男たちの大和を目指して(1)
   
貸し切りの2等船室でくつろぐ

「めかり」から関門海峡を望む

秋吉台の風がさわやかだった

津和野の町並みを進むGL
デブな鯉がいっぱい

河原にいた動かないねこ

 年に一度のBHBツーリングは今回で25回目を迎えるとのこと。9月16日(金)の夕刻、大阪は 堺泉北フェリーターミナルに集合した一行15台が、20時発の阪九フェリー“ニューながと”に乗り 込む。行く先は九州の新門司港。船中一泊を含めて3泊4日の男たちの旅の始まりだ。九州に着いた あとは中国地方の秋吉台、萩、津和野、岩国、広島、呉、尾道と戻ってくるコースだ。
 ニューながとは14,988総トン、乗船定員921名のけっこう大きなフェリーだ。船内のレスト ランで夕食の後、2等船室に寝っころがってチューハイなどでくつろぐ。ゴンゴンゴンと静かだが力強い エンジン音が心地よく睡魔を誘う。
 17日(土)8時過ぎに新門司港に着き上陸。近くのSSで給油をし九州・中国自動車道門司ICに 入ってすぐにめかりパーキングで関門海峡を眺める。再び高速道に戻って美祢ICで降りる。目指すは 秋吉台。山口県の田舎道だが幅も広く路面が整備された道を快走する。やがて秋吉台に着きバイクから 降りてヘルメットを脱ぐ。一面のカルデラ大地の眺望と吹き抜ける風が心地よい。美人のバスガイド さんにシャッターをお願いして記念写真を撮って早々に立つ。
 萩に近づくとR262の表示が目につく。日本海側の萩市から瀬戸内の防府市まで縦断しているR262は、昨年イチローが 大リーグ初の年間262本の安打を放つという偉業を成し遂げたとき、地元の誰かが、この道をイチローロード と名づけようと提案し、いかにも安易な発想とのひんしゅくを買い、成り得なかった道だ。
 萩といえば明治維新の原動力となって活躍した数々の英傑を教育した吉田松陰だ。松下村塾は 百姓家の離れのような粗末な八畳間で、門下生の高杉晋作、木戸孝允、山県有朋、久坂玄瑞、伊藤博文などの 写真が飾られている。隣に松陰が蟄居されたという別棟の三畳の小部屋もあった。
 萩から津和野に向かって少し走ったところにあった道の駅“ハピネスふくえ”で山菜そばセットの昼食。 津和野は小さな町であるが“山陰の小京都”と呼ばれ訪れる客は多い。歴代の聡明な為政者が、 京都の文化を積極的に摂取した名残らしい。ここに津和野本学という独特の学問思想が生まれ 明治新政府の政策をリードする大役を担ったといわれる。ドクターでもある文豪森鴎外も有名だ。 メイン通りの側溝には綺麗な水が流れ、まるまると太った鯉がゆうゆうと泳いでいる。津和野カトリック 教会の入口に置いてあった一袋50円の麩を買って、水面に2、3個落としてやると「バチャバチャッ」 と取り合いになって大きな口を尖らせてパクッと吸い込む。水草や藻でこんなに太るのかと不思議に 思っていたが、ここの鯉の主食は麩なんだ、と納得する。
 15時に給油し津和野を後にする。後はR187を柿木村、六日町、美川町、岩国へと南東に向かって下る。
信号のない山間道を15台のバイクが連なって快走する。ナビゲーターも正確に誘導してくれる。 しかし美川町を通ると、9月6日に西日本一帯を襲った台風14号の爪あとが随分と残っている。 “錦帯橋の一部が損壊”と報じられた錦川の上流で、80メートルくらいの川幅で、道路から川底まで 15メートルはありそうだが、この道路が完全に水没した形跡が残っている。道路左側の落石防護網に 2メートル近くの高さにゴミが張り付いている。そのうち民家が見え始めたが、床上に浸水し、壁土が 剥がれ落ち、家具などは流失し、10日も経つのに無残で気の毒な状況を呈していた。
 錦帯橋へは日暮れ前に到着。河原の駐車場は台風で壊れていたので対岸の臨時駐車場へ行く。 橋を背景に集合写真を撮って、今日のお宿、岩国駅前の岩国ビジネスホテル&スパへ。ここで後発の K氏のGLも合流し16台となった。<和歌山の家から 355キロを走破。>

   


 
topボタンの画像
[メニューへ]
nextボタンの画像
[次頁へ]