●タニコメ旅日記● |
§ 感動の山行 『よう頑張った、えらかった!』 『貴方!、ありがとう』 ガッチリ手を取り合いながら交わした言葉は感動の涙声に震えていた。 パンボチェ村の3985mを過ぎた少し上の台地4100m地点が今回のトレッキングで私達が到達した最高標高だった。 エベレストは雪煙を上げ、ローツヱは怪しげにヌメルように青白く輝く膚を見せていた、これ等8000m峰に並んで美しい姿のアマダブラムが我々の前進を阻むかのように白い衝立となって一層近くに立ちはだかっていた。 荒い息遣いで辿り付いた台地に立ち眼前に展開される偉容に驚嘆し、トップオブワールド、世界の屋根と呼ばれる山々を今、二人して我が眼に映していることに感動し、しばし立ち尽くしたのでありました。 天気は上々暑い位の太陽の下で。 時に2009年3月19日午前9時30分頃であった。 トレッキングは続く。 此処迄で行程としては半分、行ったルートの帰り道とはいうものの強烈な急坂の下り、岩場の道や登りなおしを、ヒザの弱い我が明子サンは良く耐えて、ほとんど朦朧としながらではあったが自分の脚で行動する最終地点、ルクラ(2804m)まで降りてきたのは3月21日午後2時40分ごろであった。 思った事をやり遂げた安堵感と、二人ともよく耐えた嬉しさでハグした私の眼がねの奥は霞んで良く見えなくなったのでありました。 苦痛に耐えて、奥地に行けば行くほど山は大きくなり、その都度驚き嬉しくなりながらの連日でありましたが、空気の希薄さとの戦いでもあった。 困難の程度が大きかったけれど、それを乗り切った後のご褒美としてそれに倍加する深い感動と大きな満足をもらって山旅は終ったのでした。 § 一度は諦めかけた計画だったが・・・・ 「エベレスト街道トレッキング」は実は昨年秋に出かける積りであったが、私の身体に起きたアクシデントのため断念したものだった。 忘れもしない昨2008.7.29日。 週2〜3回は欠かさない5kmの山道散歩も日中は随分暑くなってきたからと、朝一に変えた初日の事だった。 大腿部裏の引きつるような感じはここ1〜2年前からあり、歩いている内に治るのが通例だったから余り気にもせずに歩いていたが、行程の半ばまで行って山道にさしかかった頃、脚の付け根辺りに激痛が走り、余りの痛みにしゃがみ込んでしまったのだった。 整形外科の森井先生の診断は“腰部脊柱管狭窄症”。 「脊髄の中にある脊柱管というのが狭まって、中を通っている血管が絞られる結果下半身各部へ送られる血液が足りなくなり酸欠状態になってアチコチが痛んだり痺れたりする病気だ」 「手術するか、血液の流れを良くするクスリを飲みながら鍛えるしか無いな」 「とにかく歩け、昨日は何処まで今日は何処までと距離を伸ばす事や!」 と森井先生は冷たく言い放ったものだ。 『痛うて、そんなに歩けるか!』 『ヒトゴトやと思って!、アホか!!』 その後暫くは痛みに堪えながらの100〜200mの歩行がせい一杯であった。 この頃の様子では、トレッキングはおろか近くの山の散歩道すら二度と歩けなくなるのではないか「?」と思って落ち込んだものであった。 当然11月に予定しているエべレスト街道トレッキングは断念。 再び喜びをもたらしてくれたのは“水中ウオーキング”であった。 回復の気配も無いまま日が過ぎた八月のお盆明け、あまりアテにはしていなかったが明子の薦めで始めたプールでの水中ウオーキングだった。 効果がありそうだ!。 勿論クスリを続けながらではあったが、プール通いを続けるに従って急速に回復して行った。 森井整形まで700mを一気に、次いでプールまで1100mも一気にとトントン拍子の回復。 「信じる者は救われる」、引き続きプール通いを続ける一方、陸上では自宅から新光風台バス循環道3.5kmを一気通貫で回れた時には光明を見たようで嬉しかった。 