通夜・葬儀・告別式について考える手引き(2)
これを、お読みになる方は、まず葬式云々以前に「私の宗教は何なのか」を理解しておいてください。門徒の方ならば、浄土真宗の教えとはどのようなものか、知っておいてください。私は本願寺派大房の金照寺の門徒ですというぐあいに。浄土真宗の教えに感動し葬儀は浄土真宗で勤めたいという考えの方は以下のことは参考になると考えます。浄土真宗の教えをもとに金照寺を手次寺として、葬式について検討しています。
「門徒」と「壇家」という言葉がある。江戸時代に幕府の政策で家の宗教≠ェ決定されるということがありました(「寺壇制度」)。この時の呼び名が、家=壇家、寺=檀家寺なんです。それ以来400年、家の宗教≠ヘ固定されたままです。これは全く悪いことだとは言いませんが、そこに主体的な個人≠フ選びはないんですよね。
個人として浄土真宗を選んだ人を「浄土門」に集う「徒(ともがら)」という意味で「門徒(もんと)」といいます。
つまり「檀家」は因習によって伝統されてきた寺と家≠ニの関係。「門徒」は主体的に浄土真宗を選び取った者の名告りです。他宗派の人が「あそこの寺はモントや」と浄土真宗を浄土真宗と呼ばずに「モント」と呼ぶ場合、かなり侮蔑の意味があります。「門徒もの知らず」という言葉もありますが、「門徒もの忌みしらず」というのが本来の言葉だと教えられています。そういう意味でも私は「私の宗旨は浄土真宗、宗派は浄土真宗本願寺派、私は浄土真宗門徒です。」と誇りを持って言いきりたいと思います。
通夜、葬儀、 告別式とは?
個人のお葬式では、区別が分かりにくい葬儀と告別式。しかし、実はまったく違う性格のものであることは、ご存知ですか。
かつて、人々は葬儀の後、墓地のある寺や火葬場まで、列を組んで遺体を送りました。これを、葬列または野辺送りといいますが、これに代わって行われるようになったのが、現在の告別式。ですから、もともと告別式は葬儀が終わってから行われるものでした。
では葬儀と告別式は、それぞれどんな意味があるのでしょう。まず葬儀は、死者をこの世からあの世へと引き渡す宗教的な儀式。故人の霊魂のための時間です。仏教での一般的なお葬式の流れで言えば、僧侶が読経を行っている時間がこれにあたります。遺族やごく親しい人が中心になって営まれます。
次に、告別式は、故人の友人や知り合いが参加する社会的な儀式。参列者は、遺族に慰めの言葉を寄せ、ひとりひとり焼香したり献花をするなどして、故人に最後の別れを告げます。
このように、たとえて言えば、結婚の際の結婚式と披露宴のような関係にあたる葬儀と告別式。ところが現代では、参列者を長く待たせるのは失礼になるとか、火葬の時刻が決まっているなどの理由で、同時進行させることも多くなってきました。すなわち、葬儀の最中に参列者の焼香を開始し、短時間でその双方を終わらせようとするのです。しかし本来、遺族が故人への想いに集中すべき時間である葬儀と、参列者への感謝を示したい告別式とは、まったく心の持ちようが違うもの。そのことをよく認識した上で、もう一度、葬儀・告別式について考えたいものです。
Q お通夜はもともとどんな意味があり、なぜ行うのですか?
A 本来、通夜とは、家族やごく内輪の人だけが、まだ居なくなったという実感のおきないまま、しばらく死者とともに過ごすことです。ですから儀式というより、そのような時間帯のことなのだと考えたほうがいいでしょう。本来はこのように、家族が死者と静かに過ごす時間なのですが、今では多くの人がかけつける儀式に変化しています。
Q 通夜は死亡した日にやらなければならないのですか?
A 本来は家族が死者と過ごす時間ですから、死んだ日が通夜であるはずです。しかし今は多くの人が集まる儀式になっており、準備も大変ですので、死んだ日に「仮通夜」と称して家族が死者と過ごし、葬儀・告別式の前日に通夜を行うようになっています。
Q 葬儀と告別式の違いは?
お葬式の看板を見ると「葬儀会場」と書いているのと「告別式会場」と書いているのがあります。「葬儀」と「告別式」とは同じなのですか、それとも違うものなのですか?
A お葬式の道案内に「葬儀会場」「告別式会場」とあるのは同じ意味です。しかし「葬儀」と「告別式」とは厳密には同じ意味ではありません。
一般にお葬式で人々の会葬を受ける場は「葬儀・告別式」です。これは本来は「葬儀(式)」と「告別式」とが別個に行われていたのが一緒に行われるようになったためにできた言葉です。「葬儀ならびに告別式」というのが丁寧な表現になります。これを会場案内等に書くときには、「葬儀・告別式」と併記しないで「葬儀」または「告別式」のいずれかを用いるのが慣用となっています。
「葬儀(式)」とは本来は死者をあの世へ送るための儀式です。ですからしばしば宗教儀礼によって執り行われます。
これに対し「告別式」とは参列あるいは会葬した人たちが、焼香や献花をもって死者に対してお別れをする儀式のことです。
本来は葬儀(式)を行った後に告別式を行いました。いまでも社葬等の場合には葬儀(式)と告別式とを分けて行います。
社葬等の場合は、葬儀(式)は13時から14時まで、告別式は14時からというときには、葬儀(式)に参列していただく方には葬儀の開始時刻を連絡しますが、死亡広告等の一般の方への案内では告別式の開始時刻である14時のみを案内します。
一般の葬式では葬儀(式)と告別式とを分離しないで行うケースが多いので「葬儀ならびに告別式」となります。
なお、近年は通夜に会葬される方が多くなっています。本来は通夜は近親者が死者と最後のお別れをする場ですから、特別に死者と親しかった人以外は弔問しないものでした。いまでも地方では通夜は近親者だけで営むところがあります。
しかし、昼間は仕事があるので夜行われる通夜にしか弔問できないということで通夜に弔問する人が多くなったようです。
特に死者と親しかった人は通夜にも、翌日の葬儀・告別式にも両方出ます。それほど親しいわけではないがお別れしたい人は、昼間都合がつくならば告別式のほうへ出るというのが本来です。
しかし、近年は死亡告知において「通夜 11月10日 18時から、告別式 11月11日 11時から」と案内されることが多いようです。この場合にはいずれに弔問してもいいですよという意味になります。
以前は、葬儀と告別式は本来は別々に行われていました。
しかし現在は環境や宗派などの事情によって同時に行われる事が増えてきています。
● 「葬儀」とは、遺族や親近者が故人の冥福・成仏する事をお祈りする儀式です。
● 「告別式」とは、知人や友人が故人とのお別れをする儀式です。
告別式は、葬儀の後にあらためて行われる式でしたが、
現在ではよほど大きな葬儀以外では焼香を中心に同時に行われる事が一般的になっています。
■通夜
通夜は「夜伽よとぎ」「添い寝」などとも言われ、故人と親しい付き合いをしていた人が集まり、葬儀の前夜に夜通し邪霊などから遺体を守り、故人との別れを惜しむものでした。
現在では、午後6時頃から通夜がはじまり、午後10時頃までには通夜ぶるまいが終了する「半通夜」が一般的です。遺族はその後も灯明、線香の火を絶やさぬように遺体に付き添います。
■席次
