闇の日本史

最近は歴史の「逆説」とか「架空小説・シュミレーション」あるいは「オーパー推理物」などが、大流行である。私もそういったたぐいのものは嫌いではないので、本屋で見つけたら、片っ端からとはいかないが(なにせ小遣いが限られているもので)買っているほうである。いまはインターネットでも本を検索して購入できるのですごく楽である。

ある日のこと、WEBサーフイン(いろいろなHPを見る)をしていたら、「闇の日本史」という私の興味のありそうなHPがあった。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/granvia.htm

「闇」という歴史に興味を引かれたので、読んでみたが、・・・・・・少し、レパートリーの幅が狭かったが、まあまあであった・・・?

 

「闇」はぞくぞくと

安部清明や平将門、役小角などについて書かれていた。私が10年前に書いた「異説、豊臣秀次」(私のHPにも掲載)にも「闇の系譜」という言葉を使っているから、一体何が書かれているのかと思って、こってり読んでしまった。

 役小角のページでは「もののけ姫」(スタジオジブリ)の舞台は何処だろうかとの推理が書いてあり、近江国も産鉄地域(藤原秀郷の百足退治が有名=ムカデは産鉄の象徴)であるから、近江ではないかとの論を寄せている。その推論は正しい。しかし、私は岡山県地方か丹波地方ではないかと直感であるが思った。断定できる資料はないが。ダイダラボッチは中部から関東・東北にかけての物語であり、それだけは混在している。その他の考証は小豪族などが割拠していることなどの状況を併せると私のなかでは中国地方という結論になるのである。ちなみに「中国」という呼び名は「白村江」の戦いで唐から郭ムソウ将軍らの唐軍(=以後公家と称される)が進駐してきたところから「中国」といわれ、唐すなわち=藤(藤原)であり=桃(桃太郎)とされる所以である。

 タブーな日本史・・・まつろわぬ者たち

闇とは表の歴史には現れてこない歴史のことであり、その多くは当時の権力者によって削除されたり偽装(偽造)されたりした、タブーの歴史のことである。今でいえば同和問題である。「あの人は同和(地区)だ」ということはタブーとなっているように、たとえば、当時、豊臣秀吉は農民ではなく(農民に日吉丸という幼名があるはずないではないか)サンカ系の出身(秀吉の母なかは美濃の関の鍛冶の出身である。また同朋衆とか御伽衆といわれた人々が後年の秀吉の周りにはいた。鉢屋衆のアヤタチムネやアラバギ衆の曾呂利新左衛門とかである)であった。とか、世良田二郎三郎という人物(上州新田郡得川郷)が徳川家康であり、松平元康とは別人である。とか、ないとか。これは眉唾物だが家康の先祖が世良田村の徳阿弥という時宗聖であったことは間違いない。あるいは本能寺の変を演出したのは秀吉と家康であって、踊らされた光秀は山科で死なず家康に匿われて天海(日光東照宮にその証拠がある)となった。などと当時は知っていても?タブーとして言えなかった?(殺される)状況があったと考えられる。それを闇といい、いまそれらを表に出すことを生きがいにライフワークで取り組んでいる人もいる。現実の歴史観(歴史家・郷土史家といわれる人達)では、書物に書かれていることを根拠に論を張るから、それら闇の歴史は異端として切り捨てられることが多い。しかし、存外、文字として書かれる物は権力者の意向に沿ったものしか残らないものである。文字として残されていない伝承・伝説のなかにこそ歴史の真実がある場合が多い。そういう謎解きをしていくのも楽しいものである。本市の八幡堀再生については筑後の「柳川物語」を参考にしているが、柳川の城主は元は近江の田中吉政であり、豊臣秀次の家老として八幡城下町の建設にも活躍した人物である。関が原では、豊臣秀次の遺恨もあり反石田方として東軍に付き逃亡中の石田三成を捕縛したことでも有名である。なにか因縁めいたものを感じませんか。また(新聞で読んだ程度だが)最近発見された、大阪羽曳野市の庭鳥塚古墳に関係して思ったことだが、朝鮮南部の伽耶地域(日本の属領府の任那があったとされる)の問題もいまだ課題である。(=伽耶が日本の出先なのか、逆に伽耶の出先が日本なのかという問題)古墳では、まだ箸墓古墳が誰の墓なのかも分かっていない。いづれ古市古墳群や百舌鳥古墳群が調査されることによって明らかとなるであろうが、それまでは=歴史学で定着するまでは「闇」のなかで想像する以外にない。

