C 特記事項

 私は、被告の平石よりも新海聡弁護士グルーブを正義の弁護士と思っていません。新海等は羊の皮を着たオオカミ弁護士だと世間に知らせるために、このホームページを公表しています。特に新海弁護士には、もの凄い怒りを感じており、侍時代に戻って欲しいと思うくらいです。彼ら四人は、息子の裕之が焼き殺されて悲嘆に中、オンブズマン弁護士等に二度目の苦しみを受けたのである。それから29年間も継続しており、その無念の怒りの中で現在も生活をしている。特に新海聡は、色々な団体の役職等を兼任しており、それをマスコミ等は彼を市民派とか人権派として重宝しているのに怒りを覚える。私の怒りは、絶対に減少することはありません。

 私は、マスコミに市民派で正義派の有名な弁護士として、大評判の全国市民オンブズマン大幹部の新海聡弁護士が、私ども家族に対し絶対に元に戻せない卑劣きわまる事をしてくれた。その新海聡が新聞やテレビで、新海のコメント等を求めて報道しているのに怒りを感じている。

 彼等弁護士が、被告の公判等で、警察の正しい証拠を認めていれば、一審と二審で6年近くで46回の刑事裁判をすることはなかつた。高速道路での大事故でも、四回程度で刑事裁判が終了しているのに、彼ら四人の弁護士は、反警察の人権派弁護士として、警察は仲間の警察官の不祥事を隠して被告を逮捕したとして、全国有数の長期裁判をしてくれた。その為に現在でも、息子が追突したと思っている人が真実を知らずにいるのである。

 事故の写真画像が何枚もあるが、この写真を見れば誰が追突しか誰でも判る簡単な事故である。この事故は、夜間で7台の事故で、ガソリンに引火して大火災となり、高速道路並のた大事故であった、その上に事故の瞬間を目撃していない人の真に迫った証言に警察が騙されて間違っただけで、明るくなった翌朝には、すぐに間違ったと判明したのです。この証言者はあまりにも精神状態が異常だったので、救急車で中京病院に運ばれたのである。
 
 私は、被告よりも息子を犯人として、マスコミに何度も発表してくれた弁護士等を絶対に許しません。息子の名誉を世間に公表するために、このホームページは今後も継続して行きます。

 被告である平石の事故は、過失事故とされたのは許されるとしても、新海弁護士等は反警察人権派弁護士として、息子裕之の受けた飲酒運転事件を利用して、自分らの名誉の為に悪意を持って、愛知県警を陥れる事を計画した犯罪と言っても間違いは無い。

 日常的に天命で亡くなった両親等の思い出は、殆ど脳裏に浮かんで来ないのに、息子の思い出等は、息子が一人で泣きながら出発してから、27年前から現在まで一日たりとも脳裏に浮かんで来ない日はない。これは新海等が、被告の為に卑怯な弁護活動をした弁護犯罪であると思ってい。

 昔なら許された仇討ちが出来たなら、過失事故の被告で無く、弁護士として人権派市民派と言われる新海聡弁護士に恨みを込めた鉄拳を一発やってみたいと思う毎日である。

 四人の弁護士の中の斉藤洋弁護士は、息子裕之の怨念の恨みにより既に、この世にいないのは罰が当たったのである。

 この特記事項は新海聡弁護士で検索できるが、「卑劣な飲酒運転事故の遺族の怒り」等で事件の事が最初から書いてあるので、下手な文章であるが検索して下さい。

 新海弁護士と検索すると私のホームページが表示されるので、新海も知っていると思うが、未だに何の反論もしてしてこない。と言う事は、私の、真実の主張に勝てないと思っているのだと断定できます。

 新海聡弁護士が、このホームページの内容に反論や不服があれば、息子の名誉の為にいつでも戦います。私が、その戦いの結果を世間に公表します。それが天空の息子の仇討ちを合法的な手段と思っています。それが息子を加害者扱いして、私どもを苦しめているオオカミ弁護士に対する仇討ちとしたいと思います。
 新海聡弁護士は、私が本当に怒っており何処かで遭遇する事があったら、私がどんな行動するかも予測できないと思います。しかし、私は、人としての常識を持っており、この程度の内容でホームページに書いて全国に発信している。

 事故現場や事故車の写真は、愛知中川署から、私が頂いた写真画像の一枚も無く、検察も持っていないと思います。その為に写真の一部は、私が特殊な装置を購入して入手した写真画像も含まれています。

