A  天空の裕之から父上へ

1 前書き

 お父さんお元気ですか、天空の星空に出張して来た裕之です。母さんもお元気ですか、父さんたちと最後の別れの言葉を交わしてから29年を経過しました。

 僕は現在、天空で交通事故の被害者ということで、経験を買われ飲酒運転の取締りをしておりますが、こちらの天空でも、飲酒運転関係の罰則が大幅に強化されたのに、いまだに画期的に減少していません。

 下界の日本でも、飲酒運転関係の法律が強化改正されて、死亡事故が少しは減少したそうですね。しかし、僕が思うのに飲酒運転に関係する事故は、限りなくゼロが可能な事故原因です。

2 飲酒運転についての意見

 飲酒運転は飲酒していない時と比べて、事故を起こす確率は非常に高く、以前三重県で、交通事故死亡者の4人の1人は、飲酒運転に起因する事故の年がありました。

 れは、4人に1人は飲酒運転をしている事になります。しかし、実際には、そんなに飲酒運転をしていません。せいぜい100人に1人、もっと少ないと思います。

 
ところが、その4人に1人と100人に1人を比例計算をすると、飲酒運転をする人は、恐ろしい確率で死亡事故を発生させるのです。

 
 飲酒運転は、注意力が緩慢になり動態視力が減少し、その上に運転操作が緩慢になって事故の確率が非常に高くなり、特に夜間の飲酒運転や高年者の飲酒運転は、さらに確率が高くなります。

 ただ4人に1人が、飲酒事故だと言ってもピンときません。飲酒運転の常習者は、俺は大丈夫だと思って飲酒運転をするのです。

 県や市が発行する交通事故防止の広報などに、このような恐ろしい確率のことが書いてありません。ただ飲酒運転防止のPRだけです。この確率のことを大きく書いて頂くと、飲酒運転の怖さが理解できると思います。

  更なる飲酒事故を減らすには、「飲酒すれば、恐ろしくて絶対に運転したくない完全な道交法にすることが絶対に必要」です。

  飲酒運転事故で他人を殺しても、自分は刑務所に入って刑期を終了して、この世に戻ってこれるのに、卑劣な飲酒運転者に殺された被害者は天文学的年月を経過しても、二度と永久に戻れません。

 又、加害者は被害者を殺した上に、遺族の家庭を不幸のどん底に突き落とし、それどころか自分自身の家庭の生活基盤を破壊して、自分の家族の崩壊を招くのです。そのような事を思えば飲酒運転は恐ろしくて出来ないと思います。

 僕が思うのに飲酒運転は、数ある事故原因の中でただ一つ、完全にゼロに出来ることが可能な事故原因で、それをゼロにするには、飲酒すれば、絶対に車を運転する気になれない道交法に改正することが必要で、飲酒事故が発生してからでは遅いのです。現行法ではまだまだ不充分。
 
 現行法が不完全だから、現在でも飲酒事故が続発しているのです。今年の2月22日朝、中央分離帯を飛び越えてきた暴走車に、上から押しつぶされて、4人の人が犠牲になりました。加害者は0.1mgが検出されたとの事。

 0.1mgでも、酒を飲んで飲酒運転をしたのは間違いはない。道交法の酒気帯びは0.15mg以上となっているが、運転を開始したときには0.16mg以上あったものが、事故を起こした時には、基準以下になっていたかもしれない。だから検出された量が0.1mgでも、事故を起こせば即飲酒運転として認定すべきだと思う。

 基準以下でも事故を起こせば飲酒運転として厳しく罰することが、飲酒運転そのものをゼロにする近道です。数値の問題ではないと思います。飲酒の量に関係なく飲酒して運転することダメなのです。


 
又、飲酒運転をすると判っているのに、飲酒運転を止めなかっ人も罰し、その車に同乗した人も、厳罰化することが絶対に必要で、若し、そのような厳しい完全な道交法等があったなら、現在でも多くの人が殺されずに生存していると思います。僕も卑劣なHに殺されずに生きているのです。

 平成15年11月18日の新聞記事に、喉もと過ぎればと言うことで、飲酒事故が増加していると言う記事がありましたが、いくら事故後の刑罰を強化しても、抜本的な対策になっていません。前述のように完全な道交法に改正すべきです。

 又、飲酒運転を隠す為に、事故を起こして現場から逃げても、運転前に飲酒の形跡があれば、飲酒運転をしたと認定すべきです。事故のすぐ後で飲酒運転を隠蔽するために、コンビニ等で酒を購入し飲酒して証拠を隠蔽する者もいるが、証拠を隠蔽したという事で、更なる重罰が必要です。
 