私が、このような通常の歴史ではない「闇」とか「裏」とか言われる歴史に興味を持ったのは高校生時代に「八切止夫氏」の作品を読んでからである。まさに目から鱗というか、カルチャーショックというか、新鮮な驚きであった。いま、彼の書籍は古本屋にしかないが、幸いにも、HP(WEB)上に、掲載されているので、興味ある方は、是非ご覧ください。

http://rekishi.info/library/yagiri/・・・・・八切止夫作品集

 

近現代史の欺瞞

さて、近年で言えば、真珠湾攻撃に際してのアメリカ・ルーズベルト陰謀説も闇の歴史のひとつであったが、いまではそれが定説となりつつあり、日本はアメリカの謀略によって太平洋戦争に突入したと考えられている。(・・・・まだ桑○社の歴史教科書には書かれていないが。)また南京虐殺事件にしても、最初に殺されたのは日本人である。それが発端で邦人を守るために軍隊が治安維持で出動したのであり、中国では、そのことには触れず、中国人が殺されたことばかり(その人数も10万人から300万人まで幅があり、拡大されてきている=当時南京の人口は20万人でありそれ以上虐殺されるはずがないが)主張している。これなんかもいいかげん表に出して反論すればよいのにと苦々しく思っている一人である。中国や韓国は、日本に対して「正しい歴史認識」を要求しているが、逆に日本は「正しい歴史史観」を持たず謝罪ばかりしている。これをして、「中国人の傲慢・韓国人の驕慢」というらしい。日本は一方的に悪者にされ、「謝罪」を求められ続けたままでいいのか。もういい加減やめればと思う。そういうことに同意する方は黄文雄氏の著作物(図書)を1~2冊読んでいただければ理解できるだろう。戦後60年、もう東京裁判の呪縛から脱却してもよいのではないか。憲法改正論議が高まるなか記憶(歴史)の風化が叫ばれている。在日外国人にも選挙権があれば、もう少し政治家も多面的に考えられるであろうが。まさしく、一体あの戦争は何だったのか今の日本人自らが探索し問い直すべきであろう。直接、関係しなかった私たち戦争を知らない世代(50代以降)にまで、中国や韓国に頭を下げて日帝の蛮行=謝罪を求めようとする中国・朝鮮の行為・行動には反発を覚えるばかりである。日本人はなにを遠慮しているのだろうか。誇りをもって自らの歴史を語れば、中国・韓国は黙るしかない。日本人が自ら誤解し続けている「歴史」をもう一度捉え直してみればよい。広島原爆記念碑にある「あやまちは繰り返しません」とは、まるで私たちが原爆を落とした側のように受け止められるではないか。原爆を落としたアメリカは国家(科学者・市民レベルではない)としてどのような反省をしているのだろうか。日本は、サンフランシスコ平和条約や日華平和条約、日中平和条約、日韓条約を締結している。(ただし北朝鮮とは締結していないので、いまだに朝鮮民主主義人民共和国とは戦争状態であると言える)すでに前戦争の反省と謝罪は済んでいるのである。法的にも親が殺人を犯したとしても子が罪に問われることがない。(民事賠償や道義的なものは別にして)それを親の犯した責任=罪を子や孫がとるのは当たり前というなら、中華思想をいまだに持っている中華人民共和国は「元」や「清」の犯した罪の責任をどこで、どうとったというのか。政権が違うというのは通用しない(=彼らの論理で言えば、唐、明、清や元の領土的遺産は引き継ごうとしているのだから)。その証左に、いまだに韓国では李氏朝鮮時代の秀吉の朝鮮侵略をいい、中国でも満州国のことや、南京虐殺を言い立てている。自分たちの侵略は棚に上げてである。今の中国政府(共産党)が起こした中ソ紛争、中印紛争、中越紛争をはじめチベット侵略や台湾恫喝はどう説明できるのか。彼らは中国人民とは漢人、満・蒙古人、チベット人、ウイグル人、だという。しかし、それこそ膨張主義(=覇権主義)の中華思想である。彼らこそ「正しい歴史認識」=史実に即した理解と把握をしていただきたいものである。もっとも、拠るべきスタンス=根っ子=アイデンテェティを持たない日本人も悪いのであるが・・・。日本人は何を遠慮しているのか。誇りを持って自らの「正しい歴史」を語ればいいのである。中国・韓国にいいたい放題させておくことはない。日本人が自ら誤解し続けている「真実の歴史」を正しく認識してほしい。そうすれば、中国が日本に押し付けている「歴史認識の嘘」や「恫喝」にも対処できるであろう。戦後60年=昭和80年たつと色々な歴史が出てくる。最近も新聞で「里見甫」という満州国で阿片王と呼ばれた人のことが載っていた。掘り起こせば、これからはもっと出てくるのではないか。いままでは、自粛していたらしいから。

