよくはやっている。
* ―― 結局『あて』は何でも良いのだ ――
 『たまごや』の食後のコーヒーで工藤さん。  備え付けのビンに入っていたコーヒーシュガーの塊を一つつまんでボリボリ。  何だこりゃー!。よく判らないな!。  二つ目をつまんで、口の中でモゴモゴ。  コーヒーをごくり!。  ウン!、こうやってコーヒーを飲むとウマイよ!。  なーんだ!、特に『味付け海苔』でなくても、何でもイイ訳だ!。  アホらし!。
 * ―― 一路仙台空港へ ――
 後は、その先を左折して、往きと同じ道に入って、往きに「ここはまだ蔵王ではないんだよ!」と工藤さんが言った山の中を通って一路仙台空港へ。  私達には丁度良い頃合の16時に仙台空港まで送っていただいた。  昨夜宴会で花が咲いた、様々な来年のスケジュールの実現をお願いしながら、今回の楽しかった旅のお礼を云って、ここでお別れした。

** ―― 楽しい旅を、本当に有難うございました ――
  ご近所などへ「スモーク牛タン」など少々のお土産などを買って待つこと暫し。  ANA―738便は定刻17:35に仙台空港を離陸、一路伊丹空港に向かったのであった。  乗り物のスケジュールは着々と運んだのに、モノレール「蛍池」のストアで夕食の弁当を買うのにエラク手間取って、『こゆき』が待つ我が家に帰ったのは20:30頃であった。  毎年のことながら、全てのスケジュールを立ててもらい、宿泊の手配もおまかせし、尚且つ車で連れて廻っていただく旅は、私達にとってはまさに「大名旅行」気分であり嬉しい限りであった。  その分工藤さんご夫妻には心身共に疲労がたまる旅であっただろうとは拝察しながらも、ここは素直に甘えさせていただきます。  今回も心温まるおもてなしと、楽しい山旅を本当に有難うございました。  何もお返しするすべを知りませんが、心から感謝いたします。                  おわり  2006,11,7   幸。 taniko@zeus.eonet.ne.jp  追記:熊野岳山頂に建っていた斎藤茂吉の歌碑に記されていた詩。     陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立 つ 2006,12,4、深田久弥著 「日本百名山」にて見つけた。

topボタンの画像
[メニューへ]