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Senji Taniuchi 1951 大阪に生まれる 1969 大阪市立工芸高校図案科卒業(グラフィックデザイン専攻) 主に広告の企画、制作におけるグラフィックデザインに携わる 1973 ロスアンジェルスに活動の場を移し、新たな創作のジャンルを 模索 1975 芸術としての写真に脚光が浴びせられていた当時のアメリカで、 数多くの写真展に出会い興味の中心を写真に絞り、ニューヨー ク近代美術館をはじめ、各地の美術館や私設ギャラリーなどに 収蔵された無数のオリジナルプリントを手がかりとして独学で写 真を学ぶ 1980 帰国後、東京での個展の後、ヨーロッパを中心に作品を発表 学校やサークルなどで、写真についてレクチャーを行う 1992 写真、デザインを中心といるヴィジュアルアート制作スタジオ「ジ ージックスロード」設立 現在に至る |
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谷内氏と奥様の佳代子さん |
JUNGLE TALK 〜「JUNGLE BOOK」記事より〜
これまで表現されてきたものを壊すという意味では、 写真ほど簡単で便利なインパクトのあるメディアはない。 |
谷内さんは、日本ではめずらしい写真のオリジナルプリントをギャラリーなどを通じてコレクターに売っておられる作家で、ヨーロッパを中心に活動されているのも、とてもユニークですね。いろいろ面白いお話が聞けると楽しみにしているのですが、まずは写真との出会いみたいなところから話してもらえませんか。 |
写真をはじめる前からグラフィックデザインの仕事をしていたのですが、写真とか映画にも関心があって、いつかそうしたこともしてみたいという、漠然とした夢みたいなものがあったんですね。それでいろんな刺激を受けたいと’73にアメリカへ出かけたんです。当時のアメリカは、芸術としての写真に対する関心が非常に高まっていまして、各地の美術館が次々と大きな写真展を企画したり、写真専門のギャラリーもアチコチに誕生したりといった状況で、大きなうねりのような感じでしたね。それで、数多くの写真展を見て歩くうちに、自分でも撮り始めていたということだったんです。 とにかく最初は出来るだけたくさんの写真を見ようと、美術館や気に入ったギャラリーに足繁く通いました。アメリカの美術館やギャラリーはもどんな作品でも誰にでも簡単に見せてくれますから。展示してあるものだけじゃなく、収蔵してあるものもです。その頃好きだった作家や作品だでなく、著名な作家のエポック・メイキングな作品から、日本ではほとんど知られていないようなものまで、それこそ浴びるように見ましたね。作品を創りながら、そういう形で勉強していったわけです。好きな作家のレクチャーなんかも聞きに行ったりしましたね。 それから本格的にニューヨークで行われた全米規模のコンペティションや西海岸のグループショーに選ばれたりしていましたが、最初の個展は’81に東京のツァイトという写真専門のギャラリーで行いました。知り合いから紹介されて…。 |
反応はいかがでしたか? |
新人で、値段が安かったこともあるのでしょうが、幸い、当時としては、そのギャラリーでも記録的に売れました。 |
そのあとヨーロッパに…。 |
東京で個展をしている時に、ヨーロッパでも見せてみたらと勧めてくれた人が何人かいまして。正直ヨーロッパにはあまり興味がなかったんですが、日本ではほとんどギャラリーがなかったですし、オリジナルプリントのマーケットもありませんでしたから、行ってみてもいいかなと、もし売れなくても、アチコチまわれば写真も撮れるかな…という感じで、それで作品を持って出かけていったんです。 |
作品を売るといっても、やはり手がかりみたいなものがいるんじゃないですか? |
| はじめてだし、情報がほとんどなくて、事情も分かりませんでした。ただ、アメリカの資料に、ヨーロッパの美術館などで、写真をコレクションしているところのリストがあったので、そのコピーだけが頼りのドサまわりみたいな旅でした。 |
自信はありましたか? |
基本的に作家というものはも長い創作活動を通じて何かを表現していくものだと考えていますから、たまたまそのとき持参していた作品が受け入れられようが無視されようが、そんなに気にはなりませんでしたね。勿論自信はありましたし、売れるに超したことはなかったんですが…。 |
最初にアタックされたのはどこだったんですか? |