 当然の事として、新海聡弁護士等もこの写真を持っていないし、事故の現物も見ていないと思う。新海聡弁護士は、平成二年に新米弁護士として名古屋中央弁護士事務所に就職ばかりで、私の息子の事件を反警察のオンブズマン弁護士として、これで愛知県警を痛み付けると思って、被告は冤罪だと裁判で勝てば名声が上がると思ったのに残念でした。



1  多くの人が裕之の事件を書いてくださった本等

☆「NHKの特別報道  「追跡交通事故死」と言うシリーズ番組で、2回放送された。                     田端記者の担当

☆「遺された親たち」  NO3         あすなろ社

☆「まいけ」  富山のタウン誌

☆「婦人公論」  1992年 10月号  中央公論社

☆「アルコールシンドローム」  NO29  1992年12月
アルコール薬物問題全国市民協会(ASK)

☆「週刊朝日  1995年12月15日号で、  被告弁護士の新海聡弁護士は、「結局警察のずさんな捜査の為に、みんなが傷ついたのです。もちろんいちばん傷ついたのは椋樹さんのご遺族でしょう。しかし、刑事裁判の中では、被害者の方には残念だけれど、こらえて下さいと申し上げられません」と言った。   

 それは誰が傷を大きくしたのだ。まるで他人事のようで、新海弁護人らがデタラメの弁護をしたのである。
                               
 父さんは、ずさんで卑劣な弁護をしたのは新海聡弁護士等の方であると思っている。
 (捜査は間違っただけで、それを悪用したのはH被告と、それを自分等の名誉欲の為に悪用した新海聡弁護士等が裁判の長期化をさせ、国民の血税を何千万円も無駄に使ったと、父さんは確信している。)  柳原三佳取材

☆「捜査研究」  NO592号  NO602号 柳原三佳

☆「宝島社新書」  交通事故のウソ 2000年4月 柳原三佳

☆「モンダイの弁護士」  別冊宝島リアル 028 2001年1月 柳原三佳

☆「中日新聞」  1990年4月11日   「警官巻き添え死だった」
 1990年5月6日    「原因特定の難しさ浮き彫り」
 (父さんに言わせれば、事故原因の特定は難しくない。裕之の車の破損形状はを見れば、子供でも誰が追突したか即断できる事故で、良心的弁護人???が過剰弁護でややこしくしているだけである。誰が追突したかの特定はごく簡単。
                          
☆「名古屋タイムズ」
 1990年5月25日   「加害者の平石側の卑劣な弁護人が国家賠償を検討」と書いた新聞

☆「テレビと人権」  名古屋弁護士会 シンポジュウムでの配布本
平成3年11月30日   133Pに記載

 (このシンポジュウムの為に委員がNHK名古屋で研修を受け、その時に聞いた話の中で裕之の事件の事が書いてあった。)

          以下はその本を転記

 現状における被害者救済として、今回の調査で、示唆にとんだ話しをしていただいた。

 死者もでた玉突き衝突事故の報道において、警察発表に従い第1加害者(非番の警察官・事故で死亡)を実名で(職業も)報道。しかし、その後の調査で加害者は別の車で上記警察官が被害者と判明し、同時に誤報と判明。上記警察官の遺族から抗議があり、報道部長が遺族にお詫びと説明を行った上、「追跡・交通事故死」というニュースのコーナーで、先の報道の訂正を含めた詳細な調査報道をしたというケース。
 

 
警察発表を鵜呑みにする報道姿勢の問題はさておき、報道による人権侵害に対する救済方法として、現状においては、適切な抗議苦情が、上記報道側が視聴者の意向に、大きな関心を払っている状況に鑑みても、有効な方法といえよう。

 
この抗議は、父さんが他の民放は、実名を入れて詳しく報道していたのに、NHKは時間で26秒間、ごく簡単にどこの誰が被害者だったか判らない放映内容だったので、当時の島会長宛に分厚い書面での抗議をした結果、当時の大木報道部長から謝罪を受けたのです


2  父さんが事件の事を書いた自製本の分冊名(非売品)

☆「NO1」   我が息子 裕之の遺恨と真実の記録

☆「NO2」   裁判の経過と真の目撃証言

☆「NO3」   事故鑑定と被告側主張および判決

☆「NO4」   被告人の証言

☆「NO5」   被告側控訴控訴の二審の経過と判決

☆「NO6」   警察の実況見分調書

☆「NO7」   息子 裕之が遭遇した卑劣な飲酒運転事故の写真

☆「我が命 裕之の最後の写真」
          NO7までに含まれていない資料等をまとめたもの

3  H被告の支援者について 

 次は憎いH被告を支援した関係者です。
 
☆ 刑事裁判の弁護人
新海聡弁護人
全国市民オンブズマン事務局長


名古屋市民オンブズマン事務局長



 中京大学法科大学院


 南山大学法科大学院


リブレ法律事務所(岡崎)

