● エッセイ ●
宗谷岬のVサイン

 昨年の道東旅行に気をよくして今年は道北を攻めるぞーと出かけた二日目、稚内市から北東に50キロも 行けば「日本最北端の地」宗谷岬である。午後二時に着いた。車を降りる と「宗谷岬」の音楽が迎えてくれる。『♪流氷溶けて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメが啼いて  はるか沖行く外国船の 煙もうれし 宗谷の岬・・・』。極寒の北の果てに訪れた春、しかしピンク のハマナスの花が風に揺れているだけのささやかな春。人はそれでも、この最果ての地に幸を求めて 住みつき、明日を信じ、今日を精一杯生きているんだよおー、というような哀愁漂う歌詞である。  黒御影石の歌碑には、この歌詞と楽譜が刻まれ、吉田弘作詞、船村徹作曲と記してあった。
 赤や青やオレンジ色の派手に彩られた土産物の店が、道路に向かい合って20軒ほど軒を連ねている 。『宗谷岬』はその中の二軒から流れているようだが、歌詞がずれているし音程も微妙に違っていて、 選挙カーがたまたま二台出会ってしまって、候補者が思い思いのことをしゃべっている状態みたいに なっている。せっかく流すのなら二軒が「まあ、一週間交代にすべえかあ」などと相談して、一カ所か ら流してもらった方が観光客も「ああ、哀愁だなあ、なんつったって最北端だもんなあ」と素直に感激 するのではないかと思ったりした。
 『日本最北端の碑』の前では観光客が入れ替わり立ち替わり記念写真を撮っている。どのグループも 必ずVサインをしている。いつの頃から日本人は総ピースサインとなってしまったのだろうか。3人連 れのギャルがその辺にいるおじさんに「すいませーん、おねがいしまーす」と使い捨てカメラを預け、 碑の前で少しひざを曲げて斜めにポーズをとると、3人とも手の指がチョキになって顔がニカッとなって いた。
 逆V型の『日本最北端の碑』の左手に、江戸時代の武士然とした銅像があった。チョンマゲで大小を 差してはいるが足元は脚絆にワラジ履きで、少し首を左に向けて樺太方面を臨んでいる。世界地図に 唯一、日本人の名を残した測量技師、探検家の間宮林蔵の全身像である。彼は1809年、現地のアイ ヌ人足の助力を得ながら樺太の西海岸を北上、海峡を横切りアジア大陸に上陸、黒竜江の中流にある デレンという村まで到達している。当時一度外国の地を踏んだものが再び日本に戻ることは非常に 困難な鎖国の時代で、それは死をも意味するものであったが、さらにデレンから黒竜江を川口まで下り、 対岸の樺太のナニオーに渡った。そこは樺太の最北端であり、そこから海上を一路南下することによって 樺太がアジア大陸とは完全に離れていることを確認したのである。当時、樺太の地形は全島まで明らか になっておらず、アジア大陸の半島説が一般化していた。この勇気ある歴史的発見を、後にシーボルト が『間宮海峡』と名付け、尊敬の念を込めて世界に紹介した。林蔵が船を出したのは、ここからやや西 に行ったところだと台石に書いてあった。
 (1993年5月連休の道北ツアーより)


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