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鈴木まさひこ(雅彦) 的生活
悲惨な年末年始 トマトシチュー 久米明先生 水道の漏水
名古屋葬式 自家感作性皮膚炎 90歳の同窓会 おお CDが
何だこれ? ファンヒーター 事務所開き 選挙事務所
議員の元旦 3が日もあと一日 あらためて・・
あらためて 明けましておめでとうございます 10.01.04
 アッという間に3が日も過ぎ、早くも今年の仕事始め、4日になりました。朝の辻立ちも皆さんの出勤に合わせて今日から再開しましたが、前を通る車の台数を見ると、いつもより随分少ないように思います。官庁や学校、そうしたところに合わせて仕事をしている会社などは今日から仕事が始まったようですが、まだまだお休みの会社も多いのではないでしょうか。

 一身田の商店街の張り紙を見ても、5日からとか、6日までお休みとかの表示が目立ちますから、本格稼働には2〜3日掛かるみたいです。しかし、選挙は別です。すでに元旦から各候補者とも走り回っています。私は走り回ると言うより、歩き回っています。

 ブログにも書きましたが、議席を確保することが私の社会的責務です。私の特質を最大限に生かせるのが議会であり、それが津市と住民の幸せにつながるものと確信していますから、私の活動はもはや私個人の問題ではなく、社会的な問題です。

 そのように捉えて本番までの3週間を戦い抜きます。
気がつけば3が日もあと一日 10.01.02
 ばたばたしながら元旦が終わり、2日も後援会申込書を抱えて走り回っているうちに夜になりました。スタッフの一人と相談をしていると、早くも夜中が近づいてきました。ハッと気がついてみると、3が日も残すところあと一日。ありゃりゃ、なんてこった、時間がどんどん過ぎていく〜。

 と焦っても仕方がありません。できることを一日一日積み重ねるしかありません。そして多分それが選挙なのでしょう。一発逆転とか、これをやればすべてが万全、そんな虫のいい話はありません。私のことを分かってもらい、やりたいことを分かってもらい、そして納得してもらう。これがすべてです。

 さて今からは明日の準備、持っていく後援会入会申込書などの数をそろえ、足りない文書はプリントアウトして、明日の朝、どたばたしないようにしておかないと、急な用事が入ってきて予定の時間に家を出られない、なんてことも起こりかねないのが選挙ですから。

 私の一日一日が、津市民の幸せにつながるのだと、決意を新たにして明日も頑張りましょう。
元旦を迎えた議員の一日 2010.01.01
 寒い寒い新年が明けました。夜中、名古屋高速が雪のために全線閉鎖との速報が流れていましたので、朝起きた時、もしやと窓の外を見てみましたが、いつもの通りの光景で、雪の気配はありませんでした。雪景色というのは人を童心に戻してくれる効果があり、少し期待していたのですが、残念。

 さて、選挙を1ヶ月後に控えた議員の元旦は挨拶で始まります。屠蘇祝いも何もあったものではありません。まず大乃己所神社へ初詣で。参拝のあと、神社役員や当番の方々に挨拶。

 その後、今の住まいである一身田町の神社、一御田神社の総代の一人として元旦の祭典に参加。祭典終了後、「なおらい」があり、総代の皆さん方と御神酒をいただきます。もう一人の議員さんは乾杯しただけでお帰りになりましたが、私は皆さんと楽しく歓談して親交を深めました。

 午後からは去年までの日々と全く同じ、後援会申込書を抱えてひたすら歩き回ります。幸い朝までの風もやんで穏やかな元旦になりましたので、寒さに震えることはありませんでした。

 こんな風に挨拶、挨拶で開けて暮れるのが私の元旦でした。2日は朝から挨拶の予定です。
選挙事務所ができました 09.12.24
 下の記事で事務所開きをしたと報告したにも関わらず、新たに選挙事務所を設置しました。というのも、自宅兼事務所は商店街の通りとは言え、バスの走る本山前から見れば裏通りにありますから、駐車場として借りた場所に仮設ハウスを設置して事務所にしなさいと、アドバイスを頂いたのです。