現在は岡崎に自分の事務所を開設

 名古屋中央法律事務所、現在はリブレ法律事務所、中央大学卒、昭和59年卒、昭和62年合格、平成2年司法修習終了42期、昭和36年4月17日生。 現在は岡崎に事務所を構える。
 中京大学法科大学院の兼担教授をしている。
 情報公開市民センターの理事長

 新海は新聞やテレビに何度も出てきて、殊勝な、ごもっともなコメントを言っている。童顔の超大物有名弁護士???。
 
彼は行政の不正等を徹底的に追及し、又、血税の無駄使いをあぶり出して成果を上げているのに、裕之が受けた事件に関しては、巨額の国民の血税をデタラメ弁護で、何千万円も無駄に使った張本人で、言っている事とやっている事が、正反対の見本であり、彼等こそ国民に血税を返却すべきである

 マスコミは、官官接待・選挙定数・安協問題・談合問題・カラ出張・食料費・迷惑駐車110番・車庫調査の虚偽・名古屋市公費支出・情報公開等の、数多くの不正問題を摘発に大活躍をして、素晴らしい成果をあげているA弁護士を良心的弁護士???だと評価している。

 ここに彼のコメントを引用する。
 同じ日に会合を複数開いたり、金額が高すぎる日があるかと思えば、エビフライ定食など、みみっちい、ほとんど私用しか思えないものもある。二人だけの食事も多く、公用と私用の区別はどうなつているのか

 資料をパソコンに打ち込んでいて、すべて税金で払っているかと思うと、腹が立ってきた・・・・・・・・

             −−−−−−−−−−−

 ごもっともなコメントである。それじゃ裕之の事件に要した、警察の捜査や裁判費用の何千万円の経費はどうなっているんだと言いたい。腹が立っているのは父さんのほうだ。
 この裁判費用がどれだけか、新海は情報公開市民センターの理事長をしているのなら、これこそ情報公開すべきである。単なる名誉職か。
 平成16年8月24日の中日新聞に、三重県伊賀町の町議が役場内で飲酒した「不謹慎」と言う記事に、私が一番憎いと思っている卑劣な良心的弁護士のこのコメントがあつた。それは「市民の常識では絶対に許されない行為で言語道断」と話している。

 私は、この記事を見て、「言語道断」なことをしたのは誰だ、オンブズマンの新海聡弁護士である。その町議の飲酒についての事を非難する資格は彼にはない。マスコミは、彼の本当の人格を知らない。この事について私は、この記事を書いた記者に抗議文を送付した。
 
斉藤洋弁護人
東海労働弁護団
 名古屋中央法律事務所、名古屋大学卒、昭和7年卒、昭和X7年合格、昭和19年1X月X日生、X7期。この弁護人は父さんが桑名市七和に住んでいたときの近所の加藤さんの知人で、まさか近所の人が弁護士の知人とは驚きであった。

 弁護士だっら、写真を見ただけで、誰が追突したか判ったはず。裕之の事案の被告弁護については、深い深い思想的な魂胆があったと思う。(赤ひげ弁護士として初心を貫きされたのかな???)

 この弁護人は、天空の裕之に招聘されて、裕之に対しての卑劣な不法行為を、土下座して謝罪して許しをえて、現在、天空で、真の良心的弁護士として、真の赤ひげ弁護士としての実践していると思う。(平成14年5月26日、裕之に招聘れた。ご冥福を祈る。)

後藤潤一郎弁護人
東海労働弁護団
JAM愛知
 名古屋中央法律事務所、岡山大学卒、昭和48年卒、昭和56年合格、昭和24年12月27日生、36期。ある殺人事件で、冤罪を主張している弁護団に関係している。

 彼が一審の第一回のとき、この裁判で、被告が真犯人であっても、冤罪の判決を勝ち取ってやるぞという不敵なニヤット笑った顔を、被告の支援者の方に向けて合図していたのを、現在でも父さんの脳裏に焼きついている。

 後藤弁護士が名古屋弁護士会の2005年度の役員会の監事に大出世、無実の息子を犯人扱いにしたデタラメ弁護士でも、弁護士会の役員になれるとは驚きである。

D西野康夫弁護人
JAM愛知
 名古屋中央法律事務所、京都大学卒、昭和59年卒、昭和58年合格、昭和33年8月3日生 38期。

 前述の平成3年のシンポジュウムの委員をしていた。

☆ 民事の被告側弁護人 (千代田火災 その後倒産)