通夜の席次は厳密には決まりがないのですが、故人との血縁の濃い順、関わり合いの深い順に座るのが一般的です。祭壇の正面には僧侶が座ります。祭壇に向かって右側には喪主、遺族、親族が座り、左側には世話役代表、知人、友人、会社関係者などが座ります。一般弔問客は到着順に座ります。
■通夜(仏式)の進行
僧侶が到着したら、世話役が控え室に案内し、喪主と世話役代表はあいさつに出向き、茶菓でもてなします。祭壇などを確認してもらい、通夜の打ち合わせをします。
喪主、遺族が着席し、参列者が着席します。僧侶が世話役の案内により入場し、祭壇の前に座ります。参列者は黙礼で迎えます。
僧侶の読経が始まります。弔問客が多い場合には、読経中に僧侶の指示により焼香が始まることもあります。喪主が最初に焼香し、遺族、親族が焼香します。祭壇前で僧侶に一礼し焼香台の前に進み合掌し、焼香します。もう一度合掌し、参列者に一礼して席に戻ります。次に参列者が順番に焼香していきます。喪主、遺族は参列者に対して黙礼します。
読経、焼香が終わると僧侶が退席します。「説教」「法話」をすることもあります。僧侶が退席した後、遺族を代表して喪主があいさつをします。通夜の後は、弔問客を通夜ぶるまいの席へ案内します。
■僧侶へのお礼
僧侶への読経のお礼や仏名代などを「御布施」と言います。一般的には、葬儀が終了した後に枕経、仏名代、読経料を一括で渡します。通夜のあとには僧侶を通夜ぶるまいの席へ案内します。もし、僧侶が通夜ぶるまいを辞退する場合には「御膳料」を「御車代」とともに渡します。御車代は、寺院以外の会場で通夜、葬儀を行う場合に渡します。渡し方は新札を用意し、白封筒に入れて渡します。
■通夜ぶるまい
通夜のあとに、故人の供養、弔問へのお礼として設けます。通夜ぶるまいの料理には、以前は精進料理を用意していましたが、最近ではあまりこだわらずに寿司や刺し身なども出しています。日本酒などの酒類も「お清め」の意味で用意します。
通夜ぶるまいの席を設けない場合は、喪主のあいさつで事情を説明し、会葬礼状とともに「粗供養」として折詰めと日本酒1合びんか缶ビールなどを渡します。通夜ぶるまいの席ではお酒が入ることもあり時間が長くなることもあります。予定の時間が過ぎたら、喪主か世話役代表はお開きのあいさつをし、同時に葬儀、告別式の案内をします。
■通夜(神式)
神式の通夜は「通夜祭」といいます。通夜祭では、御霊移しと言われる「遷霊祭」も行われます。祭壇には、常饌(野菜、果物、魚など生の状態の食物)をお供えします。故人の好物などをお供えすることが多いようです。
一般的には、氏神である神社の神主が通夜、葬儀を司り「斎主」と呼ばれます。斎主による献饌、祭詞、誄詞の奏上のあと、遷霊祭に移り斎主、喪主から玉串を供え、遺族、一般参列者と続きます。
神式での通夜ぶるまいは「直会」と言われています。お清めの意味でもある酒類、寿司や仕出し料理などが用意されます。神式では、死とのかかわりを避けるため、喪家で火を使うことはタブーとされ、喪家で調理されたものは出しません。直会の席での時間は1時間程度で切り上げます。
■通夜(キリスト教式)
カトリックでの通夜にあたる儀式は「棺前祈祷式」「前夜式」と呼ばれています。自宅で神父とともに祈り、聖歌を歌います。その後、神父の説教を聞き、故人をしのんで思い出話などをします。プロテスタントの場合は「前夜祭」「前夜式」と呼ばれます。牧師による前夜式宣言で始まり、祈祷、賛美歌の合唱などが行われます。
■葬儀・告別式前の準備
葬儀、告別式の前には喪主は世話役代表、葬儀委員長、僧侶、葬儀社と打ち合わせを行います。式がスムーズに進むよう、弔問者に対して失礼のないように配慮します。打ち合わせでは、葬儀、告別式の席次、司会者、弔辞や弔電の順番、進行手順の確認、祭壇や供物、供花の配置などを確認します。司会者には名前の読み間違いがないように人物、会社などの読み方を伝えておきます。
■葬儀・告別式の手順(仏式)
喪主、遺族、親族、世話役、一般会葬者の順に席に着きはじめ、10分前には全員が着席します。世話役の案内により僧侶が入堂します。椅子席の場合は一同起立し、軽く頭を下げむかえます。司会者の葬儀開始のあいさつではじまります。
僧侶による読経、引導がはじまります。宗派、規模によって内容、時間は異なりますが、30分から40分程度です。
弔辞の拝受、弔電の紹介。弔辞は前もって依頼しておきます。司会者から弔辞を依頼した人の名前を故人との関わりとともに「○○様」と紹介されます。弔電は全文を2、3通読み上げ、残りは名前だけを読み上げていきます。
焼香がはじまります。まず僧侶がはじめに焼香し、僧侶または司会者の合図により、喪主、遺族、近親者の順で焼香します。
喪主、遺族は起立し、司会者のあいさつにより葬儀の終了、告別式に入ります。葬儀と告別式を別々に行う場合、僧侶はいったん退堂し、告別式であらためて入堂しますが、最近では葬儀、告別式を続けて行う場合が多いため、僧侶は退堂せずにそのまま行われます。
一般会葬者の焼香がはじまります。喪主、遺族は会葬者に黙礼します。焼香が終了すると僧侶は退堂します。入堂の時と同様に椅子席の場合は一同起立し、軽く頭を下げ見送ります。司会者のあいさつにより告別式が終了し、出棺準備に入ります。
■葬儀(神式)
神式では葬儀を「葬場祭」と呼びます。参列者は「手水の儀」を行ってから席に着きます。葬場祭は、斎主(神官)の入場、修祓(しゅうばつ)・拝礼、献饌(けんせん)、祭詞奏上(さいしそうじょう)、仏式の焼香にあたる玉串奉奠、撤饌(てっせん)・拝礼、の順で行われます。斎主にあわせて手をたたく際には「しのび手(音をたてない)」にします。棺が火葬場に向かう時には「出棺祭」が行われます。
■葬儀(キリスト教式)
キリスト教式の葬儀は一般的にはカトリックとプロテスタントでは内容が違ってきますが、教会の指示により進められます。
カトリックでは神父が入堂し開祭の言葉によりはじまります。ことばの典礼、感謝の典礼、赦祷式(しゃとうしき)の儀式を行い、聖歌の合唱、献花を行います。
プロテスタントではオルガン演奏からはじまります。牧師による招きの言葉、聖書の朗読、祈り、賛美歌の合唱、献花を行います。
1.
一般にお葬式と呼んでいる中で、「葬儀」の部分が、亡くなられた方の魂に対する「儀礼」(葬送儀礼)であり一般的には何かの宗教儀礼に則って執り行われているのに対し、「告別式」は社会に対する告知やお世話になった方への別れの「式典」であり、特に宗教儀礼は必要なく、スタイルも自由。又行うかどうかは喪主・葬家の判断でよい。現在のお葬式が、都市部を中心に戦後昭和30年代の高度成長期を経て、葬儀と告別式を同時に行うようなスタイルになってしまったために、葬儀・告別式の本来の意味も判らずに葬儀社任せで行われているのが現状。
2.
判りやすい考え方は結婚式に当てはめると、「葬儀」は神前や教会で行う「婚儀」に相当し、「告別式」は「披露宴」に相当すると考えると良い。婚儀は身内だけで行われているのに対し、披露宴は友人・職場関係などに披露する式典であり、最近はレストランなどで自由なスタイルで行われていることが多いし、又行わない方も多い。同様に告別式も、家族中心の葬儀と切り離せば、場所もスタイルも自由であり、宗教儀礼は必要ない。
3.