 言われてみればその通りで、本山前駐車場にデンと構えた方が目立ちますし、意気も上がります。友人の紹介だったせいか、費用も抑えていただけましたので、思い切って仮設ハウスを建てました。8坪ほどのささやかなものですが、これならやたらと駐車スペースを潰さずにすみますし、そこそこの人員は収容できますので、これで元気いっぱい選挙戦を戦いたいと思います。

 見えないように設置しましたが、仮設トイレもあります。お七夜の時には、お茶を飲みに行くつもりで、あるいはトイレに行くつもりで、お気軽にお立ち寄り下さい。
工事中です 紅白の幕を付けました 夕景なので青くなりました
事務所開きを行いました 09.12.06
 6日、事務所開きを執り行いました。これまで3度の選挙をしていますが、初めてのことだらけの事務所開きです。

 以前ですと党営選挙で、挨拶をするのも集まってくるのも党内の人ばかりで、地元というのはほんの一握り、それこそご町内の方々ばかりでささやかに事務所開きをしていました。よくもそれで当選できたものだというぐらいのもので、まあ、単なるセレモニーであり、重視していなかったということでしょう。

 しかし今回は無所属・無会派の選挙です。今までのような「おざなり」では誰も来てくれません。スタッフの意見で神事も執り行いました。真弓浩連合自治会長さんにも挨拶をしていただきました。多くの方々に集まってもらいました。

 今までを知っている方にとっては、私の事務所で「祝詞(のりと)」が聞こえるとは信じられないかも知れません。しかし神社の総代の一人でもありますので、特段不思議なことではありません。宗教が国家権力と結びつくことは問題ですが、個人個人の信仰の自由は守られねばならない、これが私の基本的な信条ですから。

 「為書き(祈必勝の紙です)」も戴いて事務所に貼りました。これだけでも、さあ、選挙だぞ、という雰囲気が出てきますから不思議なものです。連合自治会長さんにも為書きを戴くことになりました。

 皆さんからご挨拶を戴き、本当にありがたい思いでした。そして自分の挨拶の番が来て、今まで経験のないたくさんの方々のお顔を拝見した途端、熱いものが込み上げてきました。ああ、こんなにたくさんの方々が期待をしていて下さるのだと思うと、不覚にも涙が溢れてしまいました。10年掛かりました。やっと「一身田の議員」として認識してもらったんだ、そういう涙です。

 選挙は自分のためではない、このことが鮮明に感じられたことが、一番の収穫です。選挙は人のため、街のためのものなんだ、という当たり前のことですが、これほど実感できたのは初めてのことでした。
根性のなかったファンヒーター 09.11.24
 私のブログ「鈴木まさひこ(雅彦)叫びとささやき」に詳しく書いたのですが、コロナ製ファンヒーターが点火しなくなりました。買って3年くらいの製品だったのですが、意外と根性無しでした。取扱説明書に従って対処方法も試してみたのですが、ダメでした。

 そのことをブログに書いた所、ある方からコメントが寄せられ、やはりコロナ製品で、その方の場合は「どついてみた」とのことでした。

 「どつく」というのは昭和30年代生まれの人間にとって、家電製品の修理方法の王道です。そんなことも忘れていたなんてと、そのコメントに深く感動しました。すでに灯油を抜いてありましたので、もう一度灯油を入れて「どつこう」と決意したのでした。

 ところが、買うのなら情報を仕入れなければと、チラシを見比べていた妻が、「ちょっと見て回ってくるわ」と出掛けていきました。私はと言えば、コメントの主のブログの記事に、深く感動した旨のコメントを書き、送信したりなんぞしていたのですが、妻が帰ってくるなり、運ぶの手伝ってと言うではありませんか。早くも買ってきてしまったのです。「どつく」暇もなく。

 ダイニチ工業製品です。「ダイニチ」ってどこの会社だ、と不審感も露わにネットで調べてみると、ファンヒーター最大手ではありませんか。知りませんでした。三重県の企業なら大概は知っているのですが、新潟の企業は知りません。「ダイニチ」さん、失礼いたしました。

