トップページに戻る メール |
60/70年代音楽の世界 増幅中 正確には1970年前後のロックを中心に 私がよく聞いていた音楽の世界です |
小学生時代はグループサウンズ全盛の頃でした。そうした時にビートルズが来日し、洋楽に縁のない母親までもが白黒テレビにかじりついて武道館コンサートを見たものです。「あれがリンゴ・スターやに」と母親が言った言葉も覚えています。 中学になると、ラジオの深夜放送に夢中になり(68年以降)、毎夜、枕元の「トランジスタラジオ」から流れる音楽を聴いたものです。そこで出会ったのが「ロック」です。とりわけ「ハードロック」の世界に惹かれました。ただハードロックはヘビメタやパンクに取って代わられていきましたので、私が熱中していたのは、ビートルズのアビーロード以降、シカゴくらいまでのものです。 TouTubeの動画は「利用規約違反」などの理由で削除されることがあり、私の知らない内に「リンク切れ」になっていることがあるかも知れません。その場合は メールで ご一報下さい。最新のリンク切れチェックは09年9月13日です。 |
私とウッドストックの時代 |
このページを作ったことで、ひとつ気が付きました。取り上げたバンドや歌手の相当部分が1969年の「ウッドストック」に出演しているのです。私の音楽体験の中でも、「ウッドストック」はどうも特異な位置を占めているようです。 ニューヨーク近郊、ベセルの農場で69年8月15〜17日の3日間にわたって開かれた「愛と平和の音楽祭」です。当時はベトナム戦争への批判が高まっており、いわゆるヒッピー文化の最盛期でした。入場者は30万人とも40万人とも、いや60万人だとも言われており、音楽界だけにとどまらない、極めて大きな影響力を持った一大フェスティバルで、なかば伝説化した感もあります。 ヒッピー文化の頂点、反戦平和運動の象徴、ヒューマン・ビーイン(Human Being-In、西海岸から始まった人間性回復運動)の集大成など、様々な側面から評価されており、アメリカでは中央政権に対するカウンターカルチャーとして、精神性の重視・環境保護への関心など、70年代のパラダイムを生み出す大きな契機となりました。 しかし、素晴らしいことばかりではありません。1〜2万人との当初予想を遙かに超える参加者があったことや、初日、2日目と豪雨による中断もあり、相当に会場は混乱したようです。この中断で、ラビ・シャンカールは結局演奏できませんでしたし、トリを務めたジミ・ヘンドリックスの出番は大半の入場者が帰った4日目の明け方になってしまいました。死者2名(一説には3名)、出産2件という数字も残っています。 中学生だった私は音楽雑誌に掲載されるウッドストックの記事を食い入るように読んだものです。「安保条約」や「左翼運動史」などの本を読み、すでに「反戦・平和」の立場を中学生なりに確立していましたから、ウッドストックは時代の変化を見ているような気がしていたのです。 当時は安保条約の10年の期限を目前に、延長に反対する「70年安保」闘争が盛んで、政治的な意志を持つ中学生は、多くないにしても珍しいことではありませんでした。09年の政権交代選挙で落選してしまった社民党の保坂展人さんは同い年ですが、デモに参加したり、ビラを配ったりしていました。それを内申書に書かれたため、「内申書裁判」を起こしています(私は大学の時、友人とともにその裁判を支援していましたので、若き日の保坂氏を知っています。尤も保坂氏は忘れているでしょうが)。 脱線しますが、同じく裁判を支援していたNHKのプロデューサーのお宅に集まり、保坂氏とその恋人、その他の支援者たちと楽しく時を過ごしたことを思い出します。プロデューサーのお子さんたちの演奏会が行われたり、私が即興の詩を演奏をバックに吟じたりと、田舎では味わえない洒落た雰囲気を楽しんだものでした。ただ、保坂氏は無口で、いつもむっつりとしていました。 まあ、そんなこんなでウッドストックは、私にとってひとつの節目だったのだと思います。それが出演バンドに特別な想いを持たせるのでしょう。 |
ディープパープル | ||||||||||||||||
ディープ・パープルはレッド・ツェッペリンと並ぶハードロックの至宝と言ってもいいでしょう。「ブラック・ナイト」も「スモーク・オン・ザ・ウォーター」もいいのですが、私の場合はひたすら「ハイウェイ・スター」でした。この曲をバックに、何度も暗黒舞踏を踊ったものです。 ディープ・パープルは今聞いても改めて感動しますねぇ。「ブラック・ナイト」も「スモーク・オン・ザ・ウォーター」も、もちろん「ハイウェイ・スター」も、聞いてみれば、甲乙つけがたく、みんなサイコーです。とりわけ自動車で時折大音量で聞く「ハイウェイ・スター」はサイコーに素敵です。
|
||||||||||||||||
レッド・ツェッペリン | ||||||||||||||||
