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谷川士清旧宅
国指定史跡になっている谷川士清旧宅では、士清の業績をを顕彰するために
いろいろ展示されている。
士清は、日本書紀を注釈した「日本書紀通証」や50音順の辞書「和訓栞」
を著した学者であり、医師でもあった。
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福蔵寺
臨済宗妙心寺派の寺で元は広大な寺域をもっていた。谷川士清の
菩提寺で住職浩天和尚に士清は様々なことを学んでいる。
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谷川神社
大正14年内務省より神社創立の許可が下り、昭和7年造営完了、8年
祭神鎮魂祭を行う。毎月10日に谷川会が月次祭執行。谷川士清を祀る
神社として受験生が参拝する姿が見られる。
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反古塚
士清自ら築き、著作の下書きなどが世に出回って異説の元とならないように埋めた
「何故に砕きし身ぞと人問わば それと答えむ大和魂」と書かれている。
また、埋めたあときれいな玉虫が飛び立ったといわれ、玉虫塚という人もいる。
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谷川士清の墓
昭和19年、墓碑、墓域は文部省より史跡指定をうける。正面には「淡斎
谷川士清之墓」左側面には「孝子士逸謹建」とある。
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延命地蔵
流れてきた地蔵を祀ると災いが無くなったという。
4体の地蔵が祀られ顔が白く塗られているので「白粉地蔵」とか
「土手の地蔵」と呼ばれている。
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神宮寺
本堂となる御倉堂は、1634年に建てられた市内では最も古い建物
伊勢神宮の神田から収穫された米の収納所となっていた。
かつて使われていた古い枡や三十六歌仙扁額がある。
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龍津寺・猪飼敬所の墓
主藤堂高猷に招かれ津藩校で教鞭を執った猪飼敬所(いかいけいしょ)。
龍津寺には、一風変わった墓に祀られている。
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監物銀杏
津藩士であった藤堂監物(けんもつ)のかつての屋敷地であった所に残っていることから監物銀杏と呼ばれる。
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