 

正しい歴史認識とは

最近、にがにがしく思うことがあるのだが、(仕事の関係でどうしても「ごみ問題」に目がいく)中国や韓国からの「漂流ごみ」が日本に多く漂着しているらしい。その中には医療廃棄物など危険な感染廃棄物もあり、海岸沿いの自治体行政は住民に漂着ごみを素手で触らないように指導しているという。これなんか、適正な廃棄物処理の観念がまだ両国には浸透していない証左であろう。韓国・密陽市からもつい最近、市長以下本市のごみ処理施設(焼却)を視察に来たぐらいであるからして、そう進んでいるようには見えない。・・・こういった適正処理の考え方は輸出してもいいと思うのだが、それも両国(アジア)の国々では「侵略」というのであろうか。創氏改名を韓国では悪くいうが、当時の朝鮮は日本の江戸時代と同じで、姓を持っていたのは両班(貴族・武士)階級で、一般の庶民は、呉作とか亀とかの名前だけであった。それを日本は明治政府による戸籍制度により、庶民(百姓・町民)にも氏(姓)を与えたように、朝鮮にも、戸籍制度を輸出したのである。(いま戸籍制度を持っているのは台湾、韓国、日本である)それをあたかも、韓国の人は、その以前から氏(姓)を庶民の人が持っていて、日本姓に強制的に変えられたと思い込んでいる。もう一度「正しい歴史認識」をお願いしたいものである。