レッド・ツェッペリン―――好きでしたねぇ、とりわけプロフィールのページに書いたように「胸一杯の愛を」が大好きでした。津高校にはウィスカーズというバンドがあって、演劇部と仲が良かったものですから、文化祭の時には必ず聞きに行ったのですが、そこでの「胸一杯の愛を」の演奏は今でも覚えています。 リンク切れチェックしてみたら、案の定、たくさんの動画が削除されていましたので、レッド・ツェッペリンの項目は大幅にチェンジしました。それにしても聞き直してみると、素晴らしいですねぇ、どの曲も。
|
||||||||||||||||
フリジド・ピンク | ||||||||||||||||
フリジド・ピンクは「朝日のあたる家」をハードというか、ヘビメタというか大胆なロックとしてカバーしたことで有名になりました。私はアニマルズよりも、ベンチャーズよりも、遙かにこちらの方が気に入りました。これぞロックという感じがしたんですね。ただフリジド・ピンクの他の曲は知りません。今でも活動しているようですね。
|
キング・クリムゾン | ||||||
キング・クリムゾンの「21世紀の〜」(差別用語としては今はとても使えない)を使用して、よく舞台で踊りました。いわゆる暗黒舞踏というものです。とても踊りやすい曲で気に入ってました。
|
||||||
ゲス・フー | ||||||
ゲス・フーは特別よく聞いたわけではありませんが、深夜放送で下の2曲がよく流れ、何となく印象に残ってしまいました。動画のノータイムはライブですので、動画でないノータイムの方が聞き慣れていると思います。
|
||||||
ブラッド・スウェット&ティアーズ | ||||||
このバンドはブラスロックの雄という感じで聞いていましたが、今聞き直してみると、あまりロックな感じがしませんねぇ。でもあのウッド・ストックに参加しているんですね。バンド名と曲調はずいぶんかけ離れた感じがします。
|
シカゴ | ||||||
このバンドも上記のBS&Tと並ぶブラスロックの雄です。ただ、両者とも掲載はしましたが、私にはブラスがロックに馴染まない気がして、前者は「スピニング・ホイール」、後者は「長い夜:原題25 or 6 to 4」だけが記憶に残っています。
|
||||||
チャック・ベリー | ||||||
チャック・ベリーは50年代、60年代が全盛期でしたから、70年代ロックとしては相応しくないのかも知れません。しかし彼の曲はビートルズやローリングストーンズなどもカバーするほど、のちのロックに影響を与えていますから、どうしても外せません。下の動画を見てもらえば分かりますが、20代、30代の方でもご存知の曲ではないでしょうか。 また、コンサートでギタリストが右膝を曲げ、左足を前に出し、演奏しながら右足だけで進む姿を見たことはないでしょうか。「ダックス・ウォーク」と言いますが、これはチャック・ベリーの真似をしているのです。勿論、それと知らずにやっている人が多いのですが。1926年10月生まれで、80歳を越えていますが、現役で活動しているようです。
|
||||||
クリーム | ||||||
ロックファンなら「サンシャイン・ラブ」は誰でも知っているでしょう。曲名を知らない方でも下の動画を見れば、「ああ、あれだ」と分かるはずです。それほど多くの人やバンドがカバーしています。ということは、このバンドが、ロック界に与えた影響は計り知れないものがあるのです。しかし、1966年から68年まで活動しただけで解散してしまいました。 従って、このバンドも70年代ではないのですが、影響が大きいのと、「サンシャイン・ラブ(Sunshine Of Your Love)」が個人的に好きなので、ここに取り上げました。なお、エリック・クラプトンは「クリーム」の3人のうちの一人でした。
|
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル | ||||||||||||||
このバンドは通称、CCRです。1959年に「ブルー・ベッツ」として結成されたアメリカのバンドで、メンバーにさしたる変動はないのですが、68年にCCRに改名しました。72年に解散しています。数ある曲の中で、彼らの最後のヒット曲と言うべき「トラベリン・バンド」が好きでした。あのスピード感溢れる演奏スタイル、ロックの王道という感じがしましたねぇ。
|
||||||||||||||
エマーソン・レイク&パーマー | ||||||||||||||
1970年に結成されたイギリスのプログレッシブ・ロックのバンドです。プログレッシブ・ロックとは何か、単純に言えば、シンセサイザーを導入した先進的なロックと言うことです。それまで面白い音を出す機械として録音時に使われていましたが、実質的にステージで使い出した最初のバンドと言われています。
|
||||||||||||||
グランド・ファンク・レイルロード | ||||||||||||||
大好きな曲は「ハート・ブレーカー」です。とりわけ「ハート・ブレーカー、キャント・テイク・ハー、ハート・ブレーカー、プリンギン・ミー・ダウン」のリフレインが気に入ってます。このバンドが気に入っていた理由は、おそらく、ハードロックそのものの感じがしたからです。そしてファンクな感じも鮮明で、その時代の先端の雰囲気を醸し出しているように受け止めたものです。