この考え方においては、前段の葬儀は家族・親族が中心となり、会葬者を意識する必要もないので、白木祭壇など余計な飾りを整える必要もない。
4.
最近よく聴く「家族葬」も、ある意味「葬儀」だけを家族・親族のみで行う考え方であり、会葬者を呼ばないか、又呼んでもごく親しい特定の方のみで、故人を偲ぶ時間を大切にしたいという心情的現われでもある。
葬儀とは? 告別式とは?
葬儀とは一般に葬式とも言いますが、正確には葬儀式と言い、亡くなられた方の冥福を 祈り、別れを告げる儀式のことを言います。
葬儀も通夜の起源同様、お釈迦さまの両親が亡くなった時と、お釈迦さまが亡くなられた時にさかのぼります。これは、古代インドの理想的な王であった転輪王の葬儀がその原型となりますが、それは遺体を布や綿で体を巻き棺に入れ、香木の上に載せ火葬にし、その後塔を立て供養するものです。こうした由来に基づき仏教各宗がそれぞれの宗義にあわせて葬儀を行ってきています。
人の弔い方には、土葬、水葬、鳥葬、火葬などがありますが、仏教では火葬を本葬とします。
葬儀式には、寺の堂内や葬儀場で行う堂内式、外で行う露地式、火葬・土葬の現場で行う三昧式、自宅で行う自宅式などがありますが、今日ではほとんどが堂内式、あるいは自宅式です。
これに密葬と本葬があり、後日本葬がある場合、密葬はごく近親者ですませ、一般には案内をしません。
浄土宗では葬儀の法要は新亡(しんもう)(新たに亡なられた人)を極楽浄土に導くための下炬引導(あこいんどう)が中心になっています。下炬とは松明(たいまつ)で火をつける火葬の事で、引導とは新亡を浄土に導くためのものです。ですからこの引導を渡す瞬間が葬儀式での最も大切な時です。この瞬間を遺族、親族で迎え、葬儀式が終わります。葬儀とはあくまで故人のためのものであることを忘れないでください。
この引導を渡したあと焼香になります。区別するとしたらここからが告別式といえるでしょう。 親族の焼香、ついで一般会葬者の焼香になります。会葬者の人数や葬儀社によってはお経が始まるとともに焼香を始めることがありますが、浄土宗の檀信徒ですから、僧侶が引導を渡す瞬間まではすくなくとも会葬者ではなく、法要に、すなわち祭壇の方に集中するようこころがけましょう。
会葬者が多数予想される場合には、葬儀に引き続き告別式をする場合があり、その場合には葬儀は近親者ですませ、席を改め近親者は会葬者近くに並び感謝の気持ちをあらわします。
ですから葬儀と告別式は別のもので、葬儀はあくまで故人のためのものであり、遺族や親族が故人の冥福を祈り、別れを告げるためのもので、告別式とは、故人の友人、知人が最後の別れをする儀式で、本来葬儀に引き続き会葬者全員で遺骨を墓地に埋葬する前に行なう儀式でした。
最近では、一般の会葬者が火葬場まで行くことがないため、告別式は焼香を中心に行なわれるようになり葬儀と告別式を同時に行なうことが多くなっています。
告別式を終えるといよいよ出棺となりますが、その前に会葬者へのお礼を喪主が述べることがあります。喪主に代わって親戚の代表が述べることもあります。
告別式が終わると故人を荼毘(だび)に付します。荼毘に付すとは火葬することです。そして火葬がおわって骨を拾うことを収骨といい、その勤めを灰葬といいます。
ひとくちメモ
葬儀と告別式
・葬儀と告別式はもともと別の儀式で、葬儀の後に告別式が行われていましたが、近頃では葬儀と告別式をはっきり区別せずに行うようになってきました。
・葬儀とは、故人の成仏を祈る儀式。告別式とは、故人に別れを告げる儀式。
■ お通夜とは
お通夜とは、遺族や親しい友人などが、夜通し遺体につきそって 故人を偲んで、最後のお別れをする儀式ですが、 現在では夕方6時から7時ごろから始めて、2時間程度できりあげる 「半通夜」がほとんどになりました。
葬儀と告別式の違い
葬儀とは故人の冥福を祈り、成仏することを願って遺族や近親者が営む儀式です。
また、仏教においても、故人が仏道を修めるために、仏弟子として戒律を授けられる授戒の儀式のため、大切な儀式の一つとなっています。 浄土に導く引導を渡すための儀式でもあるため、各宗派によってどこに重きを置いているかも違います。
一方、告別式は故人の友人や知人が故人と最後のお別れをする儀式です。本来は葬儀に続いて会葬者全員で、遺骨を墓地に埋葬する前に行う儀式でしたが、最近では、一般の会葬者全員が火葬場まで行くことがなくなったために、会葬者の焼香を中心に行われるようになりました。
このように葬儀と告別式はまったく違った意味を持つ儀式のため葬儀が終わると僧侶はいったん控え室に戻り、あらためて入堂して告別式を行うのが正式の形です。
しかし現在では 大規模な葬儀以外では、葬儀と告別式を同時に行うことが多くなってきています。
浄土真宗の葬儀
キリスト教と似ているところがあります。
故人に引導を渡しませんし、追善回向(より高いステージへと回向する)をしません。受戒もしません。
原理主義にはしれば、葬儀すらいらない事になりますが、他の仏教のように葬儀をします。
葬儀ではよって、故人の徳を偲び、阿弥陀如来の聖を確認し 親鸞さんの教えを守ることを確認する儀式です。
先請阿弥陀
三匝(さんそう)の鈴は 大きな鈴(りん)を小さい音から大きい音へと打ち鳴らします。
路地念仏(南無阿弥陀仏)を唱えます。
表白(ひょうびゃく)は引導のようなもので、「思うに無常の嵐は時を選ばず処を定めず、老少のへだてあることなし。
しかるに恩愛の絆、いよいよ断ちがたく別離の情、また去りがたし。阿弥陀如来はかかる煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の我等を憐れみたまい、超世の悲願を立てたもう。
まことにこの本願の力によらざれば、いかでか出離生死の道あらんや・・・」と、そして「正信偈」、回向と続きます。
葬儀と告別式
・葬儀とは、遺族と近親者のみで故人を成仏させる儀式
・告別式とは、友人や知人が成仏した故人に別れを告げる儀式
・葬式とは、葬儀と告別式が一緒になったもの
葬儀の進行
1)参列者着席
2)僧侶入場
3)開会の辞
4)読経
5)弔辞・弔電披露
司会者が氏名を呼び、前へ進み、読み終えた弔辞は霊前に供える
弔辞後に弔電を紹介
6)読経
読経の間に参列者が焼香する
焼香後に読経を締めくくる
7)僧侶退場
告別式
・遺族・親族は、通路を隔てて一般会葬者と向き合う
・読経が始まったら、会葬席順に焼香する
・告別式では遺族は焼香しない
・焼香後に僧侶は読経を終えて退場する
・司会者が閉会の辞を述べて終える
・葬儀と告別式、何が違うの?