 韓国・中国の歴史観に物申す

また韓国・朝鮮は大日本帝国時代の植民地政策(戸籍制度も含む)をとりあげて非難するが、中国が「清」や「明」「元」やその時々の中国政権にあるとき中国から侵略を受けてきたことはどうなるのか。それこそ属国扱いではなかったのか。小中華といわれる所以をご存知なのだろうか。自分たち韓国人はなぜ漢姓をつけているのか疑問に思ったことはないのでしょうか。また朝鮮半島では弁韓辰韓の時代から今の南北朝鮮時代まで同族で争いをしているのはどのように言い訳するのであろうか・・・朝鮮独自といわれるハングル文字(日本でのひらかな、カタカナと同じ)は今から500年前に李氏朝鮮時代の世宗が作ったとされているが漢字が元になっている。いうなれば中国から文化侵略を受けているわけである。「万歳」という言葉があるが、朝鮮では中国に遠慮して「千歳」というらしい。日本では考えられないことである。また、「龍」は中国では皇帝を示すものとして朝鮮王は「朱雀」を利用したという。まさに属国である。今の中国と北朝鮮がそうではないだろうか。・・・・元寇のとき、元の手先として対馬や北九州に攻め込んできた高麗人(朝鮮民族)は日本住民にどんな非道なことを行なったのでしょうか。(対馬島民の虐殺等)日本流にいうなら、あのときの禊は済んでいないぞと言うべきか。韓国では「日帝36年」時代が無ければ今ほどの近代化はなかったという人もいる。しかし日帝36年があったからこそ李朝両班では国民の半分以上に戸籍さえ許されなかった民衆に姓氏が与えられたのであるし、人口も増えているのである。このことは、ちょうど日本の明治維新期の改革をイメージしていただければ分かりやすいと思う。竹島(独島)問題を言う前に、そうした韓国の歪められた歴史を盲信ぜずに、正しい史実としての歴史把握をしてほしいものである。未だに韓国はは強制労働や従軍慰安婦問題で日本を攻撃するが、1965年の日韓基本条約で補償問題は解決済みなのだ。相互に請求権を放棄して友好を結んだはずである。日本からの経済協力金は何に使われたのか。強制労働と言うが併合後は日本の一地方ということでの認識であり日本国民としては徴用・徴兵は義務であったわけで、従軍慰安婦にしても圧倒的に多数を占めていたのは日本人である。朝鮮では貧しくて生活のできない人が多く日本に出稼ぎに来たという事実を知らなくてはならない。戦後、在日を選択した人の多くは祖国に帰っても貧しくて生活できないから残った人も多くいているのである。たしかに日本の古代から中世の文化は中国や朝鮮半島を経由してきたものであるが、それをとらまえて中国は親であり朝鮮は兄であったから、その恩知らずは日本だ。という論理をいまだに言い立てるのもどうかと思う。日本から逆に言うならば、中国・アジアにおいては西欧諸外国から中国分割を守ってやったのは大日本帝国であったことを忘れているのだろうか。アジア共栄圏を詭弁だという人もいるが、日本が明治維新を経て日露戦争等などアジアへ進出しなければ、いまだにアジアは欧米の植民地に甘んじていたとする歴史学者もいるほどである。当時の欧米を中心とする帝国主義・植民地主義はそれほど酷く、国々は弱肉強食であったことを忘れたのだろうか。孫文やネール(インド)でさえ日露戦争でアジア人種が白人種からの侵略に勝ったことを大変に喜んでいたではないか。蒋介石が帝国陸軍士官学校に入ってきたのはその結果(日本を手本にして中国維新=辛亥革命を考えていた)である。日本がアジアに乗りださなければ、いまごろアジアはどうなっていたか分からない。大日本帝国時代の日本の非を攻撃する今の中国こそチベット、台湾、への膨張主義(アジア侵略)をどう説明(自己弁護)するのか。さらに昔の中国が、たとえば元(モンゴル帝国)が、朝鮮やインドやベトナム、ヨーロッパを侵略したこと、その地の人民を虐殺したことをどう反省しているのだろうか・・・(これを中国の覇権主義といわずして何というのか)・・・・中国が「正しい歴史認識」というならば、こちら側(日本)も「正しく歴史認識」をして、反論すべきところは反論すべしと考える。なにも中国や韓国が言っていることが真実・事実とは限らない。みなさんに読んでもらう参考の図書としては「マンガ嫌韓流」あるいは「マンガ中国入門」などがお勧めである。(歴史は力関係で書き換えられてきたという歴史をもっている。特に中国や韓国はその民族性からして自分から非を認めるということをしない。台湾問題でもそうである。台湾は明時代末まで=鄭成功が台湾に逃れてくるまで化外の地であった。さらに言えばいわゆる後金=のちの清の発祥地=満州ともいうがそこも中華主義で見れば蛮族の地であった。だから中国は自分の国の領土だと本当に主張できるのであろうか。(彼らの中華論理だは沖縄も中国領だと言い出しかねない)琉球やベトナム=大越は冊封による朝貢で属国扱いされていたが、元時代にモンゴルにより侵略されたロシアやヨーロッパ諸国・中東地域も中国の領土だと、今でも思っているのだろうか。台湾を中国領だとするその考えを延長すればそうなる。それこそナンセンスである。それでは太平洋戦争で大日本帝国がオーストラリアやインドネシア、中国まで一時期ではあるが占領していたのであるから、日本の領土だと主張してもいいことになる。それはないだろうよ中国さんよ覇権主義を突き詰めればそういうことであろう。)