|
ジミ・ヘンドリックス | |||||||||
ジミ(Jimi)・ヘンドリックスは日本では「ジミヘン」と呼ばれることが多い。そして常に天才ギタリストとして語られ、当時のロック好きの若者にとっては「神」のごとき存在ででした。特に27歳で亡くなったことも、同様に早死にしたジャニス・ジョプリンとともに、伝説のミュージシャンにしたようです。 ファンの印象に残っているのはロック史上、最高の名演奏とも言われる、ウッドストックでのアメリカ国歌だと思います。政治的でなかったジミヘンですが、ベトナム戦争への痛烈な批判と、多くの人が考えています。このことも、反権力的な側面を持つロックの精神を代表しているように思われたのでしょう。 それと同時に、ステージ上でのパフォーマンス(背中で弾いたり、歯で弾いたり、燃やしたり)も、既成概念を越える存在として、当時の若者、つまり私たちの世代に映っていたのです。 なお、ジミヘンは左利きでギターを弾いていましたが、そのギターは右利き用で、弦の順番を張り替えていました。
|
|||||||||
ステッペンウルフ | |||||||||
1969年に映画「イージーライダー」が公開されました。この映画が当時の日本の若者文化に与えた影響は非常に大きなものがありました。いわゆる「ヒッピー」と呼ばれる文化が日本にもたらされたのです。そしてチョッパーハンドルのオートバイ。そして何度目かのジーンズの流行。 このイージーライダーで使用され、一気に広まったのが、ステッペンウルフの「Born to be wild(邦題:ワイルドで行こう)」です。乗りのいい曲で、いかにもアメリカの広い大地を切り裂いていくようなバイクの旅に相応しい感じを受けたものです。
|
|||||||||
ボブ・ディラン | |||||||||
ボブ・ディランを70年代に限定することはできませんし、ロックというジャンルに限定することもできませんが、70年代のディランは「ザ・バンド」を引き連れて、明らかにロックを演奏していました。この影響を強く受け、ディランと同じようにフォークからロックに移ったのが、岡林信康さんです。もっともボブ・ディランは、当時の世界中のミュージシャンで、影響を受けなかった人がないくらい大きな存在でした。 私の順番としては、岡林さんが好きだったので、ディランも聞くようになった、という感じです。当時はロックと言わずに、フォークロックと言われていたように思います。
|
ザ・バーズ | ||||||||||||
ボブ・ディランやピート・シガーのカバー曲で有名になったため、ロックの感じが薄いのですが、途中からロック、そしてサイケデリックの感じになりました。私はロックになった辺りに聞いていました。当時、毎月2冊の音楽雑誌を購入しており、そこに掲載されるバーズの写真はいかにもサイケでした。
|
||||||||||||
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング | ||||||||||||
バンド名が長いわりには、なんとなく語呂がよく、すんなりと覚えられた記憶があります。ただし「デジャヴ」というアルバムとウッドストックに出たことを覚えている程度です。
|
||||||||||||
ジョーン・バエズ | ||||||||||||
ジョーン・バエズは言わずと知れた「フォークの女王」と言われた存在です。しかし彼女が取り組んだ公民権運動、反戦活動は当時の世界中の若者に影響を与えており、私の記憶からも消え去ることがありません。その美しい声を紹介します。
|
ジョン・デンバー | ||||||
ジョン・デンバーはご承知の通り、70年代フォーク界の中心的存在です。彼の最大のヒット曲は何と言っても「カントリー・ロード(原題 Take
me home, country roads)」ですが、歌の舞台である「ウェスト・ヴァージニア」には一度も行ったことがないそうです。そのため歌詞にある地名の多くがヴァージニア州の地名だそうです。
|
||||||
ママス&パパス | ||||||
長期間活躍していたバンドではないけれども、「夢のカリフォルニア(california
dreamin)」は誰もが知っている曲でしょう。バンドとしてよりも、曲が印象的なので取り上げるという感じです。
|
||||||
ピーター・ポール&マリー | ||||||
「ピーター・ポール&マリー」―――通称「PP&M」、60年代の代表的なボーカル・グループです。70年に解散(78年、再結成)していますので、70年代音楽とは言いにくい面もあるのですが、ベトナム反戦運動や公民権運動、原発反対運動に熱心に取りくみ続けており、その姿勢は70年代以降も多くの人に影響を与えています。
|
サイモンとガーファンクル | ||||||||||||