週3回、前後左右を均等に2000mの水中ウオーキングを続けながら年末には10kmハイキングも試みたが、本番での疲労の蓄積を考えると新年になった頃でもトレッキングは未だ半信半疑であった。 迷いに迷った末の二月中旬、ようやくエベレスト街道へ行く事を決心して、遅ればせながらの医師の診断等にバタバタしたが、合同説明会があった二月十八日には未だ企画者の朝日旅行側の医師の判断すら出ていない有様で、担当の遠藤さんには色々と面倒をかけてしまう事になって申し訳けない思いだった。 是非にと思う気持と、私の病気再発の不安が交錯する中での決断であったが、成否は“私の脊柱管狭窄症が再発しない事”と“明子サンが高山病にならない事”に懸かっていると思い定めての出発であった。 そんな経緯があっての今回のトレッキングだったから、何時か痛みが襲って来るのではないか「?」という不安は常時拭えなかった。 こんな背景の中で、4100mの丘に立ってエベレストやローツヱなどクーンブヒマール山群の偉容を目の当たりにした時、不安を抱えながらよく此処迄辿り付いたという安堵感と、“神が創りたもうた偉大なる自然”に接した喜びが相俟って、一入の感動を覚えたのでありました。 § エベレスト街道トレッキング チベットとの国境寄りに、まさにネパールの屋根のように連なる長大なヒマラヤ山脈の中で北東に位置するクーンブヒマール地方。 後背地には世界の最高峰エベレストやローツヱなど8000m級の峰々が控えているが、交通手段が乏しいため制約も多い。 行動は先ず国内便のフライトからはじまるが、首都カトマンズ(1350m)から、いきなりクーンブヒマール山群の麓、ルクラ(2804m)まで小型プロペラ機で入り込めば、早や5〜6000m級のピークを目の当たりにする事ができる。 此処からは人であれ動物であれ“脚”だけが唯一の交通手段だ。 ドゥード.コシ河(「コシ」は河だから現地では当然ながらドゥード.コシとしか言わない)に沿いながら何度も吊り橋を渡って、河の右岸左岸を遡りながら、ボテ.コシとの合流からは急斜面を登って、シェルパ族の故郷ナムチェバザールを過ぎ、タンボチェ、パンボチェを経て最終的にはエベレストのベースキャンプ(場所)に至る道。 この道は通称「エベレスト街道」と呼ばれる。 ネパール側からエベレストを目指す登山家は皆この道を登って行ったのだ、古くはエベレスト初登頂のヒラリー郷もシェルパのテンジンと共に、近くは三浦雄一郎父子もこの道を辿ったのだった。 尚エベレストはネパールではサガルマータ(Sagarmatha),チベットではチョモランマ(Chomolungma)と呼ばれる。 近年は世界中のトレッカー達の憧れのルートだ。 今私達も、高山病や病気再発の心配を乗り越えてこのルートを辿りはじめた所だ。 黄金に輝くエベレストやローツヱを眼のあたりにし、アマダブラムの美しさに一瞬息を呑み、立ち尽くすような感動を求めて・・・・・。 勿論ベースキャンプまでは行けないが・・・。 2007年11月、遥かに眺めたアンナプルナやマチャプチャレのモルゲンロートに感動した日から「もっと近くで!、自分の脚で近づいてヒマラヤを眺めたい」の気持が強くなっての挑戦であった。 オレの旅は何時もそうだ、「神が創りたもうた偉大なる自然に接したい」という願望を満足させる旅だ。 パリも要らない、ローマも要らない。 § 3月13日(金) 第1日目 ―― 出発 ―― ※ ※ タイ航空 TG623 関空発定刻 10:30 5時AMに自宅を出た。 曇り空だけれど降ってはいない、TVは今日は西から降って来て荒れ模様になると伝えている。 関空へは何時もは蛍池からバスに乗るが、今回はちょっと事情があって梅田からにした。 新阪急ホテル6:40発のリムジンバスは満員、50分程で関空に到着。 先ずはキャッシュの交換、US$のレート100.18円、ここ一ヶ月ほどの相場ではやや円安の時期に当たっている、うまく行かないもんだ。 