なぜ「葬儀・告別式」と、二つ並んで表現されているのか。これはそれぞれ別の性格を持つ、二つの儀式であるからです。
「葬儀」とは、故人をこの世からあの世へと渡らせる宗教的儀式であり、
一方「告別式」とは、故人と会葬者が最後のお別れをする社会的儀式であるのです。
本来は、別々の儀式なのでそれぞれ分けて行われていたのですが、
近年では「葬儀・告別式」として両方を約一時間程度で同時に進行しているのです。
分けて行うと時間もかかるし、それに伴って親族も会葬者も負担が増えてきますし。
お坊さんがお経を読んでるのは→葬儀、
会葬者が焼香して別れを告げるのは→告別式、ということです。
普通、同時に進行されているでしょ??
これが現在の一般的なスタイルになってしまいました。それがいいのかどうかは私にはよくわかりませんが、
「告別式」の方が「葬儀」よりも位置づけが強くなり、それは問題だ!という声もあるようです。
聾儀は、ご遺族か故人の成仏をお祈りする儀式です。また、告別式とは、ご遺族や故人と親しかった方が、故人と最後のお別れを告げる儀式です。
浄土真宗では、心身の死滅は、同時に仏の願力により浄土へ生まれさせていただくことです。従って、ご葬儀は、故人の生前を偲び、哀悼の念に基づいて行われます。
(宗派により、その意味合いが異なる場合があります)
「密葬」とはどんな葬儀ですか。──そんな質問をいただきました。
「密葬といったり家族葬や身内葬などというけれど、どう違うのか」とか、「密葬や家族葬のやり方を知りたい」という投書も少なくありません。
言葉の概念は時代や社会とともに変化します。結論からいえば、現在では密葬も家族葬、身内葬も、ほとんど同じ意味で使われているようです。
身近な者たちだけでシンプルで心のこもる葬儀にしたいというような意味です。あえていえば、家族葬は家族だけで、身内葬は少し範囲を広げて。そんな違いでしょうか。
密葬の起こりは少し違います。井上治代・東洋大助教授(エンディングセンター代表)によれば、密葬には二つの形があります。
一つは「本葬」に先立っておこなう「密葬」。さまざまな事情ですぐに葬儀ができないときに、とりあえず近親者でおこないます。社葬や団体葬にしなければならない、旅先での死去、年末年始の死去などの場合です。火葬後に葬儀をする風習の骨葬地域では、近親者による火葬を密葬と呼ぶことがあるそうです。
もう一つは「本葬」のない密葬。家族葬や身内葬と同様の意味でおこなう葬儀です。
戦後の「高度成長」期、葬儀も変化しました。地縁や血縁がうすれ、会社関係者など遺族とは直接かかわりのない人の参列が増え、肥大化しました。葬儀料高額化という業界戦略もありました。
遺族は葬儀に集中できず、名前も知らない義理の参列者に頭を下げつづける…。
そんな傾向に抵抗する形で、1990年代以降、家族葬や身内葬が登場し、密葬のもう一つの形も生まれたのだそうです。
核家族化や、高齢社会化も背景にあります。高齢化で故人の知人や縁者が少なくなっている。退社時の社縁もうすくなった。そんな事情です。(連載第4回)
「密葬や家族葬のやり方を教えてほしい」という質問に答えるのは、実はむずかしい。
家族葬や密葬は会葬者の範囲にかかわるものであり、葬儀の内容(やり方)についての言葉ではないからです。 伝統的な仏教式や、神道、キリスト教でおこなう家族葬や密葬もあります。無宗教葬や宗教にとらわれない葬儀、故人や遺族の工夫でおこなうオリジナルな家族葬や密葬も可能です。共通項は?シンプル=簡素?でしょうか。
ただし──。エンディングセンター代表の井上治代さん(東洋大助教授)は、密葬や家族葬にもさまざまな準備や配慮が必要だと指摘します。
まず、事前の家族間の話しあい。故人になる人が「こんな葬儀にしてほしい」と書き残しておけば、遺族は助かります。「世間体」などを持ち出す親類がいるからです。
自宅で葬儀ができない場合の式場の選定も大事です。葬儀会館の大ホールでは大きすぎるし、もったいない。
井上さんは実父の葬儀を葬儀会館のホールでなく、2間つづきの控えの間でおこないました。そんな使い方ができる会館を事前に探していました。使用料はホールの3分の1。アットホームな心安らぐ葬儀ができたといいます。
死去と葬儀を誰に知らせるか。事前にリストを作っておくことも大事です。井上さんは父の死去のとき、遠方に住む夫の家族などには「葬儀はせず、ささやかなお別れをします。その時間に父を想ってやってください」という趣旨の連絡をしました。
もう一つ大切なこと。葬儀前には知らせなかった人々にきちんとあいさつすること。無二の親友との最後の別れをしたかったと思うのも、当然の人情です。だから、コピーでいいから自前の文章でていねいに、と提唱します。
「告別式」とは…
「○○家葬儀・告別式式場」
こんな看板をよく見かけます。新聞の死亡通知にも、「通夜は○日○時、葬儀告別式は…」という記述があります。葬儀の文字を省いて「通夜は…、告別式は…」というのも、よく見かけます。
実は、葬儀と告別式は別のものだそうです。
「(告別式は)本来は友人・縁故者が故人に別れを告げるための儀式であるが、実際には故人および遺族の関係者が遺族を弔問する儀式としての性格も強くなっている」(吉川弘文館『民俗小事典死と葬送』)
葬儀は、通夜、葬儀式、火葬(埋葬)など、死者を葬る一連の行為。国や地域によって特色があります。さまざまな宗教的意味づけがされていることが多い。
一方、告別式は宗教とは関係のない「別れ」の行為。結婚にも、宗教ともかかわる「結婚式」と、そうでない「披露宴」とがあります。
ところで、日本で最初の告別式は1901年(明治34年)12月17日だったそうです。
故人は中江兆民(1847ー1901)。式を企画したのは板垣退助(1837ー1919)ら。ともに高知県出身の、自由民権運動の指導者です。
兆民(本名篤介)はフランス留学後、主権在民の立場で文筆活動。1890年の第1回総選挙で大阪から当選したけれど、議会の腐敗を批判して辞職しました。唯物論者で、無神論者でした。
死を間近にして、「葬式は不要。すぐに火葬場に送り荼毘(だび)にしろ」と遺言。困った遺族が板垣らに相談し、板垣らが宗教にかかわりのない「告別式」を考え、新聞広告にしたのだそうです。いわば現在の「お別れ会」です。
葬儀に代わるものとして始まった告別式。戦後の高度成長下で、葬儀もやり告別式もやるという形になり、しかも大規模化していきました。いま、その見直しが始まっているようです。
葬儀とは、一般的には、告別式の前に行われる祭儀をいい、正確には葬儀式といいます。しかし、広い意味では、人が死亡してから法要までの一連の儀式をさします。
葬儀の目的は、遺族や近親者などが故人の冥福を祈り、成仏することを願うことです。葬儀には仏式、神式、キリスト教式などがあり、宗教により様式が異なります。現在日本で行われる葬儀の多くは仏式によるものですが、そのしきたりは、各宗派や地方、会場などによって多少の違いがあります。
仏教での葬儀式の手順は、宗派や地域により違いがありますが、一般的には次のような順で行われます。
遺族・親族・参列者着席→僧侶入場→開式の辞→読経→弔辞・弔電披露→焼香→僧侶退場→遺族代表挨拶→閉式の辞
一方、臨終から法要までの一般的なスタイルによる大まかな流れは次のようになります。