エピソードをひとつ。津高校の時、友人が生徒会長に立候補しました。選挙のための体育館での演説会の時、彼は登壇するなり、英語で語り始めました。生徒たちはきょとんとしているのですが、やがて気がつきました。「スカボロー・フェア」だ、と。そう、彼はスカボロー・フェアの歌詞を語っていたのです。当然、やんやの喝采、結果?どうだったかなー。 確か彼らには「沈黙」というタイトルの作品がありました。アルバムの中に「沈黙」と題して3分ほど、音のない部分を設けただけですから、作品とは呼べないとは思います。昔、「CBC」の深夜放送のアナウンサー、「市岡世津子さん(通称いちこ、役者になると言って東京へ行きましたが、その後どうしているでしょうか)」が放送事故と勘違いされかねない、この「沈黙」を流したことがあります。当然の如くに、ラジオは「沈黙」していました。 リンク切れをチェックしたら、軒並み元の動画が削除されていました。映画「卒業」でお楽しみ下さい。
|
||||||||||||
ドアーズ | ||||||||||||
ドアーズは60年代後半から70年代はじめのバンドです。まさに私がロックを聴いていた頃のバンドです。ちょうどアルバムで言うと「モリソン・ホテル」の頃ですね。その後、71年にボーカルのジム・モリスンが急死したこともあって伝説化したバンドでもあります。
|
||||||||||||
エルビス・プレスリー | ||||||||||||
エルビス・プレスリーも70年代音楽に入れることに違和感をお持ちの方がいらっしゃると思います。しかし69年11月、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「エルヴィスの復活」と言われ、72年10月には「バーニング・ラヴ」が2位まで上昇するなど、70年代にも人気がありました。そして77年、42歳、心臓発作で亡くなりました。 エルビス・プレスリーはロックン・ロールによって時代に影響力を行使した、と言っても過言ではないでしょう。そしてロックにセクシーさを持ち込んだ最初のミュージシャンではないでしょうか。何しろPTAだか、YMCAだかが「腰振り」に抗議し、あるショーでは、警官がエルビス・プレスリーを撮影しながら、腰を振ったら逮捕することになっていた、とのエピソードがあるくらいです。 監獄ロックなどは今聞いても斬新さを感じさせますし、相当にハードなロックです。ジェフ・ベックがヘビメタ風に演奏したこともあります。
|
ジャニス・ジョプリン | ||||||
ジャニス・ジョプリンも伝説のシンガーです。1970年に27歳で亡くなりました。従ってリアルタイムで彼女を聞けた最後の年代が私たちでしょう。当時の音楽雑誌に、ウッドストックでの存在感の大きさが語られていましたが、それがどれほどすごかったのか、なかなか中学生には伝わりませんでした。 そして死後は、ドラッグとアルコール漬けの日々、みたいな書き方で語られるのが、彼女の常でした。彼女の歌声を是非お聞き下さい。ジャニス・ジョプリンは9オクターブの声域を持っていたと言われています。下の67年の動画はモントレー・ポップ・フェスティバルの時のものです。群衆の中に紛れたキャス・エリオット(ママス&パパス)が”Wow, that's really heavy”と呟く姿が撮影されています。
|
||||||
ヤードバーズ | ||||||
ヤードバーズを語る上で欠かせないのは、ロック史上3大ギタリストと呼ばれるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが在籍していたことです。重なる時期もあるのですが、それぞれの在籍時期によって音楽性を区分されることも多いようです。今聞いてみると、70年前後のアマ・バンドが出していた音は、ヤードバーズの影響が多分に感じられます。
|
||||||
ジェファーソン・エアプレイン | ||||||
このバンドもウッドストック世代です。サイケデリックとして受け取られることが多かったのですが、フォークを出発点に幅広い音楽性を見せています。 様々な要因があって73年に解散、74年にジェファーソン・スターシップが結成されるものの、85-90年には、スターシップ、KBCバンド、再結成ジェファーソン・エアプレインに事実上分裂し、さらに今ではジェファーソン・スターシップとして活動しているようです。こうした経過はロックにとどまらず、バンドにはありがちなことでした。
|
ジェスロ・タル | |||||||||
ジェスロ・タルは日本にも何回か来ているはずですが、欧米でのヒットのわりには日本ではこれというヒットがありませんでした。そのため一般的な知名度は低かったのですが、独特な存在感がありました。 下のRock And Roll Circusというのはローリング・ストーンズが制作していたTV番組で、なんとミック・ジャガーが司会をしています。また出演者の字幕に「小野ヨーコ」の名前が出てきます。ちょっと珍しい動画です。
|
|||||||||
ピンク・フロイド | |||||||||