 それにしても、私は「どついて」見たかったのですが、改めて給油して「どついて」点火しなかったら、また灯油を抜く作業が必要だし、まあ、いいかと、「どつく」のはやめにして、根性無しのコロナ製ファンヒーターは廃棄処分に決定しました。
何だこれ? 「佐藤B作によく似た詐欺師お断り」 09.11.10
 一体そこにはどんなドラマがあったのか、とっても気になる張り紙を見つけてしまいました。曰く「佐藤B作によく似た詐欺師お断り」。「佐藤B作によく似た」で改行され、「詐欺師お断り」の部分は超大文字で書かれたB4の張り紙です。

 まず一行目の「佐藤B作によく似た」で引っかかります。「佐藤B作」さんは俳優ですが、その顔を思い浮かべながら、その顔がこのお宅にやってきたのだろうか。それともそういう個別の問題ではなく、その地域にそのような噂でもあるのだろうかと、あれこれ考えてしまいます。

 「詐欺師お断り」の部分でも引っかかります。これは詐欺師一般ではなく、「佐藤B作によく似た」詐欺師についてお断りしている張り紙ですから、佐藤B作に似ている詐欺師のみが対象です。と言うことは佐藤B作に似ていない詐欺師なら構わないわけで、必ずしも詐欺師を拒否しているわけではありません。

 突き詰めて考えていくと、「佐藤B作によく似ている」ことが問題であるとその張り紙は主張しているように思えます。このお宅では佐藤B作さんによく似た顔の人との間で、どういう問題が発生しているのか、とっても気になっているのです。
おお CDが起動しない 壊れたのか! 09.10.28
 必要があってあるCDを買いました。きちんと起動するかどうか確かめなくてはと思った瞬間、悪い予感が働きました。以前使っていたノートパソコンがCDを認識しなくなった事件があったことを思い出したのです。まあ、まさかね、とCDドライブのボタンを押し、受け皿を引き出してCDを乗せました。CDは本体に収納され、扉のランプが灯りました。

 ところが、それだけです。ランプは起動するかの如くに点滅しているのですが、画面上には何も示されません。「マイコンピュータ」を見てもCDを認識していません。あちゃー、予感が当たってしまいました。一縷の望みを掛けてPCを何度か再起動してみましたが、事態は変わりません。ただし、CDに問題のある可能性も残されています。

 そこで他のCDをセットしましたが、期待も虚しく、結果は同じです。結論はCDドライブが壊れたとしか言いようがありません。一応、PCに詳しい友人に聞いてみましたが、CDドライブは壊れやすい、その状態なら確実に壊れていると言われてしまいました。

 そこそこの性能ですが、古いPCですし、ウィンドウズ7も出たことだし、PCを買うべきなのかとも思いましたが、CDを起動させるためにPCを買うなんてばからしいと思い直し、友人のアドバイス通り、外付けのドライブを買うことにしました。5980円、意外と安いものなんですね。すぐにUSBケーブルで本体に接続し、CDをセッティングしました。

 おお、ドライブがCDを認識している音が始まりました。やあ、めでたし、めでたし、ほっと一息、という顛末が昨日ありました。
90歳の同窓会 09.09.22
 庭の掃除が終わって玄関前の掃き掃除を始められたご婦人に、「こんにちは」と声を掛けました。少しお話しをしていますと、「あなたのお兄さんと同級生」だと仰いました。しかし私に兄はいませんし、いたとしても、とても同級生という年齢ではありませんから、戸惑いながらいろいろ聞いてみると、「父の兄」と間違えていることが分かりました。

 それだけ私が老けて見えるのだろうかと、ムッとしましたが、ちょっと待てよ、「父の兄」というのは市議会議員をしていた鈴木友吉のことですが、父親の年齢から計算すると、鈴木友吉は存命ならば90歳です。同級生?どう見てもご婦人は精々70代後半にしか見えません。

 「友吉と同じなら90歳ということですか」「ええ、90です」

 目も耳もご不自由な様子はないし、お元気に掃除をしていらっしゃいますから本当に驚きました。そして驚きに追い打ちを掛けるように、「今年、同窓会をしまして」と平然と仰います。聞けば6人しか集まらなかったけれども、大変楽しかったとのことです。

