13、和讃講のこと
和讃講はなにの団体?
私たちのお寺(浄土真宗本願寺派 金照寺)では「和讃講」という「講」をそれぞれの世代で組んでいる。24軒ほどの少ない檀家ではあるが、私の父親も含む親父世代の「老和讃講」、55才〜60才で私たち世代より少し上の「中和讃講」、私たちの「若和讃講」、そして、少し下の世代の「新和讃講」と4グループがある。「老」と「若」、「中」と「新」の和讃講はそれぞれ、親子関係世代であるが、名前はすべて「和讃講」であるため「老」とか「若」をつけて便宜上区分しているだけである。そして、私たちの「若和讃講」が3年前に「中和讃講」から引継ぎをされ「金照寺仏教壮年会」を名乗って蒲生下組の仏壮活動に参加をしている。余談だが「金照寺仏教婦人会」には「若」と「新」和讃講のメンバーの妻たちが参加している。和讃講は男たちだけの会である。
和讃講での学習
他の和讃講も似たりよったりだが、私たちの「若和讃講」では、毎月第3土曜日を基準日にして、毎月、順番で会員宅を会場(それを宿といっている)にして、その家の仏壇の前で正信偈(正信偈をお経だと思っている年寄り門徒がまだいる。正信偈はお経ではない。その意味では布教使の責任は重いよ。永代経や報恩講でいつも思うことだが、年寄りを笑わせることが布教ではない。もっと浄土真宗の教えの本質を少々難解でも参拝者に教えこむことが必要だ。仏教は死者儀礼だけに甘んじてはならない。人間が生きるための宗教でなければならない。聴聞は自分のこととして如来の本願を聞くためにある。親鸞のいう「後生の一大事=死ぬことから逃れられないわが身にて、来世としての「後生」の問題を問うのではなく、精一杯生きた後の死さえ受け入れた上で、自分はいま何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか、今をどのように生きていくのか、という今からの「一大事」について問うこと。」親鸞聖人は、それを「平生業成(へいぜいごうじょう=明日死ぬかもしれない我が身であり、今、知りなさい。今考えよ)」と教えられた=明日ありと思う心の仇桜[あだざくら] 夜半[よわ]に嵐の吹かぬものかは(親鸞聖人が青蓮院で得度した時の歌)を理解している門徒が何人いるだろうか。ということである)のお勤めをするのである。ご住職も一緒に食事を共にしながら、浄土真宗や仏教のことについて話し合うのが恒例となっている。話し合いをすると、同世代ではあるが、それぞれの考え方の違いが分かってくる。私は思うのだが、如来の本願力を信じて日々を暮らすこと、精一杯生きる=念仏する=報恩感謝することが、我々念仏者の生き方であると。如来の本願を「信」じることが「信仰」である。そのことを疑う、迷うこともあろうが、とにかく「信じる」ことである。「信じる者は救われる」とはよく言ったものである。宗教の「信仰」という本質を言い当てて妙である。キリスト教でもイスラム教でも、現実にそんなことがあるのかいな、と思うことを信じている。だから「信仰」なのである。「いわしの頭も信心から」なのである。なにも「信じない人」に信仰のことを言ったって分からないのは道理である。分かろうとしない。なぜなら「信仰」する心がないから。…何事も信心であるからと、むやみやたらに、それこそ親鸞聖人が雑行・迷信として退けたものまで信心せよと言っているのではありません。そのことは念のため申し添えます。親鸞や蓮如つまり真宗の教義に照らして信仰しなければならないということが言いたかったのです。端的な例をあげれば「清め塩」がよい例だと思います。…我々本願寺門徒は、教義に沿って「清め塩」や盆の先祖を迎える「儀式」はしないのです。それを何故かと尋ねられれば、(私は)お答えができますが、まだ迷いのなかにいる真宗門徒もいます。はやく「信」を持つことを願います。「清め塩」はもともと神道の「禊はらい」=穢を除くことから、日本の習俗ともなっていますが、私たち浄土真宗の門徒は、死者は穢ではないとの教えから「清め塩」はしませんが、仏教全体がそうであるとは限りません。習俗として黙認あるいは流される僧侶もいるからです。お盆も同じことです。宗派によってはお盆での先祖供養を大切にするところもありますが、私たちはしないだけです。それを「門徒もの知らず」と人はいいますが、住職は「本当は、門徒もの忌み知らず(=禁忌や穢を信じない」」だと教えてくれました。私たちは、それを「信じて」います。
