●タニコメ旅日記●
カナディアンロッキー トレッキング紀行
 7月13日(8日目)

― 帰国の途に −

 今朝は五時起き。6時に荷物出しした後は7時の出発までは一寸暇があった。コーヒーを飲んだ後、30分ばかり早朝のバンフの街を散歩した。
 大通りを避け、山手の住宅街らしい通りを歩いたが、私の日本人的な目で見る限り、あまり立派な住宅はなかった。唯、道路と住宅地の間には、かなり広いパブリックスペースを取ってあり、これが町並みに伸びやかな感じを与えているところなんかは、やはり広い国土の国らしくゆったり感があった。
 ボウ河がチラッと見える辺りで時間切れとなり引き返した。今朝ほんの一瞬だが向こうの山が綺麗なモルゲンロートに染まった、ロッキーに来て初めての事であったが、これも早起きの効用かな!?。
 7:00Am丁度、いよいよBANFFの街ともお別れの時が来た。シェリーのバスとも今日でお別れだが、カルガリー空港まで130km、凡そ1:45のドライブに出発した。

― やがてロッキー山脈も彼方に −
 カルガリー空港に向かうR−1カナダ大陸横断道路も暫くはロッキー山脈の中を走っていて、依然として今は見慣れた風景になった岩山が続いていた。日本では到底観ることが出来ない雄大なスケールや、時には奇怪な姿をした自然の造形物を飽かずに眺めていた。 おそらく二度と訪れることが無いであろうカナディアンロッキーの岩山や針葉樹の森の雄大さを我が眼に焼き付けた。
 シェリーのバスはカルガリーに向けてひた走っているが、カナディアンロッキーからは次第に離れつつあった。山並みもようやく低くなり、ゴツゴツした『岩山』の世界から、やがて森林に覆われた低い山並みが遠望できるようになった頃、遂にロッキー最後の岩山をバスの左に見た。

  ― 何もかもが大きいんだ、アルバータ州の大平原 −
一時間弱走ってロッキーも彼方に去った頃から、景色は一変した。カナダという国に入って初めて見る大平原だ。
 昨日まで味わったロッキー山脈のアルバータ州も雄大であったが、今日目の前にするアルバータ州の大平原も気の遠くなるような雄大さだ。
 はるか遠くに緩やかな山らしきものが遠望されるが、見渡す限りの平原は殆どが、昨夜戴いたステーキの、アルバータ牛の牧場のようだ。
   何処までも続く真っ直ぐな道をシェリーのバスはひた走る。
 バンフを出て一時間ばかり走ったところで、かつて冬のオリンピックがあったジャンプ台が見えてきた、人工の台だ。こんな処で冬のオリンピックが出来たのかいな「!?」と思わせるようなノッペリした地形だ。
 添乗の“池田 妙”さんによれば、雪の少ない地域でやる冬のオリンピックの試金石であったのだということであった。
 この辺りで道はR−1を離れて、いよいよカルガリー市内に入ったようだ、急に人家が増えてきた。郊外に『トヨタ』他新設の工場が敷地を連ねていた。そのせいかどうかは知らないが、郊外へ郊外へと新興住宅群が広がっている様子が見られて、発展している都市であることを伺わせた。
 人工67万人、市内中心部には高層建物も見えていたが、大平原に忽然と現れた都市という印象であった。バスの中から見て不思議であったのは、続々と出来ている新興住宅地の面積が如何にも小さそうであったことだ。周りの、気が遠くなるような大平原と比べて如何にも不釣合いな感じがしたものだ。
locky
カナダ平原の街カルガリー

 私達のように土地の広さを『坪』という小さな単位で測る土地柄と違ってエーカーか何かで考える人達が住む国だと思っているのに、どんな事情になっているのだろう。
9:40シェリーのバスはやや遅れたが無事カルガリー空港に着いた。7月6日にプリンスジョージ空港で初めて出会って以来、毎日走ってくれたシェリーともここで握手で別れた。『カルガリーで時計を一時間戻し8:40に』。

― カルガリーからバンクーバーへの乗り継ぎ −
 AC−8309は10:30発。搭乗までかなり時間があるので、ここでゆっくりとサンドイッチの朝食を食べたり、明子さんは残った15C$を遣いにウロウロしたり。
 搭乗ゲートでの持ち物検査はヤケに厳密であった。ウエストポーチやペットボトル、カメラ等云われそうなものは予めトレーに入れておいたが、リュックの中に『デスクトップ』を持っているか?には参った。
 150人乗り位のボンバルディアはAC DEF GHのシート並びで何故か「B」を抜いている。

