23 おふさのこと
私は、近江八幡市大房町に住んでいる。行政名では「大房」は「おおぶさ」と読んでいる。しかし地元の人は「おぶさ」である。長いこと、私は行政に携わってきた人間であるから「おおぶさ」と言っていた。
ところが、あるとき「春は曙。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎわ)すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。・・・」で有名な清少納言の「枕草子」の一節に「おふさの市」ということばを見つけた。本当は「おふさ」だったのだろうか?
以下に、その第11段を抜粋(市づくしの項)
市は 辰の市。椿市は、大和に數多ある中に、長谷寺にまうづる人の、かならずそこにとどまりければ、觀音の御縁あるにやと、心ことなるなり。おふさの市。餝摩の市。飛鳥の市。
「おふさ」とは、何かよく分からないが、ここでは大和の「虹の市」のことであろうという解釈がされていた。「おふさ」という地名は水辺に多く、虹が現れやすい場所らしい。その当時は虹が現れる場所には市を開かねばならないと思われていた。虹は天地をつなぐ橋だと思われていて、天上の神が地上に降りてきて、それを迎え、その神を仲立ちにしたいろいろな交換を行なう場所が「市」であったのだ。
大房町地域周辺は、たしかに圃場整備が行なわれる以前は沢や川と呼ばれる「水辺」が至る所にあった記憶がある。よく、沢や川などに行って魚(モロコやガンゾ、ハス)釣りなどをしたものである。
近江八幡市の広報に大房の歴史なるものが若干掲載されていた。それによると、昔、大房は現在のエコ村あたりにあったようで、その昔、疫病が村に流行り、村人は今の野村や現在の大房の地に移り住んだと伝えられている。野村千軒という言葉もあるらしい。詳しくは市の埋蔵文化の担当に聞けばわかるらしい。
大房の歴史を記した図書としては、市教育委員会が編集した「近江八幡の火祭り」と郷土史家の成沢邦正氏が出版した「琵琶湖の浮き城〜水茎岡山城物語」がある。岡山公民館文化振興会の出した「岡山の昔話」にも若干、大房町のことが載っている。いずれにせよ、それらは部分的(パーツ)記述であり、大房町全体を記したものではない。大房町の歴史編集委員会立ち上げの話は、過去にも何回かあったのだが、いざ誰が音頭をとってやるのか、費用や編集委員の人選はどうするのかなど。具体的な話になると前に進まない。・・・・・・・・・これはなぜかと考えると、どうも大房町の自治会運営システムに問題がありそうである。それというのも、うちの自治会には、事業計画というものがないのである。当然、会計は年間予算制度ではなく、前期と後期に「入り米」=かかった経費を戸別に割り当てて徴収するのである。つまり自治会は事業報告と決算報告はするが、事業計画と事業予算はないのである。これでは、新しい事業の計画は立てようが無い。私が自治会の四役(大房町では自治会長、副自治会長=会計兼務、改良組合長、副改良組合長の4人を自治会四役といっている。ここに組長6人が加わり自治会執行部を構成している。)の副改良組合長をはじめて担った平成16年度に大房農村公園の拡張があり、そのとき、自治会法人化の話がでたので、私が市役所パートナーシップ推進課でその業務を担当していたときでもあり、大房町の規約案を作り(大房町の規約も存在していなかった)自治会会議(組長会という)に諮ったところが、大房町の実態に合わないということで、ケンモホロロに却下された。ようは、事業計画や予算制度、選挙規約などが、いまの大房町の実態にそぐわないということであった。(なんという、古臭いところなんだ、とそのとき私でさえ思ったほどである。だから、いまだに=平成18年度に入ったいまでも、自治会規約も事業予算制度も、もちろん法人化も採用されず、旧態依然のままである。せっかく作った大房町規約である。もったいないので、検討材料で下記に掲載しておく。)大房町の悪口は言いたくないが、これでは若い人は大房町にはますます住まないだろうと、そのとき思った。本当に、規約の無い自治会を探すほうが難しいのである。他の町自治会には、恥ずかしくて言えないことだ。・・・・・改革を行なうには、私たちの世代が自治会役員になっていくのを待つしかないのである。ただ、旧態依然が良いように作用していることもある。それは、毎年4月14,15日の八幡祭りの松明祭りと太鼓祭りである。大房町の古臭い考え方、慣習が、どうにかこの祭りを維持させていると考えられるからである。・・・私が自治会長にでもなったら、両面を考えながら改革をしていくように考えよう。あと10年ほどさきのことであろうが・・・・
http://www.hottv.ne.jp/~hideyosi/yuki/oobusakiyaku.pdf・・・幻の大房町規約案
大房町の現時点での私が感じている問題点
1、規約がなく、自治会4役(自治会長、副自治会長=会計兼ねる、改良組合長、副改良組合長)は選挙で選任するが、各世帯1名の常会メンバーが投票するだけで、町民ぐるみの投票となっていない。
2、自治会4役になったものは、1年の任期が終えれば3年間は自治会4役の役職に就けない。・・・文書ではなく慣習として残っている。・・・しかし3年が明ければ、また同じようなメンバーが繰り返し自治会役職に就いている。マンネリ化という声も聞く。
3、町民が集まっての総会というものがなく、従って事業計画、事業予算というものがない。上期と下期の年2回、会計報告がある(自治会と改良組合、及び神社会計)だけで、しかも、その時に、これだけ使ったから、あと必要な自治会費をこれだけ徴収するといった形である。まったく無計画このうえない。
4、自治会役には会計監査というものがないから、自治会執行部(組長も含む)の好きなように運営できる。また、自治会役員や組長や他の役職に女性が選出されにくいようになっている。第一、家長?がいる限り、若者はまだここには参加できないのである。
5、自治会の組(1〜6組)があるが、非農家の組として6組が設置されている。1〜5組にも非農家が増えてきていて、現在の組割では不合理であるとして組の再編が声として挙がっているが、どの代の自治会役員も手をつけようとしない。
上記のような思いを、平成16年度の副改良組合長をしたときに感じたので、私が市役所で作り市民に示している自治会規約のサンプルを当時の役員に提示したところ、大房には向かないの一言で片付けられて終わりだった。市役所の課長も形無しである