11台目もマツダファン

   
アテンザスポーツワゴン
田舎のレースクイン
全幅1795ミリはボンゴより10センチも広い
1並びの決定的瞬間です
到達場所は有田川町吉川のR42
10年目のボンゴフレンディ健在
ドアにはイチゴのワンポイント
ファミリア800のバン
グランドファミリア1500クーペ
北海道で活躍したボンゴフィールドランナー

 2008年5月2日、ゴルフの帰りにマツダアンフィニ紀三井寺に立ち寄ってボンゴと入れ替えてアテンザ スポーツワゴンが納車した。
 担当セールスから1時間ほどの説明を受けて帰路は海南から高速に乗ってスポーツタイプのフィーリングを 味わった。12年ぶりの新車は、期待を裏切ることなくパワフルで静粛な乗り心地で、ナビを始め実に様々の 装備で、ぼちぼち覚えていくという楽しさも残して、早々に家に着いた。ボンゴには千葉、和歌山での12年間の たくさんの思い出があり感謝の気持ちでさよならを言おう。
 <2008年5月5日 追記>

 2006年5月22日、通勤の7時40分。愛車の距離メーターが「111111」を表示した。 平成8年2月に千葉マツダで購入して以来、10年目の快挙だ。私が過去に乗り継いできた10台目の 車であり、最も長く乗った車である。それを達成した場所が、初めてファミリアクーペを買った マツダオート吉川営業所(今はない)の近くだった。昭和40年代初めに、親父が初めてファミリア 800バンを購入し、それを入社後に通勤用として譲り受けたかたちで、その後自分で買えるようになって 10台の車のお世話になってきたが、その全てがマツダ車なのである。
 なぜマツダなのかは、いくつかの事情がある。ひとつは、当時マツダの中古車は他のメーカーに 持っていくと高く引き取ってくれない、というのがある。二つ目は、誰でも乗っている車には興味が ないという個人的な感覚がある。世界一の生産台数を誇る「トヨタカローラ」は絶対に乗りたくない 車なのだ。三つ目は、マイナーなメーカーながら「ロータリーエンジン」の開発や、そのエンジンを 搭載した「コスモロータリークーペ」という当時としては斬新なデザインの車の市場投入など、他メーカーには ないキラッと光る何かに魅力を感じていたからだ。さらに長く乗りつづけていると、こんなものが あれば便利だな、とかここはこうなったほうがいいよな、という細かいところに気がつくような 配慮が車つくりに生かされているところが気に入っている。今のフレンディの電動カーテンなどは その最たるものである。道の駅で寝るときに、ボタン一つで両サイドの窓が全てふさがれる。あとは フロントガラスをサンバイザーで塞げば、もう快適なホテルに早変わりする。
 10台の車にはそれぞれ想い出が付きまとう。楽しいことも悲しいことも。では、ほぼ40年間に 乗った車をふり返って見る。

車名・排気量・色・使用場所(1〜8までは和歌山)
 1.ファミリアバン・800cc・緑
 親父が初めて買った車。確か27万円だった。私が高校1年か2年の時で、高校3年の時は 時々通学にも使っていた。(もちろん高校野球の現役を終ってから)

 2.マツダK360・360cc・白
 農作業用に親父が購入した三輪車。山田へ行く道が狭くて回転場所もなかったので小回りのきく 三輪車にしたようだ。それまでは農具(脱穀機、発動機や唐箕など)や収穫した籾俵を大八車で運んで いたことに比べれば随分と楽になったことであったろう。この車も通学に使った。床に穴があいていて 地面が流れるのが見えた。交差点で急に曲がるとよくこけて、車のほっぺたをすりむいた。

 3.ファミリアクーペ・1200cc・クリーム

 入社2年目に初めて自分で買った車。流線型のスタイルで気に入っていた。新車で55万円だった。 初任給が3万300円であったが、この頃昇給が良くて、昇給分でローンが支払えるほどであったが 案の定、長くは続かなかった。

 4.グランドファミリアクーペ・1500cc・紫メタ

 写真のとおり当時はカッコ良かったが、飲酒・スピード・雨天の三拍子が揃ってカーブでスピンして 田んぼに落ちてわずか6ヶ月で廃車。超カッコ悪。

 5.グランドファミリアクーペ・1500cc・白

 落胆を見るに見かねた親が補助してくれて、同じ車の色違いを購入。あまり想い出のない車だ。

 6.サバンナセダン・ロータリーエンジン・モスグリーン

 初めてのREに乗る。当時のキャッチコピーが「走るというより飛ぶ感じ」。一速、二速の加速が レシプロエンジンでは味わえない伸びがあった。しかし、燃費が悪くリッターで6キロから7キロしか 走れなかった。少し大人びようとセダンにしたが、意に反してオカマを掘った。

 7.ファミリアハッチバック・1500cc・真っ赤

 当時は製油所内で従業員を相手に車の展示即売会をしていた。これは和歌山マツダの店頭にオプションを フル装備して展示していた新古車。確かオプションだけで50万円くらい付いていたが、この分は 全部オマケ。次に車自体の値引き交渉の末、大変格安で手に入れた。乗ってみるとこの車は、マツダにしては 画期的だった。それまでの車は、正面から見ると長方形で足元が弱い感じがしていたが、この車は ワイドトレッドの台形で、抜群のコーナリングだった。走る、曲がる、止まるという車の原則が 画期的に改善された一台であった。さらに外見は小さいが、室内の特に前席のスペースが広く 大男がゆったりと足を伸ばせた。この車のときに結婚した。(車で釣った?)

 8.ルーチェ・2000cc・白・和歌山、広島

 当時マツダの最高級車。長女、長男と誕生していたので踏ん張った。ところが、広島への転勤が 決まり、さらに2年後に双子が生まれ、出産のため里帰りしていた家族を迎えに来て、後部座席に布団を 敷いて、そこに双子の赤ちゃんを置いて再び広島へと旅立った。

 9.ボンゴワゴン・1800cc・グレー・広島、札幌、千葉

 家族が6人になって、セダンでは席が不足する事態となったので、フィールドランナーと車体に 描かれた限定販売車を買った。ところが子供達はまだ小さく、2列目、3列目をいつもフラットにして ころがしていたので、子供達は「寝る車」と呼んだ。そのせいか、しばらくはタクシーに乗せても 座っていられない子供となっていた。6年間の広島が終わり、ボンゴも海を渡って北海道へ。  ボンゴは北の台地で大活躍するが、FRで冬はつらかった。スタッドレスを履いていても、わずかな 坂の信号で止まると、発進のとき後輪がツルツルと空回りを始め、そのうちお尻がヨヨヨと横滑りして 来る。車を降りて、片手でハンドルを持って自分の足で押すようなこともあった。一番思い出の 多い車となった。

 10.ボンゴフレンディ・2600D・黒・千葉、和歌山

 4WD、ベッド付き。キャンプにはもって来いの車であったが、新車から、泥んこ少年野球チームの 専用送迎車。その中には双子の泥んこもいるから仕方ないが、雨天で試合したあとはスパイクを脱がせて まとめて箱に入れ「あちこち触るな!」と大変だった。その子供達も、自分で運転する年となって フレンディはディーゼル車の排ガス規制で居られなくなった千葉から、和歌山へ帰って来た。

 <2006年5月22日(月)>  


 
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