E弁護人  H???法律事務所、東京大学卒、昭和5X年卒、昭和X9年合格、昭和2X年X月1X日生 、X9期。民事の被告弁護人も、責任を裕之に転嫁しA弁護人等の主張を踏襲して、H被告は無実で責任はないと否認していた。

F弁護人  O???法律事務所、早稲田大学卒。昭和X4卒、6X年合格、昭和3X年X月X日生、4X期

☆ 被告側鑑定人

大田安彦  新海等の依頼で鑑定を依頼された太田は名古屋工業大学の教授、原動機の専門家?、出身は大阪。

 この鑑定人は、父さんの友人の隣の人で、壁一枚の隣に住んでいた (昭和区の八事の池の東のマンション)が、娘さんがピアノを弾くということで、和合のゴルフ場の近くの団地に転居したとの事。私は、太田安彦の転居先の新居まで確認しに行った事がある。

 鑑定人は現場にも行かず、事故車両の現物も見ないで、裁判所の写真だけで被告有利のデタラメ鑑定をした。

 裕之が殺された時、裕之は鑑定人の近所にある八事の派出所に勤務していた。

 この鑑定人は、超希薄燃焼方式エンジン(超リーンバーン)の研究をしていた。

 大田安彦で検索すると、「工学鑑定(交通事故、火災)名古屋工業大学大田」の中に、「鑑定にのぞむ際の大学人の心構え」が書いてあり、ご尤もな鑑定哲学が書いてある。
 太田鑑定実績の中で、平成5年6月21日に裁判所に提出したものは、裕之の事件を鑑定したデタラメ鑑定書である。

☆ 被告の会社関係

東海プレス株式会社  H被告が働いていた会社で、会社の総力を挙げて支援していた。

東海プレス労組  労組が全面的に支援した。個人の卑劣な飲酒運転殺人事件に、会社や労組が組織的に介入してくるのは理解できない。むしろ飲酒 運転で他人を殺したのだから、会社組織から排除し非難するのが常識であると思う。
 また、上司である労組の幹部が、H被告の為に証言台で、H被告を褒め称える証言は異常だと思ってます。又、証言をさせた裁判官もおかしいと思います。遺族のことを思ったら証言をさせるべきでなかった。裁判官の常識を疑う。




4  裕之が飲酒運転の車に追突された事故現場


事故現場の写真
(事故現場の後方より)息子の車は、進行方向とは逆になっている。写真の右の車が息子の車。その左の白い車が加害者の車。木の横の右の車は、息子の車のすぐ左に停車していた車。加害者の車は、第一車線と追い越し車線の間をすり抜けて息子の車よりさらに前に進行して停車。





加害者の車


車の右前部が大破



被告の車のボンネットが折れ曲がり、右端に息子の車の後部車番が鏡文字で印刷。





真の被害者の裕之の車

左後部のホイールが助手席まで押し込まれている。
この破損形状は、裕之が追突していない証拠である



裕之が追突したとされるのに前部は小破損。息子の車が、押し出されて前に
停車していた車の左後部に玉突き衝突したときに出来た破損形状




5  裕之の思い出の写真

 幼少の時



楽しいひと時









事故直前のレイアウト



事故直後のレイアウト




上図の説明

息子の車は回転して進行方向とは逆に停車、左後輪のホイールは助手席の下まで押し込まれている。

第一車線の停止線から4台目の7の車の人は、第二車線の8の車が猛速で追突したと後日証言した。




 下の白黒写真2枚は、事件の翌日に警察が撮影した写真、私が3月18日午前2時頃に事故車を見たときに、追突したにしては車の前部の破損の方が大きいなと思ったが、その時は息子が追突したと聞かされていたので、そこまで気が回らなかった。






事故現場の後方からの写真



左が第一通行帯で、真ん中の後部が焼損した白い車が本当の加害者の車。
右の息子の車は180度以上時計方向に回転し進行方向とは逆になって停車。



息子の車より加害者の車の方が前方に行っている。



加害者の車の焼損は、息子の車から延焼したもの。





  これは息子の車の前部で、車の左側の破損は、車の左後部を追突されて、車体が時計方向に回
転しながら、すぐ前に停車していたサバンナの右後部に玉突き追突したときに出来た破損形状。