臨終→葬儀準備→納棺→通夜→葬儀・告別式→出棺→火葬→直後儀礼→精進落とし→納骨→法要
葬儀に関しては、葬儀社の人が手はずを整えてくれるので、特別な準備や心配の必要はないでしょう。
葬儀の種類にはいろいろあります。日本で葬儀というと、仏式がほとんどですが、宗教により、神式葬儀、キリスト教式葬儀、また新興宗教にもそれぞれの形式があります。
「密葬」や「家族葬」といった葬儀もあります。どちらも主に親族や親しい者だけで行う葬儀ですが、別のものです。
「密葬」は「本葬」とセットで行う葬儀。故人が有名人であったりして、多くの会葬者がいる場合には、まず、親族や親しい者だけで葬儀を行うことがありますが、これを「密葬」と呼びます。そして後日、一般の参列者を招いた「本葬」を行います。
これに対して、「家族葬」は単独で行う葬儀で、家族や親しい友人など少人数で行います。
また、葬儀の種類には、会社が主催して行う「社葬」、葬儀をせず火葬のみの「直葬」、宗教者を招かずに、宗教色を抜いた自由な形で行う「無宗教葬」、従来の葬儀の形式にこだわらず自由な発想で行う「自由葬」、生演奏やCDなどによって音楽を献奏するような、音楽を重視した「音楽葬」、本人が生きているうちに行う「生前葬」などもあります。
葬儀はいずれの方法で行うにしろ、大事なことは故人と関わりのあった人たちが、心を込めて葬儀を行うことでしょう。
お葬式とは、辞書などによると、「葬儀ともいい、故人の冥福を祈り、成仏することを願って遺族や近親者が営む祭儀の一部」となっています。しかし、一般的には、葬儀と告別式が一緒になったものをお葬式と呼んでいます。
お葬式のうち、葬儀が遺族や近親者が故人の魂を送るために行う宗教的な儀式であるのに対して、告別式の方は、故人の友人、知人が最後の別れをする社会的な式典をいいます。
かつて人々は、葬儀の後、墓地のある寺や火葬場まで、列を組んで遺体を送りました。これを、葬列または野辺送りといいますが、これに代わって行われるようになったのが、現在の告別式。もともと告別式は葬儀が終わってから行われるものでした。
しかし最近では、一般の会葬者が火葬場まで行くことがなくなったため、告別式は焼香を中心に、葬儀と同時に行うことが多くなっています。一般の弔問客も葬儀から出席することが多くなりました。
しかし本来、遺族が故人への想いに集中すべき時間である葬儀と、参列者への感謝を示したい告別式とは、まったく心の持ちようが違うもの。そのことをよく認識した上でお葬式を行うようにしたいものです。
お葬式とは、一般的に、遺族や近親者が故人の魂を送るための宗教的儀式である葬儀と、故人の友人、知人が最後の別れをする告別式が一緒になったものをいいます。
お葬式は、宗教や宗派、地域、故人の生死観などによりスタイルが異なりますが、現在日本で行われているお葬式の多くは仏式によるものです。
お葬式の流れは、一般的には次のように行われることが多いようです。
一同着席→僧侶入場→開式の辞→読経→弔辞・弔電披露→遺族焼香→僧侶退場→遺族代表挨拶→閉式の辞
次に告別式に入ります。
僧侶入場→開式の辞→読経・会葬者焼香→僧侶退場→遺族代表挨拶または出棺→閉式の辞
なお、お葬式は、社葬などの場合は、葬儀と告別式を分けてやる場合が多いようです
遺族を中心に親類・知人・友人・近隣の人々が集い、故人の生涯に思いを寄せながら、冥福を 祈り、追憶にふける一夜の集いのこと。昔は、遺体を守る意味があり、夜になって野獣などが 襲ってこないように付き添い夜を明かしたといわれています。今日では半通夜といって、午後七時 から十時頃までに営まれるのが普通。
葬儀とは、遺族と近親者のみで故人に別れを告げ、成仏させる儀式。
弔辞・弔電の拝読、指名焼香等を行う。
告別式とは、友人や知人が成仏した故人に別れを告げ、一般の大勢の方の会葬がある儀式。
通常の個人葬の場合は、葬儀と告別式を一緒にしたものが多い。
葬式とは、葬儀と告別式が一緒になったもの
(1)
通夜
・通夜とは、
通夜とは、夜を徹して死者を見守り、生きている時と同じように仕えながら、死者と遺された者が最後に交わりをもつ時間なのです。遺族の心情においては、死者はまだまだ生きている家族なのです。こうした遺族の心情を大切にして通夜を過ごしたいものです。
・現代の通夜は、
親族が地元にいるとは限らず、また、いろいろな人に連絡する都合もあって、
死の当日は「仮通夜」と称して家族で死者を見守り、葬儀・告別式の前日を「本通夜」とするケースが多く見られます。
・(本)通夜は、
夜の6時〜7時の1時間程度を僧侶の読経と弔問客による焼香にあて、終了後弔問客に対して「通夜振る舞い」の酒や食事を供し、1〜2時間で順次散会、後は遺族や身近な者だけで死者を見守る、というのが一般的です。
“通夜”とは、その字の通り夜通し遺体とともに過ごすことを言うのですが、現在では夜通し柩を守るのは近親者に限られます。
通夜は正式な儀式ではなく、身近な親しい人の集まりなので厳密なしきたりといったものはありませんが、席順は血縁の近い人から祭壇のそばの席に着くのが普通です。
(2)
葬儀・告別式
・葬儀式と告別式の違いは、
葬儀式とは死者をこの世からあの世に引き渡す宗教的な儀礼であり、告別式とは会葬者が遺族に慰めの言葉を寄せ、一人一人焼香または献花して死者に別れを告げる儀礼であって、本来は違った性格のものなのです。
ところが、現代にあっては参列者が忙しい、火葬の時刻が定まっているなどの理由から、葬儀式と告別式とを併せて1時間程度で済ますことが要請され、葬儀式と告別式の同時進行が一般的となったため、現在の葬儀・告別式が誕生しました。しかしこのあり方には批判もあり、再考を要する時期に来ています。
大規模葬儀に見られる「密葬ー本葬」方式、最近流行の「密葬ーお別れ会(偲ぶ会)」方式は、機能から見れば葬儀式と告別式を分離して行おうとするものと理解できます。
人との関わりが深くない場合は告別 式に
そもそも通夜の儀式は、故人と親交のあった人びとが最後の一夜をともに過ごし、冥福を祈る目的で行われるものですから、親しい関係者は通夜、葬儀、告別式を通して参加します。しかし最近では、通夜も葬儀の一儀式としてとらえられ、出席するのが当然のように思われています。
故人と関わりが深くなかった人は、通夜には出席しないで、葬儀・告別式に参列すればよいのです。
また都合でどちらか一方にしか参列できない場合は、葬儀・告別式に弔問するのがよいでしょう。
会社関係の場合は代表が通夜と告別式に 会社関係の場合は、個人的に親しい人と代表者が通夜と告別式に出席します。ほかの人たちは、告別式だけに弔問すればよいでしょう。
どうしても都合がつかない場合は通夜だけに出席 告別式にはどうしても都合がつかないというような場合は通夜に出席し、お別れをします。また、その席で世話役などに告別式に出席できない断りとお詫びをしておきます。わざわざ喪主を呼び出すにはおよびません。
通夜に列席して故人の冥福を祈る さほど親しくなくても、親戚は通夜に参列し、故人の冥福を祈るとともに遺族へのお悔やみを述べます。 香典・供物なども通夜に持参 香典の金額は、故人あるいは遺族との関係、さらに自分の経済力を考慮して決めます。
一家の経済を支えるような人が亡くなった場合は、遺族のことを考慮して少し多めにするのも親戚としての心配りです。