さて我々の「若和讃講」のメンバーだが、現在は全部で7名である。(今から20年前に結成された当初は8名だったが、1名は不幸にして交通事故で亡くなった)そのなかで、メンバー紹介をしておくと、約1名は、飲み食いにのみ関心があり、いま言ったような仏教や浄土真宗のことには、とんと関心を示さないという、どうしょうもない(この和讃講から早く脱退してほしいと彼を除く講のみんなが願っているのだが・・)J氏がいます(=この人は、どこで間違ったのか小学校の教師をしているのである。教えられる子供がかわいそう!)。また、年齢は講のなかでも若いほうなのに、「年寄り」みたいな考え方をするJAに勤めるK氏、さらに一番の年長者だが、最後に参加してきて、正信偈の下手な(J氏よりはましだが…)料理店のH氏もいますし、自営で造園業をしているT氏、最近専務から社長になった土木工務店のM氏、薬剤関係に勤めるB氏、そして私である。このうち、M氏とT氏と私は、妙に馬が会い(考え方もよく似ている)、ハワイへ2002年12月に、この三組夫婦で行って(ホノルルマラソンに参加)ハワイ別院(本願寺派)にも訪問したことがある。
浄土真宗の教えと葬儀のこと
さて、主題は考え方の違いということを書きたかったのだが、H氏の父親が亡くなり、忌明け(50日)も済んだ、次の月の和讃講での話しである。町内で最近続けて二人亡くなったことで、最近稼動した「さざなみ浄苑=火葬場」の話から、H氏の父親の葬儀の話題になり、「葬儀の時間を老人会に知らせておかなかったので、叱られて」大変だったという話題から、M氏が「わしの時は、親父が死んでも、タウンホールでするね。それのほうが楽や」といい、T氏は「親戚の葬式で墓堀をして大変だった。」という話をするなか、私も「通夜や葬儀は家族葬にして、地域・地元の人、知人、親戚の人には偲ぶ会をするときお寺に集まってもらう法式」にする。ということを話として出したら、K氏から、「葬式は親戚や近所さんがすると昔から決まっている。葬式に老人会で参るのはどうするねん。そんなこと家族葬=偲ぶ会は、あんた(私)が死んだ時にしたらいいねん」などと、のたまわった。(やっぱり、この人は考えに幅がないわ。第一、「後生の一大事」や「平生業成」=親鸞の教え=仏法を自分の問題として味わう=人生を考える。を理解しているとはおもわれんもん)
(後生の一大事のこと)あるいは「倶会一処」のことをどのように理解したのやら・・?
http://www2.big.or.jp/~yba/teach/mizutani102.html
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9454gosyounoitidaiji.htm
http://www.hongwanji.or.jp/2003/11akihouyou/2003gosinkyo_aki.htm
そこで私をはじめ二人ほどが「浄土真宗は死者のためにあるんと違うで、生きてる人のための仏教=教えやで」「和讃講では何を聞いておったんや」「住職にきてもらうのやったら、浄土真宗の葬儀でやらなあかんやろ、親戚は何の宗旨か分からへんで」「老人会というけど金照寺門徒とはかぎらへんで。そげな人を主体に葬式をする必要はないのと違うか」などと反論も出たが、論議をまとめると区分では旧守派が2名(MとJ)中立がH氏、残りの4名(B,M、T、私)は改革派(タウンホール派を含めて)であった。結論としては、どれが一番よい方法かという答えはなかったが(そのときは住職が参加されていなかったため)、結局は自分の納得する葬式にすればよいのであって、他の人・親戚(宗旨の違う人)に葬儀の段取りを指揮してもらって、清め塩や茶碗を割ったりされると、今まで、この和讃講で教えてもらったことを無にするような行為をしてもらったら、何のための葬儀=宗教なのか分からなくなるではないかということに落ち着いた。・・・ということは自分の納得する葬式を他人に左右されずに行なうということである。
私が教えられ理解している浄土真宗の教えは、遺体やお墓に執着しないということが原則である。だから、よく、老人が8月の盆になると、ご先祖様の供養だとかいって墓参りをしたりする行為は私には理解できないのである。お墓に死者の霊が宿っているなどという迷信もきっぱりと排除しなければならないだろう。そもそも浄土に往生した人が、地獄に行くはずもないし、地獄の釜が空いたからといって盆に先祖(地域によって「おしょらいさん」という)が帰ってくるという考えはないのである。それが浄土真宗の「信」であり、その教えが胸或いは腹にきちっと収まってない人が、他の人(天台宗などの他宗では仏教=教典にいうところの盆会=目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救うため行なった供養は行うが、浄土真宗では、先の理由で=先祖供養をしないし、往生している先祖が盆に帰ってくるという考え方はしない)の言に右往左往するのである。
葬儀式の仕方についても、浄土真宗のやり方があるので、下記に紹介しておこう。
あわせて私の[西川家葬儀葬送マニュアル]を参照ください。このHPに掲載してあります。
