● エッセイ ●
たかされ(4)

高校では軟式野球部に入った。2年先輩に尊敬していた津木中野球部出身の西博義さん(現衆議)が いたのと、自転車通学で距離が遠いので練習で遅くなると大変だと思ったからだった。
 しかし軟式も練習時間はけっこう長かった。練習後は街灯もろくにない登りばかりの砂利道を 毎日10キロも遡って帰った。疲れ果てて、食事をして風呂に入って寝るだけで、授業の予習も 復習もほとんどしなかった。
 1年生の初めての中間試験で数学のテスト結果をもらって愕然とした。なんと100点満点の 18点だった。中学までは学校の授業だけでそこそこの点が取れていたのでショックは大きかった。 恐る恐る親友になっていた二人に得点を聞いてみたら、17点と19点で、ちょっと安心したが、 高校は勉強せんとあかんなあとつくづくと思った出来事であった。
 軟式時代は、特に想い出がない。1年の時は内野手であったと思うが、いつからかピッチャーと なったがノーコンピッチャーであった。しかし、やたら肩が強くて、ウオームアップなしでもすぐに 投げられた。打つ方でも期待されながらも期待外れが多く、唯一吉備高校で行われた試合で、レフトへ 特大のホームランを打ったことくらいしか覚えていない。
 2年の夏休みに、植林の下草刈りのアルバイトで、途中で雷雨が激しくなって中断して帰ってきた ところへ、当時の硬式野球部の横山監督と後のチームメイトが家まで勧誘に来てくれた。私は、汗と 雨で全身ぬれ鼠の姿で応対し、勧誘に応じる旨の回答をしたと思うが、硬球は未経験で怖さもあって、 とりあえず秋の新人戦までという期限付きの回答であった。今思えば、何と中途半端なと、自分を叱り 飛ばしたいくらいだが、情けないが正直な気持ちだった。
 硬式時代は「美しかった夕焼け」に記載。
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