ピンク・フロイドは長い時間の曲が多く、3分前後の曲を中心に放送していた深夜放送には乗りにくく、また、「ウマグマ」「原子心母」など意味不明のタイトルのアルバムを発表していたこともあって、神秘的で難解なイメージの存在でした。しかし最終的には、70年代で最も芸術的、かつ商業的に成功したバンドと言われています。「One
Of These Days」は邦題「吹けよ風 呼べよ嵐」です。「Atom Heart Mother」の邦題は「原子心母」です。
|
|||||||||
ローリング・ストーンズ | |||||||||
説明は全く必要ないと思います。1963年にレコードデビューして以来、一度も解散することなく、創立時のメンバーの多くが今も在籍している現役のロックバンド、それはもはやローリング・ストーンズ以外、ほとんどないのではないでしょうか。当然、数多くの曲がありますが、70年前後の曲に限らせていただきます。 「ラヴィ・シャンカール」の項目でインド楽器「シタール」を使ったのはビートルズの「ノルウェーの森」が最初ではないかと書いたのですが、リンク切れチェックの中で、下の2本の「Paint it Black」の動画ではともに「シタール」が使われているのを発見しました。「ノルウェーの森」とどちらが早かったのか、ちょっと判断が付かなくなりました。
|
サンタナ | ||||||||||||
サンタナはラテン・ロックというジャンルに分けられることが多いが、私自身はこれもロックなのかなぁ、という感じです。でも「ブラック・マジック・ウーマン」や「Europa(邦題:哀愁のヨーロッパ)」は名作だと思っています。息の長いバンドで、99年の「Smooth」はビルボードのヒットチャートで12週連続1位に輝いています。 日本でのヒットは何と言っても「ブラック・マジック・ウーマン」と「哀愁のヨーロッパ」ですね。私はとりわけ「泣き上げる」ような曲調の「哀愁のヨーロッパ」が好きでした。
|
||||||||||||
テン・イヤーズ・アフター | ||||||||||||
テン・イヤーズ・アフターというユニークなバンド名は、10年後にもバンドがありますようにと名付けられたようですが、65年にこの名前を付け、ちょうど10年目の74年に解散しました。このバンドではアルビン・リーが超有名でした。当時の音楽雑誌には「世界で最もギターを速く弾く男」と書かれていました。
|
||||||||||||
ベンチャーズ | ||||||||||||
ベンチャーズも70年代に限らず、今日まで活動を続けるバンドです。特に日本では人気が高く、近年は毎年2回公演を行っています。また、「二人の銀座」や「京都慕情」などいくつも日本人向けに提供した楽曲があります。 私たちの世代ですと、日本にエレキギターのブームを巻き起こした60年代のバンドというイメージが強いですね。子どもたちまでが箒を片手に「テケテケ」言っていたのですから。その「テケテケ」の代表曲「パイプライン」の古い動画がなく、おじさんになってからのもので申し訳ありません。ただしライブには入っています。改めて聞いてみると今でも斬新な感じがします。そして結構ハードなロックです。
|
ザ・フー | ||||||
ザ・フーもウッドストックに出演したバンドです。絵になるバンドで、プレスリーが着ていたようなひらひらのシャツを着て、跳んだり、跳ねたりしている姿が雑誌に載っていたものです。いかにも当時のロックシーンを象徴するようなバンドでした。
|
||||||
セルジオ・メンデスとブラジル66 | ||||||
セルジオ・メンデスを初めて聞いた時のバンド名は「セルジオ・メンデスとブラジル66」でした。しばらくすると「セルジオ・メンデスとブラジル77」になりました。「ブラジル88」もあったようですが、「ブラジル99」はないようです。最大のヒット曲は「MAS
QUE NADA(マシュ・ケ・ナダ)」でしょう。かなりポピュラーになりましたから、知っている人も多いと思います。
|
||||||
スティービー・ワンダー | ||||||
日本では彼の曲がよくCMで使われています。ホンダとキリンが「Isn't She
Lovely」、auとトヨタ・ノアが「Sir Duke」、オンワードが「Overjoyed」、TDKが「I
Just Called to Say I Love You」、キリン・FIREのCMに「To Feel the Fire」、トヨタ・カムリと三菱UFJフィナンシャルグループが「Stay
Gold」という具合です。
|
カーペンターズ | ||||||
カーペンターズは70年代を通じ、サイモンとガーファンクルと並んで、世界で最も人気のあったデュオでしょう。妹カレン・カーペンターの拒食症による死という悲劇的な最後とも相まって、今や伝説的とも言える存在になっています。
|
||||||
クリフ・リチャード | ||||||