助手席のドアは、くの字に折れ曲がっている。



中央分離帯からの写真で、車のハッチバックの後部ドアは、それほど破損していない。



写真の左下は中央分離帯の縁石。車体の右側はくの字に折れ曲がっている。



車体の前部をレッカーで持ち上げた写真。



同じく右車輪部分を持ち上げた写真。



右後輪の写真、左のパイプは排気筒。



助手席の写真。



車体右側からの写真で、ハンドリフターのハンドルの青い部材は後部ハッチドアの右側。











右側ドアの後ろは、左側にくの字に曲がっている。









パイプは排気筒。



  この写真は、加害者に車の左後部に追突されて、時計方向に回転しながら、
すぐ前に停車していたサバンナの後部右側に玉突き追突して破損した形状。





助手席ドアが、くの字になった状態、その右側は後部座席の左側のボデーが圧縮された状態。



ボデーの左側の状態。



左後部の後輪が助手席に押し込まれている。



バンパーはが右前輪に接触している。





加害者の車が息子の車の左後部に追突した状態がよく分かり、。床板が上側に押し曲げられている。






助手席の下まで押し曲げられた左後部のホイール。



押し曲げられた左助手席のドア。





 写真の右側の下はボンネットの左側で、写真上方は助手席ドア、写真
左側の円形の部材は左後部の車輪のスプリングを収納している部材。



写真の左下部は車の屋根。



写真左側は後部ハッチバックのドア。



写真下部は車体右側の屋根。



事故現場の前方から、画面の下の白い線は停止線、真ん中の車は息子の前に停車していたサバンナ。



左の白い車は、第二車線で一番前に停車していた車。
加害者の車はサバンナの奥にいる車。



    写真の右上の白い車は、第一車線の一番前に停車していた車。左の黒い車は、
息子の前に停車していた車で、その側面の疵は加害車両の左側面が接触した疵。



黒い車はサバンナ、奥の車は加害者の車。



黒い車は第一車線で前から二台目の車で、この側面の疵は、右の白い車の加害車両が、擦りながら付けた疵。







画面の白い車は加害者の車。手前の黒い車は、第一車線で前から二台目の車。



白い車は第一車線で、一番前に停車していた車。右はサバンナ。



白い車は、第一車線で息子のすぐ横に停車していた車。真ん中の車は、そのすぐ前に停車の車。
一番下は、加害者の車。



 第一車線で息子の車の直ぐ横に停車の車で、この疵は加害者の車が息子の車の左側に追突したの
で、加害車両後部が左側に振って円弧状に付けた疵、その衝撃で車の前部が歩道に乗り上げている。



右は加害車両、真ん中は息子の前に停車の車。奥は第2車線の一番前の車。



加害車両。





奥の車2台は、第一車線の車。奥の白い車は、加害車両にはね飛ばされて歩道に乗り上げた車両。



左下の黒い車は第一車線で2台目の車。






ガラスを固定している金具が上方に剥がれている。これは息子の車の下をくぐり抜けた時に剥がれた物。
息子の車の屋根は殆ど原形のままで、後部のハッチバックのドアも後方からの圧力にも関わらず押しつぶされていないので、加害者の車の前部先端が、ハッチバックの直ぐ下に追突し、そのまま息子の車を上方に跳ね上げて、前方に進行して行ったたのである。車の右側の疵は、息子の車との衝突で生じて出来た疵。







車の左後部の疵は、息子の隣に停車していた車に付けた疵。



 ここに息子の車に衝突したときに印刷した後部車番が転写している。この写真は
200パーセントこの白い車が、息子に追突したと証明できる完璧な写真である。



上の写真の拡大画面。







第1車線二台目の車との接触での疵。



事故現場。







  新海聡弁護人等は、この縁石に疵がある。これは椋樹車が、まず最初にここに衝突して、
事故が発生したのが最初であり、故に事故の責任は全て息子の責任であると主張した。

    その痕跡を私が直接調べたが、そのような痕跡は一切なかった。あったのは相当古い
小さい欠損で、誰が付けたものか、自然に欠損したものか分からないものであった。



 この写真で見ても、警察の初動捜査がデタラメであったかよく分かる写真であると思う。しかし、その
翌朝に、おかしいと判断して、間違いは間違いとして、直ぐに再捜査してくれたことは感謝している。


 ところが警察官の事故では無かったと言うことを発表すれば、必ずクレームがあると言うことを警察が予想していたが、その通りになった。人権派とマスコミに評価されている新海聡弁護士外3名の弁護士が、警察官の不名誉を隠し息子を擁護するために加害者をすり替えたと主張したために、刑事裁判46回と民事裁判28回を数え6年の年月を要したのである。彼らは自分らの名誉欲のために加害者を利用したのである。この加害者も彼らの餌食になったと言える。その新海弁護士が中日新聞やテレビに良心的弁護士だとして報道されるのは承伏できないし許せない。この写真を見れば中学生でも真犯人は即答できる。