30周年記念ツーリング(2)
   
熊本城の見事な石垣

これでカメラのバッテリーが終わった

高千穂峡

神楽酒造の酒蔵

阿蘇噴火口

火口湖は水色

やまびこ旅館全景

出逢い橋で誰と出逢う?

モモちゃんはふて寝?

出発前に玄関で

磨崖佛を説明するガイド

阪九フェリーやまとの2等室内

この日の夕食1,600円

 <三日目>  今日の行程は長いため6時にホテルを出発。「俺は朝は強いから大丈夫」とモーニングコールもセット せずに寝たら、目が覚めたら5時45分。「ヤバッ」と、洗顔と着替えを済ませ、忘れ物をチェックして、 1時間前から起きていたような顔をしてフロントに降りると、すでに皆がたむろしていた。早朝の九州 自動車道を鹿児島ICから入って北上を始める。加治木JCTを過ぎ、えびのJCTも過ぎて山江SA で朝食タイムと給油。その後、益城熊本空港ICで降りて熊本城へ。
 加藤清正が築城した熊本城は、その石垣の美しさにある。下段から中段にかけてゆるやかなカーブを 描いて、上段にかけては垂直に屹立する。清正が近江の国から連れてきた石工集団の穴太衆(あのう しゅう)の手によるもので“武者返し”と呼ばれている。自称“石垣フェチ”の私としてはぜひ美しい 石垣の写真を撮っておかねばと思い取り始めた途端にデジカメのバッテリーが終わってしまった。前の カメラが壊れてしまって数日前に買ったオリンパスμ5010は、初めての使用で慣れていなかったのだ。 「くそーなんで夕べ充電しておかなかったのか」と悔やんでも仕方がない。この後に高千穂峡と阿蘇が 控えているというのに。
 10時に熊本城を後にして高千穂峡に向けて80キロほどの田舎道を東進するが今日も暑い。 高千穂峡谷には観光客が一杯で、狭い駐車場に入る車の列にしばらくの間並んだが、幸いバイクの駐車場は 入れ替えが頻繁で、林間のスペースに駐車してあたりを散策した。一説には神々の故郷と言われているが これだけ人が多ければ神秘的でも何でもない。五カ瀬川が阿蘇溶岩台地を侵食してできた深さ100メートル にも及ぶV字型の谷ということだ。橋の上から下を見るとその谷の水面にボートを浮かべて景観を 楽しんでいるカップルが何組もいた。見ごろは秋の紅葉の頃だという。
 すでに1時を回っていて、昼食は少し走ったところのR325沿いのトンネルの駅で取った。ここは 旧国鉄が九州横断鉄道計画で未開通のまま残った1キロほどのトンネルがあり、地元の神楽酒造が 焼酎などの貯蔵所として利用している。旧高千穂鉄道のサロンカーを食堂にしている“きっ茶ポッポ” は汽車ポッポをもじった命名だろう。ところが、ここも人で一杯で、牛丼一杯食べるのに1時間近く かかった。
 食後は阿蘇に向かってR325を北上する。白水交差点から阿蘇パノラマラインを駆け上がり阿蘇 火口西へと進む。阿蘇のカルデラは世界的にも有数で、外輪山の中に平野があって町や農地があるのは 阿蘇だけとのことだ。ちなみにカルデラとはスペイン語の鍋や釜のことで、阿蘇カルデラは火山が マグマを噴出して空洞化したマグマ溜りに地表が落ち込んだ陥没カルデラの代表的なものらしい。
 駐車場に着いて、1分ほど歩いて阿蘇中岳の火口を覗くとライトブルーの湖水が見えた。硫黄や 溶岩を売っている人が何人もいた。何でも商売にするものだ。阿蘇は高校の修学旅行で訪れているが、数えてみると 44年も前のことだ。定年を直前にして改めて来し方の長い時間を痛感した。
 15時30分に火口を後にしてパノラマラインからミルクロード、さらにやまなみハイウエイと バイク乗りなら一度は走ってみたかった景観と快走感を十二分に味わいながら、今日のお宿、黒川温泉 に向かう。50キロほど走って黒川温泉に着いた。やまびこ旅館は入り口が旅館街側に無く、小さな 河を隔てた向かい側にあった。旅館は河の両岸にあって河に架けられた専用の“出逢い橋”で 繋がっていた。この橋はよくテレビなどで紹介されているとのことだ。
 阿蘇山周辺には温泉が多いが、ここもその1つで、大きな露天風呂と建物の地下1階にはさまざまな 湯船があった。HPに紹介されていたニューファンドランドのモモちゃんが、食事に行く前にフロントで 歓迎してくれた。あごの下をなでなでしてあげたらよだれを垂らして喜んでくれたが、他の人たちは 真っ黒と大きさにひるんで近寄りもしなかった。確かにナナよりひと回り大きい。
 今までの宿泊ツーリングでは夕食時にコンパニオンというお姉さんを4,5人はべらかすのだが、 このひなびた田舎の温泉街には、そんなものはいないということらしい。やとなさんが一人か二人で 仕切っていたが、ビールも日本酒も焼酎も、前に十分用意され、飲んだだけ精算するというしくみで 酒飲みにはありがたい。昨夜の中華料理店では、料理を注文した後のビールがなかなか出てこず、 やっときたらビールだけで、コップが来るまでまた5分ほど待たされて「こんな店ありえねー」と みんなブーブー言っていたのとは大違いだ。

 <4日目>
 今日の出発は9時とゆっくりだが、1台だけ6時に陸路和歌山まで800キロをスタートした者が いて朝の散歩がてらに玄関で見送った。
 今日の行程は280キロほどだ。湯布院ICから大分自動車道に入り南東の臼杵に向かう。石仏では 日本で唯一国宝の磨崖仏(まがいぶつ)を見に行く。平安時代後期から鎌倉時代にかけて溶岩に 彫られた石仏で60体ほどあるが、その多くが風化によって欠けたり崩れたりしている。5人以上に なるとガイドが付くとのことでしばらく待ってたら食堂の従業員が来た。昼食はそのガイドの勤める 食堂に連れて行かれ、あじ寿司を食べた。そう、ここは関さば関あじで有名な佐賀関が近いのだ。
 食事中に時雨が来て、ジャンパーなど脱いで置いていたのでみな慌ててバイクまで走ったが、大事には 至らなかったようだ。中には食事代を払わずに、そのままみやげ物店などにいった者がいて引き戻されて いた。
 時間が押していたので予定の宇佐神宮は飛ばして新門司港への帰路に着いた。出港の17時30分の 1時間前に着いて、余裕で乗船手続きができた。阪九フェリーやまとは全長195m、全幅26.4mでトラック 229台、乗用車138台が積め、乗客は667名が乗れる新しくて大きな船だ。2等船室も20名ずつ ほどで完全に仕切られて、我が一行は13名で一室を占有でき、快適な夜の船旅となった。

 <5日目>
 泉大津には5時40分に着いた。たくさんの大型トラックに続いて下船した。今日は仕事だ。和歌山SA で最後の休憩後解散し、一人会社に向かった。途中のヤマザキで昼食を買って、会社には7時半に 着き、眠たいのをがまんして一日の仕事を終えた。

  <4日間の全走行距離1,100キロ>   


 
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