私にとってクリフ・リチャードと言えば「Early In The Morning(邦題:しあわせの朝)」です。ラジオから流れてきた、あのイントロに魅せられました。今も何の気なしにこの曲を口ずさんでいることがあります。「・・・アイム・ファイン・ナッシング・マッチ・トゥ・セイ、ドント・ノウ・・・・イン・ザ・サン・ゼアズ・ソウ・マッチ・・・」 ただ、調べてみると日本でのみシングルカットされ、日本でのみヒットしたような記述があるのですが、どうなのでしょうか。
|
||||||
フィフス・ディメンション | ||||||
1969年、話題になったミュージカル「ヘアー」の最初と最後の曲をくっつけてできあがったのが、「Aquarius」だそうです。きれいな曲で好きでした。また、前述の市岡世津子さんの最後の放送の時、最後にかけた曲が確かこの曲だったような気がしています。市岡世津子さんの放送が好きだったこともあって、余計この曲が印象に残っています。
|
ビートルズ | |||||||||||
私が深夜放送を聞いていたのは、あるいは音楽雑誌を読んでいたのは、ちょうどビートルズが解散に向けてごたごたしていた時期(ジョンが脱退を表明したのは69年、ポールが解散訴訟を起こしたのが70年、訴訟により法的に71年3月解散、)でしたから、ビートルズを聴いていた最後の世代と言えるでしょう。勿論、前述のように来日公演のテレビ放送を見ているわけですが。 ビートルズに関しては規制が厳しいようで、次々にYouTubeから映像が削除されていきます。リンクが切れてたらごめんなさい。解散後のジョン・レノンのイマジンもアップしておきます。
|
|||||||||||
ラヴィ・シャンカール | |||||||||||
北インドの民族楽器であるシタールを初めて聞いたのは、ビートルズの「ノルウェーの森」でしょう。ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカールを師匠としてシタールを学び、「ノルウェーの森」で初めて使用したのです(そうじゃないかも知れない話を「ローリング・ストーンズ」に書きました)。ラヴィ・シャンカールはシタールにとどまらず、当時はインド音楽の神様でした。 以来、あの独特の音色が気に入り、シタールのほかにもタンブーラ(4弦の弦楽器、四つの音しか出さない基音楽器)、タブラ(様々な音の出せる打楽器)など、インドの音色・音楽に惹かれるようになりました。この傾向は後年さらに広がり、シルクロードから中東、北アフリカまでの民俗音楽に関心を持つようになりました。 友人の兄がインドで生活していたことがあり、大学時代に友人の下宿で初めてシタールの現物に触れました。弦をはじくとあの音色がするのですが、複雑な弦楽器で、コードを覚えたら弾けるギターのような調子にはいきません。 ラヴィ・シャンカールの娘アヌシュカーとの演奏が「シャンカール 2」、もう一人の娘(母は違う)のノラ・ジョーンズはジャズ歌手で「Norah Jones」に入っています。「シャンカール 3」と「4」はマジソン・スクエア・ガーデン」での「バングラデシュ救済チャリティコンサート」です。このコンサートはラヴィ・シャンカールの呼びかけで、ジョージ・ハリスンらが開催したものです。「ハリスン」ではジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカールにシタールを教わっています。 1920年生まれですから、今年(2009年)4月で89歳になりますが、存命です。82歳のときの映像がありますから、もしかしたらまだ演奏しているかも知れません。
|
|||||||||||
バート・バカラック | |||||||||||
バート・バカラックは自身も歌いますが、私は、恐らくみなさんも作曲家として知っているだろうと思います。とりわけ私たちの世代で有名なのは、映画「明日に向かって撃て」の主題歌「雨に濡れても」と、ディオンヌ・ワーウィックのいくつもの歌です。 「雨に濡れても」はB・J・トーマスの歌、「雨に濡れても 2」は映画「明日に向かって撃て」の有名な自転車二人乗りのシーンです。「明日に向かって撃てpt.1」は映画のあらまし、「pt.2」は銃撃隊にに取り囲まれた小屋から死を承知で飛び出していくラスト・シーンです。「メドレー」はバカラックのピアノで、ディオンヌ・ワーウィックが何曲も歌います。9分と長いですから、バカラックやディオンヌ・ワーウィックがお好きな方はどうぞ。 「サン・ホセへの道」や「恋よ さようなら」もアップしていたのですが、リンク切れになってしまいました。
|
ゼーガーとエバンス | |||||
「ゼーガーとエバンス」の名を知っている人は少ないかも知れません。いわゆる「一発屋」的に終わってしまったデュオですから。正確には3〜4枚レコードを出しているのですが、ヒットしたのは「西暦2525年」だけでした。 私は曲が好きで聞いていたのですが、この曲は人類の未来を歌った曲なんですね。2525年から始まって、1000年ごとの未来に人類がどうなっているのか、そして最後、1万年後は?ロックにしてもポップスにしても、私やあなたの未来を歌い、愛や真実を語ろうとするのですが、1967年に彼らはこんな曲を作っていたんです(レコード発売は69年)。
