百済の古都、扶余へ百済(ペクチェ)文化祭の見学旅行に行きました

   

 今回の韓国旅行(07年10月12〜15日)は、我が岡山学区の韓国語愛好会のメンバー(9人)が行く昨年の講座卒業能力試験旅行に引き続いての第2弾目の行き当たりばったりの旅行となりました。昨年は、メンバーの一人が景福宮の周りを散歩中、パスポートを落としてテンヤワンヤでした(警察に落し物として届けられていましたが、その間、日本大使館に連絡を取ったりで大変でした)が、今回の旅行も、行きから帰りまで、全てメンバーのつたない韓国語会話力で旅をするものですから大変でした。往複路の飛行機切符は確保(関西空港まで往きの電車は「あすか」ですが、帰りは普通電車の切符のみ確保)して、あとの仁川国際空港から目的地の扶余(プヨ)までは、バスを利用していくことになります。もちろん、日本語を話すガイドさんは付いていません。全部自分たちで会話して切符を買って乗らなければいけないのです。では、以下に時系列で旅行のお話を進めることにいたします。仁川空港から仁川市のポスタミナル(バスターミナル)行きの路線バスに乗り、仁川バスターミナルからは扶餘行きの高速バスに乗り扶餘のバスターミナルまで行きます。(仁川空港からソウルのカムナム(江南)タミナルまで行き、そこから高速バスに乗る方法もあります。私はてっきりその方法だと思ってネットで下調べをしておいたのですが無駄になりました。) 

 仁川空港から仁川市のバスターミナルまで路線バスで約1時間(4100ウオン)、どこで降りるのか分からなかったが、親切なアジュマがここで降りなさいと言ってくれた。あわてて降車ボタンを押す。仁川のバスターミナルには新世界デパートが隣接していたので、各自そこで昼食をとることにした。扶余までの出発時間の関係で時間もあまりとれなかったので簡単な軽食にしようと「ラーメン」=ラミョンを注文したら、本当に簡単なインスタントラーメンに卵とキムチがでてきた。240分発の仁川から扶餘行きのバスで約2時間ほど。まだ稲刈りの最中でコンバインが動いていた。風景的には日本の滋賀県の田舎・田園風景と変わらない。驚いたのは走っている道路の道端でモミを天日干ししていたことだ。

 夕暮れ近くに扶餘ターミナルに着いた。そこからは歩いて市街地の宿泊を予約したモテルに行きました。場所も初めてなので、地図をたよりの宿屋探しです。宿泊先のモーテル「ミラボ」はモーテル街にあり意外と簡単に見つかりました。日本のモーテルと変わりません。ベッド部屋とオンドル部屋がありましたが、1部屋に三人寝るためオンドル部屋をチェックインしました。1部屋39000ウオンで1人当たりで13000ウオンです。2泊する予定ですので日本円で3000円ほどです。私の部屋は3階の306号でした。宿に荷物を置き、町の散策にでました。町ではパレードが行われていました。夕食は町のシクサ(食堂)で、各自が好きな物を注文して食べました。メインは牛肉きのこ鍋物でした。

 2日目の朝(10月13日)は、昨夕、下見をしておいたキンパク(のりまき)屋で、焼き飯にしました。定林寺も見学しました。

昼食は百済文化祭イベント会場(白馬江河川敷)で屋台テント内の食堂でパジョンや雪濃湯=ソルロンタン(名物なので頂いてみました。なぜ雪濃湯(ソルロンタン)という名前なのかというと、雪のように白いスープだから、なんだそうです。牛肉の色々な部位を煮込んでダシをたっぷりだして白濁したスープ。中にはトロっと柔らかくなった牛筋肉とコシの強い韓国春雨、刻んだ白葱。薄い塩味が付いていて、味加減はテーブルにある塩で自分の好みに合うように調整します。)スンデ(腸づめ)を馬場氏が注文したのでみんなでいただきました。正直おいしくありませんでした。喉が渇いていたのでメッチュやドンドンジュも飲みました。散財してみんなで80000ウオンほどでした。1人に割ると1000円程です。観光としては皐蘭寺(コランサ)や遊覧船からの落花岩見学をしました。コランサ参拝では冷たい水をひしゃくで飲み3年若返った人もいます?千ウオンショップ(日本の100円ショップ)でチョッカラ(箸)スッカラク(匙)など土産物を買っている人もいました。屋台フードのギンナンやボンテギ(蚕のさなぎを蒸したもの)を食しました。またタバン(喫茶店)に入って「ざくろジュ−ス」を飲みました。コーヒーを飲んだ人はおいしくない薄味だと文句を言っていました。韓国の風俗でネットで調べたところによるとタバン(喫茶店=茶房と書く)は女店員をお持ちかえるできるところだと載っていましたが、そういえばやけに女の人が多かったように思います。扶余のタバン(茶房)がそうだとはかぎりませんが。・・・韓国の床屋も風俗坊やには有名だそうです。明洞などにあるそうです。時間があれば訪れたいと思っていましたが、残念ながら今回はパスしました。