大日本帝国にも功罪はある。「罪」は紙一重で勝った日露戦争に驕り、同じアジア人に対して植民地=帝国主義で臨んだこと。しかし、それは表裏一体で「功」の部分でいえばアジア諸国が独立できたのは大日本帝国があったからではなかったのか。インドネシアのスカルノ(後の大統領、今村均大将が育てたとも言われている)やインド独立義勇軍のボース、マレーの虎といわれたハリマオ(谷豊)などは大日本帝国の支援を抜きには語れない歴史的事実である。今日のベトナムがあるのは独立の核となったべトミンに日本帝国軍人(太平洋戦争終了後)が協力したからではないか。日本の軍事教練をうけたベトナムの若者が後の対米戦争(ベトナム戦争)で活躍する者も多かったといわれている。中国は台湾をして中国人の国だと言うが、台湾は台湾人(=山岳の少数民族も多い)の国である。多民族国家がいまさら何を(=詭弁)言うという感じだ。沖縄が琉球人の国であったことや、アイヌ人や蝦夷といわれた人々が本州東北や北海道に住んでいたことは、今や日本否世界の常識の範疇である。日本が単一民族であると、ある日本政治家が失言して失笑を買ったのは記憶に新しいところである。日本は複合民族国家であることはいまや常識である。

戦後60年いまこそ日本の歴史を検証しよう

今の日本人の若者(若者だけじゃないけれど)も歴史は得意じゃないという前に自分でちょっとぐらいは勉強(近現代史ぐらいは)してほしいものである。戦後すでに60年を過ぎたが、日本は相変わらず中国や韓国から「正しい歴史認識」なるものをつきつけられ、慌てふためいている。これを単に「進出」か「侵略」かの議論で片づけていいものか。歪曲や捏造を加えられた戦後日本を支配してきた歴史観を見直し、誤解され曲解された近現代史を矯正する必要がある。

 私が思うに、これは学校教育の歴史の教え方に問題がある。だからといって私は○桑社の歴史教科書を使えといっている側ではない。ただ学校では古代史から始まって、日本や世界の近現代史を習う頃には学年末になっており、十分教えてもらえないカリキュラムになっているからである。だから、日本に在日朝鮮人が住んでいる理由も十分に知らない日本人という現象が生じるのである。反対に中国や韓国では「反日帝」思想を学校教育のなかで教えるから、あのような反日暴動が時々起こるのである。・・・余談だが「パッチギ」という映画は、在日朝鮮人と日本人の立場が夫々表現されていておもしろい映画であった。その時代背景は、ちょうどイムジン河(訳詞が松山猛=パッチギの原作者とは知らなかった=映画の主人公のモデル?)が流行っていた頃で私が京都の龍谷大学に通っていた頃のことであり懐かしかった。あのころは学生運動もあり、スクールウォーズHERO(舞台となった伏見工業高校は龍谷大学の隣にあり、もしかしたら伏見稲荷山で出会っていたかも)もありで、おもしろい時代であった。いまからは、考えもつかないことだ。

これも余談だが映画パッチギ(=パッチギとは「突き破る」という意味。ちなみに、映画の中で使われたチョッパリという言葉は豚の足=豚野郎という下駄を履く日本人を侮辱する言葉、倭奴ウエノムと同じ意味である)のなかで、「イムジン河」を放送局側が歌うことを中止にしたのは事実である。理由は、そもそも「イムジン河」は北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国で1960年代に作られたもので、作詞はパク・セヨン(朴世永)、作曲はコ・ジョンハン(高宗漢)である。この<イムジン河>は在日朝鮮人のあいだで1960年代に歌われていた(映画の場面でもでてきた)ものを、松山猛が詩をつけ、当時のフォークソンググループ<ザ・フォーク・クルセダーズ>が歌ったものである。1968年になって<ザ・フォーク・クルセダーズ>はシングルレコード「イムジン河」をリリースすることになったが、発売の直前になって発売元の東芝は突如中止を発表したのであった。そのいきさつは次のようなものであったとされる。

 「原詩に忠実でないと朝鮮総連から抗議をうけたというのがその理由であった。しかし、実は総連側の抗議内容は、<イムジン河>の原詩は、北側にとっては重要な人が作ったものなので、発表する場合は、朝鮮民主主義人民共和国の何某が作った歌と、はっきり明記すること、というものだったのだ。国交のない共産圏の国の正式名称を併記することを東芝は親会社の手前、躊躇したのである。」(黒沢進 CD「ザ・フォーク・クルセダーズ ハレンチ+1」解説 1995)