|
|||||
1910フルーツガム・カンパニー | |||||
「ゼーガーとエバンス」の動画を探していたら、「1910フルーツガム・カンパニー」の名前を見つけてしまいました。ところが、海外はいざ知らず、日本での最大のヒット曲だと思われる「train」がないんですねぇ。海外では「train」はヒットしなかったのでしょうか。私は今でも歌詞の一部が口をついて出てくるほどなのですが。「・・・・トレイン・ハリ・アップ、ブリング・マイ・ベイビ・バック・・・」。ジャケットと音のみでごめんなさい。
|
|||||
ポール・モーリア(グランド・オーケストラ) | |||||
大事な人を忘れていました。美しいメロディで世界を席巻したポール・モーリア。作品はたくさんありますが、ここには代表的な5曲だけ掲載しました。街を歩いていても、テレビを見ていても、毎日どこかで耳にするくらい彼の曲はポピュラーですね。
|
ドノヴァン | |||||
そう言えば「ドノヴァン」という人がいたっけ、と思い出しました。思い出しましたが、何の曲で有名だったか、さっぱり思い出せません。でも60年代に相当に有名になった人ですから、思い入れのある方も多いでしょう。
|
|||||
ルル | |||||
この人の動画も探すのに苦労しましたねぇ。ドノヴァンと同様、ヒット曲の名前を忘れていましたし、ウィキペディアにも情報がありませんでしたが、苦心惨憺の末、動画を見つけました。いやぁ、当たり前ですが、「ヒットポップス誌」に出ていた顔と一緒です。
|
|||||
ホセ・フェリシアーノ | |||||
ホセ・フェリシアーノは緑内障のために幼い頃に失明したギタリストであり、ソロ・シンガーです。日本でどの曲がヒットしたのかはよく知りませんが、私が知っているのはRain(邦題:雨のささやき)です。とりわけ私が好きだったのはイントロでした。 あんなに好きだったのに、全く思い出せませんでした。それが久々にこのページを更新しようと思った途端に、「listen to the falling rain・・・」という歌詞とメロディが浮かんできたのです。確かにこれまでもたびたび口ずさんでいた曲なのに、今まで思い出さなかったとは、と思いつつ、では誰のなんという曲だったか、思い出せないのです。 仕方がありません。そう言う時は思い出した歌詞をネットで検索するのが一番です。すぐに出てきました。ああ、ホセ・フェリシアーノ、雨のささやき、そうだった、そうだった。というわけでここに登場しました。
|
フランシス・レイ | ||||||||||||||||
映画音楽に、この人の名は外せません。当時見た映画、チャールズ・ブロンソンの「雨の訪問者」が強く印象に残っています。全体の不気味なムードと、ブロンソンが胡桃を窓ガラスにぶつけて、ガラスは割れずに胡桃が割れる、その繰り返しの中でヒロインを心理的に追い込んでいくシーン、音楽がマッチしていました。私が特に好きだったのは、「ワルツ」でした。ブロンソンのおかげで男性化粧品「マンダム」がヒットしました。 女性の方なら多分「ラブ・ストーリー」でしょう。世の中の女性がすべて見たのではないかと言うぐらいヒットしましたからねぇ。「愛とは決して後悔しないこと」このフレーズが流行りました。
|
||||||||||||||||
レイモン・ルフェーブル | ||||||||||||||||
いわゆる「イージー・リスニング」の大御所です。深夜放送を聞いていれば、否応なくこの人の曲が聞こえてきましたし、それに何と言っても、城達也さんの番組「ジェットストリーム」のテーマ曲「夜間飛行」はこの人の曲です。と書いても若い世代の方は分かりませんよね。そんな方は下の「ジェットストリーム」をお聞き下さい。
|
||||||||||||||||
チック・コリア | ||||||||||||||||
いよいよジャズに踏み込みましたねぇ。私はそんなにジャズを聞き込んだわけではありませんが、チック・コリアについては「暗黒舞踏」を踊る際の音楽として使っていました。それまでのアコースティックなジャズとは違うエレクトリック・ピアノを使用した「都会的」な音が踊りやすかったのです。
|
ジョン・コルトレーン | ||||||||||
あまりジャズのレコードは持っていませんが、コルトレーンだけは何枚か持っています。ジャズの曲は長いために、深夜放送で流されることは殆どありませんでした。そのためにジャズに馴染む機会がなかったのですが、高校のベ平連系の友人、永井くんの家で初めてコルトレーンの曲を聴きました。それが「A Love Supreme」、邦題「至上の愛」でした。 サックスの音色、しびれましたねぇ。すごい低音で繰り返される「A Love Supreme」という歌詞とコルトレーンの声。ゾクゾクするくらいの音でした。残念ながら「至上の愛」の全曲ビデオはありませんでした。「至上の愛」は「承認」「決意」「追及」「賛美」の4部構成になっていて、これだけで1枚のLPレコードでしたから、多分45分ぐらいの曲だったと思います。 私の中で「いかにもコルトレーン」というのは、「My Favorite Things」と「Blue Train」、そしてその即興性の極みである「A Love Supreme」だと思っています。ただし、ジャズはこんな感じ、と一定のイメージを持っている方にはコルトレーンはあまり勧められないかも知れません。ジャズの枠をも越えた感がありますから。