2日目の夕食は全員でタッカルビを食べました。タッ(鶏肉)カルビはニワトリのむね肉ともも肉だけを選び、コチュジャン(韓国の唐辛子味噌)で甘辛く味つけし、サニーレタス、たまねぎ、ニンニク、サツマイモ、トッ(韓国のおもち)などを生のまま鉄板の上で直接炒めて混ぜて食べる料理です。女性陣は辛いと言っていましたが、案外いけますよ。

 次の日は、扶餘バスターミナルから水原(スオン)行きバスに乗って水原に行きました。扶余から水原へ行くバスの中からもう一つの百済の古都であった公州(コンジュ)市の街中を見ました。こちらも百済文化祭をしていました。次回に百済文化祭を見学するときにはこちらを見学したいと思います。水原バスターミナルで下りて、また路線バスで水原駅まで乗りました。水原駅からは韓国民俗村(入場料11000ウオン)へと行きました。水原駅から直接、韓国民俗村に駅観光案内所からシャトルバスが出ていたのでそれで行ったので、水原華城が見られなかったのが残念です。また次の機会にしたいと思います(もう自分1人でも行けると思うから。)。韓国民俗村で私は「カッ」という李氏朝鮮時代の両班が外でかぶる帽子を買いました。昼食は各自が食券を買って、それぞれの民俗村の家で食べました。韓国の古い農家(民屋)や屋敷が何軒となくありましたが、昔の日本の農家の原風景を感じました。サムルノリ(農楽)などのイベントや昔の結婚式などもやっていました。この民俗村ではチャングムの誓い(大長今)やワンガナ(王様と私)のドラマ撮影の舞台にもよく使われているそうです。京都の太秦映画村のような感じです。

 韓国民俗村を堪能した我々一行(8人)は水原駅からソウルまで電車でいくことにしました。馬場氏はすでに1人でソウルの次の宿泊先に行っています。水原駅も大きな駅です。ソウルまで急行(KTX=座席指定)で行きました。3200ウオンでした。ソウル駅から景福宮駅近くの大元旅館(テオンリョガン)まで地下鉄で行きました。すでに馬場氏は旅館に着いていて市内散策に行っているとのことだったので、私たちも地下鉄で景福宮駅から忠武路で乗り換え会賢(ホイヒョン)駅で降り、南大門市場を見に行きました。南大門市場では眼鏡を1つ作りました。夕食は大元旅館近くの焼肉店で馬場氏を交えて今回の旅行の打ち上げ宴会を兼ねてサムギョプサル(豚の焼肉)で大いに盛り上がりました。馬場氏は前に来たことがあったので水原の韓国民俗村を3時にでて普通電車(地下鉄)でソウルまで来たそうです。料金はそのほうが安いそうですが乗っている時間が1時間ほどで長くかかるそうです。荷物を持って1時間の移動はつらいです。私たちは30分でソウル駅に来ています。やっぱり私たちの選択は間違っていなかった。旅館の部屋はオンドル部屋で2人部屋でした。朝食は大元旅館に用意されていたパンとバター(無料でセルフ)とコーヒーです。朝食時には日本人で静岡から来ている男性(1人旅)とも知り合いになりました。私たち以外では他に日本人夫婦が1組と中国人らしき女性が宿泊していました。共同便所、共同台所、共同シャワーですが2人部屋で20000ウオン(1人1200円ぐらいです)でした。ソウルで、この安さはすごい。日本からでもインターネットで予約できるそうだから、ソウルに旅するならここがお勧めです。旅館出発が10時半なので、それまでみんなで韓国の人気ショッピングエリアの仁寺洞まで歩いて散策に出かけました。あいにく光化門は工事中で中の景福宮の全景は見ることができませんでした。私はインサドウの印鑑屋で印鑑を作りたかったので単独で探したのですがほとんどの店が9時からの開店で出勤途中なのでまだやっていませんでしたが、旅館の近くの印鑑屋が開いていたので、そこでハングル文字で私の印鑑をつくってもらいました。所用時間は5分、手彫りで5000ウオンでした。本当に安いです。大元旅館の近く歩いて3分の場所から空港行きバスが出ていたのでそれに乗り(9000ウオン)一路、仁川国際空港に行きました。搭乗手続きをしてから空港の地下食堂街で昼食にあわび粥を食べました。食券を買って、その番号が電光掲示板に出たら貰いに行くセルフ方式でした。日本のように順番に並んでいる必要はありません。席を確保して待っていればよいのです。

 アシアナ(共同)航空で関空まで帰ってきました。近江八幡に着いたらもう夕方でした。お疲れ様でした。民俗村で土産に買ってきた「カッ(帽子)」は10月28日の岡山文化祭で屋台(パジョン=チヂミ)をつくるときの呼び込みに利用しようと思っています。