親戚は、香典のほかに供花などを贈る場合もありますので、喪主にたずねて、喪主の意向に沿ったものを贈るようにしたいものです。
また「親戚一同」とするような場合は、他の親戚との相談が必要です。祭壇の周りを飾る花にデザイン効果を考える場合もありますから、「供花代」として現金を包み、喪家から注文してもらうのも一法です。
酒や現金などを持参して通夜ぶるまいに協力する 親戚として、通夜ぶるまいへの心づかいも忘れたくないものです。酒やおつまみ、菓子など通夜の席に出せるものを持参するか、「御寂見舞」などとして、現金を贈ります。
●ふつうの近所づきあいなら一家から一人が代表で
同じ地域に住む隣人として、通夜に弔問します。親しくおつきあいしていた場合は別として、ふつうのおつきあいなら、一家から一人が代表者として弔問すればよいでしょう。
●香典は近所でのしきたりや習慣を考慮する
地域によっては近所づきあいの習慣やしきたりがありますから、香典などは、それらを無視しないようにします。
近所づきあいでもとくに親しかったり、特別に世話になったりしているときは、手伝いを申し出るほか、ご近所並みよりも多少プラスするとよいでしょう。
●親しくしていた人は通夜ぶるまいの席にも着く
ご近所というだけなら、弔問後はすぐに辞したほうがよいかもしれませんが、故人や遺族と親しくしていた場合は、通夜ぶるまいの席に着いて、故人を偲びたいものです。
ただ職場関係者でにぎわっているときなどは、状況を判断します。また、遺族が本当に寂しさを実感するようになるころに、改めて訪問し、故人を偲び、遺族を慰めるのも一法かも知れません。
参考・・・キリスト教を参考にして、浄土真宗流の我が家の「通夜の集い」「葬儀、告別式」を考えるために・・・・・ある門徒の方より提案いただきました。
式で必要な聖書や讃美歌の一節を印刷しておく 本来キリスト教では通夜は行いませんが、日本の習慣に従って前夜祭を採用しています。その内容は、仏式に添ったものがほとんどです。
しかし、信者の場合は臨終に際して「病者の塗油の秘跡」(カソリック)、「聖餐式」(プロテスタント)が行われます。キリスト教式の葬儀は国内ではごくわずかですので、喪家は、参列者のためにいろいろ配慮をしておく必要があります。そのひとつに式のなかで取り上げられる聖書の一節や讃美歌(プロテスタント)・聖歌(カソリック)が挙げられます。それらはあらかじめ印刷をし、受付で配布するようにします。また参列者全員がそれぞれ献花をしますが、花に不足がないように手配しておきます。
通夜ぶるまいは茶話会形式 キリスト教では通夜ぶるまいはなく、司式の牧師、神父さんとともに身内だけで茶話会をする程度です。紅茶やコーヒーに菓子を喪家で用意し、故人の思い出を語ることに重きがおかれます。喪家によっては食事を用意するケースもみられますが、この場合、酒類を出すことは控えます。
「お車代」として白い封筒に包む キリスト教式の通夜を自宅で行った場合は、仏式や神式のように、「お膳料」を包む必要はありません。「お車代」と白い封筒に表書きして司式者に渡します。
−通夜の集い−
カトリック
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−前夜式−プロテスタント
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葬儀・告別式
ほとんどの葬儀は教会で行われる キリスト教式の葬儀の多くは教会で行われます。自宅から棺が出るときが「出棺」のときで、その際は、神父あるいは牧師が棺に付き添います。
最近では葬儀の前に教会へ運び込まれているケースが多いので、「出棺」は、葬儀・告別式が終了し、教会から棺が出るときと考えてよいでしょう。
プロテスタントは信者以外でも行ってもらえる キリスト教式には、プロテスタントとカソリックがありますが、カソリックの場合は、原則的に信者のみ教会で葬儀が行えます。一方のプロテスタントは、信者でなくても故人の遺言で希望があれば、教会で葬儀を行ってもらえます。また、教会以外の自宅や斎場に牧師を招いて行うこともできます。
教会堂内の準備には教会の習慣を尊重する 宗派、教会によって、決まりや習慣が違います。世話役は教会の担当者や司式の牧師、神父に相談し、その指示に従って準備をします。その教会に馴れている葬儀社に頼むのが便利です。また、世話役を信者の仲間にお願いするとスムーズにいくでしょう。
葬儀の飾りつけは、教会が行うのが一般的です。教会堂内には、花輪などを並べることはできませんし、供花の名札を取りはずすのが常識。供えた人の名は教会の外に列記します。
服装は、仏式や神式に準じて、洋服でも和服でもかまいません。カソリックでは、女性の遺族は、黒いベールをかぶることもあります。また教会堂内に入る際や祈祷が行われるときに十字を切る習慣がありますが、信者以外は必要ではありません。
仏式の用語を用いないように注意する キリスト教では、死は神のもとに召された記念すべきことで、故人の死を悲しむものではありません。葬儀内容も神への栄光をたたえ、故人をその御許へ受け入れてもらえるように祈ることです。ですから、葬儀で使う言葉も注意して、仏式の用語を用いないようにしましょう。
式次第や引用される聖書、讃美歌、聖歌を印刷する 弔問客に式次第や引用される聖書、 讃美歌など、式の進行などを理解してもらうために、式次第や聖書の一節また讃美歌などを印刷して受付で手渡します。
弔辞、弔電の最終確認。世話役は早めに会場に 世話役は、式次第と照らし合わせて、弔辞、弔電披露などの最終確認を行っておきます。また世話役は早めに会場へ行き、受付の準備をし、三十分前には受付を開始します。
ミサのあとに告別式が続く 1.出棺の儀 葬儀は教会で行われますが、棺を自宅から教会へ移すのが出棺の儀です。
神父に自宅へ来てもらい、出棺の祈りを行います。遺族は故人と最後のお別れを行い、遺影とともに棺を教会へ運びます。
2.参列者着席 席順は、最前列に喪主、遺族、近親者と並び、友人・知人、会社関係の人がそれに続きます。
一般会葬者は、式の開始十分前くらいまでには受付をすませます。一般参列者は、到着順に前から詰めて座ります。献花もこの席順で行われます。
3.入堂式 聖歌が流れるなかを、神父が奉仕者を伴って入堂します。参列者はこれを起立して迎えます。
入堂した神父は、祭壇と棺に献香を行い、入祭の言葉を述べますが、これは、仏式や神式の開式の辞にあたります。カソリックでは司祭自身が司式をします。
4.ミサ ミサは葬儀の中心的な儀式です。内容は教会によって異なりますが、聖書朗読や神父の祈り、聖体拝領が中心となります。
ミサの一例を挙げますと、
聖書朗読 |
神父によって聖書の一節が朗読され、続いて詩編の一節を参列者全員で合唱します。 |
福音書朗読 |
新約聖書の一節が朗読されます。葬儀ミサでは、死者の復活について説かれている一節がよく読まれます。 |
説教 |
短い説教に続いて、パンとブドウ酒を神に捧げ、復活の希望を述べた奉献文を唱えます。参列者はこの間静かに聞いています。 |
聖体拝領 |
パンとブドウ酒を信者に与える儀式です。信者でない人は席に座って見守ります。 |
