雨上がりの玉置神社

   
ここから境内に入る
ブナ、モミ、ツガなどの原生林
雰囲気が漂います
玉置神社本殿
樹齢2000年以上の夫婦杉
丸く見えるのが枕状溶岩
雨上がりの十津川村

 人里遠く離れ、交通極めて不便な紀伊半島の中央部吉野、熊野のやまなみ雲海は、はるか太平洋を遠望する千古の 霊場玉置山、標高1,000メートルの境内には神代杉をはじめ樹齢3,000年といわれる老樹大樹が杜となり、その 懐に抱かれるように荘厳な玉置神社の社殿が鎮座しています。
 春には山の樹木がいっせいに芽吹き、初夏にしゃくなげが咲き誇ります。夏には大峰奥駆けの修験者で賑わい 、秋には秋祭りと紅葉、冬は樹氷や霧氷の世界、四季折々それぞれの魅力があり全国から数多くの人々が心の安らぎと 充実を求めてこの地を訪れます。(玉置神社社務所におかれた案内より)

 今年の5月から熊野古道ウオーカーのいとこのトモちゃんと、チャンスを伺っていた玉置神社。よい天気に恵まれたらバイクで行くつもりだったが あまりにも暑かった夏のせいで、念願叶ったのは9月30日、それも雨もよいで車で行くことになった。喜んだのは ナナ。いつもの助手席を守り通した。
 玉置神社の創建は、神武東征の際熊野に八咫烏(やたがらす)の先導にてこの地に十種神宝を鎮め武運を祈願されたと伝わるが 神話の世界なのであやしい。紀元前37年崇神天皇、王城火防鎮護と悪魔退散のため、早玉神を奉祀され、以来、玉置神社と 名付けられた、という記録のほうが真実味がある。とすれば、2044年前の創建となる。
 人はなぜ山の頂上に神を祀るのか。神拝詞の大祓の詞などに詠われている日本国の創世に、天上の神が降臨して「高山の末短山の末に上りまして」という 一説があるが、昔から、自然の神は高いところから地上の人々の暮らしを見守っていたようだ。
 巨木群の他に枕状溶岩というのがあった。そもそも、日本列島の成り立ちには、太平洋プレート上の海底火山の残骸が、日本海プレートに沈み込むときに削り取られて、日本列島形成の一部をなしたといわれる。その、なごりが1,000メートルの玉置山頂上にある。円筒状の枕の形をして、放射状に亀裂が入った 溶岩である。
 トモちゃん大感激の約2時間の滞在後、山を下りる。玉置山から十津川村折立に下りる途中、雨上がりの十津川村を俯瞰する絶景に遭遇した。 まさに神のご加護のように。神々しい自然と人間の営みの調和を、デジカメにそっとおさめた。
 午後2時に十津川村の道の駅で地元産のソバをいただいた。平らな耕作地のない十津川の山の斜面で育てたソバは、しっかりした腰の強さで、お腹が すいていたのを差し引いても余りあるほどうまかった。
時間があれば天川村を経由したかったが「今日のところはこれくらいにしておいてやる」と心の中で言っておいて、奈良県は五條から和歌山の橋本に進めて、午後4時半に橋本駅でトモちゃんとお別れした。 本日の走行距離300キロ。
 <2007年9月30日>

 


 
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