16 真珠湾攻撃は12月7日だった

 私はついこのあいだまで、太平洋戦争のきっかけとなった「真珠湾攻撃の日」は12月8日だと思っていた。これは日本では12月8日だと教えられていた(日本の歴史の教科書では12月8日が定着している)からである。ところが、2002年12月にホノルルマラソン(9日)に参加するためハワイに行き、偶然であるが7日に真珠湾を見学に行ったのである。そしたら、たいへんな人だかりであった。聞くところによると「今日が日本軍による真珠湾攻撃の日=メモリアル・デー」だと云う。私たち夫婦もついでだからと、アメリカ人の見学者と一緒にアリゾナ記念館(艦)まで行ってみた。そしたら、アメリカ軍人たち(真珠湾は軍港であった)が一斉に海に向かって敬礼しているではないか。(このとき時計は現地時間で午後1時30分であった)

2年前に公開された娯楽映画とされたジョシュ・ハートネット主演の映画「パールハーバー」では「1941年、現地時間で12月7日、日曜日の午前6時」に日本機が来襲したとある。これは嘘である。正確(歴史的事実)には「12月7日の午後1時30分」に攻撃が始まったのである。

やはり、日本時間では12月8日だが、世界(的常識)では12月7日が真珠湾攻撃の日なのであった。これは私にとっては、新たな発見であり、感動的ですらあった。なぜなら、私の誕生日が12月7日であり、長いあいだ(小学生の頃から)、あと1日違えば「真珠湾攻撃の日」として、みんなに覚えてもらえるのにと残念がっていたからである。ところが、ところがである、日本では128日だが世界の常識では12月7日が「パールハーバーの日」であったのである。そのことを発見したときすごく、そのときは感動した。実際、攻撃のあった7日は日曜日であり、8日は日曜日ではないのである。日曜日に攻撃があったということは7日が正しいのである。これで堂々と私の誕生日は真珠湾攻撃の日であるということが出来る。よかった。ハワイまで行った甲斐があった。

なお、ついでながら、12月7日で、「この日はなんの日か」で調べていたら、終戦末期に起こった東南海地震についての記載があった。

東南海地震はこの日1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分に発生した。マグニチュード7.9。震源は尾鷲市沖南東海底(南海トラフ)。海溝型地震だった。津波による被害を含めて、全国で死者1千223人。負傷者2千864人。家屋全壊3万4946戸、家屋半壊6万993戸。海溝型地震なので被害が広範囲に及んでいるのが特徴的だ。
 多少なり地震に関心のある人なら、この戦争末期の東南海地震について知ってはいる。なにより、この震災の経験者はまだ存命なので当時の被害を今に伝えている。その中に、当時東洋一と言われた石原産業四日市工場の煙突がこの地震によって崩壊した話もあった

 この事件は、私も戦記物(シュミレーション小説)で読んだことがある。タイムスリップした平成の人間が太平洋戦争を日本軍有利に戦いを進めていくというものだが、そのなかに昭和の戦争時代に起こった、この地震を知っていて、予防策を講じて被害を最小限に食い止めるというものだった。

ともあれ、真珠湾攻撃の日は12月7日が世界的常識であったことが分かって、よかった。12月8日は日本だけのもの(=常識)であったのだ。

ところで、真珠湾攻撃すなわちアメリカ流に言えば「リメンバー・パールハーバー」ということになるが、それがルーズベルト大統領の陰謀だったというのは、もはや動かし難い事実であるということは世界の常識であるということをご存知だろうか。なぜアメリカは「真珠湾攻撃」を「奇襲(騙し討ち)」というのかというと、日本大使館がアメリカに「宣戦布告書」を手渡したのが、現地時間で午後2時とされるからである。アメリカの謀略で手渡すのを引き伸ばされたというのもあろうが、すでにこのとき、アメリカは盗聴により開戦時期を知っていたというではないか。

しかし、それよりも以前にアメリカが、日本軍に対して攻撃を仕掛けたことを隠しているのである。(歴史を知るとはこういうことである)つまり、「騙し討ち」を掛けてきたのは、アメリカの方だと。

12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に一つの暗号電報が入電しました。

「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。」

それは米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報だったのです。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日),みすず書房『現代史資料 35巻』)

り、アメリカは、日本による「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」もなしに、日本の潜水艦を攻撃、撃沈した事になる訳で、これこそ、正に「騙し討ち」と言えるのです。それにしても、日本の「真珠湾攻撃」をもって「騙し討ち」と言わしめたのですから、「詭弁」もいいとこです。それもこれも敗戦時の「東京裁判」で、日本が悪者にされた結果である。

すなわち日米開戦当日、日本側の攻撃より1時間以上も前に、米国側が日本潜水艦(伊号7潜隊か?)を撃沈していたのです。しかも、この時、米国側は日本に対して「宣戦布告」を行ってはいません。つまり、米国側が喧伝してきた「騙し討ち」を実際に行ったのは、実は今迄言われてきた日本では無く、喧伝してきた米国だった訳です。このとき日本は無線封鎖をしていて仲間が攻撃されたことを知りませんでした。(日本軍は無線封鎖で、失われた潜水艦は、開戦時の戦闘で失われたと思っていたようである。この事実は日本では戦後になって情報公開があって明らかになったことらしいです。調べれば、そのようなことはまだあるのではないでしょうか。蒋介石軍に義勇隊として参加した飛行隊フライング・タイガー隊=アメリカ兵もその一つかも)

しかし、皆さんの中には、それはあくまでも開戦当日の事で、時間差もたかだか1時間程度でしか無いと言われる方もあるかもしれませんが、それでは「宣戦布告」が30分遅れただけだ、戦中戦後あるいは将来に至るまで「奇襲=騙し討ち」といわれることを、どう思われるのでしょうか。最後になぜ私が12月7日にこだわるのかというと、実は私の誕生日だからである。