● エッセイ ● |
二日目の夜は、宗谷から浜頓別、枝幸、興部と下ってサロマ湖の手前を少し山側に入った『五鹿公園オートキャンプ場』と決めた。 キャンプ場の入口はアーチになっていて、右側に管理棟があったが人の気配がない。しかたなく どんどん奥に進むとログハウスのロッジが左右に等間隔で二戸ずつ並んでいる。全部で20戸もある だろうか、まだ新しい立派な施設である。 ところが人の気配がまったくないのである。木々にはまだ芽も出ていない残雪のオホーツクの沿岸で、 キャンプを張ろうなどという者は滅多にいないのは分かっていたが、だんだん心細くなってきた。 ところがである。キャンプ村の真中に来たところで一台のワゴン車を発見した。 『発見した』という表現は誇大であるが『なにか生きているものがいてくれよお、動いてくれよお、 でも熊じゃ困るけど』と思っていたところへ現れた、一台のワゴン車と若い家族と夕餉の煙であった のだ。これが『発見』でなくて何であろうか。私は早速、男の方に声をかけた。 「こんにちは、管理人の方に会われましたか?」。男は「私も電話で予約してきたんですが誰も いなかったのです。それで入口のところに家が一軒あったでしょう。そこで聞くとその人が管理人 でした。犬を飼ってる家ですよ」と教えてくれた。我々は来た道を引き返し、犬がうるさくほえる家 を訪ねた。 料金はロッジが1500円、車で泊まるなら入園料は無料だと言う。ただしロッジには照明があるが 暖房はないとのこと。妻が「一日くらいはロッジもいいんじゃない」と言った。しかし、こういう 場合の『一日くらい』というのは『一日くらいは少しお金がかかっても、食事と暖かい布団があって 久しぶりにお風呂にも入れるね』という場合に使うのが正しく、火の気のない6畳の板の間に、持参の 2枚の布団を敷いて、6人がそれぞれ1枚ずつの毛布にくるまって、寒さに振るえながら身を寄せて 寝る、という場合には使わない。しかし、私の脳裏では『そうか、1500円で6人も泊まれるのか』 という計算がすでに終了しており、あえなくも「そうだな」と同調してしまった。 今夜も食事の最中に真っ暗になってしまった。しかし今夜は駐車場ではできない楽しみがある。焚き 火だ。私が子供の頃はまだ“へっついさん”で炊飯していたし、五右衛門風呂の風呂焚きは、どこの 家でももっぱら子供の日課であった。だから火を点けるところから炎を大きく育てるすべを覚えた。 ところが昨今では、魚を焼いた臭いで苦情が来たり、落ち葉も焚けないご時世である。この時とばかり 子供たちに枯れ枝を集めさせ、焚き火のノウハウを伝授する。 まず新聞紙の切れ端に火をつけ、枯れた小枝や落ち葉をその上に乗せていく。やがて親指の太さの 白樺の枯れ枝が勢い良く燃え上がる。こうなると、もう手首の太さの枝も平気だ。「危ないからやめろ」 と言うのも効かず、子供たちはめいめいに火のついた小枝を振り回している。 やがておき火ができたので、その火でギョウザを焼く。火力が強くてうれしい。油をしいた中華 ナベからたちまち青い煙が立ち昇り、ギョウザを放り込むと『ジャーッ』とうまそうな音が上がった。 子供に懐中電灯を持たせて、ナベの中を照らして焼いたギョウザは、かなり焦げてしまったが、よく 見えないのを幸いに「うまいうまい」の賛辞に包まれて、またたく間に少年少女の餌食となって闇に 消え去った。 焚き火の饗宴を終え、歯磨きも済まして小屋に入った。まだ8時を過ぎたばかりだが、照明以外に 電気製品のない部屋で子供たちはあっけなく寝息を立て始めた。私は焼酎の水割りをやりながら、少 しだけ本を読んだ。静かだ。もし、この明かりを消してしまえば全てが闇と一体化してしまうのではないか と思うくらい静かだ。しばらく明かりを消さずにいると『コツッ、コツッ』と窓ガラスを叩く音が してドキッとした。こわごわ見ると一匹の蛾であった。ヤレヤレと胸をなでおろすと急に尿意を もよおしてきた。 トイレは30メートルほど離れたところにある。私は仕方なく部屋を出て、小屋の横に廻り、そこで 急いで用を足して素早く部屋に戻った。安心感とともにやがて睡魔が襲い、すきま風を感じながらも 二つの“川”の字の一本の線となっていった。 午前2時ごろ再び尿意をもよおし目を覚ました。『弱ったなあ、これは。さっきと随分様子が違う ぞ。ウシミツドキだもんなあ、小屋の周りにはきっと魑魅魍魎(ちみもうりょう)や熊狼狐狸(ゆう ろうこり)がうようよあふれているぞ、困ったなあ』と思いつつ、しばらく横になってガマンして いた。しかし、思いはつのる一方で、だんだんガマンがならなくなってきた。その時であった。 一番端っこに寝ていた妻がムクッと半身を起こし「お父さん、トイレ一緒に行って」と言った。 「ん、なんだ怖いのか?しょうがないなあ」と言いつつ、素早く靴を後ろを踏んづけたまま履いて いた。そして何年ぶりかで手を取り合って、わずか30メートル先のトイレを、かけあしで往復した のである。 (1993年5月連休の道北ツアーより)
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