ただし、私としては、家族葬と「故人を偲ぶ会」を、私の今までの浄土真宗の教えを私なりに理解し、考え出した結論であるからして、今の情況では、変える気はない。
だから、仏教壮年会なのだ
このように、いろんな考えを忌憚なくぶつけ合うから、和讃講はおもしろいのである。金照寺にも新しい僧侶(しずか嬢の婿養子として至氏)が来た。楽しみである。
(このレベルの議論にもついて行けない人が若干1名=J氏がいるが・・・もう、この人のことは、無視するに限る。・・・あるときの和讃講で、住職が本堂の灯明を電気に変えたいけれど、門徒総代会では何かと物入りで言いにくいので、この和讃講=仏教壮年会で寄付してもらえないか、と頼まれたとき、すぐに6人は承諾したけれど、J氏だけは門徒総代会で図ったらよいやないけ。なんでわしらの和讃講が出さなあかんね。と一人反対される御仁である。ほんまに、このような和を乱す人は和讃講を辞めてほしいわ。・・・こんなことを書いていると、私がJ氏を嫌っているからの、一方的な批判に聞こえるかもしれないが、あなたも一度、当和讃講でのJのお勤めの仕方=姿をひと目見れば、私がどんなに正直に、それも控えめに言っているのかを分かってもらえると思う。自分の家で導師をするときに、胡坐でのお勤めはないだろうに。他の参加者はきちんと正座しているのにである。その姿を想像してみてくださいよ。いかに腹ただしいことか。)
この和讃講は大房町での独自の制度(組織)であるが、岡山学区の体育振興会にT氏、M氏、私、が常任幹部で、そして、B氏が体振理事として参加しており、体育振興会では、相当、和讃講の名前は知られるようになってきている。おもしろいことに、岡山体振のK会長をはじめ、体振幹部の村松氏、河村氏なども蒲生下組の仏教壮年会の主要メンバーなのである。3年前に蒲生下組の仏教青年会連盟の委員長職をK・H氏(この人も体振や青少年補導委員で私と活動を共にしていた関係で)から引き継いで、2年間仏壮委員長をして初めて知ったことである。
今年度は、次の委員長には、体振で一緒に活動をしている河村氏(K・S)にお願いして、現在、活動してもらっている。だから、人間関係なんてどこで、どうつながるか分からないので、おもしろいのであり、そう今の地域活動(岡山公民館での体振などのボランティア活動)も無駄にはならないということを、感じた次第である。
かなしきかなや道俗の
良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす
今も、真宗門徒と言いながら、念仏を申しながら、神信心をし、厄除け参りに努め、ありとあらゆる現世利益を求めて走り、その一方平然として「わたしは信心深い者でございます」といっているわたしが多くいるのではないでしょうか。八百年近い年月をへてなお、ご開山聖人のこの悲歎が私たちの耳にとどかないというのは、なんとしたことでしょうか。
弥陀の名号となへつつ
信心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり
偲ぶ会のプロデュース
http://www.funeralhouse.jp/owakare/owakare.html
http://www.soso-museum.co.jp/design/shinobu/
http://www.socieand.co.jp/shaso/shaso.html
葬儀について
http://www.gyoda.co.jp/rule2.htm
http://www2.big.or.jp/~yba/column/sougi.html#09
http://kyoto.cool.ne.jp/monto/sougi/
http://kyoto.cool.ne.jp/otera/link/
http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/funeral2.htm
浄土真宗の教えについて
http://www2.big.or.jp/~yba/index.html
http://www.osk.3web.ne.jp/~joganji/links.html
http://kyoto.cool.ne.jp/monto/main.html
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/03_10_21.html
お寺
http://kokokujitanbo.com/shuha1.htm
http://www.enjuji.or.jp/muryoju/index.html
http://www.shinrankai.or.jp/tokusyuu/20041101a.htm