8:15′今から再び此処に帰ってくるまでフルアテンドしてくれる朝日旅行の“牧山貴子”さんと面会、電話では話しはしていたが会ってみて若い可愛いお嬢さんだったから『良かったぁー』。 間もなく男性6人女性2人計8人の参加者全員が揃って、何時ものように出国時の注意なんかを聞いてからチェックインカウンターへ金魚のフン。 ※ 一瞬「?」だった ― 曼谷 ― 知らなかったなぁー。 搭乗待合室に入った途端、TG623の行き先表示を見ると「バンコク」「BANGKOK」更に「曼谷」と出ている。 「?」ウナギダニ?、いや違うな!。 よく見れば中国語表記デシタというアホな話。 外は雨。 出発は10分早まって10:20の予定というアナウンス、珍しいことだ。 所が・・・滑走路が混雑、結局離陸したのは10:50になっていた。 ※ バンコクとの時差は2時間 3.4.3と並んだ座席は満席、私達は51AとB。 時差は2HRだから11:30ごろ9:30の現地時間に合わせた。 昼間のフライトというのは何とも間の悪いものだ、眠くも無いし、どうに も退屈な時間帯だ。 昼食は、先ずビール(カールスバーグ)と白ワインで。 チキンフライとライスに抹茶アイスを美味しく戴いた。 ※ ※ 今夜はバンコク泊まり 安定したフライトが続いて現地時間14:37スワンナプーム国際空港に着陸、現地地上温度34℃と報じられていただけあって、通路に出た途端ムヮットする暑さに遭遇した。 勿論建屋内は冷房が効いて快適。 身体を休めるため、今夜はバンコクに一泊する。 早くカトマンズまで飛んで休む方が良いのではないか「?」という気もするが、5時間ものトランジット時間を入れると夜中着になるし、関空を夜発にすれば機内泊になるのだから、これが安全な方法のようだ。 ※ 一夜漬け、タイとバンコクのうんちく 早速バンコクのガイド“ティップワン”さんに伴われて大型バスで市内のツイン タワーホテルまで移動。 空港から市内までは25kmばかりと聞いていたが、片側四車線の立派な道路で結ばれている。 道端の街路樹は疎らで、あまり整然とは言えないが、今は黄色い花が咲いて綺麗だった。 メイン道路に沿って目下空港と市内を結ぶスカイトレイン(高架の電車)が工事中で完成間近のようだった。 タイの国土は日本の1.4倍、人口は6400万人。 バンコクは関東平野の4〜5倍、山は全く見えない、人口800万人。 月収は大略4〜5万円。 宗教は85%が仏教。 今はもう夏に入っている、今日は34度で随分暑い。 タイの季節、夏(3月〜)雨季(7月〜)乾季(11月〜)の三季。 通貨はバーツ(BT)今日は3.23BT/円。 スワンナプーム空港(Suvarnabhumi)は「黄金の大地」の意。 以上はガイドのティプワンさんからの受け売り。 街中には昔のダイハツミゼットのようなタクシー 、トゥクトゥクが走っていた。 バンコク市内は超高層ビルが林立し、高架の高速道が縦横に走り回る大変な大都会だったが、朝でもホテルの10Fの窓を開けると“ムヮ―ッと”生暖かい空気が入って来たから、外はあまり快適ではなさそうだった。 夕食はマンゴーツリーという店で宮廷料理と言うのを戴いたが、なかなか美味しかった、ビールはシンハ。 ※ メンバー紹介 ここでやっと全員が一堂に会するチャンスが来たのでメンバーの自己紹介。 田中氏(京都長岡京)、杉浦氏(和歌山岩出) 、前田氏(和歌山野上)、加藤氏(奈良県)、菊池夫妻(吹田市)、谷夫妻(大阪豊能)。 添乗員は牧山貴子さん(神戸) (年齢は聞いているけど知らない)若い可愛いお嬢さん、今日からは“貴子さん”と呼ぶことにしよう。 ※ 花粉症 スギ花粉もヒノキ花粉も無いから“花粉症フリー”になると期待しているが、第一夜目なので用心して、何時ものクスリを呑み、点眼点鼻薬を注して寝たが、朝方はやはり幾分鼻が詰まった。 まだ抜け切っていないのかなぁー。 もう少し様子を見よう。
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