 亡くなった方もあるだろうし、遠方にお住まいの方もあるだろうし、90歳の方々が集まるのはとっても大変なことだと思うのですが、小学校(当時は尋常高等小学校)の同窓会に6人も集まるなんて信じられません。女性ばかりだったそうですが、それにしても凄いの一語に尽きます。歳を取ってもかくありたいものですね。
自家感作性皮膚炎って何だ? 09.09.04
 2週間ほど前に右手首に湿疹ができ、その時はさして気にも留めていなかったのですが、1週間ほど前から同じような湿疹があちこちにできました。ん?なんじゃ、これは?と思いつつ、9月議会準備を優先させていたのですが、病院へ行くことにしました。

 原因が内科的なものである可能性も考え、昨日の夕方、まず内科を受診しました。そうしたらお医者さんの言うことには、「じかかんさせい皮膚炎」だろうと思います、とのことでした。「じか」は多分「自家」でしょうから、これはアレルギーだなと思考しながら、「どんな字を書くのですか」と尋ねたら表題の字を教えてくれました。跡で調べると「感作」とはアレルギーを引き起こすことのようです。

 何かに接触して炎症・湿疹ができ、そこで抗体ができてしまうことによってアレルギーを引き起こし、リンパを通じてあちこちに症状が出るようです。元の湿疹や炎症を治すことで症状は収まるそうです。放っておくと全身に広がり、かゆみのために眠れなくなるらしく、皮膚科へ行ってくださいと言われました。その病院は今日、皮膚科のお医者さんの日なのですが、たまたまお休みとのことで、今日は別の皮膚科へ行って来ます。

 行ってきました。最初に手首に接触性皮膚炎、この場合、何かにかぶれた可能性が高いそうで、それが原因になって抗体ができ、アレルギーになったらしいです。塗り薬、抗生物質、かゆみ止めを処方してもらいました。診察1,020円、薬に1,150円、昨日の内科では810円、締めて2,980円でした。もう一度、月曜か火曜に来いと言われたのですが、診察時間は6時まで、それまでに本会議が終わるでしょうか、う〜ん。
お葬式で驚いたこと 出立ち&狭い斎場 09.08.20
 妻の祖母の葬儀がありました。こういう時しか顔を合わさない御親戚様の顔を見て、あの人は誰?などの場面はありましたが、滞りなく葬儀は終了しました。ところで名古屋の葬儀は初めてで、驚いたことが二つありました。

 ひとつは「出立ち」です。てっきり「いでたち」と読むのだと思いこんでいたため、故人をあの世に送る特別な儀式があるのかと思っていました。ところが読み方は「でたち」でした。そして中身は会食です。葬式の前に親戚が集まって食事をすることなのです。聞いてみると、自宅で葬式をしていた時代は「助六」を食べていたそうです。

 それから考えるに、葬儀という取り込み中のことで、食事の支度がままならないことから、簡単に食べられるものをご近所の方々に用意してもらい、手の空いている者から好きなように食べた、と言うことではないでしょうか。それがいつの間にか儀式化し、民間の葬儀場で葬式を行うようになってからは「会食」というパターンに変化していったのではないでしょうか。ただ遠方からの方々は葬儀場に泊まりますので、朝食が10時からの「出立ち」というのは、少し申し訳ない気分でした。

 もうひとつ驚いたのは「斎場」です。八事の霊園の一画にあるのですが、名古屋市の斎場はここ1ヶ所だそうです。炉の数は46基、その間隔の狭いこと狭いこと。そのために入場制限があるのです。葬儀場にも斎場にも名古屋市の名前でポスターが貼ってありましたが、斎場の炉の前に行けるのは20名まで、拾骨できるのは10名まで、と制限していました。

 実際には厳密な制限はされていませんでしたが、炉の間隔が狭いという物理的な問題があり、自ずから制限せざるを得ませんでした。しかも200万を超える人口の名古屋で46基の炉しかないのですから、フル回転です。次から次へという感じなので、お棺を納める前に顔部分の窓を開いて最後のお別れをすることすら許されませんでした。親切に説明はしてくれるのですが、いかんせん時間が短く、泣くヒマもありません。どうでしょう、炉に納めるまで5分もなかったのではないでしょうか。

 確かに隣の炉を使用する方々が来れば、並んで棺桶を取り囲むスペースがないのですから、炉の前に長々といてもらっては困るのでしょう。どうしてこんな設計をしたのでしょうか。スペースの都合があるにしても、市に長らく貢献した方の最後をお見送りする場所なのですから、あんな事務的なやり方はどうでしょうか。もっと人間性を大事にすべきです。

