清姫の墓
安珍清姫の物語
墓の下にある清姫淵
顕彰館の1階です
顕彰館からの熊楠邸
昔の百姓家と変わらない
ここで作業をしていた
この穴から世界の新種が
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1月14日。暖冬で快晴。初乗りに出かける。さて、どこにしようか。そうだ、去年のニュースで南方熊楠顕彰館ができたと
言ってたな。早速HPから地図をアウトプットして出かける。いつものように龍神まで南下して、さらに中辺路に向う。
中辺路は熊野参詣道のメイン通り。1000年の昔、R311と並行して流れる富田川の彼の岸此の岸をあちらこちらと渡りながら白装束の行列が本宮に
向ったのだ。今は舗装された快走道路を上富田に向って下っている。
滝尻王子を過ぎてしばらく行くと、清姫の里という看板が
ある。いつもは通り過ぎているが、初めて立ち寄った。清姫の墓と社がある。安珍と清姫の物語は有名だが、どうやら
諸説あるらしい。最もポピュラーなのは、熊野詣でをするイケメンの安珍が定宿にしていた此の里の家に幼い清姫と言う
娘がいて、都度投宿するうちに清姫も大きくなって安珍に恋心を抱くようになる。ところが安珍は僧への修行の途中、男女の中は
まかりならんと、ことわるがしつこいので「では、このお参りの帰りに立ち寄る」と嘘言って帰りは別の道で田辺に向けてスタコラ
サッサ。これを聞きつけた清姫は、身を大蛇に変えて追っかけ、日高川を渡って道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍をぐるぐる巻きにして
炎となって焼き殺した、というすさまじい怨念のお話。 他の説では、とうとう根負けした安珍は、ある夜清姫と結ばれたが
朝になって、思いを遂げた清姫の顔を見るとメッチャぶさいくで、こりゃ叶わんと逃げ出したという説。女が蛇身にまで姿を変えて
追っかけると言う凄まじさは、こちらのほうが近いように邪推するがいかが。
さて、ここからR311を上富田へ下りR42に出ると北上して田辺市内へ。久しぶりというか初めてかも知れない田辺の町はよく整備されている。
田辺湾を前に田辺市役所があって、その裏というかJR田辺駅に向って100メートルほど歩いたところに、南方熊楠顕彰館があった。熊楠の
家屋敷と続きで400坪ある。1階にはビデオによる解説が放映されている。研究室とかいた部屋には小窓があって熊楠の研究成果が山と
積まれているのが見える。ここには研究員しか入れない。2階には、きのこ類や地衣類のサンプルが顕微鏡で見られるようにしている。関連の書籍も
どっさりおいてあり自由に読むことができるが、その多さにひるんで手が出ず。
隣の住居に入る。数年前まで熊楠の娘さんが生活していたが、亡くなったあと田辺市に寄贈した物で、熊楠の生活の様子を、できるだけ
再現するようにして、修繕をくわえたとのこと。庭には二羽ニワトリではなくて、新種の粘菌として登録された菌を見つけた柿の木があり、天皇
から寄贈された植樹もある。庭そのものが研究対象でもあったようだ。熊楠の弟に常楠がいて、和歌山市で南方酒造を起こし世界一統という清酒を
醸造販売していた。この、家屋敷もこの常楠に買ってもらったものだ。心強いスポンサーであったが、後年仲違いをしたらしい。
<2007年1月14日>
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