明日香村でヤマトの起源を知る
   
未開通の阪奈和道路を行く

石舞台は近いぞ

和風レストランあすか野

ソフトクリームで熱さをしのぐ

石舞台だ

ここは石室の入り口

石室の内部

飛鳥資料館の亀石のレプリカ

 8時半にBHBを出発。梅雨明け宣言はまだ出ていないが、陽光は強く湿度が高い中を、湯浅、箕島、根来寺と徐々に台数を増やしながら16台が奈良県は飛鳥村を目指す。橋本では一部開通の阪奈和道路を初めて走る。まだ料金は取られない。奈良県に入ってR24号を北上し、途中どこを走っているかわからないままリーダーに付いていくと御所工業高校のグランドに沿って曲がる。「石舞台」の表示も出てきた。目的地は近いようだ。
 石舞台近くの和風レストラン「あすか野」には12時過ぎに着いた。店内は観光バスで来ている白装束のじさま、ばさまで一杯。なんとか16人分の席を確保してもらう。ざるそば定食800円には、ごはんとは別に、揚げた海老と古代米の小さな団子が一品ついていた。食事のあとは外でアイスクリームをほおばる。バニラ、抹茶、木いちごの他に古代米味がある。古代米は「変わった味」の評価だった。
 アイスで冷ました後、石舞台古墳を見学する。確か25年前に来たときは、小高い丘に石積みがあって、入場料など取られなかったと思うが、今日は入口で250円を払う。石舞台は舞台などではなくて皇族の古墳の石室、つまり遺体安置所で、最初は土で覆われていて石は見えなかったそうである。今から1400年も前にできているので風雨にさらされて現在の状態になったと言われる。被葬者は不明だが、6世紀後半に政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われている。
 あまりにも暑いので、早々に引き上げ、冷房の利いた飛鳥資料館に移動する。入場料260円。いきなりユニークな石造りの噴水や石人像に遭遇する。7世紀の飛鳥のさまざまな発掘物が展示されている。かつて日本の政治・文化の中心であった飛鳥。紹介するには数量と言い、過ぎ去った年月といい膨大すぎる。和歌山からわずか100キロメートルほどのところに日本の中心があったことをあらためて確認した。
 14時にここを出て帰路につく。帰りはR169を下市まで南下し、岡崎から吉野川沿いの狭い県道39を西に進む。五條で大川橋を渡ってR168を進み、すぐに再び吉野川沿いの県道55を西進する。やがて県道は13号に名を変え、川名も紀ノ川に変わる。紀ノ川の南岸をかつらぎ、粉河、桃山と進む。道路沿いは今が盛りの白桃の直売所が続く。誰も買おうとするものが無いので、行列を乱さずにひたすら我が家を目指す。海南から3日ほど前に取り付けたETCの効果を試すため高速へ。行楽帰りの北向きの渋滞を見ながら、南に向けて快走する。広川IC手前で御坊に帰るW氏のVFRに合図を送ってさよならする。本日の走行240キロ。

2007年7月22日(日)


 
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