● エッセイ ●
金次郎は何を読んでいたのか

 

二宮金次郎 二宮金次郎は実在の人物で、天明7年(1787年)に小田原市に生まれ、1856年に亡くなって います。父は金次郎が14歳のときに、母は16歳の時に亡くなりますが、勤勉と倹約に努め、 24歳で落ちぶれた自家の再興を果たします。それを知った小田原藩士服部家に財政の立て直しを 頼まれ、これも成功し、勤労(徳に報いるため働く)・分度(収入の範囲内で支出を定める)・推譲 (そうしてたまったものを将来のために残したり、人に及ぼしたりする)を勧め、生涯に615の村 の財政を立て直したといわれています。
 薪を背負って歩きながら本を読んでいる姿は、両親の死後預けられた叔父さんに「明かりをつけて 本を読むなど、誰のおかげで飯を食っている」と叱られ、さらに自分が作った菜種を油と交換 したら、これも「百姓に学問などいらん」と叱られた末の姿だそうです。 尊徳とも呼ばれるのは、これらの功績が認められ、武士の位を授けられたことによります。
二宮金次郎  いまどき尊徳像がある小学校も少ないと言われますが、この像は昭和12年に村民の一人から銅像で寄贈されて います。しかし、戦時下、昭和16年に金属の供出によって、現在の瀬戸物に替わっています。
(右の写真は、ある事務所前にあるものですが、本を右手で持っています。 他にも色々なニノキンがありますが、次の「街道写真館」のニノキンは全部左手あるいは両手で本を 持っています。
街道写真館
 実は、この金次郎の本を持っている左手の手首に、一度割れて、接着した跡があります。それと 本の左上も少し欠けています。両方とも、かすかに記憶にあります。このころ盛んだった ソフトボールによるものです。自分が打ったボールによるものかどうかは定かではありませんが、現場にいた ことは確かです。器物破損の複数犯の一人ではありますが、もう半世紀近くも前のことなので、時効と いうことで見逃してください。
 ところで、この本に何が書いてあるか見たことがありますか。実は、ちゃんと漢字が書かれて いるのですよ。このように書かれています。”一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貧戻一國「 」亂 其機如”(「 」は欠けていて不明)意味は分かりませんが、既述の勤労・分度・推譲の精神や 人々に説いたという『積小為大』(小を積んで大をなす)や『五常講』(お金の貸し借りの過程で 「仁」の心をもって多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し、借りた人は「義」の心をもって 正しく返済し、「礼」の心をもって恩に報いる行動を起こし、「智」の心をもって借りたお金を 運用し、「信」の心をもって約束を守る)の精神を書いているのではないでしょうか。


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