|
||||||||||
ヘンリー・マンシーニ | ||||||||||
映画ならヘンリー・マンシーニも忘れるわけにはいきません。有名な映画の動画にリンクしましたが、「ピンク・パンサー」だけはヘンリー・マンシーニ・オーケストラの演奏風景です。「ムーン・リバー」は、かのオードリー・ヘップバーンの映画「ティファニーで朝食を」で、彼女自身がギターを弾いて歌っているシーンです。「ロミオとジュリエット」も流行りましたねぇ。
|
||||||||||
ボブ・マーリー | ||||||||||
友人のHくんは高校時代、ボブ・マーリーを随分好んでいたようですが、私はほとんど興味が持てませんでした。考えてみると、その時から既にHくんはワールド・ミュージックの世界にはまりこんでいたのですね。中学時代はジャズでした。その後、様々なジャンルの、まさにワールドとしか言いようのない膨大なコレクションを持つに至りました。彼のセンスで私の劇団の芝居に使う曲を選んで貰ったこともあり、それで知ったバンドもたくさんありました。
|
そのほか印象に残る歌と歌手 |
ミッシェル・ポルナレフ | シェリーに口づけ 愛の休日 | |||
ダニエル・ビダル | オー・シャンゼリゼ 天使の落書き | |||
シルビー・バルタン | あなたのとりこ アイドルを探せ 悲しみの兵士 | |||
ジリオラ・チンクェッティ | 雨 雨(日本語) 夢見る想い コンドルは飛んでいく | |||
メリー・ホプキン | 悲しき天使 Goodbye Sparrow | |||
トム・ジョーンズ | デライラ Love Me Tonight Get Down show me | |||
イーグルス | Take It Easy Hotel California one of these nights | |||
モンキーズ | テーマ Theme - Pilot - Intro I'm a Believer | |||
ジョニー・ウィンター | Tell The Truth live 1970 Highway 61 | |||
ショッキングブルー | Venus Venus Never Marry a Railroad Man medley |
ハーブ・アルパート | マルタ島の砂 Wade in the Water Golden Hits |
レターメン | 涙の口づけ |
アルバート・ハモンド | カリフォルニアの青い空 Eres toda una mujer |
ギルバート・オサリバン | Alone Again Get Down Matrimony |
ビリー・ジョエル | honesty Stranger 素顔のままで Piano Man |
キャロル・キング | Hold Out For Love It's Too Late Natural Woman |
コニー・フランシス | ボーイ・ハント Who's Sorry Now Tonight's My Night |
フリオ イグレシアス | 黒い瞳のナタリー El amor Gwendolyne |
レオン・ラッセル | stranger in a strange land a song for you over the rainbow |
ニール・セダカ | OH! CAROL Calendar Girl 恋の片道切符 |
ポール・アンカ | ダイアナ 君は我が運命 ロンリー・ボーイ |
プラターズ | 煙が目にしみる オンリー・ユー トワイライト・タイム |
ベット・ミドラー | 孤独の世界 The Rose Wind Beneath My Wings |
ポール&ポーラ | ヘイ・ポーラ Young Lovers My Happiness |
カスケーズ | 悲しき雨音(Rhythm of the Rain) |
ボビー・シャーマン | Little Woman Easy Come, Easy Go いとしのジュリー |
マーク・リンゼイ | Miss America アリゾナ Rock and Roll Cafe |
P.F.スローン | Secret Agent Man 孤独の世界 |
エジソンライトハウス | 恋のほのお 涙のハプニング |
洋楽動画データベース 洋楽ジャム |
トップページに戻る |
〒514−0114 津市一身田町2790 Tel.Fax 059−211−0126 メール hpvqg2qv@zc.ztv.ne.jp |