 津市でも新しい斎場の建設を計画していますが、素晴らしい斎場の視察をするだけでなく、こういう反面教師とすべき事例も研究してみてはどうでしょうか。市民の最後を送るに相応しい斎場建設の参考になることは間違いないでしょう。
わが家の水道料金が急に跳ね上がった? 09.04.17
 先日、水道料金が異常に高いと妻が言い出しました。聞いてみると口座引き落としの金額が9000円台だったと言うのです。最新の検針票でも7000円台だったそうです。津市のHP水道料金早見表で見てみると9000円台というのは60数トンの使用水量に当たります。7000円台なら50数トンに当たります。これは確かに多すぎます。

 津市では口径13oで1ヶ月20トンを平均的な使用水量としていますから、、2ヶ月で60数トン、つまり1ヶ月で30トン以上というのは普通の生活では考えられない数字です。と言うことは「漏水」が疑われるのですが、メーターを見ても回っていませんから、漏水はありません。となると極めて異常な浪費をしたことになりますが、そんな心当たりはありません。

 そこで過去の使用水量を調べてみました。
検針月 07/10 12 08/2 4 6 8 10 12 09/2
水量(トン) 43 42 41 40 41 54 35 48 63
 使用水量は以上のような推移を辿っていました。

 これを見る限り、08年8月に一度突出しています。実はこの時、漏水があり、業者の方に直して頂きました。そのため同年10月の検針では水量が一気に下がりました。12月にやや多めとなり、09年2月に再び突出しています。これはやはり異常がありそうです。早速、水道局にチェックをお願いしました。

 結論から言うと、やはり洩れていました。あまりにもゆっくりとメーターが回っていたので気がつかなかったのです。原因が分かりましたので、早急に直したいと思います。職員の方に聞いた所、漏水の調査は相当に依頼が多いとのです。みなさんも検針票を見て、おやっ、と思うことがあれば水道局に相談してみてください。
久米明先生 お久しぶりです 09.02.15
 NHKの「お買い物」というドラマで久米明さんを見ました。「久米明さん」と記すのは失礼に当たるかも知れません。「久米明先生」とお呼びするべきですね。何しろ私は大学で先生の授業を受けているのですから。

 プロフィールでも自己紹介しましたように、私は日本大学芸術学部で演劇を専攻していました。「演技基礎論」とか「洋舞」「日舞」「音楽」「狂言」など、様々な授業がありましたが、久米先生の授業は「物言い」という講座名でした。「物言い」と言うと、一般的には相撲を思い浮かべるのではないでしょうか。勝負の判定が微妙な時に「物言い」がつきますよね。でもその「物言い」では勿論ありません。

 久米先生の「物言い」の意味は、授業の最初に教えていただきました。「物言う術」です。

 簡単に言えば、「話す技術」の授業です。むろん、授業は簡単なものではありませんでしたし、日常生活における「話し方」の勉強でもありませんので、正確には「話す技術」ではなく、「明確に発音し、口に出した言葉の意味を多数の相手に伝える技術」を身につける授業です。

 はじめは「学生番号496○○○○、鈴木雅彦です」の繰り返しです。つまり、これだけのことを伝えるのにも技術が必要なのです。明確に発音すればいい、と言うだけのものではありません。今になって分かるのですが、久米先生が汲み取って欲しかったのは、「学生番号496○○○○、鈴木雅彦です」という言葉で自分を表せ、おそらくそう言うことだったのです。意図の分からない愚かな私たちは、何度も何度も先生に向かって「学生番号496○○○○、鈴木雅彦です」を繰り返しました。はたして先生には「私」というものが伝わったのでしょうか。

 ドラマ「お買い物」は、見た方には分かってもらえると思いますが、視聴率を気にしすぎる昨今のテレビには珍しく、起伏の極めて少ないドラマでしたが、面白く拝見しました。二人の老夫婦がどんな人生を送ってきたか、何も説明されていませんが、二人の在りようがひしひしと伝わってくる、あるいは想像されるドラマでした。まさに久米先生の「物言い」の授業が目指していたようなドラマだったのではないでしょうか。

