三度目の谷瀬の吊り橋も?
   
道の駅龍游で最初の休憩

新緑の中辺路を行く

おおゆのはらの大鳥居

本宮大社の入り口で

十津川温泉郷

ここまではこれたのだが

鶴姫の駐車場でくつろぐ

  8時にBHBを出発。吉備の農道を修理川に向かって進む。吉原でR424に合流して、新緑の中を20台のさまざまなバイクが縦一列になって椿山ダムの湖畔を快走し、1時間ほどで龍神村の道の駅龍游に着く。10分ほどの休憩でスタートするとすぐにR425へ。しばらくして右折し県道198号線へ、長い水上栃谷トンネルでは空気がヒンヤリとする。
 中辺路の栗栖川でR311に突き当たって左折、近露で給油して熊野街道を本宮大社めざして東進する。渡瀬温泉を過ぎてR168へ左折する。本宮大社へは10時半に着いた。今日は参拝をせず鳥居のあたりで休憩のみ。大斎原(おおゆのはら)の大鳥居の写真をとる。ここは明治22年の大水害で流出した熊野本宮大社の旧社地で、今は大鳥居のみがある。この熊野川の中州に社殿が築かれたのは文献によると、上流(というと十津川村になるが)には人が死ぬと河原で焼いて川に流した習慣があって、よくここに流れ着いたことによる、とある。ここからはR168を谷瀬の吊り橋を目指して北上する。切り立った十津川峡谷の左岸や右岸を、へばりつくように作られた道路やトンネルをくねくねと進む。アメリカンタイプのハーレーや車高をさげた大型スクーターはすぐにステップやお腹が地面をこするので難儀していた。
 やがて視界も開けて十津川の清流がはるか下に流れる谷瀬には12時に着いた。橋のすぐ側の食堂で昼食を取り、休憩のあと度胸だめしの吊り橋渡りに挑戦。他の観光客らもスイスイ渡っているのに、3度目の正直とばかりに渡りはじめた私は、50メートルほど行ったところで横揺れにおののき、固まってUターンし、またしても挫折。この吊り橋は向かいの山に住んでいる集落の人々が私費をはたいて昭和29年に800万円で建設したとある。長さが297.7メートル、川からの高さは54メートルだそうな。土地の人は自転車やバイクで渡るという。前述の明治22年8月の大水害は、上流の十津川村でも大惨事だった。三日三晩降り続いた雨に地震まで重なって、多くの家や農地が流出し、168人もの人が亡くなった。壊滅状態となった村を捨てて2,600人が水害から2ヵ月後に北海道へ集団で移住した。10月から冬に入る北海道の原野へ、着の身着のままで開拓民として入ったが、住む家さえない状態からの苦労は計り知れない。(新十津川物語―川村たかし著に詳しい)新十津川物語

 長めの休憩の後再出発、R168をさらに北上し、猿谷で左の県道53号線へ入る。高野山へ至る山道で、荒れていてコーナーが怖い。2速でうんうんと登っていく。やがて高野山の見慣れた景色が現れ、久々にスカイラインを快走する。途中のレストラン鶴姫で休憩。帰路はスカイライン途中の箕峠から右へ下りて花園村へ。有田川の水系に沿って下り、金屋の道の駅、明恵ふるさと館で16時に解散する。本日の走行300キロ。

<2007年5月27日(日)>


 
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