― ロッキー越えの飛行ルート −
 バンクーバーまでの飛行機はロッキーを越えるだけが役割みたいなものだ。ロッキーの東側にあたるカルガリー空港を離陸すれば、直ぐにロッキー山脈の上空となり、約1時間半かかって太平洋岸のバンクーバー空港に着陸したが、飛行時間の殆どがロッキー越えであった。ロッキー山脈が如何に大きいかを改めて認識したフライトであった。
 行程の半分、太平洋側は雲に隠れて何も見えなかったが、やや高度を下げ始めた時には既に海上であった。上に着ていたジャージーを脱いでTシャツ姿になったが、丁度良い位の気温だ、日中はこんなものなんだろう。12:10分過ぎにバンクーバー着。
 『ここで又、時差調整“11:18分”にリセット』只今日本は7月14日(金)の夜中3:20分。関空行きAC−039便は13:30発だ。
 取り敢えず待ち合わせ場所となる搭乗待合室に移動したが、目指す『53』搭乗ゲートまでは恐ろしく遠かった。右に左に曲がったコーナーを通り、スイッチバックのような折り返しを抜け、まるで迷路のような長い長い通路を通ってようやく辿り付いたが、今日も“おまけ”のハイキングをさせてくれたような気分だった。
 解った人が案内してくれるからついて行けるが、個人で行かされたら途中で“これでホンマに行けるのかいな?”と不安になり疑心暗鬼を起すに違いない。
 機内で昼食が出るのは、恐らく14:30頃になるだろうとの事なので、其れまでのつなぎに何か軽いものを食べておこうと思うが、もうパサパサしたものは食いたくない。“HANAMI”という名の、中華とも日本ともワケのワカラナイ店だったが、明子はパック入りの『寿司』を、私は『チキンうどん』というモノを食べた。やはり、店の名と同じように『ワケのワカラナイ』味であった。これと伊藤園の「お茶」を加えてTOTAL 17.14C$(1928円)というのは結構高い。

  ― 関空に向けて帰国のフライト −
 13:00搭乗、31H,31Kの窓側の二人席。この機のシートは横に2,3,2の7席、割合空いているようだ。関空まで10時間35分の予定。大阪の天気は良好、気温30度のアナウンスがあった。
 定刻13:30、カナディアン航空AC−039便は一路関空に向かってバンクーバー国際空港を離陸した。
 この頃には大分疲れも出てきたようだ、何となくシンドイ。只今23:15(日本時間15:15)、関空着陸まで後一時間あまりというところ迄来ている。
 帰り便では、殆ど飲んだり食ったり、それ以外の時間は半分眠り半分夢うつつの状態で過ごしたから、さして退屈もしなかった。
 実は、帰り便ではどうせヒマを持て余して苦痛だろうから、紀行文の下準備でもしようと思って資料を用意していたのだが、結局は全く手も付けずに終わった。結構疲れていて、何を考えるのも面倒くさいという状態であったのだ。AC−039便は順調なフライトを続け、定刻どうり日本時間16:20関空に着陸した。
 快適な気候のカナダから帰り、最初に30度の大阪を感じたのは、ジャバラ通路に出てきた途端の“むっと”する湿っぽい暑さであった。同行の皆様とは“また何時か何処かでお会いしましょう”と挨拶して別れたが、荷物室から出てきた私のスーツケースに少しキズが発見されたので、確認やら航空会社による修理の手続きなどで少し時間をとり、9日ぶりに“こゆき”が待つ光風台の我が家に帰りついたのは20時少し前であった。
 帰ってきた大阪は、ひょっとしたら梅雨が明けているのではないかな!?という予想に反して、まだ梅雨の真っ只中にありその後10日ばかりも梅雨の後期特有の豪雨により全国に大きな災害をもたらしたのであった。

― 旅を締めくくろう −
 この九日間の旅行中、ロッキー山中を歩き回った距離はどれ位になるだろう。少なくとも60kmは越える距離になった筈だ。
  嘗てのトレッキング旅行でも、此れほどの距離を歩いたことはない、しかも2000mを越える高地での登り下りを6日間ぶっ続けの行動であったから実に充実した日々であった。我が明子さんも特に苦痛も訴えず音も上げなかったのは立派であった思う。
   “カナディアンロッキー”。
 針葉樹の深い森に包まれて点在する蒼い湖水、氷雪に輝くピークと流れ出る氷河、何処までも続く尖った岩の造形。私が夢想していた、まだ見ぬロッキー山脈の光景であった。
 足掛け8日間の山中での滞在、6日間のトレッキングで、自分の足でロッキーの全てに一歩でも近づこうと登って行ったところで見たものは何だったのだろう。いざロッキーの山中に足を踏み入れてみて、思い掛けない位に多くの高山の花々に出遭ったのは、私の思考から外れていただけに驚きであった。
 然しながら、私の眼を通して心の画面に結んだ映像は、毎日が唯ひたすらに『雪』『岩』『氷』が造りだした造形の迫力、スケールの大きさに圧倒され、感動する場面ばかりであった。
 人は夫々の楽しみ方で旅をするのだから、それで良いと云えば其れまでだが、見るもの全てに反応するほど、私の頭脳に埋め込まれたICチップの容量は大きくなかったようだ。
 明子も、蒼い湖水に心惹かれ、驚くほどに咲き乱れる花々に驚喜して、カメラファインダーから眺めるロッキーに満足したのでありました。
   期待していたカナディアンロッキーのトレッキングを満喫し、二人とも元気に旅行を続けられたのは何よりであった、改めて心身ともに健康である事の有難さを実感した旅でもあった。又何時の日か、こんな素晴らしい体験が出来る日が来る事を祈願しながら、この旅を締めくくろう。
 2006年7月25日 梅雨明け近しを思わせる火曜日に。
               了       幸一。

(おわり)

backボタンの画像
[前頁へ]
topボタンの画像
[メニューへ]