 しかしこの解説だけでは、「朝鮮総連から抗議をうけた」ことや、東芝(レコード)がなぜ「親会社の手前、躊躇した」のかは理解しがたいが、当時このレコードの発売に際しては、作詞・作曲者不明とされていたが、明らかに北朝鮮の詩人と音楽家によるものであり、この点に対して朝鮮総連はそれを明記するよう要求したのであったし、北朝鮮の歌が日本で広がることを好ましく思わなかった韓国大使館が東芝に圧力をかけ、発売中止に至ったと聞いている。つまりここで言う「親会社の手前、躊躇した」とは、韓国に進出していた東芝が韓国との経済的関係を優先し、北朝鮮の歌のレコードの発売を中止したとのことなのであろう。

 <ザ・フォーク・クルセダーズ>のシングルレコード「イムジン河」が、当時世に出ていたならば日本の人々、とりわけ若い人々のあいだにこの歌が確実に広がっていたことであろう。しかし、上に述べたようなこともあり、放送などでも禁止曲(放送局には内規があり、戦時中の軍歌・政治的色彩がこい歌・男女のあいだをうたった一部の歌・商品名などが歌詞に含まれている歌などは放送されないことがある。)となってしまったのである

それがいま、解禁となって「イムジン河」の復刻版がでているが、次のように作曲作詞訳詩者が紹介されている。好きな歌なので以下に紹介する。皆さんも口ずさんでみてください。

http://www.urban.ne.jp/home/accel/lim_jin.htm

「イムジン河」

朴世永原詩・松山猛訳詞・高宗漢作曲


イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る

 

 

 雑学はおもろいことがいっぱいだ

そういった歴史の中で雑学として知っていて得する歴史の話を話題を変える意味でひとつしておきたい。皆さんは「竹取物語(かぐや姫)」の話はご存知であろうと思うが、その作者は誰なのか知っているだろうか。種を明かせば、作者は「紀 貫之(キノツラユキ)」である。紀貫之を知っている方も多いと思う。百人一首(古今和歌集や土佐日記で有名)に出てくる歌人である。竹取物語のなかで「倉持の君」で登場する人物は「藤原不比人」である。信じられない!と思う人もあろうが、それが今の時代の定説となっているのである。だから、闇(一般に知られていない歴史という意味で)の歴史はおもしろいのである。

こんなことを書き出したら、なんぼでも出てくる。現代に伝わる、節分に豆をまく習慣は、「追儺(ツイナ)の鬼」が原型であり豆は元は院内(インジ)打ちの石であった。とか、「おひな祭り」は「難除の流し雛」と白山の「おしらさま」信仰が混ざったものだとか、プラトンが言った幻の大陸アトランティスはアイスランドのことであったとか、山中鹿之助は戦場で人を殺さず「命の代金=手形」をとって遺族はそれを元手に酒造業の「鴻池」を起こしたとか、桃太郎の鬼退治に出てくる犬・雉・猿の人物は本当だったとか、世界遺産に登録された熊野三山は黄泉の国(出雲と同じ常世の国)として信仰対象であったが、古代からいろいろな雑学の歴史が聞ける場所である。たとえば三本足の烏(ヤタカラス=鴨武角命が八咫烏とされている。鴨=加茂は出雲族)は元は長脛彦(長髄彦=ナガスネヒコ=東北で荒吐族となのる(東日流外三郡誌)=このナガスネヒコはニニギとは別系統で天孫降臨をしたニゴハヤヒの系統=記紀神話ではこのニギハヤヒの系統(スサノオ・出雲系王国)が消されて、天照大神―ニニギーカムヤマトイワレヒコ(神武)系が主流となっている。記紀の編纂が命じられたのは天武天皇だから当然といえば当然なのだが。見落としそうだがニニギの天孫降臨には棚機姫・タナバタの話が付いている。それで記憶しているのだが、彼女らは侵略・征服者に身をささげた者達である。オトタチバナやコノハナサクヤも同じ)を裏切って神武側についた裏切り者のことであったが、戦国時代には雑賀衆の旗印(今はJリーグのシンボルとなっているが)に使われたとか。同じくこの神武が熊野に上陸したとき、神武側についた者で饒速日命(ニギハヤヒ)の系統で物部氏の祖となる高倉下命(タカクラジ)というのもいる。この高倉下命こそ熊野一党の開祖と云われている。また熊野には「徐福伝説」があったり、鎌倉時代の文覚上人のこと、あるいは踊り念仏で有名な一遍上人と熊野三山の山伏や鉱山師との関わりの話も登場する=これは賎民史観というべきか。あるいは壬辰倭乱の朝鮮における降倭である「沙也可(サヤカ)」とは、その雑賀(サイカ)衆のことである。=このことは、参考に次のURLを記しておく。私の話がまんざら誇張でない証拠として

