●タニコメ旅日記●
エベレスト街道を行く 3月24日(12日日)

―― 帰国の途に――
 ※※   カトマンズの朝をゆっくりと
  カトマンズの朝、上空は晴れていながら薄もやに包まれたように霞んだ空気の夜明けを迎えた。  6:25分ホテルの窓の右手より昇り始めた太陽は「真っ赤」というのか「濃いオレンジ色」というのか表現が難しいが、とにかく「異様に赤い太陽」だった。   
ホテル出発は10:30だから今朝はゆったりしている。  朝食後暫く庭など散歩。
 
右手が私たちが泊まったヒマラヤンウイング ソルテイープラザにて 09・3・24
庭園入り口付近の森で「せんだんの木」を発見。  私達の家の近くでも時々見かける木だ、「ヘーェ!こんな所にもあるんや!」。  いや待てよ!、この種の木はこっちの方が本家やでー。  明子さんが頻りと気になっていた木、もみの木の親戚みたいな針葉樹だが枝先が下をむいている木のことだが・・・。  庭作業していた園丁に聞いたがよく知らないらしく「クリスマスツリーの木」というような事を言っていた。  何や!知らんのかいな。

※   トイレ考
  ルクラの夜から下痢は収まり体調は回復していたが・・・。  カトマンズのホテルへ降りてきてからもう一つホッとしたのがトイレだ。  五つ星のこのクラウンプラザホテルと云えどもウォシュレットと云うような文明の利器は勿論無いが、久し振りに広い空間にユッタリと座り込んで「大」が出来る有難味を感じたものだ。
 何より、“拭いた紙を別にとっておかなければ”と言うプレッシャーから開放された事や「押せば水が流れる」事が嬉しかった。  山中は極端に水の事情が悪いし、排泄物の処理法も無いに等しい。  カトマンズ(大都会)から登山基地であるルクラ(2804m)に飛んだ途端からトイレ事情は一変するが、それは標高が高くなるに従って悪くなる。  
  だからどうと云うんだ!。  そんな事に多少なりとも苦痛を感じるのは、日本から来たお前ぐらいのものだ!。  元来ここでは人も動物も自然の中で、自然と共生してきたんだ、そんな生活に何等の不都合も感じてこなかったのだ。  
そもそも、都会の文化も技術も無い、金も無ければ輸送手段もない所にノコノコ入り込んできて、何を下らん事を言うとるんや!。 こんな声が聞こえて来るような気もするが・・・・。  

※   ありがとう!さようなら
 今日も又、サーダーとコック長が態々ホテルまで見送りに来てくれた。  今日も又、旅の無事を祈る「カタ」を首に掛けてもらいながら私達も、結構長い間お世話になった日々を思い出しながらお礼を言った。 『ありがとう!お世話になりました』。

※※   バンコクへ
  流石に朝のトリブバン空港は空いていて、入国時あれほど時間が掛かったチェックインもすんなり。  私達のタイ航空TG−320、出発予定は13:55。  たっぷり時間の余裕があるから数少ない店を冷やかしてウロウロ。  明子さんは、僅かに残ったルピーを消化するのに一所懸命。  13:00厳しいセキュリテイーチェックを受けて搭乗待合室へ。  とにかく時間がかかるノダ。
 14:30分、霞みがかかったようなカトマンズを離陸しバンコクに向かった。  順調なフライトで17:30にスワンナプ−ム国際空港に着陸。  機外の通路へ出た途端ムットする熱気に「夏」のバンコクを感じさせられた。  ここで1:15分進めて18:45分に時計を調整。  

※    5時間ほどのトランジット
 THAI航空TG−622関空便の定刻は23:00。  この待ち時間は、我が明子さんには至福の時間であり私には苦痛の時間である。  長いながい商店街を行ったり来たり。  あれこれ土産を買い終わった頃には私はもうクタクタ。  
  ようやく待ち合わせ時間がきて、ホッ!。  タイのラーメンとビールで最後のミーティング。

※    一路関空へ
  23:15分、TG−622機はようやくタイ国際空港を離陸、一路関空に向かった。  所要時間は4:40分の予定と報じられている。  ここで時計を更に2時間早めて日本時間1:15に調整。
§  3月25日(水) 第13日目  ―― 帰国 ――

※    何が悪さした?
 4:30AM頃沖縄上空あたりで夜明けを迎えた。  後一時間ばかりで関空に着く予定との事だが、早や朝食だ。  鮭弁当のようなものが出たが、流石にこの時間では食欲は無い。  無理に少しだけ突付いただけだった。
    6:05分関空に着陸。  所が、機がぐんぐん高度を下げ始めた頃から私のハラがおかしくなって来た。  バゲージを引き取り、皆さんとお別れの挨拶もそこそこに駆け込んだトイレではやはり“下痢”だった。  先ほどの朝食が悪さした「?」。  胃腸の機能が低下していて受け付けなかった「?」。  原因はよく判らないが、徹底的に“下痢”に付き纏われた「エベレスト街道トレッキング」だった。

※    深い感動をお土産に  
  深い感動と大きな満足をお土産に、13日ぶりに帰ってきた我が家。  もう3月も末だから、早春の芽吹きも見られる頃だと思いながら帰った我が家だったが・・・。  思いもかけず、未だ十分に冬の名残を留めた寒い季節であった。  豊中あたりでチラッと見たサクラも、我が家のあたりではまだ蕾みだ、今年は春は少し遅れているのだろう。  自宅に帰って乗った計りでは、夫々に3kg体重が減っていた。  私の62kg台というのは何十年振りか、ちょっと記憶にない。
 
3月13日以来 伸び放題のひげ 09・3・25 自宅前にて
洋次郎宅に預けていた「こゆき」も帰って来て、我が家に普段の平静が戻ったのは3月29日であった。  今回の「エベレスト街道トレッキング」に同行して頂いた皆様、フルアテンドしてくれた朝日旅行の牧山貴子さん、現地ガイドのクリシュナ−、サーダーのテンバ・シェルパやソナム、とパサンなどポーター達、本当にお世話になりました。
 大勢の人達に支えられ助けられての山行き、苦しさを過ぎた時に仰ぎ見るエベレストやローツエの8000mの山々、より間近に見るアマダブラムやタムセルクに深く感動した日々を有難うございました。
   お世話になった皆様にとってのこれからが一層輝かしい日々であることを祈念しながらこの紀行を終えます。 昨日から俄かに初夏の陽気になった土曜日の午後。 2009.4.11(土)。                                   谷 幸一   

(おわり)

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