由緒あるゆとう屋の玄関
城崎温泉の中心部
橋の上で後続を待つ
出石城址
出石町観光センター前
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10日(日)の朝は雨音で5時半に目覚めた。さすがおっさん達の朝は早い。夕べの巨人阪神戦で阪神が勝って、9連勝で今年初めて首位になった話で盛り上がっている。朝食は8時なので、腹減った腹減ったとうるさい。待ちきれずに5分ほど前に何人か2階に上がろうとすると、仲居さんに「まだ準備中なのでそちらでお待ちください」と押し返されて笑った。確かに腹減っていたのか隣に座ったAさんは、ごはん3杯をおかわりした。
9時半に旅館のみなさんに丁重に見送られてスタートした。14キロ先のコウノトリの郷公園へ向う。コウノトリの郷公園のHP
ここで1時間ほど過ごして、ソバで有名な豊岡市出石町へ向う。豊岡や出石というと平成16年10月の台風23号で、円山川と出石川の堤防が決壊し水浸しとなった。同じ日に京都の舞鶴市でバスが水没して37名が屋根に上がって夜を明かしたあの水害だ。3年前の傷跡はもうどこにも残っていない。広々とした水田は、一面黄金色に染まって稲刈も始まっている。ソバは稲のできない寒冷地や痩せ地で栽培されるものだが、こんな肥沃な土地になぜソバなのか、と思っていたが出石町の歴史が解答を出してくれた。宝永3年(1706年)に信州上田の仙石政明という人が国替えで藩主となったときに、国からソバ職人を連れてきたというのだ。なるほど、信州ソバの味が忘れられなかったようだ。数多いそば屋の中で、幹事が予約してくれていた「甚兵衛」に入る。皿そば甚兵衛のHP
名物皿そばは、一枚の小皿に一口ずつ乗っていて、ネギ、山芋とろろ、卵、わさびを入れたカツオ風味のダシにつけて食べる。一人あたり10枚だそうだ。「こんなの一口や」と言っていたが、次々に運ばれてくる皿を2枚ずつ、3枚ずつと取り分けて食べているうちに、お腹に溜まってくる。結局、みんな自分の前に10枚の皿を積み上げて、蕎麦湯も頂いて満足したようだ。
土産物屋などを散策して、1時に帰路につく。少し走ると、これから向う方向の山に黒い雲が出ていると思ったら、いきなり降ってきた。道端に一列に止めてカッパを着る。その後、短い時間では会ったがものすごい雨が降ってきて、みるみる道路に水たまりができた。対向のバスがその水を跳ね上げて、思いっきりぬるい水をかぶった。やがて小降りになって県道10号線にさしかかるが、800メートルほどの床尾山にくねくねと登っていって、頂上からはまた急坂を下っていく山道で、15キロほどの間で対向車は4台だけだった。普段はあまり使われていないようだ。山を下りると、カッパを脱いで、和田山ICから北近畿豊岡道に入る。後は舞鶴若狭道、中国道、阪和道と高速道を休憩と給油をしながら紀ノ川SAへ。今年も無事に帰って来れたことをお互い喜び、幹事さんにお礼を言って解散する。
平成19年9月8日(土)9日(日)
<2日間の全走行距離755キロ>
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