 また、もう一つの原因として自動車保険が事故を助長しています。それは飲酒運転事故で他人を殺しても、金銭的に保険から全て弁済されるからです。

 飲酒運転で殺人をしても、遺族には一切謝罪しなくても、線香の一本も上げなくても、自分自身の財布から一文も出さなくてよいからです。 

 保険が全部弁償してくれるから安心して飲酒運転が出来るのです。加害者本人から被害者に対する経済的な弁償は保険で弁済し、加害者本人の負担はゼロで済むのです。僕の場合がそうでした。

 保険会社も賠償額の一部を加害者から取り立てて、金銭的な罰を与えるべきで、通常のウッカリ事故と飲酒運転事故を同列に扱うものでないと思います。

 これは、保険業界が一体となつて考えるべきで、それが飲酒事故の減少につながり、保険業界の利益になるのです。現在の制度(約款)は、飲酒運転等の卑劣な事故を助長していると思っている。

 又、刑事裁判で裁判官は、保険に入っているからと言って判決が減刑されているが、刑事は民事不介入と言っているのに、ただでさえ甘い求刑を判決で、更に減刑するのはおかしいと思います。

3 僕が殺された飲酒運転事故について

 さて前段は、この程度にして、事件のことを簡単に報告します。

 事件は、平成2年3月17日の午後10時50分、名古屋市中川区の信号交差点で、僕が第二通行帯の前から3台目で赤信号停車中に、卑劣な飲酒運転者のHに、時速90キロ以上の速度で、車の左後部に追突され、時計方向に跳ね飛ばされて車の進行方向が180度以上回転し、東方向に走っていた車が西方向を向いて停まり、7台の事故破損車の中で一番後方に位置で停車していたのです。

 僕の車に追突したHの白い車は、右前部が大破し追突速度が速かったので、僕の車を跳ね上げながら、第一通行帯と第二通行帯の車の間を、他の車を破壊しながら、さらに前進して停止線近くでやつと停まったのです。

 その激しい追突で僕の車は、全長が3分の2に圧縮され、左後輪は助手席の下にまで押し込まれ、(特記事項に写真あり)車体後部は左側に大きく折れ曲がり、ガソリンタンクが完全に破壊され、発火爆発して全焼したのです。

 Hの車に追突された時、僕はシートベルトをしていたのですが、強烈な衝撃で失神し気がついたら、今までに来たことのない天空の星空にいました。

 事故は、市街地としては最大級の大事故で、合計で7台の車が破損した事故で、まるで高速道路で発生した事故のようでした。

4  父さんが発行した本の件

 話は変わりますが、父さんは、事件のことを色々発表してくださいました。NHKで2回の特別放送、新聞や週刊誌、単行本等で12件もの発表をして飲酒運転の卑劣さをPRしてくださいました。

 極め付きは、父さんが自分で書いて、自分で印刷と製本した「我が息子 裕之の遺恨と真実の記録」にはまいったです。全部で7分冊で、約2000ページを自分で仕上げて、一部に有識者に配布されたのとのこと。それが一部の司法研修生の間で回覧され、自分等の仕事の戒めになるとの事でしたね。

 その本を見ればHの卑劣な飲酒運転の全貌と、良心的弁護人???が裕之に罪を転嫁しようとした実態と、約6年間を要した刑事裁判が、全て判る貴重な本だと思います。

5  被告等に対する恨みについて

 最後に、僕が父さんに言いたいことがあります。事件から25年も経過しているのに飲酒運転で、僕を父さんたちと二度と会えない天空に、無料の片道切符で送ってくれたH と、そのHの犯罪を認めず、事故の責任を僕に押し付けた、卑劣な弁護人4人、デタラメ鑑定人の大学教授、Hの所属会社のTプレス会社と労組、さらに減刑署名をした1700名の支援者を恨み抜きます。

 地球誕生後から続いて来た一本の命の線と、無限の要素の中からただ一つ選ばれて、この世に誕生したのが僕だったのです。それがHの卑劣な飲酒運転で、その線が僕を最後にして切断されてしまったのです。
 
 僕と同じ生命体は、百兆年経っても未来永劫、絶対に二度と誕生しません。過去の出来事が何一つ欠けても、変っていても、僕は誕生しなかったのです。その天文学的な貴重な命を、Hは卑劣な飲酒運転で、これからも誕生してくる尊い命の線を切断してしまったのです。

 人々は「時が来れば忘れる」と言うが、僕は、こんな卑劣なことをしてくれた加害者Hと、僕に罪を着せた良心的弁護士???に対する恨みは、1万年経っても1兆年経っても忘れることはないでしょう。

6  後記

 僕は、あと何年かして、父さんと再会できるのを楽しみにしております。その時には、幼児のときのように、思い切り抱きしめ下さい。そのときを楽しみにしています。

 しかし、あまり早く来ないでください。僕も色々の事があるので急ぎません。僕に会いに来るときは、30年後40年後でもかまいません。僕としては遅ければ遅いほうがよいのです。

 以上ですが父さんからもお手紙をください。お待ちしています。
さようなら