以前からパリの国立図書館に世界でも最大の写真のコレクションがあることを知っていましたので、まずそこのキューレイター(学芸員)のルマニーという方にお会いして、作品を見ていただきました。幸い多くの作品を買ってもらえまして、これがヨーロッパで最初のブレイクスルーになりました。この方にはその後もヨーロッパの写真事情を聞かせていただいたり、各地の美術館を紹介していただいたり、結果的にラッキーな出会いでした。外側から見ているとヨーロッパといってもそれぞれ国が違うんだし、いろんな意味で距離があるんじゃないだろうかと思うんですが、写真なら写真の世界ひとつとってみても、横のつながりが案外深かったりするんですね。例えば、これからどこに行くんだと聞くんで、どこそこです。と答えると、その場で電話をとって、行き先の美術館に連絡してくれたりということもあって、びっくりしました。ギャラリーでも国が違って独占権の問題がない場合などそういうことがありましたね。 |
何か信じられないくらいオープンですね。 |
とにかく大事なのは何よりも作品で、あとは電話でアポイントさえきちんと取れば、だれとでも会ってくれますし、作品が気に入れば購入もしてくれます。運がよければグループ展や個展のチャンスさえ与えられることがありますからね。使用料を払って画廊を借りて個展をしたりするのも、意味がないとは言いませんが、若い人たちも写真に限らず、面白いものができたと思ったら、どんどん海外へ出かけたらいいと思いますね。 |
オリジナルプリントを売っておられる以上、ギャラリーでの写真展などが大事な活動になりますね。 |
そのとおりなんですが、私の場合、ヨーロッパでの最初の個展がギャラリーでなく、いきなり美術館だったんです。南フランスのゴッホが活躍したことで有名なアルルという町があるんですが、そこの美術館での個展がデビューだったんです。 |
もう少し詳しく話してもらえませんか。 |
アルルでは毎年7月に国際写真フェスティバルが開かれるんです。そこで出会ったフランス人の写真家の方が、もうこの町の美術館には見せたか?とおっしゃるんで、「いいえ」と答えると、私の手をつかんで連れて行ってくださったんです。かなりご高齢のおばあさんで、こっちは手を引っ張られて、まるで子供みたいでしたね。それでそこのディレクターとお会いしまして。 |
その場で個展のオファーがあったんですか? |
そのディレクターが英語を全く話されなくて、こっちはほとんどフランス語がわからない状態でしたから、作品をお見せして、15分ほどでお別れしたんです。 そしたらそれから2、3ヶ月して、その方から手紙がありまして、作品の購入と展覧会を決定した…みたいなことが書いてあったんです。実は当時パリで注目されていたテックス・ブラウンというメイプルソープをフランスに紹介したギャラリーからも個展の話があったんですが、エディションの問題などで意見が違ったりしてなかなかまとまらず、このアルルの個展が先に決まったわけなんです。 |
その後は美術館だけでなく、ヨーロッパ各地の有力なフォトギャラリーで個展やグループ展をされているんですね。 |
美術館やその他のパブリックなスペースは作品を売るために写真展をするわけではありませんが、ギャラリーの場合は極端な言い方をすれば作家と心中するかひと儲けするか、イチかバチかの命がけのカケをするようなものです。だから向こうも真剣ですし、こっちも事情は同じですから、その真剣勝負みたいなものが面白くて続けているようなところもありますね。 |
では最後に谷内さんが写真というものをどう理解しておられて、どんな写真を創ろうかとされているのか、その辺のところを…。 |
歴史の流れみたいなところから言えば、絵があって、写真があって、映画、テレビビデオそしてコンピューター、という見方もあると思うんですが、かといって、それじゃあ写真は時代遅れで、もう何かを表現したり創造したりすることができないのかと言えば決してそんなことはないという気がするんです。確かにこれまでうんざりするほどの量の写真が撮られているわけですが、逆に写真に限らず、これまで表現されてきたものを壊すという意味では、写真ほど簡単で便利なインパクトのあるメディアもないと思うからです。写真というのはほとんどの場合、あるごくわずかの瞬間を機械的に切り取っただけのものですから、人間が何かを「見る」という行為とは根本的に違うものです。ところが、一般の人達だけでなく、写真にたずさわっている人さえもが、そんな写真の基本的なネイチャーを無視して、自分が見たものあるいは見たいものを写真にいかに閉じ込めるかに悪戦苦闘しているんです。これは全く滑稽でナンセンスです。人間が何かを「見る」場合、いつも何らかの意味とか見方といったものにがんじがらめになっているわけですから、逆に何の感情も物の見方も持たない写真によって、そういった我々の視覚の不自由さを強烈に断ち切ることが出来ると思ってますし、そういった作品を創れたらと思っているんです。 |