5.告別式 司会者が告別式の開始を告げます。故人の略歴が紹介され、弔辞、弔電の披露が行われ、遺族代表による会葬御礼のあいさつと進んでいきます。 続いて、オルガン演奏や聖歌合唱のなかを参列者全員による献花が行われます。まず司祭が行い、喪主、遺族や近親者、一般会葬者と続きます。
出棺を教会の外で見送る場合は、献花のあと順次退場して、霊柩車の脇で待ちます。教会内で見送る場合には再び着席しますが、どちらになるかは係員が案内しますので、その指示に従います。
・通夜には行くべきか、行かぬべきか…
「通夜」とは、読んで字の如く、「夜」を「通じて」故人を見守るという意味を持つもの。
一晩中、ご遺族の方が灯明・線香を絶やすことなく故人のそばで過ごします。
古くからの慣例では、「通夜」とは、このように近しい者だけでするものですから、本来は親族以外の友人や会社関係の方が出席するものではないと考えられます。
が、最近では、会社を終えてからの時間で出席出来るという利便性から、葬儀よりも通夜に参列される方が増え、通夜の場が「告別式」のような形になっているようです。
これは特に都会に行けば行くほどよく見られる特徴で、私が仕事している地方では、まだまだ通夜は内々だけでするものという意識も強くて、一般会葬者は葬儀に出席してもらうという形をとるご遺族もいらっしゃいます。
ということなので、 弔問に伺う側としては、
お通夜の日時&告別式の日時を両方とも教えていただいた→通夜もお葬式も参列する
告別式の日時だけを教えていただいた→お通夜には行かずにお葬式にだけ参列する
という考えでいいのではないでしょうか…。
もし通夜は内々だけで済ませるつもりならば、ご遺族が訃報を伝える際に訃報とともにその旨も一緒に伝えられるハズです。
必ずしも参列することが100%正しい思いやりではないところが難しい。
内々で済ませるつもりで、弔問客への接待の準備は全くしていない所へ押し掛けられたら…
ご遺族も気を遣わなければならないばかりです。よく考慮して参列するようにしましょう。
故人と過ごす最後の大切な時間、「通夜」について考えてみました。
● 通夜は、生と死の境界上にある時間
かつて人々は家族が死ぬと、一定期間、まるで生きているかのように、食事を出すなどの世話をしていました。その習慣を殯と言いますが、通夜はこの殯の遺習であるとも言われています。確かに現代でも、身近な者の死はなかなか受け入れがたい事実。心のどこかでは、まだ生きていると思いたいものです。通夜では、このような遺族の心情を最も大切にします。近頃では、死の当日は「仮通夜」と称して家族だけで死者を見守り、葬儀・告別式の前日を「本通夜」とするケースも多く見られます。また、東京の都市部では通夜の弔問客が告別式の参列者より多くなる傾向があるため、告別式並に営まれることも多くなってきました。
かつて通夜の飾り付けは、棺の前に枕飾りを置く程度でしたが、近頃では告別式と同じように祭壇を飾ることが普通になりました。現代の通夜がたとえ夜間の告別式のようになりつつあるとしても、私はここを強調したい。すなわち、通夜は「告別式」に行けない人が参列する代行日又は予備日ではないということである。遺族や身近な人間にとって、通夜は故人と過ごす最後の大切な時間です。また、遺族は看護で肉体的に疲れている場合もあり、精神的な動揺もあります。弔問に訪れる際は、そのような点に十分留意したいものです。
葬儀の変化
ここ2〜3年、葬儀は顕著な変化を見せている。
その一つが小型化志向である。さまざまな要因があるが、その一つに「最期を故人と親しい人間だけで心おきなく別れをしたい」というのがある。葬式となると弔問客の応対に忙しく、死者と向き合う時間が少なくなりがちである。これに対する不満がある。
遺族や関係者にとって葬儀が重要なのは、故人と充分な別れをすることである。本来は通夜こそがその時間であるが、近年は通夜の様相が変化し「告別式化」を招いている。
会葬者は、平日の昼間よりも夜の弔問が便利ということで通夜に弔問する傾向を増している。通夜は故人と近しい関係の人による営みであるはずなのに、通夜という名の夜間告別式になってしまっているのが実情である。
むしろ葬儀・告別式の当日が密葬化するという傾向を受けて、葬祭業者の中には「通夜式」なることを考え、既に実践しているところがある。「通夜式」とは、つまりは通夜のセレモニー化を図るということで、意味的には通夜の告別式化である。
通夜と告別式は機能的に大きく異なる。通夜は本来は近親者を中心とする営みであり、これと社会性を基本とする告別式が合体することには無理、矛盾がある。
30〜40年前に葬儀式と告別式の合体が行われたことにより、葬儀の社会儀礼化が進んだが、今、それがさらに徹底されようとしている。近親者にとっての葬儀という部分が完全に失われようとしていることへの危機感が、今日の「脱葬式」つまりは葬儀の社会性の否定、密葬化を促している大きな要因となっているのは確かである。
密葬が必ずしも葬儀本来の姿ではないだろう。過度の社会儀礼化は戒められる必要がるが、密葬化は遺族が恣意的に「関係者」の範囲を設定するために、故人と係わりのあった人々を閉め出し、その人たちが別れを告げる機会を奪いかねない。
この一つの解決策が、今日流行の兆しを見せている「密葬─お別れ会」方式である。死の直後の火葬までの葬りは近親者だけで閉じて行い、後日に故人と関係のあった人々を招いてお別れ会を行う。「お別れ会」とは独立形態の告別式の現代的な表現である。
社葬などの「密葬─本葬」方式も解決策の一つである。この場合の本葬は告別式の独立形態であるという意味において「密葬─お別れ会」方式と同様である。
習俗にも類似のものがある。東日本を中心に営まれている「骨葬」方式がそうである。これは、火葬導入時に墓に納めることを最終局面として設定したために火葬の後に葬儀・告別式を設定したという事情があるだろう。だが、結果として近親者による弔いと社会的な弔いとの分離に成功している。
通夜
通夜とは、個人の家族や親しい人たちが遺体を鳥獣から守るために、夜を徹して火をたきながら一夜を明かしたのが通夜の始まりといわれる。通夜は文字どおり夜どおし起き明かすことで、死者に付き添うためのほかに、神仏への祈躊のためにするものがある。神仏への通夜は、神霊が深夜に来臨するのを迎え祭るという考えに基き、平安時代から盛んに行われている。現在でも神社でお籠り堂を持ち、村や部落で通夜堂を維持しているところがある。死者に対する通夜は、死亡から埋葬まで邪霊の侵入を防ぐのがおもな目的で、通夜を「お伽」「添い寝」などといい、相続人が死者に添い寝する風習があるのは霊魂を継承する意味ともみられる。
通夜の作法
“通夜”とは、その字の通り夜通し遺体とともに過ごすことを言うのですが、現在では夜通し柩を守るのは近親者に限られます。通夜は正式な儀式ではなく、身近な親しい人の集まりなので厳密なしきたりといったものはありませんが、席順は血縁の近い人から祭壇のそばの席に着くのが普通です。
葬儀式
仏教の信仰では人は死後釈迦のもとに往生し、仏弟子として成仏するので、葬儀は死者が死の苦しみや迷いから悟りの世界に導かれるための引導を渡すことと、残された人々が読経念仏の供養によって故人の成仏を祈ることが中心になる。神道では、死者の遺骸は墳墓におさめてその霊をしずめ、死者を命とあがめて祖先の神々とともに家の守護神として祭る。供え物、菓子等を幣和泉という。キリスト教のプロテスタントの信仰では、死後、天に召され神につかえるものと信じられているので、死ぬことも昇天とか、天に召されるなどという。