 久米先生はあまり俳優としての姿を拝見する機会がありません。もっぱらナレーターとして、その声だけがよく知られている俳優です。それだけに「物言う術」が洗練されていったのでしょう。久しぶりに先生のお元気な姿を拝見し、嬉しくなってしまいました。

 ところで「演技基礎論」の授業にはTとUがあり、どちらの授業だったか、フェンシングの稽古なのです。なぜフェンシングをするのか全然理解できませんでしたが、ある時、入江先生(青年座だったかの入江洋祐さん)が言うのには、日本の芝居ならチャンバラをやらなければならないけれど、西洋劇であればフェンシングが必要だとのことなのです。これにはいまだに納得できないでいます。フェンシングの授業ならまだしも、「演技基礎論」の授業なのですから、フェンシングはあっても悪くはないけれども、どちらかと言えば、枝葉末節の部類のような気がしたものです。
トマトシチューを作る羽目に
 午前中、買い物の際に妻が「シチューにしようかな」と言うので、「何シチュー?」と聞いたら、「クリームシチュー」。心の中で、クリームシチューか、ちょっとくどい感じがするなぁ、と思ってしまったもので、つい「トマトにしよう」と、言ってしまいました。すぐさま「ホント?作ってくれるの?」と畳みかけられ、なんだかいつの間にやら、私がトマトシチューを作る羽目になってしまいました。

 それで今、作業中です。材料を切り、炒め、たった今、鍋に移し替えて弱火にかけた所です。その内に灰汁(あく)が浮いてきますから、それを取らなければなりません。トマトにはやはりオレガノですね。かすかにいい香りです。ちょっと失礼。

 灰汁を取ってきました。トマトソースを加え、ホールトマトを味付けして煮込んだジュースも加え、さらに塩こしょうで味を調整し、オレガノも追加してきました。あとは、じっくりコトコトと煮込むだけです。さてと、火の通りやすいカリフラワーを入れて、一番弱火にして、時間の経過を待ちましょう。最終的に味の調整をしてできあがりです。うん、美味しい、自画自賛。お向かいにもお裾分けしましょうか。それが一身田のいいところです。
悲惨な年末年始
 「盆と正月が一緒に来たような」という喩えがありますが、2007年から2008年の年末年始は「盆と正月が一緒に去って行ったような」と言うか、「仏滅と三隣亡と天中殺が一緒に来たような」とでも言うか、とにかく悲惨なものでした。

 と言うのも、年末の大掃除をしていた30日の夕方、ちょっと体調が変だなと思って熱を測ってみると37度8分ありました。これは風邪を引いたかなと思いながら早めに床につきました。翌日は大晦日ですが、朝起きて熱を測ると38度2分に上がっています。食欲もなく、とりあえず猫4匹に餌をあげて、再び床につきました。この日から39度近い熱が続き、着込んでも着込んでも寒くて仕方ありません。この日は「さっちゃん」ではありませんが、バナナを半分しか食べられず、あとはホットミルクを少々飲んだだけでした。

 年が改まって元旦、相変わらず熱は39度近く、寝たきりで過ごさざるを得ず、地元の神社の氏子総代の仕事も妻に代行してもらいました。熱が下がったのはようやく2日の日でした。37度前後を行ったり来たりで、体はずいぶん楽になったのですが、予定していた卒業以来初めての中学の同窓会には、万が一、みなさんにうつすといけませんから出席できませんでした。

 ともかくもこれで3日から日常生活が営めると意気込んでいたのですが、さらなる悪夢が襲うのは2日の夜と言いますか、3日の明け方、トイレに起きたときに寝ぼけ眼で階段を踏み外してしまい、何段かをすっ飛ばして背中から床に激突するという事件が発生、その瞬間は息が詰まり、起き上がることもできずに呻いているだけでした。

 結局、かかとを強打、足の親指の爪が割れ、腰はぎっくり腰、いわば悪夢の三重苦。再び床につく羽目になりました。結局1ヶ月以上、足を引きずり、腰をかばいながら歩くことになりました。健康であることのありがたみを痛感させられる日々でした。みなさんも御身大切に。
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