http://www.sol.dti.ne.jp/~mihe68/sayaka.html  http://www.wsk.or.jp/work/d/tsuji/01.html 

などなど、天照大神から神武時代までの神話や俗説、伝説取り混ぜて、いろんな雑学の知識を得るには、たいへん為に成ることが多い。そのためには仏教や神道などの基礎知識は必須であるが…新羅は白木で高句麗はこま(犬)、拝火教は赤というのも面白い。

なお、私の別のHPに「一向衆」のことを書いているが、一遍上人の『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』に多くの非人、乞食とともに描かれているのが、尾張国甚目寺であり、今でも当時の面影を多く残しているそうです。(八切氏はこれを原住民系と呼ぶ。)この『一遍聖絵』にたくさん描かれている奇妙な非人・乞食についての考察は、網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』(築摩書房 1991年刊)1100円がおもしろく、お奨めの一冊です。また、海外の話でいえば、日本では呂宋(ルソン)といわれた「フィリピン」は、当時イスパニア(スペイン)の国王フィリペ2世の島という意味で名付けられたこととか、「ブラジル」という意味は「赤い実」ということ、あるいは同じブラジルのことでブラジルでのキリスト教は「イエスズ会」(=そういえば日本にも布教にきたあのフランシスコ・ザビエルはイエスズ会である)が布教の中心であったとか、いろいろと興味ある話もありますが、そういった雑学は、また別の機会に述べたいと思う。話がいろいろ飛んで長くなったので、ここらで終わりたい。多くのことを一度に書きすぎたように思う。焦点が何か分からなくなった。これではブログ失格だろうが、これが私流だと思っていてください。

 

人類の最高の学問は歴史学

誰が言った言葉か忘れたが、「人類(ホモサピエンス)にとって、最も高度な学問は何か。ということをある学者が研究した。結論は歴史学であった。歴史を学ぶ者には優れた知性と高い好奇心、つまり恵まれた頭脳が要求される」そうである。ともあれ、こうした雑学は、好奇心がなければ身に付かない。残念なことには、そうした雑学を披露する職場環境なり、家庭・地域環境にないということ、いいかえれば、私の周辺には、そうした雑学(雑学はなにも歴史だけではない。台風とハリケーンは同じもの=日付変更線で呼び名が違うだけなんていうものも雑学のうちだよ)に関心をもち、議論(話し相手にさえ)をする人がいないということである。残念である。いま私が述べたこと「竹取から~サヤカ」のことを理解し話し相手になってくれる人は職場を見渡す限りいないし、どれだけの人がこのようなことに理解を示してくれるであろうか。少々寂しい話である。でも、世間は広い。ネットサーフインをしていれば、私以上のオタクがいるわ、いるわ。心強いことである。

インターネット(ブログ)で言いたい放題

私も、今はインターネットができ、それで自分の意見を公開できて、全国の人に見てもらえるという場を得た。最高である。大いに自己満足をしていきたい。犯罪(考えられるのは著作権侵害=コピペと名誉毀損、公務員信用失墜行為とH系の公序良俗違反ぐらいかな)さえ、気をつけて侵さなければ、という条件=制約付=これはIT社会のマナーではあるが・・・・・。