真宗の葬儀・法要の意味
仏事というと、死者の冥福を祈り、仏を供養し、僧侶に施しをすることであると考えられてきた。これは江戸時代以降、死者のための年回(年忌)法要が中心となり、そのために死者の追善のための行事と考えられるようになったからだ。
しかし、真宗では年回法要は故人をしのぶとともに、自らも仏法を聴聞し、仏恩に感謝する行事として行われるものである。
親鸞聖人自身、〈親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず〉(『歎異抄』より)と、亡き人への追善、追福の供養のために念仏をとなえたことはないと述べている。縁ある命を真実世界へと導くためには、まずもって自分自身が仏となると道を歩むことが肝要である。その意味で仏事は、阿弥陀如来の慈悲を仰ぎ、仏法を聞く縁としてのぞむべきである。
葬儀も、亡き人に永遠の別れを告げるための儀礼ではなく、阿弥陀如来の本願力によってふたたび浄土で会えるという思いを確かめあう法会である。
葬儀には昔からさまざまな迷信があり、現在でもそのまま伝えられているものがある。
たとえば日の吉凶、守り刀、逆さ屏風、魔除け、死装束、六文銭、塩をまくなどである。真宗門徒はこうした迷信にとらわれないようにしたい。
なお、いまでは「葬儀・告別式といって、葬儀の直後に告別式が行われ、両方の式が同じ意味合いで行われる場合が多い。本来、葬儀は宗教儀礼であり、告別式は宗教儀礼を含まない故人とのお別れを告げる式である。
臨終勤行(枕づとめ)
遺体の安置が整ったら所属のお寺へ死亡の連絡をし、臨終勤行(枕づとめ)と通夜・葬儀のお願いをする。
臨終勤行は臨終に際し、長年お仕えしたお内仏(本尊)に対して行う感謝のおつとめ。本来は臨終を迎える人が、息のあるあいだに行うものである。
真宗では礼拝の対象はあくまでも阿弥陀如来であり、故人ではない。であるから、臨終勤行にはじまる葬儀儀礼も、故人に対して行うものではなく、本尊に対して行うものである。
また帰敬式(おかみそり)を生前に受け法名をいただいておくべきものだが、受けていなかった故人は、このときに住職にお願いし、法名をつけていただく。
なお、臨終勤行は地方によっては通夜と一緒に行われることもある。不明点があれば随時住職と相談しよう。
通夜の進行例
1、一同着座
2、導師(僧侶)入堂
3、勤行・焼香
導師の指示に従い、喪主・遺族・親戚・弔問客の順に焼香する。
4、法話
省略されることもある。
5、導師退堂
6、喪主あいさつ
7、通夜ぶるまい(お斎)
通夜(夜とき)
通夜とは近親者を中心に夜を徹して、自らの死をもって人生の実相(人は必ず死ぬということ)教えてくれた故人を語り、自分と故人の関係を語り、そして仏の教えに出合う場である。
通夜のおつとめは、故人が長年のお仕えしたお内仏(本尊)での最後のおつとめという意味がある。
葬儀当日の流れ
葬儀は、深い縁に結ばれた人との人生最後の別れをする儀式である。
「葬儀」
「出棺・火葬」
「還骨」
※最近は、初七日法要を還骨時に付七日忌として行うことが多い。
葬儀の進行例
1、一同着座
2、導師(僧侶)入堂
3、開式の辞
4、勤行
5、導師焼香
6、弔辞拝受
7、喪主・遺族焼香
8、一般会葬者焼香
9、弔辞代読
読み終えた弔電と弔辞は、必ず祭壇にそなえる。
10、導師退堂
11、喪主あいさつ
12、閉式の辞
葬儀にまつわる習俗
(すべきではない習俗)
地方によってさまざまな習俗があるが、真宗としてすべきではない習俗に、きよめ塩がある。これは、死をケガレと見なしたり、死者のタタリをおそれる考え方に由来するようだが、そもそも亡き人をケガレやタタリと見なすこと自体、故人に対して失礼な行為と考えるので、こうした習慣は行うべきではない。
真宗にふさわしくない言葉
真宗の葬儀や法要は、仏徳讃嘆(阿弥陀如来の徳をたたえること)と、仏法に出遇わせていただく得がたい縁として営まれる。
以下に挙げる真宗門徒としてふさわしくない言葉は、避けるか言いかえるようにしたい。
【真宗にふさわしくない言葉】
×御霊前→○御尊前、御仏前(葬儀の表書きも)
×冥福を祈る→○哀悼の意を表す、お悔やみ申し上げる
×霊、み霊、魂→○故人
×草葉の陰、冥土→○お浄土、み仏の国
×天国→○ お浄土、み仏の国
×幽明境を異にする→○お浄土に生まれる(還る、参る)
×昇天、天に召される(キリスト教)→○往生する
×泉下、お隠れになる(神道)→○往生する
×永眠、安らかに眠る→○ お浄土から私たちを見守り導く
×星になる→○仏となって私の心に生きつづける
×祈る→○念ずる、願う
×告別式→○葬儀
×戒名←○法名
×回向する→○読経する、おつとめする
×引導を渡す→○おかみそりを行う
×追善供養→○追悼法要
忌み言葉
弔辞やお悔やみ状を書くときに、 一般的に避けなければならない言葉がある。それは、不幸の繰り返しを連想させる重ね言葉や露骨な表現などだ。弔辞などの文案作成後は必ず読み返すこと。類語辞典などからふさわしい言葉を探してみるのもよい。
【忌み言葉・重ね言葉】
いま一度、いよいよ、浮かばれない、追って、返す返す、重ね重ね、重ねて、かつまた、九(苦)、くれぐれも、繰り返し、再々、再度、さぞさぞ、さらに、四(死)、重々、しみじみ、たびたび、近々、次いで、追伸、続けて、なおまた、引き続き、ふたたび、ますます、まだまだ、迷う、皆々様など
葬送儀礼を略して『葬儀』と呼んでいる。日本の習俗的文化の中での「儀礼」とは形が見えないもの、つまり神仏や自然そして先祖や故人に対する礼拝である。葬送においては、故人の魂に対する取り扱いであり、一般的には仏式・神式などの宗教儀礼に則って執り行われることがほとんどである。仏式では僧侶がお経をあげて、家族・親族が中心で執り行われるのが本来の姿。又そこには祭壇や飾りなどは不要で、ご遺体またはご遺骨を対象に儀礼に必用なものが有れば十分葬儀は果たせる。又ご遺体への手のさしのべ方としては、火葬をしてお墓に納骨することで、本来の目的は達せられる。
葬儀・供養の本質が、戦後の慌しい生活環境の中で忘れさられ、遺された劇場型のイベントのように扱われていることに、多くの日本人がだれも気づかなくなっているのも事実で、世間体や極度の知識不足から、高額の費用を何の意味もなさない部分に投じているのが現状。
近年ではこの葬儀と全く目的を異にする「告別式」を同時進行で執り行ってしまっており、そのため会葬者を意識した祭壇や装飾を施し、祭壇前では僧侶がお経を読み葬儀を執り行っている間にも、後ろでは会葬者が参列して告別式が行われているケースが多いが、本来告別式は宗教儀礼は必用なく故人がお世話になった方々へ葬家が代わって別れを告げる式典である。葬儀と告別式は分けて考え、葬儀のみをまず家族・親族を中心にどのような形で執り行うか考えるべきで、告別式はあってもなくてもそれは葬家の考え一つ。最近はこの葬儀の部分のみを{家族葬」というかたちで執り行うケースが多く、地域社会での関わりが薄くなったことや、又長寿命化により現役引退してから久しいということもあり、会葬者はごく特定の方のみとするケースが多いようです。