長男の結婚を記念して甲冑を買いました
長男の武志が結婚しました。入籍は07,7,7に大阪の生野区役所に出したそうです。本人はラッキー7やと言っていましたが、相手の親の顔も知らんのではどもならんので、せめて結婚式ぐらいは挙げてくれと頼んだら、二人(武志、歩)で相談しながら結婚式は9月24日に京都のブライダルセンター「アートグレイスウエディングヒルズ」で行なってくれました。息子の嫁さん(新婦)とその家族は大阪市在住なので、滋賀と大阪の中間とういことで京都を選んだようです。式場や日時等は全て二人で決めたようです。(費用は私たちが出しましたが)こちら側としては、バスをチャーターして私の妹夫婦や両親、妻の姉妹夫婦等家族・親戚を貸し切りバスで乗せて行きました。場所もいいところでなかなか立派な結婚式が執り行えましたが、私は新郎の父として最後の挨拶をしなければならないので、終始、緊張のしっぱなしでした。終わってほっとしました。チャペルでの式や披露宴は、とてもよかったです。列席の親族からも「すばらしかった」と言っていただきました。我が子のはじめての結婚式なので写真や動画などたくさん撮りました。
新婚旅行には祖母から貰った50万円でグアムに行くようでした。新居は当然、今住んでいる大阪やそうです。長男の会社の上司や同僚とも初めてお会いすることができました。そこそこやっているようなので安心しました。30日にグアムからの土産をもって我が家に、挨拶に来ました。土産にネクタイとカバンをもらいました。
私の思いとしては、この機会を利用して長男の結婚記念の思い出づくりにと、長年計画していた甲冑を購入することにしました。薩摩川内市にある(株)丸武産業さんにたのんで、甲冑(野武士) 厳星兜黒糸威黒塗鋲綴桶側二枚胴具足を購入することにしました。妻に打診したら、自分の小遣いで買うならOKという言質をもらいましたので、早速、注文しました。胴回りがメタボリックで100cmあるというと特注ということになり2割増の料金となりました。ついでに丸に抱き茗荷の家紋入りの緋色の陣羽織(赤羅紗陣羽織)と草鞋も購入しました。鎧櫃にも家紋を入れてもらいました。送料・税込みの全部で291、900円でした。特注だったので3週間ほどかかりましたが、荷物が宅配されて早速、開け、床の間に飾りつけました。なななか重量感があり(当然鉄板でできている)存在感もあります。置き場所がないとか言われながらも、とりあえず床の間に飾っています。等身大の当世具足ですので、身につけて歩けるのですが、今のところ、どこかに着て行く催し物もないので、飾っときます。祖母から、床の間は掛け軸やら飾るところやと文句を言われましたが、床の間こそ甲冑を置くところであり、仏壇も置いてあるから掛け軸に南無阿弥陀仏を掛ける必要性もないと反論する。事実、インターネットで検索すると、つぎのようなことが書かれていた。まず、床の間について、
「床の間は、和風住宅特有のものです。一説によると、鎌倉時代の釈家住宅、いわゆる僧侶の家で壁や襖に仏画や掛軸形式の絵を掛けて、その前に台をしつらえて燭台、香炉、花瓶という三具足を飾ったのが起源だといわれています。その後、桃山時代に茶室の影響で花鳥山水画や生け花を飾る装飾的な床の間と書院造りの格式的な床の間が出現、さらに江戸時代に入って今日みられるような刀掛けや甲冑が置ける奥行きの深い床と工芸品などを飾る違い棚、書院窓を設ける形式が完成しました。」また「端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われ、もともとは厄除けに菖蒲の葉やいわしの頭を軒にぶら下げ、家の中に厄が入るのを防ぐというものでした。それが武士の時代になり、菖蒲が尚武(勝負)に通じることから、武家の男子の成長を願う行事に発展し、家の床の間などに甲冑を飾る風習ができてきました。」鏡餅についても「鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことである。武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を備えた。鏡餅には、譲葉・熨斗鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。今日では、三方に半紙を敷き、その上に裏白(うらじろ、羊歯)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布を飾るようになっている」
とあった。これらからは甲冑は床の間に置くことが正当な証であることが得られ、甲冑は床の間に置くものであるとネット資料で論証できたので、自信をもって甲冑を床の間に飾っておくことにした。
買った甲冑(野武士)